最終話 こうして僕たちはまた旅に出る

 僕のRZも白坂さんのエイプも今日も快調だ。

 僕の、そして彼女の初めてのロングツーリングも今日が最終日だから、二台とも最後まで頑張って欲しい。


 キャンプ場を出て、一度土肥の町に出てコンビニに寄って朝食を買ってから国道136号線を東に進むと、だんだんと峠道になってくる。

 結構な上り坂が続くけどRZにとっては何の問題もなく、苦も無くスイスイと坂を登って行くけど白坂さんのエイプは少し辛そうだ。

 とは言え、制限速度は三十キロ。彼女の様子と後続車に気を配りながら坂を登り続け、峠の少し手前の見晴らしの良い道路脇の空き地を見つけて停車した。


 峠をだいぶ登ったからか、目の前には駿河湾が青く広がり、右手には今日も富士山がドンと控えている。


 ここで朝食にしようと白坂さんと決めて、絶景を眺めながらコンビニのおにぎりにかぶりついた。


 昨日の夜、たくさん泣いて、泣きつかれてそのまま眠ってしまった白坂さんだけど、今朝の、今僕の横でパンを食べている彼女は雰囲気が少し変わっていた。

 出会ってから昨日までの、やけに明るく元気だった様子は消えていて、物静かで落ち着いた雰囲気で口数も少なくなっていた。

 だけど、落ち込んで暗い表情なんかじゃなく、一昨日の夜に見た氷のような冷たい影は感じられなかった。

 昨日までの無駄に明るい白坂さんも良いけど、今の穏やかな雰囲気の白坂さんを見ていると、一緒にいる僕も何だか安心するような嬉しいような気持ちになる。


 昨夜僕が話した事も、彼女が話した事も、彼女の話を聞いて何も言えず、無意識に彼女の頭を撫でてしまった事も、今はまだ口に出す気にはなれない。

 子供の頃、寂しくていつも泣いていた妹が、泣き止んで眠るまで頭を撫でていた時を思い出したのかも知れない。

 なんか夜中のテンションで考えてたことを翌日聞くようで恥ずかしい感じがする。


 ただ、明日から日常に戻る彼女が今日も僕の隣にいて、穏やかな表情で海を見ている。

 今はそれだけで十分だ。


 ♢♢♢


 朝食を終え、再び国道136号線を東に進む。

 峠を下り、狩野川にぶつかってから北に進路を変えて修善寺に。

 修善寺では休憩を兼ねて温泉街の竹林が続く道をブラブラしてから、三島に向けて再び北上する。

 三島市街手前で国道136号線に別れを告げ、また進路を東に変えて函南町を通過して、僕らは二日ぶりに熱海に戻って来た。


 時刻は午前十一時。


 お土産を買っていなかった、いや、買う必要が無かった白坂さんがお土産を買いたいって言ったので、僕は再び熱海駅前のアーケード街に戻って来た。

 今日が日曜日だからか、二日前に来た時よりも更に観光客で賑わっている。

 白坂さんがお土産をいくつか買うのに付き合ってから、次に僕らは熱海サンビーチに向かった。


「ねえ、北条くん。秘宝館って何かな?」


 熱海サンビーチに座ってまったりしていた時だった。

 隣に座っていた白坂さんがスマホを見ながらそんな事を呟いた。


「えっ?......秘宝館?」

「うん、この近くにあるんだけど、なんか面白そうだなって」


 白坂さんはスマホから顔を上げ、相変わらず美しい顔を僕の方に向けた。

 その純粋な瞳の輝きを見て、僕は思わず答えに詰まる。


「えーっと、多分秘密のお宝がおっぱ、いっぱい置いてあるんじゃないかな。ハハッ」


 僕がそう答えると、彼女は純粋な瞳をさらに輝かせた。

 そう、あそこには人類の英知がつまってるって聞いたことがある。


「北条くん、行きに寄ったの?」

「いや......寄ってはいないけど......」

「じゃあ、ちょっと行って―――」

「いっ、いや、そんな時間も無いから......それに僕らは入れないと思うから......」

「入れない?」


 僕はそう言うと慌てて立ち上がり、きょとんしている白坂さんにそろそろ出発しようと告げる。

 熱海のサンビーチや周りの公園が気持ちよかったのでつい長居しすぎたけど、もうすぐ午後一時になってしまう。

 

 観光もたぶん熱海で最後だ。後は家に、日常に戻る道を走るだけだろう。

 秘宝館については後で彼女自身で調べるように言っておこう。それでも行きたいと言うなら僕も吝かじゃない。まあ多分、僕らの歳じゃ入れないと思うけど。


 熱海を後にした僕らは順調に走り続け、湯河原を過ぎ、真鶴駅の手前で旧道に入り、二日前に出会った駐車場で休憩をした。

 たった二日だけどずいぶん昔に来た気がする。

 僕の隣で黙って海を見つめている白坂さんもそんな事を考えているのだろうか。


 休日の国道135号線上りは、午後になると石橋インターを先頭に渋滞が激しい。

 僕らは運よく渋滞に巻き込まれずに早川港を通過して小田原市内の国道沿いのファミレスで少し遅い昼食にした。


 全国チェーンのファミレスは日本全国どこでも同じ味を提供してくれるので、食べなれた味がそろそろ現実に戻る時が近づいてきた事を教えてくれる。

 ゆっくりと食事をし、沢山休憩した僕らは再びバイクを東に走らせた。


 ♢♢♢


 徐々に見慣れた風景や建物が目に入り、地元の町に帰って来た事を教えてくれる。

 西の空に傾いた太陽を見て時刻を確認すると、既に午後四時を過ぎていた。


 色々あったこの旅もそろそろ終わり。

 白坂さんの詳しい住所も分からないので、この辺のコンビニにでも寄ろうとしたとき、後ろからピッピッっとクラクションが鳴ったのでバックミラーを確認すると、彼女が左手を指さしている。


 ああ、市営球場か。

 僕は左ウインカーを出して市営球場の駐輪場にRZを滑り込ませると、白坂さんもRZの隣にエイプを停めた。

 RZのキーをOFFにしてエンジンを止め、グローブを脱いでからヘルメットを脱ぐ。

 長かった三日間の旅。トラブル一つなく走り切ってくれたRZに感謝してタンクに手を添えた。


 野球部だったころに地区大会なんかで何度も来た事がある市営球場の向こうには、黄色い太陽が隠れつつあり、ランニングをしている人がまばらにいるだけで、夕暮れと相まって少し寂しい雰囲気が漂っている。


「お疲れさま」

「お疲れ」


 ヘルメットを脱いだ白坂さんとお互いを労いつつ、近くのベンチに並んで座った。


「帰ってきちゃったね」

「......そうだね」


 ここから僕のうちまであと十分ほど。それで僕の初めてのロングツーリングも終わりだ。そんな事を思っていると、暫く黙っていた白坂さんが口を開いた。


「あのね......私ね、家に帰ったら叔父さんや叔母さんに謝って、お礼を言いたいの。美羽ちゃんには電話でだけど」

「そっか」

「うん、たぶん新学期が始まっても私の状況は大きく変わらないし、まだまだ辛い事や泣きたい事もたくさん起きると思う。でも、私も一人じゃないって分かったから、私の事を見ていてくれてる人がいるから、その人たちに心配かけたり悲しい思いをさせない様に、少しづつでも変えていかなきゃだめだなって、私も、周りも」


 そう、僕だって周りが簡単に変わるなんて思ってない。

 父さんや妹が僕の事で心を痛めることが無いように、僕も少しづつ強くならなきゃダメなんだ。


「それでも、どうしても辛くて泣きたいときがあったら、少し頼らせて貰うこともあるかも知れない......叔父さんや叔母さん、美羽ちゃん、あと......北条くんにも」


「そうだね......僕もそうする」

「うん......」


 そう言って少し微笑みながら夕日に顔を向けた白坂さんは凄く綺麗で、儚げで、でもその瞳には強い意志が感じられた。

 そんな彼女を見て、僕は久しぶりに彼女に緊張して慌てて話題を変えた。


「でも、お互い事故もなく無事に帰れて良かった」

「うん。初めての場所ばっかりだったけど、北条くんが前を走ってくれて助かったよ」

「初日に来宮神社に寄った時、旅の安全をお願いしたからかな」

「あっ、私も来宮神社に行ったよ」

「そっか、何かお願いした?」

「うん......した。もうお願いは叶っちゃったんだ......」

「へー、何をお願いしたの?」

「それは......内緒かな?」

「あぁ......そうしたらお礼参りに行かなきゃね」

「そうだね、北条くんもお礼参りに行くの?」

「うん。僕のお願いはまだ完全には叶ってないけど、無事に家に着いたらその時は行こうかな」

「じゃ、じゃあ―――」

「あぁ、良かったら一緒に行こうか」

「うんっ!行きたい!」

「今度は日帰りだけどね」

「あっ、あははっ......」


「でも原付はきついな。やっぱり父さんに言ってDT125に変えて貰おうかな」

「......でも、RZとエイプ、二台合わせれば100ccだよ。もし私が100ccのバイクでも、一人だったら今ここに居なかったと思う......だから二人で100ccで私は良かったな......」


 そっか......多分僕も例え125ccだろうと1000ccだろうと、一人だったら今こんな気持ちでここに居る事も無かっただろう。


「二人で98ccか......」

「98cc?100ccじゃなくて?」

「あ、うん。98cc」

「?よく分からないけど、なんかスーパーの値札みたい」


 白坂さんはもう少し自分のエイプに興味を持った方が良いと思う。


 でもそっか......100ccにはまだほんの少し足りない98cc。


 僕自身も、彼女自身も、僕と彼女の関係も。

 なんか今の僕らにピッタリな気がする。


「じゃあ、二人で、98ccで行こうか」

「うん!」


 その時白坂さんのスマホがブルっと震えて、彼女が慌てて確認した。


「......陽子叔母さんからだ。さっきお昼を食べたとき、夕方には帰るからって連絡したから心配してたみたい」


 そう言って彼女は素早く返信を送ると、緊張した面持ちで少し僕の方に体を向けた。


「ほっ、北条くん......あのっ、来宮神社って連絡は......どうしようかなって」

「来宮神社に連絡?」

「えっと、違くて......北条くんと連絡......が」

「あっ!」


 そうだ、すっかり忘れていたけど僕はまだ白坂さんの連絡先を知らなかった。


「そっ、そうだよね」


 僕も慌ててスマホを取り出し、白坂さんとメッセージアプリのIDと電話番号を交換した。


「良かったー。もし聞けなかったら毎日西高の前で北条くんを待ち伏せしなきゃいけなかったよ」

「ゴメンゴメン、僕あまりこういう事って慣れてなくて」

「ううん、じゃあさ......たまに連絡しても良い?」

「あ、うん。大丈夫―――」

「じゃあさ、時々だったら用事が無くても大丈夫?」

「うん、別に―――」

「じゃあさ、電話もたまにだったら平気?」

「......えーっと、用が無くても電話でも、いつでも大丈夫だよ。電話はすぐに出れない事もあるかもだけど......」

「ありがとう!良かった!」


 白坂さんはそう言うと、暫く自分のスマホを嬉しそうに眺めてから立ち上がった。


「じゃあ......私そろそろ帰るね」

「送ろうか?」

「えっと、大丈夫。私んちここから歩いてもすぐだから」

「そうなんだ」

「北条くんはまだ帰らないの?」

「うん、もう少ししたら帰るよ」

「そっか、じゃあここでお別れだね」

「うん、気を付けて」

「ありがとう......北条くん、色々迷惑掛けてごめんね。わたしこの旅に出て本当に良かった!」


 白坂さんはそう言うと、僕に深々と頭を下げてから「じゃあまたね」っと言って、エイプに乗って手を振って走り去っていった。


 手を振り返して見送った後、僕は夕焼けに包まれた市営球場に目を向けながら、白坂さんの言った”少しずつ変わる、変えていく”という言葉を思い出していた。


 僕の場合はそうだな、先ず父さんと妹にお礼を言おう。あとは―――


 そんな事を暫く考えていたら僕のスマホが数回鳴った。白坂さんからだ。

 彼女からの初めてのメッセージには、今無事に家に着いたこと、今日までのお礼、そして最後に一枚の写真が送られてきた。


 その写真には、緊張してガチガチの笑顔の僕と、少し照れたようはにかんだ笑顔の彼女が顔を寄せ合って写っていた。


 富士山が真っ白で綺麗だからっていってたのに。

 でも......やっぱり僕には写真のセンスがないみたいだ。こんな写真僕には撮れそうにないや。


 富士山どころか景色も殆ど写っていないその写真を見て少し苦笑した僕は、彼女に簡単な返信をしてからRZへと歩き出した。


 キーをONにして、いつも通りニュートラルランプがグリーンに輝いたのを確認し、キックペダルを踏み下ろすと、水冷2ストローク49㏄のエンジンがパパパパッと軽快な排気音と共にマフラーから白煙をあげる。


 もうすぐ高校三年になる十七歳の春休み。

 この半年間嫌な事が続いた現実から逃避行しようと思い立った、初めてのソロでのロングツーリング。

 僕にとって忘れられない出来事と出会いがあったこの旅の終わりへ向けて、そして明日からの旅に向けてクラッチを繋いだ。


「さあ、行こうか!」


 大きな不安と少しの勇気、そして久しぶりに感じた明日への希望を抱えて、僕とRZは夕日を背にしてゆっくりと走り出した。



 完



 ***********************************************************************************


 ここまでお読みいただきありがとうございました。

 また、応援していただいた方、☆を入れて頂いた方、コメントを頂いた方、ありがとうございます。作者の励みになりました。


 あと一話、雪菜視点での、その後の二人の話で終わりとなります。


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