第2話

 シャワーを浴び終え、髪の毛を無造作にタオルで拭きながら、幸一はバスルームを出たが……一瞬、もしかして、「それ」はもう姿を消してるんじゃないか? 全て自分の気のせいだったかのように、何かの間違いだったかのように。部屋の中から消えてなくなってるのでは……? 


 そう思ったが、やはり「それ」は、相変わらず部屋の隅にあった。先ほどとまったく同じ位置に、同じ姿で。するとこれは動いたり、成長したりするものでもなさそうだな……まあ、これがあるってわかってから、まだ30分くらいしか経っていないのだけど。



 なぜか幸一は、「それ」がそこにあることに、だんだん違和感を感じなくなっていた。敷きっ放しの布団の上とか、パソコンのキーボードの上なんかに乗っかってたらさすがに邪魔だけど。あのまま、部屋の隅にじっとしていてくれるなら、それでもいいんじゃないか。何が「いい」のかさっぱりわからなかったが、とりあえず幸一はそれ以上「それ」にかまわないことにした。


 出かける支度を整え、部屋を出る時に。幸一は一度振り返り、「それ」があるのを確認した。なんか俺、コイツに振り回されてる感じだな……何も言わず、ピクリとも動かず。ただ、そこにある「それ」に。頭をかき、苦笑いをしながら、幸一は部屋を出た。が、すぐにもう一度部屋に戻り、今度は窓の戸締りを確認した。うん、今度は閉まってる。間違いない。帰って来た時、コイツが増えてたりしたらたまらないからな。


 幸一はなぜか自然に、「ふふっ」と笑みをこぼした。先ほどのような、苦笑いではなく。そして、昨夜仕事仲間と言い争いをし、帰って来た時は荒んだような気分だったのが、今は心なしか気持ちが晴れていることに気付いた。


 もしかして、「あれ」のおかげなのか……?

「あれ」が自然と、俺のイラついた気持ちを、イラついていた対象から上手く逸らし。すさんだ気分を和らげてくれたのかも……?


 ……なんてことは、ないか。幸一は再び「ふふふふ」と笑うと、アパートの階段を軽い足取りで降りて行った。



 その日の、夕方過ぎ。幸一は仕事を終え、まっすぐアパートに戻って来た。昨夜、これからの新しい仕事について言い争いをした事が、まだ皆の中でくすぶっていて。2日続けて飲みに行こうという声は起こらなかったのだ。そして何より幸一は、部屋にあった「あれ」の事が気になっていた。


 コンビニで夕食の買い物をする間も惜しむように、幸一はアパートへの道を急いでいた。なぜそんなに急いでいるのか、自分でもわからなかったが。とにかく幸一は部屋に帰った時に、果たしてまだ「あれ」があるのかどうかが気になって仕方なかった。 アパートの階段をカンカンカン!と駆け足で登り。部屋の前にたどり着き、カギを開け。幸一は一息深呼吸をして、部屋の電気を点けた。


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