ザショウクジラ

高黄森哉

鯨が座礁した


 昨日から座礁し続けている鯨がいる。川の下流にかかる橋の下にて。その鯨は、まるで観光名所のために座礁したかのように、見やすい位置で、にっちもさっちもいかなくなっているということだ。


 これ機会と見逃さず、あっちもこっちもビジネス合戦、てんやわんやの大わらわ。船を借りツアーを組むもの、ヘリコプターを駆り出すもの、夜闇に紛れ鯨の皮膚を刈り取りお土産にするもの、様々だ。これ不健全こりゃいかん。市は対策委員会を開く。鯨を川から逃がしてやる方針だ。



「やあ。これはえらいことになりましたな」


 橋本が切り出した。


「まあさか。鯨が川を登ろうなんて。えらい、チャレンジャーや。迷惑だから金輪際やめて」

「といっても、相手は魚や。日本語は分からん」

「鯨は哺乳類や、アホ」

「せやったか。ならお願いしてみる価値は、あるわけあるか」


 鯨が座礁した一帯の漁業権を持つ橋本が、橋の管理担当である端上をはたいた。端上はそれでもゲラゲラと笑っている。その様子を冷徹な目で見る、市長の犬養は話を進める。


「で、どうやって海に返しましょうか」

「犬養さん、こういうのはどうです。ヘリコプターで釣るんです。丁度、釣りみたいに」


 そういって、橋本はぐびぐびと緑茶を飲む。海上保安庁からきた長道が口を出す。


「生憎、我々はそのようなヘリコプターは持ち合わせていない」

「け。どうして、今まで、鯨を運ぶことを考えておらんかったんや。ちゃらんぽらんで生きとったんか」

「申し訳ございません」


 と、その長道の役人ばった返事に、橋本は苦笑した。また、緑茶を飲む。


「クレーンはどうか。あれなら、吊り上げられる。橋の上から釣り上げるんや」

「道路はどうする。封鎖するんか」


 端上の意見に、大阪府警の若林が指摘した。若林は坊主頭を掻き、それはまるで、猿そのものだった。彼はニホンザルによく似ている。そして彼の意見を犬養がさらに指摘した。


「あの、お二人さん。吊り上げて、どうするんですか」

「そら、あのユーエスジェーのジョーズみたいに」

「動物愛護団体に殺されますよ」

「シー、レオタードやったか」

「シェパードです」


 その時、長道がシーシェパードと叫んだ。その場にいた全員が目を丸くして、彼に注目したが、長道はそれ以上の言葉を持ち合わせていなかった。沈黙が訪れ、破ったのは専門家の大谷だった。


「あのままにしておくのが吉でしょう。それが自然の摂理というものではないでしょうか」

「それは、あの鯨を見殺しにしろ、ということかね」


 犬養はそれは何としても阻止しなければならないと思った。でなければ、市民からの心証が悪くなる。また、世界からバッシングを受けるかもしれない。


「鯨が座礁し、弱って死んでしまった。それは、ごく自然なことです」

「それは儂が許さん。断固として拒否する」

「犬養さん、いい手がありまっせ」


 橋本が言った。


「川の上流にある堤防を破壊する。そしたら、津波が起きる。ザバーン、や」


 ザバーン。橋本の案は採用され、川の濁流は無事、鯨を大海原に押し戻した。この作戦は日本のみならず、世界中で報道、称賛された。それから十年がたった。


「いやはや。また、集まることになりますとは」


 犬養は言う。


「世界中ででしょ」


 端上は言った。そうだ、世界中で鯨が山盛り座礁していた。その数、数千に上る。幾千の鯨たちがミシシッピを、信濃川を、黄河を、インダス川を埋めた。スエズ運河なんかは鯨の追突事故により、船の渋滞が発生している。専門家の大谷は、そんな現在の惨状を伝え終わると、ため息をつき、次に持論を話し始める。


「だからあのままにしておけば良かったのに。あの鯨は川を遡ろうとする無謀な気質を持って生まれた鯨なんでしょう。その鯨は、不自然に生かされ、その後、子を残した。その気質は優勢遺伝だったんでしょうな。子鯨は軒並み、川を遡上しようと思い立った」


 それを聞いて、橋本は感心した。そして緑茶を飲んだ。


「あの鯨、子を千匹も生ませるなんて、絶倫だったんだなあ」



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ザショウクジラ 高黄森哉 @kamikawa2001

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