第六話

「みちたるちゃん。玄象げんじょうが行方不明に」

玄奘げんじょう、またなの。斉天せいてん大聖たいせい、かわいそ」

「せいてん、たいせい。か、わ、い、そ?」

「ほへぇ? 学ぶために、密出国した。玄奘のことじゃないの」


 まるで絵画のように美しく盛り付けられていた。

 最年少、陰陽師おんみょうじ――武塔むとう智徳とものり。と、式神である大海龍王――娑伽羅しゃがらの手みあげのたこが。

 薄くスライスされたタコは、透明感のある白さとほんのりとしたピンク色が見事に調和していた。一切れ一切れが、まるで花びらのように円形に並べられ、その中心には色鮮やかなレモンの薄切りが美しく配置されていた。

 黄金色のオリーブオイルが惜しげなく掛けられ、タコの表面が艶やかに輝いていた。細かく刻まれたパセリとバジルがちりばめられ、その緑が白いタコに映えて目を楽しませる。塩がほんの少し振りかけられ、その結晶がところどころでキラリと光っていた――タコのカルパッチョ。

 それに、

 道満みちたるは、フォークを伸ばし。博雅ひろまさは、左手に取り皿を持ち、取り分けようのトングを伸ばした状態で、顔を見合わせていた。


「博雅さまは。楽器の琵琶びわの玄象のことをおっしゃっているんだよ。道満、め!」


 話の噛み合っていない二人の会話内容を繋げたのは。

 黒いスーツを身にまとい、その上から白いエプロンを着け。調理場からカートを押し、数々のタコ料理が並べられているテーブルへ運んで来ている執事、一文字いちもじであった。


「ぁーあー、玄象って名の琵琶有ったわね。アイツの秘蔵品だっけ、か」

「みちたるちゃん。アノ方をアイツと呼ぶこと――」

「――ごめん、ごめん。かんざしが、その呼び方をしてるからツイね。ほんと、クセって怖いわぁー」

宮比みやびのひめですか」

「屋敷に来るのは、いいのだけど。酒が、ね。酒は飲んでも飲まれるな」

「はぁー。みちたるちゃん、宮比姫とみかどの関係なのですが」

「間接的に仲が悪い」

「やはり……わるいん、です、ね」

「なに、ナニ。お姉さんに話してみ」


 道満の唇の端がゆっくりと上がり、肩をすくめながら。

「よかったわね、絡みの構図モデルだけの要求で」


 二人の給仕をしながら一文字は、子どもに与える暖かな微笑みで。

「僕としては、脱いでもよかったんです、けど、ね」





 二人の発言に、ふっと自分に襲いかかってきていた出来事を思い出す――博雅ひろまさだった……。


「まさか……脱げと言われると…………わ」


 宴の喧騒のなかで、宮比姫の不満発散に巻き込まれた。


「脱いだところで、婦女子の皆様が喜ぶだけだし」

 本当にどうでもいい、道満の口ぶり。

「ワタシとしての興味から訊くけど? どうだった、モデルやってみて。案外、悪くなかったんじゃない。それどころか、新しい性癖せかいの扉が開いたとか、さ」


 顔には明らかな焦りが滲んで博雅は、

「夜道を明かりなしに歩くより、身の危険を感じた!」

 叫んだ。


 その様子を見て、一瞬目を丸くした。思いのほか博雅が動揺していることに、予想外の反応だった。

「ごめん、ごめんって」

 笑みを保ちながらも、少しだけ声のトーンを落とした。

 博雅の反応に。

(……わりとノリのいいタイプの博雅が、これだけ拒絶するんだから。本当に嫌だったんだな。かんざしにあとで注意しておくか、ワタシの可愛いおもちゃで遊んでいいのは――ワタシだけだぞって)


「道満。あまり、博雅さまをイジるのはヤメなさい。悪い癖ですよ、アナタの。気に入っているのは、理解します。が、完全に好きな子にイタズラして、嫌われる男子ですよ」

 次の料理を運びながら近づいて来る、一文字の言葉と裏腹に。笑みを浮かべ、瞳は自分の前に座っている道満よりも、楽しそうな輝きをしていた。


 冷や汗が滲む。


 一文字は優しい博雅の肩に、軽く手を置いた。

 その仕草には、場を落ち着かせようという配慮が感じられた。彼は常に周囲の空気を読みながら、冷静に次の一手を悪の陰陽師よりも、思慮深い。


「宮比姫の件は、博雅さまには不幸なことでした。でも、少し考え方を変えるだけで、幸運になるんです。

 被害者である博雅さま。と、加害者である宮比姫。どちらに否があるか、云うまでもありません。

 請求する権利が、博雅さまにあるんです――補償の」


 言葉を慎重に選びながら、博雅にゆっくりと説明していく。

 彼の姿勢には無駄がなく、全てが計算された動きに見えた。熟練した弁護士が相談者に状況を理解させ、次の段階へと導いてく。


「ナニ? を請求するか――これが非常に重要です、博雅さま。

 精神的苦痛というのは金銭で換算しづらいものですが、それでも補償を求めることはできます」


 少しだけ身を乗り出し、博雅の表情を確認するかのようにじっと見つめた。博雅が自分のその言葉の意味を理解していることを確かめるため。

 さらに、切り込んでいく。


「重要なのは、感情に流されず、冷静に状況を整理すること。

 博雅さまが受けた心の傷をどう伝えるのか――それが! 今後の解決に繋がるんです。

 宮比姫に対して感情的になるのではなく、しっかりと自分の権利を主張することが、肝心です」


 与えた博雅に、考える時間を。

 法廷で証言を待つかのような静寂が漂う。

 博雅は一文字の冷静な対応に少しずつ引き込まれていき、自分の感情を整理し始めた。


「博雅さま。今の時点で、宮比姫に何をどう伝えるべきか、少し見えてきましたか?」


 一文字は優しく微笑みながら問いかけた。

 解決への道筋を示させた。


 博雅は、頷いた。


「ちゃんと伝えるべきだ。感情的にはならず、冷静に」

「その通りです。それが最も効果的な手段ですし、博雅さまの心の負担も軽くなるはずです」


 一文字の話は鋭くもあり、同時に温かかった。

 彼はその場で博雅の気持ちを導くだけでなく、具体的な解決策を提示することで、自ら問題解決の力を与えようとしていた。


 最後に、踏み込んだ助言を付け加えた。


「ただし、博雅さま。

もし彼女、宮比姫が反省する様子がなかったり、あなたの主張を軽く流すようであれば、そこでまた新たな問題が発生します。が、不安にならないでください。

対策と手段を講じていれば、怖がる必要はありません。

ご自身の権利を守ること――それが今回の最も重要な点なのです」


 一文字はさらなる策をすでに用意している余裕を感じさせた。

 博雅は少し緊張しながらも、その冷静な態度に安心感を覚え始めていた。

 優雅に微笑んだまま、最後の締めくくりとして。


「博雅さま、私はアナタのミカタです。ですから……被害者である、あなたを守ります」


 博雅は少しだけ力が湧いてくるのを感じた。


 一文字の振る舞いを冷静に観察しながら、内心。

(……これは…………。ワタシよりも、悪の陰陽師ぽくない?)




 道満は、一文字と博雅の会話を耳にしながら、表情を変えずに心の中で微笑んでいた。

 一文字の計画に気づいていたが、博雅はその裏をまるで感じ取っていない様子だった。


(ああ。博雅も……鈿…………)


 丁寧な言葉や理路整然とした説明は、確かに正論だった。

 博雅が抱えている感情を整理し、次の行動に向けて背中を押している。それは間違いなく、彼の心に良い影響を与えていた。

 しかし、

 道満はその奥に隠された、一文字の計算が。


(博雅には、『被害者としての権利を主張した方がいい』って後押しをし。鈿には、『加害者としての主張があれば応じますよ』って仲介をする。両方から報酬を受け取る、と。

悪の陰陽師って世間騒がせているワタシよりも、悪よね)


 道満は口に出すことはしなかった。

 このまま一文字の言葉に従えば、宮比姫とも円満に事を収めるように思えるが。その裏で自分の利益を最大限にする立ち回りをしていることに、気づかないまま終えることなる。

 そんな彼の巧妙な策略。


(博雅。いつも君は本当に、ややこしいことに巻き込まれる体質、だ。

けれど、一文字も科学者やらないで、弁護士やってりゃ。宇宙に穴を開けることなかったんだろうな。

……そうなると…………出逢うことなった、か)


 苦笑しつつ、博雅には言わずに黙っておくことにした。

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神神の微笑。平安ノ国家公務員 八五三(はちごさん) @futatsume358

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