第2話 採用と同級生の朝比くん

 ドアが開くのと同時に鈴のような音が鳴った。


「いらっしゃいませ」


 店員の声に軽く会釈して中に入ると店内はこじんまりとしていてまず目に入ったのは入り口の正面にあるケーキショーケース。


 イチゴのショートケーキ、モンブラン、オペラ、フルーツの乗ったタルト、区画を分けてチョコレートや色とりどりのマカロンが並んでいてどれも美味しそうに見える。


 夕方ということもありどのケーキも残り少ない。私は視線をケースから店内へ移した。木製の戸棚には焼き菓子。


 マドレーヌ、カップケーキ、クッキーがラッピングされている。中央には木のテーブルがあり、そこにもカゴに入った焼き菓子セットがあった。


 値札は手書きで可愛らしく書かれていた。先ほどの店員が書いたのだろうか。



 視線を移すと女性店員と目が合った。彼女は私を見て柔らかく微笑んだ。相手を見て私は自分の目的を思い出す。


 そうだアルバイト募集について聞こうと思って入ったんだ。


「あの」


 声をかけると女性店員は何でしょうかとレジ前から移動した。


「表に貼られていたアルバイト募集についてお聞きしたいことが」


 最後まで言い終わらないうちに相手は表情を輝かせると私の手を掴んだ。突然の出来事に困惑して体をこわばらせた。


「あ。ごめんなさい。もうアルバイト来ないって諦めていたから嬉しくてつい」


 女性は手を離すと目元を和らげた。私も体の力を抜く。案内されたのは店内に設置された飲食スペース。


 客はいなかったためそこに腰かけるように促された。私が座ったのを見て相手も目の前に座った。


「私はここのオーナーの朝比彩公あさひあきみです。主人がパティシエなんですよ」


「私は宇草茜うぐさあかねです。十六歳。風見高校二年です」


「あら、風見高校なの? うちの息子と同じ高校で同級生なのね」


 〝朝比〟と聞いて私は一人の男子生徒の顔を思い浮かべていた。


 さらに追加で同じ高校の同級生と言われれば思い浮かべたその人以外の選択肢はなくなった。彩公さんの息子は同級生の朝比悠太あさひゆうただ。


 隣の二組で黒髪ショートヘア。一七〇センチの冴木くんよりも少し高い。


 口数が少なく密かに女子に人気というのは噂好きの女子たちから聞かされる話題の中で聞いた。校内で話したことは一度もなく、クラスが同じだったことはない。


 まったく接点がなかった。たぶん廊下で何度かすれ違ってはいるのだろうけど、気にすらしていなかった。


「って、悠太と同級生だから勝手に親近感がわいちゃった。話を戻しますね。宇草さん、まずはアルバイト募集に興味を持ってくださりありがとうございます。えっと今度履歴書と保護者の同意書を持ってきてください。その時に面接もしますね。日程は」


「母さん、もうすぐ店閉める時間」


 朝比さんが日程の確認をしようとしたタイミングで息子が顔を出した。本人登場よりも初めて声を聞いたことに驚いた私は彼を凝視してしまった。


 朝比くんは私と母親を交互に見て話しの邪魔をしたととらえてすぐに厨房に引っこんだ。


 白いコックコート、黒のパンツにブラウン色のロングエプロン姿は制服を着ているよりも様になっていた。ギャップに私は朝比さんにバレないように天井を仰いだ。


「あらもうそんな時間。悠太ったら同級生なのに挨拶もしないで。ごめんなさいね」


「いえ。朝比くんとは同じクラスになったことがないので面識がないのも当然だと思いますよ」


 正直に話すと朝比さんは目を丸くしてもう一度ごめんなさいねと口にした。同級生だから顔見知りだと思い込んでいたらしい。


 私は慌てて手を左右に振り謝罪されるようなことではないと伝えた。


「気を取り直して日程を決めましょう」


「はい」


 それから履歴書、同意書をそろえて面接を行い無事に採用。洋菓子店で働き始めた。




 去年元カレと別れたことを思い出すついでにパティスリーフランで働き始めたことと朝比くんと学校以外で出会ったことを思い出した。


 もう働き始めて一年。朝比くんと話すようになって同じ年数が経つのか。


「ちょっと茜? ボーっとしてどうした?」


 思い出に浸っていた私を引き戻すように裕美が声をかける。


「まさか冴木くんに未練でも」


「それはない。絶対にない」


「即答」


 間髪入れずに返す私に裕美は目を丸くして次に肩を震わせながら笑い始める。


「茜は元彼のことなんて気にしていないってのに。冴木くんってば茜と別れてからいろんな子と付き合ってはすぐに別れてるみたいだよ」


 その噂はよく耳にする。誰と付き合った別れたと。正直興味のない話だから聞き流していた。


 別れる原因はなんとなく察しはつくけど、それを口にすることは今後もない。


「ふーん」


 そっけない返事をして廊下側を見れば朝比くんがちょうど歩いていた。裕美は私の返事に不満そうな声を上げながら私と同じ方向を見たのだろう。


「朝比くんじゃん。口数が少ないから雰囲気が大人っぽくてうちのクラスの男子とは違っていいよね」


「そうだね」


 口数が少ないのは学校だけで、お菓子の話をするときにはよくしゃべるし笑う。


 笑うときは子供みたいに幼くなるのが学校とのギャップでそれを知っているのは今のところこの学校では私だけかもしれない。


 父親と同じパティシエを目指している彼は厨房でよくお菓子作りの練習をしている。バイトの合間にこっそりその姿を見るのが最近の楽しみだ。


 制服とパティシエのユニフォーム姿のギャップに頬がゆるみそうになる。部活のユニフォーム姿にギャップを感じるのと同じ感覚だと今なら分かる。


 この感情を恋と呼ぶのかはまだ分からないけど、今日もこのあとバイトが入っている。バイト自体ももちろん楽しい。


 でもそれ以上に朝比くんと話せることを楽しみにしている私がいる。私は午後の授業が早く終わらないかなとまだ昼休みの途中で時計を見た。

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