後編

 食欲がないという十塚に無理矢理卵雑炊とついでにすりおろした林檎を食わせた。

 もう何も食べられないと苦しそうにしているが、そんなに食べさせていない。

「それでお前、この後どうするつもりなんだ?」

 向き合った十塚にそう聞かれたので答える。

「どういうつもりで聞いてるの、それ」

「私はお前を殺すつもりだし、今更やめようとはおもってない……だが、なんかほら、色々あっただろう? もうお前は厄災やらなくてもいいわけで……それだったら」

 逡巡するような十塚はそう言った。

 そうか、こいつ俺にはもう死ぬ理由がないと思っているのか。

 馬鹿な女、もう俺が厄災をやらなくてもいいとしても、たとえ人質を取られて強要されていたとしても、多くの命を奪ったことに変わりはないのに。

 今はまだ生死不明だと思われているから放置されているだけ、生きている事がわかれば普通に捕まるし、普通に処刑される。

 それに、いろんな事を考慮されて恩赦でもされて自由の身になったとしても……

「俺がなんのためにここに戻ってきたと思ってんの?」

 そう答えると、十塚は大きく目を見開いた。

 そしてしばらく黙り込んで、ためらうようにおずおずと口を開く。

「……お前、本当に私に殺されにきたのか?」

「そうだよ、お前に殺されたかったから、それだけのためにここまで必死に生き延びた」

 断言した。

 本当にそれだけのために今まで生きてきたので、この先はもういらない。

 俺はお前に殺されて、それでお前も。

 弟妹にも最後までぼかしていたもう一つの願望も、ようやく叶う。

「……ならいい。それにしても……私が一方的に取り付けた約束だったのに、お前はずっと覚えていてくれたんだな」

 俺の思惑に気付かない、もう直ぐ俺に殺される女はそう言って少しだけ悲しそうに笑った。

「忘られるか。あんなどうしようもない馬鹿げた約束、絶対に」

 むしろお前が覚えていてくれたことが、俺が死んだと思っても忘れずにいてくれたことの方が、俺にとっては意外だった。

 もうあえて口にはしないけど。

「そうか……」

 彼女は白衣のポケットの中に手を突っ込み、何かを引っ張り出した。

 小さな金属の塊、あの研究発表会で彼女が自分に向けてきたそれに、よく似ている物体。

 彼女はそれの先端を、俺の胴に向けた。

「それは、あの時の?」

「いや、あれはあの後没収された。これはいわゆる二代目というか、改良品だ。バレたら没収されるのわかってたから、内緒で作った」

 内緒で作った、おそらく本業の合間を縫って、アレ以上のものを。

 そうだった、こいつはそういう女だった。

 流石だとは思ったけど、それよりも先に呆れが出た。

「悪い奴だな、お前も」

「まあな。……ただ、やっぱりこれも非常に燃費が悪い、今の私じゃせいぜい一発しか撃てない。……だから、避けるなよ?」

「……今のお前に使えるの?」

「ああ、ギリギリだけど」

 そんな痩せ細った身体で問題ないのだろうかと思ったけど、断言されたのでそれはひとまず信じることにした。

 使えるのであればそれ以上の心配はない、どうせこいつも死ぬのだから、後遺症だのなんだのに悩む必要は全くない。

「だから殺すよ、今からお前を、殺す」

 強い口調でそう言った彼女と、目が合わない。

 彼女はただ金属の塊を向けた先を一心に見つめている。

 そうして一度深く深呼吸をした彼女と、目が合った。

「それじゃあ、さよならだ」

 そう言った彼女が金属の塊のボタンに指を添え、それきり動かなくなった。

 いつでも殺し返せるように袖に仕込んでいたナイフをこっそりと握っていたのに、一向に動かない。

 ただ、俺の顔を見て、大きく目を見開いている。

 金属の塊を持つ彼女の細腕が震え出す、「あぁ」という声が漏れ、彼女は信じられないような顔で自らの指先を見つめた。

「……どうしたの?」

 ひょっとして魔力が足りないのだろうか、そう思って聞いてみると、彼女は愕然とした顔で俺の顔を見上げた。

 その顔が、今にも泣き出しそうなくしゃくしゃの酷い顔になったので、思わず困惑した。

「大丈夫? 魔力足りてないとか?」

 だったら使えるようになるまで休んでいてもいい、と続けようとしたら彼女は首をブンブン横に振った。

「ちが……ちゃんと殺す、ちゃんと殺すから……殺したくないとか、思ってないから、思ってない、思ってない……殺す、殺すから……」

 震える声で言いながら、それでもその目が潤み始めている。

 こいつ、ここまできて俺を殺すことに怖気付きやがったらしい。

 それもそうか、いくら天才とはいえこいつはただの一般人、人を殺すどころか傷付けることにすら慣れていない、弱い女だ。

 あの研究発表会の時はおそらくその場の勢いと今この瞬間を逃すわけにはいかないという思いであの兵器を使う事ができたのだろう。

 けど、今は違う。

 普通に向かい合って、無抵抗で動きもしない俺相手にはあの時のような勢いが出ないらしい。

 おまけにこいつは、俺にはきっと死ぬべき理由なんてもうなくなっていると、そう思っているんだろう。

 だから、怖気付いた。

 ふざけるな。

 そう思ったけど、そう言えないくらい、十塚の顔色は酷い。

 顔は青を通り越して白い、瞳は絶望一色に染まり、口は何かを言いたそうに、それでも何も言えずに戦慄き、まるで血を吐く直前のような、そんな顔。

 そうして今、一筋の涙が。

 それでも金属の塊は決して放さず、先端はこちらに向けたまま。

 酷い顔で金属の塊を握りしめる彼女の顔を見て、思った。

 ――かわいい。

 思った直後に愕然とした、それでもその衝動じみた感情は一時の勘違いでは終わらず、一度そう思うと止まらない。

 かわいい、かわいい、泣いてる、殺せなくて泣いてる、俺のせいで泣いてる。

 俺が、泣かせた。

 暗い欲望が湧き上がってくる、この女を今すぐ滅茶苦茶にして、もっと泣かせて、それで。

 なんでこんなことを。

 困惑していると、俺の顔を見る十塚の顔が強張っている。

 自分の口元に触れると、笑みの形に歪んでいた。

 なんで俺、笑って。

 なんで、だって泣いてるのが可愛くて、いやだからなんでそんな事を。

 今更俺を殺すのに躊躇っているこいつにふざけるなとは思ってる、けれどそれを超える何か、なんだこの感情、知らない。

 強いて言うのなら歓喜が一番近い気がする、けどなんで俺は喜んでいるんだろうか、長年の約束を反故にされかかっているというのに。

 俺のことを殺さなきゃならないことがわかってるのに、それに躊躇って泣いている。

 なんで殺せない? よく考えると人を殺したくないというだけでこいつがこんな顔をするか? ただ殺したくないだけなら泣くよりもまず面倒臭がりそうだ。

 それでつまり、人ではなく俺個人を殺したくなくて、そんな顔をしているというのであれば、殺したくないと思うくらいこいつにとって俺の存在が重いものであるのなら、それは多分、とても嬉しいことだ。

 それでやっと一つの事実に辿り着く。

 俺は、こいつのことが好きなのか。

 なんで今更気付いた、いや、なんで今まで気付かなかった?

 というかいつからだ?

 ……いや、ずっとか。

 こいつを負かすことを諦めた時には多分こうなっていた、ひょっとしたらそれよりも前から。流石に最初からではないのだろうけれど。

 気付いてしまえばなんて馬鹿馬鹿しい。

 弟妹にある程度事情を話した時に言われた言葉、「なるほど兄貴の一方的な片思いってことか」。

 あの時は否定したけど、なんだその通りじゃないか。

 なのにあの時俺は、本当に心の底からそうではないと思っていた。

 本当は手遅れなほど惚れ込んでいたくせに。

 ……ああ、そうか。俺はこいつのことが好きだったから俺以外の誰かがこいつの隣にいるのが許せなくて、こいつが俺の代わりを見つけるのがどうしても許せなくて。

 だからあの日、すべて話して殺してしまおうと。

 それで今も、殺してしまおうと思っている。

 なんて醜い独占欲だ、自分のものですらないくせに、赤の他人だったくせに。

 それでもやっぱり、今更だけど、それでも。 

「こんな時に言うのもどうかと思うけど……好きだ」

「…………は?」

 思わず口をついて出てきた俺の言葉に、十塚はポカンとした。

 涙で濡れた目がまん丸に見開かれている、間抜けだけど、それがとてつもなく愛おしい。

「俺、お前のことめちゃくちゃに好きだった」

 一度自覚してしまうともうそれだけしか考えられなかった、それがひどく気恥ずかしく、こんなに好きだったくせに今まで全く自覚していなかった自分が、とても愚かしい。

「え? ……はい? なんだって???」

 全く何も理解できていなさそうな混乱しきっている彼女の前で、思わず顔を覆った。

「ああ……もう、最っ悪……なんで今自覚した……つーかなんで今まで気付かなかった……」

「いや、おい、えっと……何を言っておいでで??」

「だから好きだって言ってんの。多分ずっとずっと昔から惚れてた。……自覚したのは今だけど」

「お、おおぅ? 何故に……? 私がお前のこと好きになってもそれほど不自然じゃないけど、逆は不自然過ぎない? こんなのに惚れるような要素あったっけ……? 惚れられるようなことをした覚えが一切ないんだけど」

「は? 嫌味か?」

 俺にとっては唯一素を晒せた人間で、傍にいてもなんの苦もない存在、そのことを一切理解されていないのがなんだか、歯痒い。

「いや嫌味でもなんでもない……えっと…………餌付けたことくらいしか、心当たりが」

「餌付けた自覚はあるの?」

「そりゃああんだけバクバク食べられればねえ……餌付けようとして餌付けたわけじゃないけど」

「ふうん」

 こいつは馬鹿で間抜けで阿呆なので、餌付けた自覚だけでもあるのなら及第点なのかもしれない。

「ところであの時確認できなかったけど……研究発表会の時のあれ、なんだったんだ?」

 何とは言わなかったけど、文脈から察するにアレのことだろう。

 こいつの職場のデブに化けた俺がこいつが持ってきてたクッキーを食い散らかした件。

 何故今それを聞く、なんで今それを思い出した。

「…………はいはい。白状しますよただ喰いたかっただけだよ。四年ぶりにお前のクッキーがどうしても食べたくて誘惑に負けただけ!! …………これで満足?」

 ヤケになってそう答えると、十塚は呆然と、困惑しきった目でこちらの顔を見上げてくる。

「お、おおう……そっか本当に釣れてたのか……」

「お前まさか俺をクッキー如きでおびき寄せる気だったの?」

 そんなすっとぼけた子供騙しみたいな作戦が通じると思ったのかと、ほぼ通じかけていた事実を棚に上げて問い詰める。

「九割失敗するだろうと思ってたけどその通りだよ。まさか本当にひっかかるだなんて思ってもいなかったけどね。どうせ釣れないと釣り糸垂らして別の作業してたら餌だけ取られてた釣り師の気分だったよ……」

 呆気に取られた顔のままそう答えた十塚に俺は思わず項垂れた。


「というかそもそも好きっていつから……悪い本当に心当たりがないんだが……」

 腕が疲れたのかいつの間にか金属片を握りしめる腕をだらりと下ろした十塚が、至って真面目な顔でそう聞いてきた。

 本当に不可解そうな顔だった。

「…………お前の傍くらいしか気が休められる場所がなかった。お前は薄情だし俺になんの関心もないけど、だからといって俺のことを邪険にもしないし、話せばちゃんとこっちの話を聞くお人好しだし……そういうところ」

「はあ……その程度で」

「あ? お前みたいな能天気にとっては『その程度』かもしれないけど、俺にとってはそんな簡単に済ませられない。俺が猫被りなのはお前も知ってるでしょう? 家族にも誰にも本心で話したことなんてなかった、お前だけだった、お前はどうでもいいと思うだろうけど、お前だけだったんだ」

 そう言うと、十塚は少し身じろぎした、涙は溢しきったようで瞳はもう乾きかけている。

「わ、わかったわかった。……そういうこともあるんだろう、相手がこんなちんちくりんだということを鑑みると信じがたい話ではあるが……」

「あ?」

「いやだって、お前普通に顔いいし、頭もいいし、強いから。探せばもっと可愛かったり美人だったり性格のいい女の子捕まえて好きなようにできただろう?」

「は? 顔とか見た目とか性格とかどうでもいいんだけど?」

「見た目はともかく性格は考慮したほうが良くないか?」

「うっさい。他の女なんて願い下げだ。お前さえいればいい、それ以外はいらない。お前以上にいい女もいない」

 そう言うと、十塚は口をぽかんと開いた。

「ええ……えっとその、私、ひょっとして口説かれてる……?」

「別に。思ったことを言っただけ」

 信じ難いものを見る目で見上げられたので、頬に手を伸ばす。

 もう一回抓るつもりだったが、抓られると悟った十塚が小さく震えて怯えた目で見上げてきたので、なんだかそれで満足してしまったので、触れるだけにしておいた。

 指先で撫でるとくすぐったかったのか後ろに逃げられた。

「逃げるな」

「いやだって、えっとその……」

 十塚は何やら挙動不審にしている。

 普通に触られたくないのだろうと思ったけど、嫌がっているような雰囲気はなかった。

「まあいいや。とにかく俺にとってお前は唯一心を許せる人間だった。好きだって自覚したのはさっきだけど、そういうわけだから」

「そういうわけって言われてもな……」

「というかお前、そもそもなんで俺があんな話をお前にしたと思う?」

「あんな話って」

「俺が厄災にさせられたって話。どうでもいい奴にあんなこと話すわけないでしょう?」

「……むしろどうでもいい奴だからこそ話したんだと思ってた。……一人で抱え込むことはできなくて、それで誰でもいいから吐き出さずにはいられなくて……それで、どうでもいい赤の他人な私に全部話したんだろうな、と」

 そんなふうに思われていたのか。

 心外だ、それでもそういうふうに思うのは、すごくこいつらしい。

「そんなふうに思ってたのか、お前。……その程度で済む話だと思う? あんなやばい話をされて、それでもなんで自分が放置されてたのか、そのことになんの疑問もなかったわけ?」

「え?」

「俺がお前のことをあのまま放置してたのは『殺してやる』だなんて馬鹿げた約束を大真面目にされたからだよ。本当は全部話した後に……何をしようとしてたと思う?」

「ええ……なに、って」

「馬鹿なりによく考えてみなよ」

「うーん……」

 十塚は真面目な顔で考え込み始める。

 どうせ当てられやしないだろうけど、考え抜いた末にこいつがどんな答えを出すのか、それは聞いてみたい。

 たっぷりと考えて、十塚は降参するような顔で口を開いた。

「適当に口止めして、それ以外は特に何もなかったんじゃないか……?」

 あれだけ考え込んでそれしか思いつかなかったらしい。

「間抜け、ど間抜け、能天気」

「ええ……」

 罵倒すると十塚は困ったような顔をした。

 それでも言う前から不正解だというのは分かっていたのだろう、特に反論することもなく無言で俺が答えるのを待っていた。

「殺す気だった」

「は?」

「殺すつもりだったんだよ、全部話したら」

「何故……?」

 まんまるに見開かれた目をまっすぐ見つめてやる。

 こいつからすると突拍子のない話だったのだろう、本当に心の底から予想外と思っている顔だった。

「お前、別に俺がいようがいまいがどうでもよかっただろう。それで俺がいなくなった後、お前が普通に生きていくのがなんかすごく嫌だった。あと、お前が誰かに気を許してそいつと一緒に生きてくかもって思ったら、それもものすごく嫌だった。どうせ二度と会えないだろうし、なら殺そうって。……そうすればもう、誰にもお前のこと盗られずに済むでしょう?」

「ええ……」

「怖い? 今もお前に殺されたらその瞬間にお前を殺す気だったけど」

「ええ……?」

 すごく反応に困っているようだった、そんな顔もかわいい。

 ニコニコ笑いながら見つめてやる。

 こいつが何を思おうが何を言おうが、もう絶対に逃すつもりはない。

 十塚は俺の顔を見て、そして深々と溜息を吐いた。

「お前、そんなに私のこと好きなのか?」

「うん」

「そ、そうか……そうか……」

 そんなふうにボソボソと呟いて、十塚は再び何かを考え込み始めた。

 こいつは俺のことをどう思っているのだろうか、殺すと約束して、実際殺そうとすると躊躇う程度には思われているらしいけど。

 それでもきっとそれはただの友愛でしかないのだろう。

 そこまで考えて、ふと先ほどこいつが口走った言葉を思い出す。

 ――私がお前のこと好きになってもそれほど不自然じゃないけど、逆は不自然過ぎない?

 そんなことを言われた、あの時は聞き流してしまったけれど、あれってどういうことだ?

「お前は」

「は? 何?」

「お前は、俺のことどう思ってんの?」

「普通に好きだけど?」

 あっけらかんとそんなふうに言われた。

 へえ…………俺のこと好きなんだ。

 勘違いしないからな、どうせ友愛的な『好き』なんだろう?

「……友愛の方じゃないぞ? いや、それも普通にあるけど」

「………………は??」

「まあそれはどうでもいいか」

 本当に心底どうでも良さそうな顔だった。

 ふざけるな。

 というか好き? こいつが俺を?

 なんで?

「どうでも良くない!!」

「え? なんで? どういう種類の『好き』だろうが私がお前との約束を果たすために人生費やしてもいいと思って、ずっとそうしてきたのはなんも変わりないし。……まあその程度には好きだよ、お前のことは……けどまあそれもどうでもいい話か」

「だからどうでも良くない。……というか、いつから、いつからだ?」

「さあ。そう思ったきっかけももう覚えてない。好きだからといってどうにかするつもりもなかったから……というかそういう反応されると思ってなかったよ、お前モテるんだろう? 私がそういう感情をお前に抱いていてもおかしくはないだろうって、少しも思ってなかったわけ?」

 心外そうな顔で言われたけど、こちらとしては何故そんな顔をされているのか意味不明だった。

「……お前、昏夏以外どうでも良かったでしょ。そんな奴が他人のことを人並みに好きになると、思えるとでも?」

「まあそうだな、自分でも意外だよ。……けど、家族とか仕事の付き合い以外で、こんなどうしようもない人間の傍に居続けた変わり者は、お前しかいなかったから」

 真顔で恥ずかしげもなくそう言った十塚の顔をただ見つめる。

 嘘を吐いている様子はない、嘘や誤魔化しが下手くそな女であることは昔から知っている。

 つまり、本気で言っているのだ、この女は。

「……というか、私が昏夏のこと以外どうでも良くて、お前のことを本当にどうでもいいと思ってたらそもそもあんな約束は取り付けない。……その辺りまで含めて、ある程度こちらの思惑は理解されていると思っていたんだがな」

 悪いがそこまではわかってなかった、そこそこ付き合いがある奴が死ぬに死ねなくなってたから、お人良しらしく情けでそういう約束を取り付けてくれたのだろうと。

「…………お前、本当に俺のことが好きなのか」

「だからそう言ってるだろう。というかそれはもうどうでもいい。今はまず別の問題に片を付ける必要がある」

「別の問題って?」

 どうでも良くないけど、別に問題があって先にそれをどうにかしたいというのなら、付き合おう。

 それで雑念全部取っ払って、俺がこいつを好いていてこいつが俺を好いている、その重要性とことの大きさをじっかりたっぷり考えさせればいい。

「私はお前のことが好きだったから、死ぬに死ねずにいたお前の苦痛が少しでもなくなるようにあんな約束をした。お前も私との約束を忘れず、私に殺されに戻ってきた。なら、私はお前を殺すべきだ……けど、最後の最後で手がすくんだ。お前のことが好きだから、殺したくないと思ってしまった。だって殺したらもう二度と話すこともできなくなる、お前がこの世から完全に居なくなる。あの日以降、お前を殺すためだけに生き続けた私が、お前を殺せなかったから生き返らせてまで殺そうとしていた私が、お前の死後に元の通り好き勝手に生きられるとも思えない。……だから、どうしようかと、思って」

「……とりあえず、一つだけ。俺の死後にお前の余生はないよ。それにしても、好きだから殺せない……って、随分な殺し文句だね?」

「……そうだったな、殺されるんだったな、私も」

 殺し文句のあたりはサラッと無視された。

 というか多分そこまで考える余裕がないっぽい。

 唸りながら下を向いて考え込む十塚の顎を掴んで、上を向かせる。

「嫌?」

「いや……逆にそっちの方がいいかもしれない」

 目を合わせながら聞くと、諦めたような投げやりになったような声色でそんなふうに答えられた。

 本当に馬鹿な女。

 考えなしの阿呆、なんでこんなどうしようもない人間に殺される事を、あっさりと許容しているんだ。

「だから、ころ……うぅ……くそ、今更、今更になってこんな……」

「どうしても殺せないっていうんだったら……あの約束を先延ばしにして、もう少しだけ一緒に生きてみる?」

 しょっぱい顔で唸り続ける十塚にそんな提案をしてみると、彼女は虚をつかれたような顔で俺の目を真っ直ぐに見る。

「え?」

「お前が殺してくれるんだったら死にたいけど、それ以外の死因はごめんだし。殺せないんだっていうのなら、別にそれでもいいよ」

「それ、は……」

「けど、俺はいっぱい人を殺した凶悪な殺人犯だから。普通に指名手配されてるし、普通の人生なんておくれない。それでも生きるというのなら一生逃亡生活。人から隠れて、汚いことをいっぱいして、そうやってなんとか生きていくしかない……俺を殺したくないっていうんだったら、お前にも無理矢理それに付き合わせるつもりだけど、どうする?」

 そう問いかけると、彼女は俺の目を見つめたまま、何も言わずに考え込む。

「お前の人生全部捨ててまでお前は俺と生きるつもりがある? 家族には一生会えなくなるし、研究なんてできなくなる。お前がやりたいことなんて多分一個もできなくなる。それだけじゃなく、かなり酷い目にあう可能性だって十分ある。死んだ方がマシなこともたくさん味わうことになるかもしれない。……どうしたい? お前が選んでいいよ。今すぐ俺を殺して楽に死ぬか、俺という疫病神に一生、死ぬまで付き纏われ、地獄みたいな人生を歩むか」

 畳み掛けるように問いかける、十塚はやっぱり何も言わずに静かに考え込んだまま。

 どれくらい時間が経っただろうか、十塚はゆっくりと視線を俺から自分の手元にずらして、手に持っていた金属の塊をゆっくり床に置いた。

「決まった?」

 問いかけると十塚は首を縦に振った。

「そう」

「死にたくないからじゃないからな。お前と一緒にいたいから、その選択肢があるのなら、そっちを選ぶだけだ」

 少しだけ不満げな声色で、そんな殺し文句を言ってきた彼女の身体を衝動的に抱き寄せる。

「ちょ……」

「うっさい黙ってろ……本当に、お前はどうしようもない女だよ」

 問題は山積みだった、死ねばそれで終わりでいいけど、生きるのなら色々と考えなければならないことがたくさんある。

 だけど今は、今だけはこの小さく愚かな女が自分の腕の中にいる幸せを、ただそれだけを噛み締めていたい。

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帰ってきた厄災と殺し文句 朝霧 @asagiri

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