マッチングアプリ編

セリヌンティウスは困惑した。必ず、かの恋愛音痴の友を呼び出さねばならぬと決意した。セリヌンティウスの後輩フィロストラトスの言ったことを、メロメロス本人に、会って直接確かめねばならぬと思ったからだ。それは、メロメロスのアイデンティティ損失にも関わる重大なニュースであった。

メロメロスに講義終了後すぐ桜の木のそばで待っているようにと連絡すると、即座に親指を立てた陽気なうさぎのスタンプが返ってきた。メロメロスの返事が早いこと、これもセリヌンティウスの疑惑を確信に変える要因であった。彼は講義中に携帯を見ないのだ。普段通りなら一心不乱に教科書にマークをつけ、付箋をはり、1時間半を過ごしているはずである。嫌な予感がした。嫌な予感というものは甘い予想の何倍も当たりやすいものである。背中にフェードアウトする鐘の音を聴きながら、内心穏やかでないセリヌンティウスが肩で春の薫風を切って歩いていくその先に、男は立っていた。メロメロスは呼吸を乱して近寄ってくるセリヌンティウスに気がつくと、

「うぅぃ〜〜〜〜い」

と脳みそから花が咲いたような声を出した。


🌸



「メロメロス、お前、先週の日曜はどこにいた」

「?」とメロメロスは人差し指をピンと立て、唇を尖らせ、首を傾げ、斜め右上を見た。殴りかかりたい衝動を必死に抑えていたセリヌンティウスは気づかなかったのだが、繋がったレンコンのような脚はきゅっとクロスさせていた。

「後輩がお前を見たと言っていた。映画館に行ったそうだな」

「後輩〜? フィロストラトスか、なるほどな。確かに行ったぞ、映画館にも」

メロメロスは態とらしく倒置法を用いると、妙につややかな唇を片方だけむんっと上げ、不敵に微笑んだ。セリヌンティウスは、先日刈り揃えたばかりの後頭部にたらりと汗が流れるのを感じた。

「わかった、場所を変えよう」

「そうだな。こんな外じゃあ花粉もぁあぶっしゅん!」

散歩コースが被ったチワワと柴犬のように睨み合ったままの二人は、カフェテリアまで言葉をいっさい発さずに連れ立って歩き、あたたかい抹茶オレを間に挟んで座った。元気よくふわふわ立ちのぼっていた湯気がしょんぼりし始めたあたりで、場の賑やかさに似合わぬ重い沈黙を破ってメロメロスが口を開いた。

「先週の日曜のことだが、俺は、映画を見に行った。とある方と連れ立ってな、あの、ほら、今CMでやってる有名な小説の映画だ」

「映画はどうでもいい、話を濁すな。俺が聞きたいのは、一緒に行った女性とはどういう関係だ、ということだ」とセリヌンティウスが椅子を一段階前に進めると、メロメロスは恐る恐る抹茶オレに口をつけ、すずめの涙ほどをチュッと飲み込み、頬杖をついて上機嫌に頷きながら

「ふうん、聞きたいのか、そうかそうか、そうだろうなあ。やっぱりそうだよなあ、セリヌンティウスも気になるよなあ、ふふふ」

と足先を小さくパタパタさせた。セリヌンティウスは紙コップに手をかけて、どれくらいの温度の液体なら顔にかけても罪に問われないか、必死に思い出していた。

「セリヌンティウス、お前は知っていたか?世の中にはマッチングアプリなる、大層便利なものがあるのだ」

メロメロスはそう言いながらスマートフォンを取り出し、角のとれた薄ピンクの正方形を指した。メロメロスがこのアプリについてあれこれ説明している間、セリヌンティウスは小細工一切無しのガチンコマッチングアプリがメロメロスのスマートフォンにインストールされている事実に驚愕し、そのあまり、抹茶オレの味がよくわからなくなっていた。ああ、友よ、俺が彼女と忙しくしていた間に、ついに手を出してしまったのか。

「映画を一緒に見た女性とはこれで知り合ったのだ。お互いに気に入った相手にはメッセージを送ることができるのだが、やりとりを重ね、幸い家も近いことだし、会ってみようという話になってな」

セリヌンティウスは絶句した。なんて、なんてまともなんだ。あの、恋愛音痴で、努力の方向性が間違っていて、アホと下心が丸出しになっていた不器用な友はどこに行ってしまったのだろう。

「会ってみると写真とは少し違っていたのだが、今が花ざかりとばかりの美しい女性だった。これが写真だ。メッセージの文面も丁寧で、趣味も読書だというので大人しい女性だと想像していたのだが、会ってみて初めてわかる優しいところも沢山見られたぞ」

セリヌンティウスは目の前がくらくらした。耳から入ってくる情報があまりにも真っ当な幸せに包まれていて、首から下の器官全てからスゥと力が抜けていくのがわかった。抜け殻のようなセリヌンティウスに構わず、メロメロスは頬杖をついたまま、楽しそうに続けた。

「例えばな、俺が映画館の自販機で飲み物を買おうとしたときに、うっかりして釣り銭をぶちまけてしまったのだが、慌てた俺が拾うよりも先に彼女が『銭だぁ!』とかがみ込んで残さずかき集めてくれたり」

「銭……?」

「しっかりものだよなぁ。映画の後に食事に行く流れになったときは『大丈夫、私はお弁当があるの』と言って公園のベンチに座ったかと思えば鞄から日の丸弁当を出したり……」

セリヌンティウスは先ほどまで眠たげだった脳がシャキッと覚醒するのを感じた。反対にメロメロスの表情は分厚い雲に覆われたように、どんどんと薄暗さを増していった。セリヌンティウスは懐からハンカチを取り出すと、メロメロスの前にそっと差し出した。

「セリヌンティウス、セリヌンティウス」

「よい、わかった。何もいうな、メロメロス」

セリヌンティウスは目を閉じた。次の瞬間に目の前から豪快にすすり泣く音が聞こえてきた。ふと、男の涙を鼻水で割った情けない液体をすすって皺くちゃになっているであろうハンカチが脳裏によぎった。あれは2週間前に彼女から貰ったハンカチだったが、不思議と罪悪感はなかった。

負けるな、メロメロス。

セリヌンティウスは目を閉じたまま抹茶オレに手を伸ばし、まだほんのり温かみの残るそれを少しだけ口に含み、メロメロスが泣き止むまで、他人のフリに徹していた。

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走れメロメロス 軒下風淋 @NokisitanoHurin

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