Side 白坂雪菜 私の旅
「行ってきまーす!」
玄関先まで見送りに出てくれた陽子叔母さんに手を振ってから、跨ったエイプのアクセルを開けると、エイプは今日もトコトコと快調に走り出した。
今日は彼との初めてのツーリングだ。
目的地は熱海。
春休みの旅で訪れた来宮神社に、少し遅いけどお礼参りに行く予定だ。
季節は初夏、六月の中旬。幸い梅雨にはまだ入ってなくて、頭上には濃い青空が広がっていてかなり暑くなりそうだけど、ライダーズジャケットも夏用だし、日焼け止めもたっぷり塗ったし、制汗スプレーも持ったから熱さ対策もバッチリだ。
待ち合わせ場所に向かいながら、あの日、まだ明けきらない空の下を走り出した日は寒かったな。なんて、あの日の、彼と初めて出会ったあのツーリングの事を思い出していた。
♢♢♢
「ごめんなさい。ありがとうございました」
まだ夜が明けきらない息が白く立ち上る空の下で、私はまだ寝ているであろう、半年間お世話になった叔父さんと陽子叔母さんに向かって頭を下げた後、エイプに乗って走り出した。
お父さんとお母さんに会いに行こう。
目的地なんてなかった。ただ陽子叔母さんに伊豆って言ったから何となく海に向かって進んでいるだけで、辿り着いた先が伊豆じゃなくても良かった。
それに半年ほど前にこっちに引っ越して来た私には地理だって分からない。
なんとなく、の感覚だけで走り続けて辿り着いた駐車場でエイプが動かなくなってしまい、困って声を掛けたのが彼だった。
彼の最初の印象は、少しハーフっぽくて整った顔立ちなのに奇声を発する怖い人。
結局エイプは故障ではなく私の無知で動かなかっただけだと分かってホッとしたけど、彼は私から逃げるように慌てて走り去っていった。
私は再び当てもなくフラフラと走り出した。
走りながら考えていたのは彼の事。
何となく見た覚えがある気がして、どこであったか思い出そうとしても思い出せない。
そうして走ってるうちに、たまたま曲がった道の先に来宮神社と出ていたので、何となく向かう。
特に観光をしたいと思っていたわけじゃないけど、夜になるまでまだたくさん時間はあるし、死のうと思っている私が何をお願いするのだろう。
良い死に場所が見つかりますように。とか、楽に死ねますようにとかかな。
そんなお願いをされても神様も困るのかな。
”もう一度あの人に会えますように”
気が付いたら私は神様にそんなお願いをしていた。
来宮神社を出て海沿いを南に進む。
ただ当てもなく走っていたらお腹が空いてきたので、偶々目に付いた海浜公園と言う公園で、たこ焼きを買って一時間くらい休憩してまたエイプを走らせる。
町の中心を抜けて暫く走った所で、道の横に"小室山公園"と書いてある看板が目に付いた。
別に公園なんて寄るつもりもなかった。なのに気が付いたら私は公園に向かってハンドルを切っていた。
自分でも、なんで公園に向かっているんだろうって思いながら坂道を登って行くと、駐輪場に一台の黒いバイクが止まっているのが目に入った。
えっ......あれって。
そのバイクの横にエイプを並べて駐車してからよく見ると、やっぱり今朝のあの人のバイクと同じバイクだ。
慌ててナンバーを確認すると、思った通り私と同じ市のナンバープレートが付いている。
やっぱり!私どこかでこの人を見た事があるんだ。
なんであの人の事がこんなに気になるのか分からないけど、あの人もここに居る。
私はリフト乗り場に駆け上がり、チケットを購入してリフトで小室山山頂を目指した。
山頂について辺りを見廻してもそれらしき人は見当たらない。
やっぱりどこかですれ違ってたのかな。少し先に見えるカフェにいなかったらすぐバイクの所に戻ろうかと考えながらカフェの入口に近づいた時、入口でウロウロしている人が目に入った。ダークブルーのライダーズジャケットを羽織ったその人は、店内を覗き込んでは引き返し、また店内を覗き込むというおかしな行動をしていたけど、間違いない、あの人だ。
大丈夫、ただ今朝のお礼をするだけ。
私は緊張する心を抑え、呼吸を整え、髪が乱れていないか確認してから、その人に近づいて声を掛けた。
♢♢♢
「今朝は本当に有り難うございました。本当に助かりました」
冷静にお礼を言ってるつもりだけど、頭の中では彼を何処で見たかを必死に思い出そうとしていた。
名前は?北条。下の名前は?隼。
北条隼。やっぱり思い出せないし、知り合いにも心当たりがない。
何回顔を見ても思い出せないけど、私の記憶は彼に会った事があると言っている。
もう一度彼の横顔をチラッと盗み見した時、眼下の海を黙って眺めている彼の瞳を見たときに私の中である記憶が蘇って来た。
♢♢♢
あれは二月の中旬頃だっただろうか。
朝、学校に向かう電車で、数少ない友人だと思っていた子と一緒になった時の事だった。
彼女は私の横に並んで、色々な噂話なんかを私に向かって話していた。
私は彼女が私の事を色々言っている事を知っていながら、拒絶することも出来ずに、ただ流れに身を任せて電車の窓の向こうの景色をぼんやりと眺めていた。
すると、突然彼女が肘で私をトントンと突いてきた。
「えっ......何?」
「だから、ほら、あそこの人」
小声でそう言って彼女が目配せした先には、ドアに寄りかかって立っている他校の男子生徒がいた。
その人はスマホも見ずにただ黙って窓の外の景色を、遠くを眺めていた。
「あの人西高の二年でさ、私の中学の友達が西高であの人と同じクラスなんだけど、結構ヤバいことしてるらしいって言ってた、なんか色々な女の子に―――」
私は彼女の話は殆ど聞いてなくて、遠くを見ている彼の瞳から目が離せなかった。
まるで死んだ魚って言っては失礼だけど、色を無くしたグレーの瞳は窓の外を眺めているようで、その実何も見ていないようだった。
なんであんな目をしているんだろう。
「ちょっとかっこいいからって調子に乗ってるんじゃない?」
彼女が口にした最後のセリフは自分にも向けられていると思った私は、ただ黙って俯いた。
♢♢♢
そうだ......やっぱり彼だ。たしか西高の、電車の中で見た彼だ。
海を眺めている彼の目は、電車で見たあの時と同じ色をしていた。
わざと知らない振りをして高校を聞いてみたらやっぱり西高だった。
なぜ彼はこんな目をしているだろう。
それが本当に知りたかったどうかは今でも分からない。
ほんの少しの好奇心。
どうせ行く当てもない私は彼に付いて行くことに決めた。
全てから解放され、普段の私からは考えられないテンションで彼に話しかけて、困った彼の反応が少し楽しかった。
自分が何か楽しいなんて思ったのはいつ以来だろう。
だから彼の後ろを走り出した自分がワクワクしている事も、私の心が細い糸でつながってしまった事も気が付いていた。
ううん、後で思い返して見れば、あの駐車場で彼に会った時には私の心は絡め捕られていたのかも知れない。
たぶん、あの時にはすでにお父さんとお母さんの所に行こうなんて、本気では思ってなかったのかも知れない。
だって私はあの駐車場から、お父さんとお母さんの事を一度も思い出していなかったのだから。
♢♢♢
そんな風に出会った隼くんとのロングツーリングが終わってから既に二か月半が過ぎた。
新学期になって新しいクラスになっても私は暫く一人だったけど、私の悪口を言うグループの子たちとは一人しか同じクラスにならなかったから、聞こえるような悪口は無くなったし、私が少し前向きに、少し明るくなったからなのか、初めて同じクラスになった何人かの子が話しかけてくれるようになったので、私もなるべく積極的に自分の事を話すことで仲の良いクラスメートくらいにはなれたと思う。
隼くんの状況も私とあんまり変わらないみたいだ。
彼は新学期になってすぐに、野球部で彼の事を気に掛けてくれていた人たちに謝りに行ったそうだ。
その人たちはSNSでの彼の噂なんて信じてなかったようで、気にするなって言ってくれたらしい。
噂を流したと思われる女子生徒も別のクラスになったそうで、少しづつだけどクラスの毒物からただの空気に戻りつつあるって言っていた。
そんな私たちだけど、それでも嫌な目にあったり辛くなることもある。
そんなときは用事もないのに隼くんに電話したりメッセージのやり取りをして、お休みの日には二人でバイクに乗って近場を走ったりするとまた元気が出てくる。
待ち合わせ場所の市営球場の駐輪場に着くと彼は既に到着していて、私を見つけると右手を上げて来た。
私も一旦エイプを彼のRZの隣に停めてヘルメットを脱いだ。
「おはよう」
「おはよう隼くん!」
一度ベンチに座って今日の予定を確認する。
先ずは来宮神社へのお礼参り。
隼くんは金目鯛の煮つけ定食にリベンジするって言ってたから、お昼は熱海で。
秘宝館は......隼くんに調べてみてって言われて、自分で調べて顔が真っ赤になった。
隼くんの前で秘宝館って連呼してたあの日の自分を叩きたい。
だから隼くんが秘宝館の"ひ"の字でも出したら叩こうと思ってる。
あとは、もし時間に余裕が合ったら帰りに小田原に寄ろうという事になった。
なんか景色の良い足湯があるらしい。
「じゃあ、行こうか。雪菜ちゃん」
ゆっくり走り出した彼の背中を追って、私とエイプも走り出す。
今日は隼くんが彼となり、私が彼女となってから初めてのツーリングだ。
お互い忙しくてあえない日が続いたり、ケンカする事もあるかも知れない。
これから始まる受験で一緒にツーリングに行ける機会も少なくなると思う。
だけど、この先何年たってもこうやって彼の背中を見ながら、私は走っていると思う。
98cc マツモ草 @tanky
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