死にかけの研究者と秘密兵器
朝霧
前編
意識が浮上する。
ここはどこで、私は何をしていたんだったか。
暖かい何かに包まれているのはわかる。
けどなんでだろう、研究がまだ途中なのに。
私ひょっとして……また、落ちた?
「しまった……!!」
暖かいものを押し除けて飛び起きる、寝ている時間なんてない、早く早く研究を進めないと。
あんなの普通なら現代では再現不可能、それなら私に残った全てを捧げなければ、それでも無理かもしれないけど、頑張らなくちゃ。
飛び起きて、落ちる前の記憶を思い出そうとした。
先輩に怒鳴られて、カフェイン剤流し込む前に、なんか変なことがあったような……
なんか、いたな。
あの場どころかこの世に存在するはずのない不審人物が。
「どこからどこまでが現実だ……?」
先輩に怒鳴られたあたりは多分現実、けれどその後は多分夢だ。
かなり意識が朦朧としていたので、間違いない。
大体まだあいつを生き返らせる準備は全く終わっていないのだ、つまり追い詰められた自分がみたご都合主義な幻想。
「……遅れを取り戻さないと」
一週間は来るなと後輩に指切りさせられたけど、あれもおそらく夢なので。
大体私が休むって言った程度であれだけお祭り騒ぎになるとか、ありえない。
だってまだ一週間も経ってなかったし、あんなの普通だ。
だからあれら全てが突拍子のないおかしな夢。
周囲を見渡すと、何故か研究室の仮眠室ではなく、久しく帰っていなかった自分の部屋だった。
自分はその部屋のベッドに、白衣のまま寝かせられていたようだった。
「なんで……?」
夢の中でいるはずのないあいつに支えられながら帰ってきた記憶はぼんやりあるけど、あれは所詮夢。
どうも誰かがぶっ倒れた私をわざわざ家まで連れてきたらしい。
なんか最近しつこく休めって言われてた気がするから、強制的に休ませるために仮眠室じゃなくてわざわざこっちに連れてこられたのかもしれない。
けどそんなことをされても休むつもりはない、早く目的を、約束を果たさなければならないから。
ベッドから降りる、何時間寝たのかはわからないが久しぶりにまとまった睡眠をとったからなのか、少しだけ身体が軽い気がした。
それでもまだ少し眠い、居間の薬箱にもカフェイン剤を常備していたはずなので、すぐに飲もう。
部屋のドアを開けるとなんだかいい匂いがする、それと人の気配も感じた。
先輩だろうかと思いつつ居間へ、多分ぶっ倒れた後家まで運んでくれたのも先輩だろうから一応お礼言おうと思う。
仮眠室にぶち込んでもらった方が後が楽だったので、余計なお世話だけど。
そんなことを考えながらふらつく足で居間まで歩く。
そしたら、台所になんかいた。
鍋で何かを煮ている、醤油系の匂いがこちらまで漂ってくる。
誰だ、あいつ。
先輩じゃない。
全体的になんか黒い、それと縦に長い。
あと男だった、けどうちの研究室にあんなのいない。
台所にいるその不審者がこちらに振り返った。
そしたら懐かしい色の目が見えた。
けれどその色の目を持つ男は、もうこの世にはいないはずだ。
「ああ、起きた? おはよう」
「…………」
地獄からの迎えが普通の顔で普通に朝食らしきものの準備をしていた。
おかしい、これはとてもおかしい。
だって、まだこいつを地獄から引きずり出す準備、まだ終わってない、全然終わってない。
なるほど、つまりこれもまた夢か。
さっさと目覚めなければ。
頬をぐいぐい引っ張ってみた、痛い。
「えーっと??????」
痛みがあるとはやけにリアルな夢だ、目覚めたいのだけどどうすれば目覚められるのだろうか?
明晰夢ってほとんど見たことないから、わからない。
「頭の調子はどう? 昨日はまだ朦朧としてたみたいだけど、そろそろ正気に戻れた?」
何も言わない私に、そいつはここにいて当然みたいな顔でそんなことを聞いてくる。
正気どころかまだ夢の中、もしくは幻覚か何かか?
そうか、そこまで追い込まれているのか、私は。
「ワルキューレにこういうの解除する機能付けときゃよかったな……そんな余裕なかったけど……いや、そもそも幻覚系の術を解除する機能付けたところで、精神的なアレで見てる幻覚ってどうにかなるのか……?」
うーん、と一人唸っていたら、幻覚のそいつが機嫌悪そうな顔でコンロの火を止め、こっちに歩み寄ってくる。
頬に手を添えられる、近くで見ると随分と背が伸びた、顔つきも大人びているが顔がいいのは相変わらず。
そんな男は私の頬に柔らかく手を添える、不機嫌そうな、それでも綺麗な紫色の目が私をじいっと見ている。
綺麗だと思ったけど、幻覚に何夢見てるんだか。
くだらない、さっさと正気に。
「いっ!? いたいいたいいたいいはいいたいいたい!!」
今、何が起こっている?
頬を滅茶苦茶な力で抓られているのだと少しして気付けたけど、気付いたところで痛いのは何も変わらない。
痛い、本当に痛い、くそ、幻覚のくせに生意気な。
というかこれ、普通に指が貫通して穴空いたりしない? そのくらい痛い。
「まだ、正気じゃないみたいだね?」
人でなしはニコニコと加虐的な笑みを浮かべながら私の頬を抓り続ける。
目は一切笑ってなかった、普通に怖い。
「地獄からの迎えの次は、幻覚? そろそろいい加減にしてくれないかな?」
「だっておまえ、しんだじゃん……!!」
痛みに耐えながらかろうじてそう言うと、男は深々と溜息を吐いた。
「俺の死体が、いつ見つかったって?」
「は? みぎて……」
「右手以外は?」
それは知らない。
けどなんかやばそうな攻撃喰らって現場に右手しか残ってなかったそうなので、右手以外はおそらく消し飛んだのだろう……と、思ってる。
「右手以外何にも見つかってないのに、なんでこの俺がその程度で死んだと? ねえ本気で死んだって思ってんの? ほら、離してあげるから真面目に考えて答えろよ馬鹿女」
そう言いながら幻覚じみた男は私の頬から手を離した。
「い、いたかった……いまのはほんとのほんとうに、本気でものすごく痛かった……」
半泣きでまずそう訴える、恐ろしい目で睨まれたので睨み返してから口を開く。
「……お前が生きているという話は一つも、噂一つも流れてこなかった。生きてればいいと思って最初の頃は調べてたけど、全く。ヘイムダルは私が意識不明のうちに隠されたから使えなかったし……だいたい本当に生きていたとして、何故今更ここにいる?」
どこに隠されたんだろうか、あの超高性能レンズ。
とはいえあれは下手すると使っただけで頭が物理的に破裂してもおかしくない代物だからな、念のためどこかしらに保管はされてるみたいだけど、危険だからって言う理由でギリギリまで完全に破壊するかどうか意見が割れていたらしい。
だから私なりに色々と情報を集めてみたけど、こいつの生存は確認できなかった。
さあ、目の前の
「あの時攻撃を喰らって右手が千切れてどっか行った上に、なんか滅茶苦茶遠くまですっ飛ばされて、気がついたら人里から遠く離れた森のど真ん中で死にかけてたから」
そう言いながら男はこちらに手のない右腕を見せてくる。
右腕と、男の顔を交互に見る。
死体は見つからなかった、人一人が破裂したとか木っ端微塵になったとしては残っている血痕が少なかったという話は知っている。
「それでも頑張って、泥水を啜って虫を食って、すっごく惨めな思いをしながらやっとお前のところまで帰ってきたのに、地獄から迎えが来ただの夢だの幻覚だの言われた俺の気持ちがお前にわかる?」
途轍もなく機嫌が悪そうな声で、幻覚なのか本物なのかよくわからなくなってきた男はそう言った。
「……ほんものなら、証拠を。だってこんなの私に都合が良すぎる……本物ならそれでいい……けど、もし違ったら……そう信じてお前を殺した直後に目が覚めて、全部が夢だったら……流石にそれは、メンタルがぶっ壊れる」
「証拠って何を? お前が知ってることを俺が言ったところで、お前は『私の記憶から作られた幻覚なんだから知ってて当然だろう』ってなるでしょ? 逆にお前が知らないことをいくら語ったところで、意味がない」
「うーん……じゃあ、私が知ってるけど、忘れてそうなこととか……?」
とはいえ、六年くらい一緒にいたけどほとんど似たようなことを毎日続けていたから何を話されたところで、と思っていたら男は何故か苦虫をを噛み潰したような、すごい嫌そうな顔で、すごく小さな声で何かを呟いた。
「は? なんだって?」
聞き返すと男は口篭った、そしてものすごく言いたくなさそうな顔で、そこそこ長い言葉の羅列を口にした。
綺麗な顔の男が口にするには、随分とキツく、そしてかなりえげつない下ネタオンパレードな言葉の羅列だった。
「は? お前急に何を……?」
気でも狂ったのかと言う直前で思い出す、多分中学生の頃。
真面目な実用書ですよみたいな表紙の、官能小説。
昏夏語で書かれたそのタイトルを誰も読めなかったのだろう、昏夏時代から残された貴重な書物として普通に図書館に保管されていたらしいそれが、たしかそんなタイトルだったはず。
「……読んでたでしょう? 昏夏時代のエロ本。まだ中学生のくせに日中堂々図書館で」
「あったなあ……そんなこと。うっわ懐かしい……タイトル読み上げたらお前すごい顔してさ……滅茶苦茶説教されたんだよな」
「……あの時は本当に、本当に勘弁してほしかった」
「エロ本程度で大袈裟だなって思ってた」
そう言うと、男は絶句して私の頭をべしんと叩いた。
「女子中学生が男子中学生の真横でエロ本を堂々と読むな、堂々とタイトルを読み上げるな、お前のそういう無神経で無防備ところは昔から大嫌いだよ、本当に」
心底嫌そうな顔でそんなことを言われた。
ふむ。
これは、これは……
「……他にもなんか必要?」
滅茶苦茶機嫌が悪そうな男に首を振る。
言われるまで全く覚えていなかった話をされたし、本当に幻覚だったらもっと私に都合のいい言動をするだろうし。
そうか。
そうか、お前生きてたのか。
「おかえり、そして久しぶり」
そう言うと、男は私の顔をたっぷり数十秒見つめた後、膨れっ面でそっけなく「ただいま」と返してきた。
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