後編
「口、開けろ」
「いや、だから」
「いいから開けろ」
ぎろりと睨まれたので仕方なく口を開けると、口の中にスプーンが入ってくる。
何故か私は久々に会った旧知に、手ずから卵雑炊を食べさせられていた。
卵雑炊自体に問題は何もない、味は薄めだけど出汁の味がしっかりするし、普通に美味しい。
だけどなんで片手の男に食べさせられているんだろうか?
「あの、自分で食べられるから……」
「ん」
私の主張を完全に無視して、男はまたスプーンを差し出してくる。
仕方ないので口を開けると、男は満足げな笑みを浮かべる。
いやだから、これなに? なんの時間?
こいつの話によると、こいつがうちの研究室に来たのは一昨日の日暮れ後のことだったらしい。
それで睡眠不足と疲労その他でふらっふらの私を支えつつ、こいつはここまで私を連れ帰ったらしい。
気絶しかけのベッドに横たわらせたら私は速攻で眠りにつき、一晩経っても目覚めず、昼頃に一度目を覚ましはしたものの夢遊病者のようにふらふらとした足取りで家から出て行こうとしたので、慌てて止めて寝かしつけた、と。
どうしよう、それに関しては本当に全く記憶がない。
それでまた私はずっと眠ったままで、今朝になってようやくしっかりと目を覚ましたらしい。
それで寝ている間は当然飲まず食わず、昨日の昼に起きた時に一応水を飲まされたらしいけど、それだけ。
だからまず食えって言われた、とにかくその今にも死にかけの身体をなんとかしろって。
お腹空いてないし別にいいって言ったら、問答無用でテーブルの前に座らせられた。
それで、スプーン握らされてもあんまり食欲ないなってぼーっとしてたら、スプーンとられて無理矢理食べさせられている。
胃に少しものを入れたら案外食べられそうだったので、もう自分で食べられるって言っているのに、信用できないのか拒否された。
……まあ、もういいか。
普通に美味しいし、なんかよくわからないけど満足げだし。
デザートにすりおろした林檎まで食べさせられた、流石にもうお腹がいっぱいだった。
「それでお前、この後どうするつもりなんだ?」
向き合って聞いてみると、何故かその顔が一気に機嫌悪そうになった。
「どういうつもりで聞いてるの、それ」
「私はお前を殺すつもりだし、今更やめようとはおもってない……だが、なんかほら、色々あっただろう? もうお前は厄災やらなくてもいいわけで……それだったら」
「俺がなんのためにここに戻ってきたと思ってんの?」
「……お前、本当に私に殺されにきたのか?」
「そうだよ、お前に殺されたかったから、それだけのためにここまで必死に生き延びた」
笑顔でそう断言された。
なら、これ以上の言葉は、不要か。
「……ならいい。それにしても……私が一方的に取り付けた約束だったのに、お前はずっと覚えていてくれたんだな」
「忘られるか。あんなどうしようもない馬鹿げた約束、絶対に」
「そうか……」
白衣のポケットの中に手を突っ込むと、それは当たり前のようにそこにあった。
失くしていたらどうしようかと思ったけど、あってよかった。
握り込んだそれを男の胴体に向ける。
「それは、あの時の?」
「いや、あれはあの後没収された。これはいわゆる二代目というか、改良品だ。バレたら没収されるのわかってたから、内緒で作った」
ラーズグリーズの空間破壊のほか、昏夏時代の兵器の機能を幾つか組み込んだポケットサイズのリモコン、私一人で作ったものの中では断トツの最高傑作。
「悪い奴だな、お前も」
「まあな。……ただ、やっぱりこれも非常に燃費が悪い、今の私じゃせいぜい一発しか撃てない。……だから、避けるなよ?」
「……今のお前に使えるの?」
「ああ、ギリギリだけど」
それとも、もう少し待ったほうがいいかとかそういうことを言いそうになったけど、やめた。
体力的にはギリギリだった、本当はもう少し回復してから使ったほうが確かに確実ではある。
けれど多分、それを待っていたら殺せなくなる、私が、殺したくなくなる。
殺すと言って、何度も何度も殺すと思ってたが、思ってはいたが。
……いいや、やめよう。
「だから殺すよ、今からお前を、殺す」
私はそれだけのためにここまでやってきた。
私に殺されるために、こいつはずっと生きてきた。
本当は死にたかったくせに、その機会は何度かあったくせに、私に殺されたかったから生きていた。
あの約束を果たすためだけに、生き続けてくれたのだ。
なら、それをやめるわけにはいかない。
だから、深呼吸を一つ。
目を合わせたら躊躇いそうだったのであえて顔は見ずに、ワルキューレのボタンに指を添える。
「それじゃあ、さよならだ」
目は閉じずに、ボタンを押した。
魔力がごっそりと持っていかれた、それでも不発には終わらずに済んだ。
昏夏時代で猛威を振るった兵器、防ぐ術は一つしかなかった空間破壊の術式は、あいつの腹に直撃した。
本当に、避けなかった。
よかった、と思った。
避けてくれればよかったのに、とも少しだけ。
あいつの上半身と下半身がなきわかれになったのを目視した直後、喉が痛い。
視界が赤い、あいつの血だけじゃない、この赤の出所は……私の、喉?
何かがギラリと光る、いつの間にか握っていたのか、あいつの左手にはよく切れそうなナイフが握られていた。
切られた。多分あのナイフで。
そして多分、これは致命傷だ。
血が、止まらない。
何故、そう思って男の顔を見る。
男の顔には満面の笑み、瞳はとろりと蕩けた蜜のように甘ったるい。
理由はわからない、どうしてそうしたのかもわからない、ただ一つだけ、直感的に理解した。
こいつ、最初からこうするつもりだったな。
私に殺されて、私を殺すつもりだった。
それだけは、なんでかわかってしまった。
だって、すごく嬉しそうだ、心の底からの望みが叶ったような、そんな顔をしている。
男はナイフをその辺に放り投げて、私の身体を抱きしめた。
本当に、仕方のない奴。
けど、お前が笑えるのなら、それでいい。
それに今更、お前が死んだ世界で、私が本当にお前を殺してしまった世界で、私が普通に生きていけるわけがない。
だから、抱きしめてくる奴の身体を抱きしめ返してやった。
それの反応が返ってきたのか、返ってこなかったのかはわからない。
どっちでもいい、どっちにしろ、私もこいつも死ぬ。
いいよ、一緒に死んでやる。
本当はそう言ってやりたかったけど、喉を切られたせいでそれを口にできなかった。
それだけが心残りだ。
死にかけの研究者と秘密兵器 朝霧 @asagiri
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