第3話

 あった……。


「それ」は相変わらず部屋の隅で、そのぷるんとした緑色の丸い体を横たえていた。幸一はその時、実は「ほっとした」自分にビックリしていた。いや、あれがなくなってほっとするならともかく。「あって」ほっとするって、どういうことなんだ? いや、突然部屋に現れたものが、またわけもわからず消えちまったら、それはやっぱり不安だろう? 幸一は自分にそう言い聞かせて、コンビニ弁当の夕食を始めた。


 食事を終え、一服しながら、なんとなしにテレビなど眺めつつ。幸一は考えていた。今も部屋の隅にある「あれ」は……言ってみれば、「観葉植物」みたいなものだと思えばいいんじゃないか? 植物みたいに、酸素を出してくれてるわけではなさそうだが。ちょっと世間一般からしたら異質なインテリアだけど、あれはあれで、悪くないのかも。


 そう、幸一は、なぜか「それ」の存在が、邪魔なものだとは思わなくなっていたのだった。それがそこにあるのなら、それでいいのかも……。気がついたら幸一は、自然とそんな風に考えるようになっていた。



 それから数日。相変わらず「それ」は幸一の部屋の隅で、動く事もなく、大きくも小さくもならず、数が増えたりもせず。ただ静かに、鮮やかな緑の色を湛えていた。幸一も、いつの間にかそれが当たり前の日常のように感じていた。そんな頃。


「そうじゃねえって言ってるだろ!」


 幸一は、電話の受話器に向かって叫んでいた。電話の相手は仕事先の同僚である。新しい仕事について、どうしても意見が合わないのだ。それで、こうしてアパートに帰って来てからも、こんな言い合いになってしまう。


「お前の言う事もわかるけどさ、違うんだよ、そうじゃないんだよ……!」


 幸一の主張に対し、向こうも一歩も引かない。こうして議論は堂々巡りし、ケンカ別れで終わる。


「ちっくしょう!」


 幸一は苛立ち紛れに、受話器を力任せに電話に叩き付けた。がしゃーーん! 勢い余って、電話機自体が床に転がる。ああ、何やってんだ俺……と、幸一が電話を元通りに直そうとした時。


 ぷるん……


 隅にあった「あれ」が、かすかに揺れ動いた。一瞬目の錯覚か、もしくは電話が落ちた反動で動いたのかと思ったが。


 ぷるん。


「それ」は静かに、幸一の見ている前で、もう一度緑色の体を揺らした。動いた。間違いない。幸一はおそるおそる、「それ」に近づいた。そして幸一は、独り言のように、何気に呟いた。


「お前、今、動いたよな……?」


 すると。その問いかけに答えるかのように、「それ」はまた、「ぷるん……」と小さく体を揺らした。


「お前……俺の言ってる事が、わかるのか?」


 幸一は、自分でもとんでもない事を言っていると思ったが。しかし、「それ」は再び幸一の言葉の後に、「ぷるん」と体を振るわせた。


 ……間違いない。こいつは、俺の言葉に反応している。俺の言葉を「聞いている」……!


 植物は、人間の言葉がわかり、優しく声をかけてやるとよく育つし、暴言を浴びせて続けると枯れてしまう……なんて話を聞いた事があるけども。これは、そういう類のものなのか? 単なる無機物ではなく。その場所から動かないだけで、実は「生きている」のか……? 幸一は、自分の頭がおかしくなったのではないことを祈りつつ、もう一度「それ」に話しかけた。

   


「ぷるん、って動いたのは、俺への返事なのか?」


 ぷるん……


「それ」は再び、何も言わず、その緑色の体を振るわせた。もう、疑う余地はない。こいつは、俺の言葉に反応して、体を震わせているんだ……!


 その「返事」が、どういう意味なのかがまったくわからないのが難点ではあったが。とにかく、幸一の言葉に反応しているのであろうことはわかった。そうすると、さっき動いたのは……


「もしかして、俺が怒って受話器を叩きつけたりしてたんで、それに反応したとか……?」


 ぷるん。

「それ」は、幸一の問いかけに頷くかのように、静かに揺れ動いた。もちろんその動きが「はい」なのか、はたまた「いいえ」なのかは、幸一にはわかりようがなかったのだが。幸一には、それはなんとなく「はい」と言っているように見えた。そして、幸一は「それ」に言った。


「ごめんな、ビックリさせて……あんなに怒ったりする事は滅多にないからさ、安心しろよ」


 すると「それ」は……何か今までより、ちょっと大きな動きで「ぷるん」と震えたように見えた。


 ――そう、わかったわ……。


 幸一には、そんな声すら聞こえたような気がした。なぜ「それ」が女言葉を喋るのかわからなかったが。その丸い円を描く柔らかな曲線は、やはり女性のものだろうと思えたのだ。そしてそう感じたことを、もう幸一は不思議に思わなくなっていた。


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