第13話 神様って気まぐれだ

 だから私は旅に出た。


 たぶん隼くんは話を聞いていていたと思うけど、途中からそんな事を忘れてただ淡々と、事務作業の様に自分の本当の目的を改めて思い出すように口にした。


 今日でも良いし、明日でもいい。

 お父さんとお母さんに会えるなら綺麗な海がいいな。


 春の海は冷たいかな、痛いのはヤダな。なんて少し思ったけど、それも一瞬だろうし、もうあの日常に戻らなくて良いと思うとそんな事はどうでもよい事だった。


 だけど......そんな私の計画も、隼くんと出会ってしまった事で全ておかしくなってしまった。

 、初めて彼を見た時の瞳を思い出し、ほんのちょっとの好奇心で関わりを続けてしまった。

 彼と話し、困った笑顔を見て、一緒に笑うたびに、未練なんてないと思っていた私の心に細い糸が絡みついてきた。


 ここで最後、もうここまで。じゃないと私は―――

 そう思えば思うほど、心に絡みつく糸が少しづつ太く、強くなっていく。


 そして彼が私の為に、私を見て選んでくれたキーホルダー。

 誰かがまだ私を見てくれている。そう思った時には私の心はキーホルダーの、細くて、でも強いチェーンで縛られていた。


 お父さんとお母さんに会いたい気持ちと、今はもう会いに行けない気持ち。

 でも現実に戻るのが、あの町に戻るのが怖くて、ここで一人で立ちすくんでいる。

 前にも進めず、後ろにも戻れない。自分でもどうしていいか分からず、子供の頃の泣き虫の私の様に泣くことも出来ない。


 こんなはずじゃなかった。

 隼くんと出会わなければ良かった......

 彼のせいで私は迷子になってしまった―――


 その時、私の頭にふわっと何かが触れた。


「......隼......くん?」


 私の頭に触れた大きくて温かい彼の手は、ぎこちなく、でも優しく私の髪にゆっくりと触れていた。


 何で......私なんかに......

 隼くんは何も言わない。ただ黙って私の頭を撫でている。


「......ごめんなさい」


 隼くんがぎこちない手つきで私の頭に触れるたびに、いつからか忘れていた気持ちが今更のように次々とこみあげて来た。


「......お父さん......ごめんなさい。お母さん......ごめ......」


 同時に私の頬にツゥーーっと冷たい涙が流れていく感覚がした。

 隼くんの手が触れるたびに私の涙は次から次へと止めどなく溢れて来る。


 私......泣いてる......


 あの日から泣けなかった私の目から止めどなく溢れ出した涙と一緒に、忘れていた色々な感情がごちゃ混ぜになって湧き上がってきた。


 お父さんとお母さんを失った喪失感。

 一人になってしまった悲しみ。

 新しい生活への不安な気持ち。

 陽子叔母さん夫妻と美羽ちゃんへの感謝。

 エイプに初めて乗った時の喜び。

 私に対する悪意への恐怖と怒り。

 周りに誰も居なくなった時の絶望。

 全てを諦めた虚無感。

 そして―――今感じている大きな安心感。


「うっ......ぅうわあぁぁぁー---ん!!お父さんっ!ごめんなさい!お母さんごめんなさいっつ!叔父さん叔母さんごめんなさい!美羽ちゃんごめんなさいっ!」


 私はいつの間にか隼くんにしがみ付いて、彼の胸に顔を埋めて大声で泣いていた。

 そんな私に、隼くんは何も言わずにただずっと優しく頭を撫でてくれていて、次から次へと溢れ出て来る涙で彼のシャツが濡れていくのが分かったけど、私の涙はいつまでも涸れることがなかった。


 一体どれくらい泣いたのだろう。


「北条くん......ごめんね......ありがとう......」


 私は大きな安心感を感じながら、いつの間にか泣きつかれて眠りに落ちていた。



 ♢♢♢



 ザザザザーーっと、遠くで聞こえる風が通り過ぎる音で目を覚ました。

 目を開けなくても周りが明るい事が分かる。

 今は何時かな......そう言えば昨日は......


 慌てて上体を起こしてみたけど、北条くんの姿は既にテント内になくって、外からカチャカチャと物音が聞こえて来るからもう起きて何かしているんだろう。

 慌ててスマホで自分の顔を確認してみると、少し腫れた目が昨夜の事が夢じゃない事を教えてくれていた。


 あぁー、やっちゃった......


 昨夜の醜態を思い出して顔が赤くなっていくのが分かる。

 一体どんな顔をして彼と顔を合わせたらいいのだろう。

 泣き疲れたせいなのか、軽い倦怠感を覚えながらそーっとテントから外を覗くと、テント前でイスに座っている彼の背中が見えた。


「おっ、おはよう......ございます......」


 意を決して彼の背中に声を掛けると、彼は振り向いて「おはよう」と返事を返してくれた。その様子は昨日までの彼と変わらないように感じて、少しホッとした私はイスを手に取り、恐る恐るテントから這い出して彼から少し離れた場所に座った。


「あ、あの......しゅ......」


 私は彼を下の名前で呼ぼうとして気が付いた。

 会って数日の男の子を下の名前で呼ぶなんて、私にはハードルが高すぎる事に。

 夢から覚め、現実に戻った私には、昨日までのテンションで彼に接する事なんてもうできない。


「ほっ、北条くん......昨日は、あの、ごめんなさい」


 彼に抱きついたこと。大声を上げてワンワン泣いたこと。彼のシャツを涙でびしょびしょにしてしまったこと。

 思い出すだけで恥ずかしくて彼の顔が見れなくって、俯いたまま何回も頭を下げた。


「えっと、僕の方こそなんか色々聞いてもらって......悪かったよ」


 私が隼くんじゃなくて北条くんと呼んだ事に気が付いていないのか、気が付いていてもスルーしてくれたのか分からないけど、彼はそう言って少し照れくさそうにはにかんだ。


「あ、ううんっ、えと......」


 そんな彼を見て、色々と謝りたいことを口にしようとしたけど、恥ずかしいのもあってなかなか上手く言えない。私がしどろもどろになってると、北条君は少し意地悪そうな笑顔でテーブルの上のマグカップを指さした。


「あっ、そうだ。白坂さんも紅茶飲む?」

「......え、あっ!」


 そうだ、私は昨日あんなことをしちゃってたんだ。

 だけど、とてもじゃないけど今の私にはあんなこと出来ない。


「やっ......それは......」


 昨日勢いであんなことをしちゃって、恥ずかしくて穴に入りたくなる思いをしたことを思い出して、自分の耳がカァーっと熱を持って真っ赤になっているのが分かる。

 私がただあわあわしていると、彼はテーブルの下から紙コップを一つ取り出した。


「なんてね。昨日コンビニで買っておいたんだ」

「な、なんだ......」


 彼はマグカップで沸かしたお湯に紅茶のティーバッグを入れた後、紙コップに半分移して私に差し出して来た。


「はい。熱いから気を付けて」

「あ、ありがとう......」


 私が紅茶を受け取ると、彼は嬉しそうにマグカップに口をつけた。

 それを見てまた少し恥ずかしくなったけど、私も紙コップの紅茶を口にする。


「美味しい......」

「良かった。普通のティーバッグだけどね」


 北条くんは昨日までの彼と同じようにあまり喋らずに、ゆっくりと紅茶を飲みながら晴れた空を見上げている。

 それに釣られて私も空を見上げると、白から青に変わってゆく大空が広がっていた。


 昨日までのハイな私とも、この旅に出るまでの、ただ俯いていた私とも違う今の私。

 あまり会話は無いけど、二人ただこうして青空の下で静かに過ごしている時間が心地よかった。


「......北条くん......あのね......」


 私も彼も急に今日から現実が変わる事なんてない。

 明日からまたあの辛い日常が待っている。


「今日も一緒に連れて行ってくれないかな?」


 怒りたいときは怒るかもしれない。

 悲しいときはわんわん泣いてしまうかもしれない。

 辛い事があって落ち込んでしまう事もあると思う。


 だけど、私にはまだ私を見てくれている人がいる。

 叔父さん、陽子叔母さん、美羽ちゃん。そして北条くん。


 もし未来の私がまた同じように迷子になっても”大丈夫だよ”って伝える為に、今の気持ちを、彼と見ているこの空を私はずっと忘れない。



 ♢♢♢


 荷物やテントを片付けて、一晩お世話になったキャンプ場に別れを告げるように北条くんが声を掛けて来る。


「それじゃあ、行こうか!」


 私は彼に頷いてエイプのアクセルを開ける。

 彼の背中を、白煙を吐く彼のバイクを追いかけて私のエイプもゆっくりと走り出した。

 青い空も、海も、山も、前を走る北条くんの背中も、昨日と同じようで昨日とはちょっと違って見える。

 ......ううん、違うのは私。



 神様って気まぐれだ。

 だって、ずっと私のお願いを聞いてくれなかったのに、突然お願い以上のものをくれたりする。

 でも神様ありがとう。この旅に出て良かった。

 そして


「ありがとう......」


 前を走る彼の背中に、私はそう呟いた。


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