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最近暑くて頭が沸騰しそう。ってお話です。



 夏アニメ、豊作だな。
 そう思いながらも何見てるのか聞かれるとパッと浮かびません。
 どうもお久しぶりです、モノ柿です。


 いや、結構見てるんですよ。
 逃げ上手の若君様、推しの子とか、ついこの間はブリーチの新作を一気見したり。
 ジャンプ作品多いな。

 ライトノベルな作品を書いてるんだから趣味嗜好をラノベ寄りにしたいのは確かなんですが、自分ラノベより漫画のが好きなんですよねぇ。
 と、自作全否定スタイルは変わらず健在です。


 とまあ、そんな感じで夏も盛りを迎え、八月初旬です。


 なんとかエタることなく連載を続けておりますが、読んでいただいておりますでしょうか。

 アメリカはデラウェア州ベサニービーチ近郊でのお話をお送りしました。正直いったことないからどんな所かわかんないんですが、作中ではアメリカからほぼ独立したことになっているのでやりたい放題に書きました。
 「作中では現実とは違うようです。」とだけお伝えできればと思います。
 デラウェア州は、アメリカ建国の際最も早く合衆国憲法に批准した州として有名で、Fiest State などと呼ばれていたりもします。
 そんな一番にアメリカになった国が、人種や戦争ではなく、頭脳の差でアメリカではない国になるというのはなかなかに皮肉が効いているな、なんて思ったりもします。


 「争い」というのは文化から最も遠い行いの一つです。
 戦争は外交の手段、これは現状では大いに事実ですが、文化的に発展した人間同士の外交的やり取りにおいて、戦争が用いられることはありえません。

 綺麗事かつ机上の空論ですが、議論のみで手を取り合うことができる世界こそが、文化的に最も優れている世界であるといえます。

 武装しての領土侵略、武力を笠に着た恫喝。
 そんなことが政治として当たり前に行われる世界を平和と呼称していいわけがないのです。


 日本という国は、江戸の世まで国の中で争いを行い続けてきたみみっちい種族です。
 保身、出世欲、そういうものに踊らされて、いともたやすく身内の首を切り飛ばすお国柄、ということになります。
 宗教や肌の色、そういう差別てき理由における戦争以前に、この国では、「俺のため」という意識だけで簡単に人を殺す世の中だったということです。


 そんな侵略、差別戦争よりも一見たちの悪そうな国の子孫が、こんなことをいうのは恐ろくあれな気もするのですが、争いって良くないんですよ。


 多様性。
 無差別。
 多文化共生。


 これら単語が意味するのは、不可能、です。

 無意識的であろうとする努力は、意識的であることの裏返しでしかないからです。
 日本人は無宗教派が多いが、海外の目で見ると異常に信心深い、なんてのはよく聞く話です。
 神なんて非存在を無意識に、意識している。

 
 しかし、この海外からの意見を見て思うのは、キリスト教徒のほうがまだしも神なんてものを信じていないということになるのでしょう。
 

 争うことなく、無意識で、他人の行いのすべてを許容する。


 これが文化の理想でしょうか?
 否です。

 当然です。


 こんなのは他人に寄生するしか能のない人間もどきの戯言です。譫言といってもいい。



 理想というのは非現実的で、いつも霞の向こうにあるものです。
 目に見えている理想なんてものは脳の作り出した都合に過ぎない。


 人が人であるために目指すべき文化的社会とはなにか。
 自分の都合だけで目先に見えるものを選び続ける人間もどきには、たどり着けないのではないか。私にはそう思えてなりません。



 と、ここまですべて国家間代理戦争「オリンピック」の愚痴でした。



 びじかわ~ 月1,2回は更新するので遊びに来ていただければ幸いです。


 では、この辺で。

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