第4話

 それから幸一は、何気なしに「それ」と会話をしながら毎日を過ごした。会話と言っても、幸一の語り掛けに、「それ」はただ「ぷるん」と震えるだけだったが。なんだか、TVを見ながら相槌うったり突っ込み入れてる人みたいだなと思いつつ、それでもなぜか、幸一は何も言わず体を震わすだけの「それ」との対話に、奇妙な安らぎを覚えていた。そんな、ある日。



「ああ……わかったよ。いや、納得したわけじゃないが、そっちの言い分はわかった。少し、考えさせてくれ……」


 いつもの、仕事先の仲間との電話だった。いよいよ新しい仕事が始まるのだが、その責任者に幸一が選ばれたのだ。この仕事に意義があるのは十分承知しているが、かといって自分が適任者なのか。いや、自分がやらなきゃならないことなのか……? 


 今まで新しい仕事に関して賛成派だったくせに、それで仲間と議論を戦わせていたくせに。いざ自分が中心になってやるとなると、腰が引けているというか、ためらいがちな気分になっている。幸一は自分のそんなところが嫌だった。そして幸一は、電話が終わった後、深いため息をつき。「それ」の前に近づいて、「それ」に向かって。自分の思いを語り始めた。


「俺がやることになっちゃったよ……いや、それも十分可能性はあったんだけどさ。いざ、自分がやるとなるとさ……」


 ぷるん。


「笑っちゃうだろ? ビビってんだよ、俺。俺なんかに上手く出来るのか? みんなに迷惑かけちゃうんじゃないか、とかさ。悪い方にばっかり考えが行くんだ……」


 ぷるん。


「そう。そうそう、わかってるよ。それも全部言い訳なんだってさ。そうやって、俺がやらなくてもいい方向に考えようとしてるんだ。そういう言い訳を作って、誰か他にやってくれればいいって考えてるんだ。でも……それじゃダメだよな」


 ぷるん……。

 ――いいのよ、それが普通だもの……。


 幸一はなんとなく、「それ」がそんな風に言って、自分をに慰めてくれているような気がした。いや、もしかしたら、もっと大きな感覚。「それ」は幸一の全てを受け入れているような気さえした。幸一の愚痴も、我侭も、弱い心も。新しい仕事を断っても、極端な話ここから逃げ出したって、「それ」は決して自分を責めたりはしない気がした。


 そして、それが逆に、幸一の決心を促した。自分の部屋の物言わぬ、自分が勝手にそう思い込んでいるだけの話し相手に。甘えて、慰めてもらっている自分がいる。それって、どうなんだよ……?



 幸一はタバコに火をつけ、大きく息を吐き出すと。「それ」に向かって言った。


「ごめんな、愚痴ばっかり言ってて……でも、ありがとう。おかげで決心がついたよ……」


 それは幸一の、偽らざる本心だった。コイツがいなかったら、俺は一人で思い悩み続けていたかもしれない……。そう考えると、不思議に心の内がスッキリした。相手が得体のしれないモノとはいえ、思いを吐き出せたせいかもしれない。しかし幸一は、やはり感謝の意を込めて、「それ」に宣言した。


「決めたよ……俺が、やるよ」


 ぷるん……。

 ――うん。頑張って……。


 幸一には、そう聞こえた。そう言っているように見えた。幸一は小さな声で、もう一度「ありがとう」と呟くと、布団に潜り込んだ。そして、本当に久し振りに、安らかな気持ちでぐっすりと寝付くことが出来た。



 次の朝。

 気持ちよく目覚めた幸一は、う~~ん……と思い切り伸びをし。何気なく部屋の隅を見た。そこに、「それ」はなかった。その役目を終えたかのごとく。そこに最初から何もなかったかのように。幸一は、もうその事も不思議には思わなかった。もう、大丈夫だ。そういう思いがあったからかもしれない。もう俺は大丈夫だ。一人でも。


 幸一はシャワーを浴び、支度を整えると。昨日電話で話していた、仕事先の仲間に電話をした。


「俺だ。決めたよ。俺がやる……」



 幸一は受話器を置くと、ひと息大きく深呼吸をし。そして、部屋の押入れから、ベルトに取り付けられた大量のプラスチック爆弾を取り出すと。自分の腰にそれを巻きつけ、朝焼けの残る街に、一人飛び出していった。

   

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静物 さら・むいみ @ga-ttsun

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