第4話 荒んだ人間にとって、自分の言葉は他人を黙らせる道具でしかない。
性差別という言葉が現実を席巻している。
差別は良くない。
差別は悪。
差別とは罪。
女性だけ賃金が低いのはおかしい。
女性には辛い時があるから配慮するべき。
女性だからと不公平に扱うべきではない。
全くその通り。
至極おっしゃる通り。
性別における差別。
つまり不遇を許すのはよろしくない。
では不遇とはなんだろう。
労働賃金の平均値の低さ?
平均値が低い理由を考えてからもう一度考えてみてほしい。
肉体的な不利が社会で通用しないからこその女性の家庭内仕事だったのではないか?
女性性であることでの区別をすべて差別と決めつけるのは、思考停止と言わざるを得ない。
女性の優遇として掲げているそれは、男女平等ではなく男性不遇への進歩でしかないことを理解した上で、先導する人間の言葉が信頼のおけるものであるかを考えてみてほしい。
昨今、ジェンダーへの理解を求める風潮が盛んだが、差別というのは別段ジェンダーでのみ起きていることではない。
マイノリティーが迫害されるのは世の常でしかないのだ。
自身がマイノリティーであり、権利を求める声を上げるのは大変に結構だが、その権利が認められていないのがなぜなのかという現実を見ることも重要であるといえる。
女性を名乗る男性が大衆浴場を利用する未来を想起させる描写が、ライトノベルなんかでは割と良くみられた。
最近ではコンプライアンスなのかなんなのか、オカマやオネエといったようなキャラクターを見なくなったが、今でも「男の娘」という部類は存在している。
この昔から存在する男の娘、『バカとテストと召喚獣』では秀吉というキャラが該当し、温泉に入るという話の流れでは女子風呂に入るべき、男子風呂に入るべきという会話が続き、最後には秀吉専用浴場に入るというオチがつく。
冗談のように描かれ、なぜそんな専用風呂があるのかという疑問で終わる話だが、妄想というのは自由の翼だ。
この話を見ていた人の中で立ち止まってしまう人にはきっと、今の自称女性の現在を想起していた人もいただろう。
しかし、もう少し立ち止まって、なんなら一歩下がってしまう人の中にはこうも考えられただろう。
江戸時代の浮世絵では、男も女も同じ浴場で過ごしていたな。と。
男女で浴場を分けるようになったのは、西洋化が進んでからと言われている。
つまり、欧米の思考ということになる。
ちなみに、アメリカで女性の参政権が認められたのは1920年、今から約100年前。
しかしこれは白人女性のみの話だ。
すべての国民に参政権が認められたのは1965年。
約60年前ということになる。
つまり、自分の親、祖父母の世代までアメリカには基本的な人権さえ保障されていなかったということになる。
そしていまアメリカで自称女性を擁護する向きが広がっている。
心が女性なら女性と同じ対応をすべき。
本当にそうだろうか?
フランスのラグビー一部リーグでは、トランスジェンダーの自称女性が女性を相手に試合をしている。
男性の肉体で女性とスポーツで競い合っている。
ジェンダーというものに敏感になり始めた頃から予想していた最悪が、現実になった。
これからも最悪の未来だけが起こり続けるだろうという予想がつく、そんなところで、差別とはなんだろうと考える。
日記帳 モノ柿 @0mono0kaki0
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