走れメロメロス

軒下風淋

走れメロメロス

メロメロスは激怒した。必ず、かの放蕩淫乱の王を除かなければならぬと決意した。メロメロスはこれまで何度も人に裏切られてきた。マラソンで同時にゴールすると誓って一周遅れにされたこと。勉強しない同盟を結び、補習教室に自分しかいなかったこと。その他大小さまざまな裏切りに見舞われていたメロメロスも、今回ばかりは耐えられなかった。なぜだ、と口からこぼれた言葉に隠しきれない怒気が滲んだ。メロメロスは握りしめた拳を振り下ろし、猛虎の如く咆哮した。

「ディオニスに恋人ができるはずないだろう!」

ディオニスというのはメロメロスが所属しているテーブルゲーム同好会の長である。メロメロスとは同期であるが、その仲は最悪だった。とはいえ何か特別に対立したわけではなく、メロメロスが一方的に嫌っているだけ。というのがメロメロスの竹馬の友であり、彼に最初に手痛く裏切ったセリヌンティウスの評である。

「セリヌンティウス、俺は今でも覚えているぞ! あいつはサークルで初めて自己紹介をしたときに『もう恋人はいらぬ。疲れてしまったのでな』と笑って言っていたではないか!」

「ああ確かに言っていたな」

「ではなぜあいつに恋人ができるのだ!」

「俺が聞いた話だと後輩に告白されたらしいぞ」

「それがおかしいだろう!」メロメロスは激怒した。セリヌンティウスは椅子に背を預けるとメロメロスの死角でスマホをいじり始めた。

「あいつは告白されたのだろう!? 断ればいいではないか! なぜ断らぬ! そもそも相手も相手だ! なぜ『恋人はいらない。恋に疲れた。人を信じられない』と言っている男に告白する!? その言葉のどこに勝算を見出したのだ!? とんだ博打ではないか!  セリヌンティウス! 俺にはわからぬ! 女心が! 俺にはわからぬぞ! 女心というものはいつも俺を翻弄する! 俺はモテたいだけなのだ! そうすればモテると聞いたから! アルトサックスを吹き、うさぎさんと遊んで暮らしてきたのだ! 全て空振りに終わったが! だが俺は! 恋の萌芽には、人一倍に敏感であったぞ!」

メロメロスはここまで言い切って、カシスオレンジを喉奥に流し込んだ。静かになったメロメロスを見て、セリヌンティウスはスマホを切ると優しく微笑んだ。こいつ、アホだなあと心の中で呟く。

「しかしなぁ、メロメロス。俺が思うに、お前は少し恋に対して前のめりすぎるのではないか。そして、目を覚ませ。お前の観測した恋の萌芽とやらは世間一般でいう社交辞令や単なる雑談に過ぎぬ。楽しそうに話せたイコール相手が自分に気があるという錯覚をするから、お前は今まで何度もボール球をフルスイングしてきたのだ」

メロメロスは黙っている。セリヌンティウスは口の奥で笑いを噛み殺しながら言葉を続けた。

「俺は納得したよ。というより思っていたよ。絶対にディオニスの方がお前より先に彼女ができると。確かにディオニスは『恋に疲れた。もう恋人はいい。人を信じることができなくなった』と言っていた。現に女性と接するときはいつでも自然体に接していたし、自分から距離を詰めるそぶりも見せなかった。そうだろう? その態度が一部の女性にとって、とても心地よいものであったのだろう。その中にはディオニスの負った傷を癒してあげたいと思う人もいたのであろうよ」

メロメロスは黙ったままである。セリヌンティウスは一旦ハイボールで毒舌を潤した。

「ディオニスに聞いたわけではないから定かではないが、おそらくディオニスの恋人となった女性の一途な姿勢が彼の傷ついた心を動かしたのだろうな。もう一度人を信じてみてもいいと思わせるほどに相手の愛が真摯だったのだろう。これはなんと、美しい純愛ではないか。ん? ああメロメロスよ、言わずともわかる。お前の目は雄弁に語っているな。『俺とて女性には懸命に一途にひたむきに接しているぞ』と。お前が口を開く前に訂正しておくが、お前の場合は懸命で一途でひたむきなのではなく、単に焦っているだけだ。全くもって余裕がないのだ。それが相手の女性にも伝わるのだろう。あと、お前は一途ではない。お前の言う気になる人とやらはコロコロ変わっている。お前には堪え性がないのだ」

メロメロスはキッとセリヌンティウスを睨みつけた。と思うと次の瞬間にはチワワのように黒々とした目にぶわあっと涙を溜め、それがボロッとこぼれたと思ったら、しゅんと肩をすくめて言った。

「セリヌンティウス、お前は俺が今年でいくつになるか知っているだろう」

「23だな」

「24だ」

セリヌンティウスは「ごめん」と謝った。素で間違えてしまった。

「そうだ、俺はもう24なのだ。24になってまだ彼女ができたこともない。薔薇色のキャンパスどころか、俺はエレメンタリーもジュニアハイもハイすらも綺麗な灰色だった。俺は嫌だよ。自分が情けないよ。お前が高校時代から付き合っている彼女とピンク色のあんなことやそんなことに明け暮れている間、俺は去勢を忘れていてうっかり増えてしまった7匹のうさぎさんたちと一緒に薄い煎餅布団で寝ているのだ」

「白雪姫みたいだな」

「うるさい!」

セリヌンティウスは「ごめん」と謝った。

「セリヌンティウスよ、俺だって何も好き好んでこうなったわけではないのだ。俺だって健全な男子なのだ。人並みに胸にも尻にも興味があるのだ。穴があったら入りたいのだ。女性とすれ違っていい香りがすれば振り返るし、しなくたって振り返る。電車で隣の席に座ったときにTシャツの袖が触れ合うだけで心拍数が上がるのだ。俺にはどうしようもない、きっとそういう運命に産まれてしまったのだろう。これは神の慈悲か悪戯か、その両方かに違いない。俺は、俺のような人間と少しの間でも楽しく話してくれただけで好きになってしまうのだ。少し相手が笑っただけで下半身に熱が集まって姿勢が悪くなってしまう気持ちがお前にはわかるか?」

「腰が低くて良いじゃないか」

「真面目に聞け!」

セリヌンティウスは「ごめん」と謝った。メロメロスはアセロラジュースを飲みながら泣いている。

「セリヌンティウスよ、俺だってありのままの俺を愛してもらおうなんて、そんな傲慢なことは考えていないぞ。相手に合わせることが大切だと聞いたから『花を育てるのが趣味です』と言う女性と知り合ったときはまず徹夜で植物図鑑を読みあさり、決して広いとは言えない下宿のベランダの片隅でプチトマトを育て始めたのだぞ。数ヶ月後、勉強の甲斐あってか信じられないくらいの大豊作になったプチトマトをタッパーいっぱいに詰めて彼女にプレゼントしようとしたら『う〜ん、それは家庭菜園なので、私のやっている園芸とは少し違って……』とやんわり拒否されたがな! でも俺はそこですぐ己の過ちに気づいたのだ。だからすぐに花言葉図鑑を買って読みあさり、彼女にありとあらゆる愛の言葉を持つ花を贈ったぞ! まぁ『私は切花より生花が好きなので……』と拒否されたがな! セリヌンティウスよ、お前にわかるか!? 俺は毎年この季節になると恐ろしく元気に逞しくすくすくと成長していて俺の部屋の日照権を若干侵害しかけているプチトマトの受粉を手助けしているのだぞ!? そのときに俺がどんなに虚しい気持ちになるかお前にわかるか!? 自分の受粉もままならない俺が! なぜトマトの受粉を手助けしてやらねばならんのだ!」

「でもまあ、お前のトマトで作ったサラダ、美味かったよ」と言いかけて、セリヌンティウスは口を閉ざした。代わりに紙ナフキンを手渡してやると、メロメロスは「施しは受けん! 憐れむな!」と叫んだ。それじゃあ、と手を引っ込めようとすると「くれ」と奪い取り、おいおい泣き始めた。あんまり鼻を啜るので「鼻炎になるぞ」と声をかけると、メロメロスは「誰がぴえんだ!」と叫んだ。

「気になった女性が好きだと言ったものはまずウィキペディアを読んだ。YOUTUBEに動画があればそれも見た。図鑑も見た。それについて語れと言われれば最低1時間は語れるほどの知識を手に入れて話を合わせようとしたのだ。ただ、いざ話してみると会話は全く盛り上がらないし、挙句の果てには『メロメロス君、私よりハマっちゃってない?』とちょっと引かれるのだ! 『これが好き』と言ったのは君たちじゃなかったのか!? 君たちの『好き』はそんなにもフランクなのか!? 何人かは俺が一通り履修し終わるまでに『もうそれ飽きちゃったんだよね〜』と言ったこともあったのだぞ!」

「……?」お前だって好きな人がコロコロ変わるじゃないか、何が違うのだ? セリヌンティウスはハイボールの中でそう呟いた。

でも、トマトがのびのび成長しているところをみると、意外とマメな男なのかもしれない。気になる人が園芸趣味だとわかってすぐにプチトマトの苗を買っているあたりには可愛げすら感じる。こういう不器用さを好ましいと思う物好きもこの世にはいくらかいるだろうに。下手に下半身に操縦桿がついているだけに上手くいっていないと思うともったいない。去勢さえすれば良い男になりそうだ。セリヌンティウスがそんなことを考えていると、メロメロスはセリヌンティウスを睨んだ。

「お前も俺を馬鹿にするのか!」

「馬鹿にはしていないぞ」アホだとは思っているが。

「いい、いい、言うな。どうせそうだ。俺は恥晒しなのだ、なにしろ妹に先を越されてしまったのだからな。妹は今日から8日後に式を挙げるのだ。妹が俺に寄越してきた招待状は最初から『不参加』の方に丸がしてあった。俺は悲しい。俺が何をしたと言うのだ。俺は腹が立つぞセリヌンティウス! 俺だってなあ! いやむしろ俺にこそなあ! ヴァージンロードを歩く権利があるのだぞ! 俺だって見たいのだ! 妹の可愛い友達のドレス姿が!」

セリヌンティウスはなんだか悲しい気持ちになったので、そっとカシスオレンジを注文してやった。しばらくして届いたそれを机に伏せて泣いていたメロメロスは一息で飲み干して、また机に突っ伏した。乱れた息は程なくして寝息に変わった。

今はまだ恋の惨状通りを右へ左へひた走るメロメロスだがいつかは真っ赤なビロードのヴァージンロードを走れるように、と願いをこめて、セリヌンティウスは財布の中に潜ませていたコンドームを彼の手の中に握らせると、恋人に会うべくそっと店を後にした。

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