anima 〜魂をめぐる3人の対談〜

唯野水菜

anima 〜魂をめぐる3人の対談〜

華:植物になって性別を越境しようとしたがやがてダイアンサスのやり方に違和感を持ち始めたMtF女性。

静閑:放火事件をきっかけに友人と離れ離れになってしまったのがきっかけで、輪廻転生に関して思い悩むようになった僧侶

箕輪:堆肥葬を提唱した思想家の一人。やがて、神花として人々が祀られる世の中に失望し、隠遁生活を始めるようになる。


箕輪「それでは、対談を始めましょうか。よろしくお願いします」

華・静閑「よろしくお願いします」

箕輪「このような場を持ったのは、私の一存ではなくて、私の友人にダイアンサスにもアルビジアに依ることもない独立のメディアを立ち上げたいと言う有志の人がいて、特集記事を組んでほしいというお誘いがあったからなんです。私は戸惑いました。今の世の中、そんなメディアを立ち上げようとする方が難しい。新しくDAOを立ち上げること自体は、まぁ、何も珍しいことではなくなりましたが。

 冷や水を指すようではありませんが、そんなメディア誰が読むのかと言う話をしましたならば、私の知らないところでかなり既存のDAOのやり方に不満を抱いている連中も多くいるとのことらしいのです。まぁ、私もずいぶん森に引きこもっている時間の方が長くなってしまったので、そう言うこともあるようだとも思ったのですが、詳しく詳細を聞いていると、ことはずいぶん急を要するとのことなんです。

 そこで、どうか世間知らずになってしまった私に最近の事情と言いますか、近年起こっていることに対して何かしら思うところをお二方に教えていただくと言う形で、私も何かコメントできる事があれば話をするといった感じでお願いできますかねぇ」

静閑「箕輪先生、導入ありがとうございます。私もそのおっしゃっていた独自のメディア--パシフローラ--に関わっている縁ありまして、こちらでお話しさせていただくことになりました。箕輪先生は堆肥葬を提唱された当時から、社会のあり方、既存の死と生のに関する考え方にラディカルに異を唱えてらっしゃったうちの一人だと認識しております。今回は森での隠遁生活に入られた経緯も含めて、先生のお話をお聞かせ願えればと思っておりまして……」

箕輪「先生、と言うのはやめてほしいなぁ。せめてさん付けくらいで呼んでもらえたらいいよ。人に上下の別を設けること自体、私は好かない方だからねぇ」

静閑「わかりました、箕輪さん。……すいません、個人的な話になりますが、私にとっては憧れの先生だったもので……」

箕輪「そうでしたか。まぁ、話を進めましょう。今日は華さんもきてもらっているけれど、自己紹介がまだでしたよね」

華「はい。青木華と言います。私はMtFで、性別適合手術も受けているトランス女性として生きてきました。

 ただ、そういった中にありましても、私自身は性別を完全に超える事ができなかった感触がずっと残ったままで、ずっと悩んでいて……。そういうことを相談できる知人は多くなかったのですが、その中にダイアンサスのメンバーをしているソーシャルワーカーがいて、彼女の勧めでダイアンサスに入会しました。彼女が言うには『いずれ植物になれば、性別なんか関係がなくなる』と言うのです。半信半疑ではありました。性別適合したものの、妊娠も出産もできない私は結局動物としては出来損ないの存在になってしまったように感じていて、植物になって終えばそう言う悩みもバカらしくなるのかもしれないと期待する一方で、その、植物になってしまうことに対して恐怖を感じているというか、植物にも雌花と尾花があるように、結局植物になったところで、私は本当に悩まなくなるんだろうかと思うと、不安で不安で、頭がぐるぐるする日々を過ごすようになりました。先ほどのソーシャルワーカーに話しても、結局は「植物になることだけが救いだ」みたいな話に回収されてしまうようで、相談することに意味を感じられなくなってきてて……。

 それからまもなく、ダイアンサスが進めようとしているプラントエミュレーションの話を噂で耳にするようになりました。本当に実現するかどうかはわからないのですが……いや、ダイアンサスならすぐにでも実現しかねないですね。どうやら、人間の意識を植物にエミュレーションする技術らしいのです。ソーシャルワーカーが言っていた、いずれ人間は直ちに肉体を捨てて植物になる事ができる未来が来るから、と熱弁していた事が本当に実現してしまう、と思うと、私はゾッとしてしまったのです。

 それからでした。ダイアンサスのやり方に色々疑問を持ち始めたのは。

 私にも情報が追いつかないくらいの瞬く間に、地下施設の建設が始まっていたようで、そこの一角では植物になるための儀式が繰り返されていたようです。場合によっては人を餓死寸前まで追い込んで……。言葉にするのもおぞましくて……」

箕輪「なるほど。状況はだいたい伺いましたよ。元々あなたはセクシュアリティのことから植物になりたい願望があった。ただ、実際にダイアンサスが植物になれる装置を実際に完成させ始めていることや、ダイアンサス内部で行われている儀式のことについて知っていくうちに、恐怖が湧いてきたと言うところでしょうかね」

華「はい」

箕輪「無理もないことです。側からみれば彼らのやっていることは植物主義の名の下に文字通り自殺をしようとしている連中でしかないわけですから。とはいえ、そう言う話を聞くと、私も責任を感じずにはいられないわけで。何しろ、私の名は世間からすれば「植物主義」という考え方そのものを広めた一人、ということになっているわけですから。

 はっきり言っておきます。本来、植物主義に穏健も過激もありません。人は死んだら植物になるというのは、こう言って良ければメタファーなのです。人は死んだら植物になる、だからこそ……の「……」に続く内容が重要なのです。人を植物にしてしまえという乱暴な考えは、そもそも植物主義とは相容れない考え方というべきです。

 森に入って以降も、私は私なりに、人は死んだら植物になる、だからこそ……どうなのかということを考え続けてきました。ある時からは考えるのをやめてしまいましたが。今皆さんの前でお答えできる事があるとしたら、こうです。

 人は死んだら植物になる、だからこそ、生きているうちは精一杯、植物から生きる術を学ばなければならない、と。

 まぁ、最近は学ぶことをやめて踊って歌ってばかりいる連中も多いようですから、アリストテレスの『デ・アニマ』なんて読んでいる人間など誰もおらんかもしれないですな」

静閑「箕輪さんは元々『デ・アニマ』の研究から植物主義の構想を練られたということですよね」

箕輪「そういう時期もありましたな。RingNe以降はほとんど役に立たなくなった」

静閑「顧みる人が少なくなった、というべきだと私は思っていますよ」

箕輪「いえいえ、それだけRingNeが画期的だったということです。魂の話をしたところで、何かの怪しい宗教の話かと、聞く人は聞くでしょう。それよりは量子情報というものにより実体感を感じたくなるのが、科学に飼い慣らされてしまった私たちの思考の宿命というべきです。

 アリストテレスの話を聞けば、プシューケーこそ実体の話をしている事がよくわかります。量子コンピューターもない時代に、観察と観想だけであそこまで動物だけでなく植物についてまで語っているのはまことに見事というべきでしょう。

 あんまり難しい話になってしまっても良くないので、こういう話もしましょう。植物主義を構想したとき、その時もちろんRingNeは未だ存在していません。ただ、私には有機農業をやる友人と彼の農園がありました。植物主義をめぐる思索はほとんどがそこでの農作業と、堆肥作りと、友人たちとの対話の中で、有る事無い事ぼやいていた、その突拍子もない発想を発展させていった先に産まれたものでした。当時このアイディアは仲間内で冗談のような遊びのような話として交わされていたに過ぎません。やがて現実世界を一変させてしまうような考えだとは到底思っていなかったわけです。そんな、冗談半分のような考えを、誰かが一冊の本にしてみたらどうかということで、冊子にしました。それが最初だったかと思います」

静閑「冊子というのは『青草に還る』ですよね」

箕輪「よくご存知だ。その様子だと読まれたこともあるのかな」

静閑「うちの寺の書棚に今でもありますよ。どうやら父が知人経由で手に入れたようで、私はその冊子で箕輪さんのことを知りました」

箕輪「そうでしたか。もうその頃から、堆肥葬という考え方はありました。かなりマイナーでしたけれども。実際に北欧の国ではキノコの菌糸がびっしり張り巡らされた棺に亡くなった人を入れて土葬するという実験までやられていたようですな。

 ええと、華さんの話から、だいぶ話が逸れてしまったような気がするな。華さん、あなた自身は、今でも植物になりたい、という気持ちが起こることはあるのかな」

華「あ、私に配慮してくださっているようでありがたいです。あの、実は今でも、植物になりたいという気持ちはあります。言ってしまえば、死にたいという気持ちでしょうけど、今でもずっと苛まれています。キノコの棺で葬ってもらえるの、いいですね。私は、正直、この身体で生きていくことにしんどさを覚えています。性別適合手術をしなかったら後悔していただろうと思うことはありますけれど、適合手術をしたとしても後悔する事も多くて。寝ている間にキノコが自分の体を食い尽くしてしまってくれればいいのにと思います」

箕輪「そうだったんだね。さて、そこであなたに聞いてみたいのだけれど、魂というものがあるとして、それはあなた自身にとって、何というか、どういう存在なのかな」

華「ええと……」

箕輪「突拍子もない質問に聞こえるのは無理もない事だと承知の上なんだ。「魂について」という事で対談を組むということでお呼びした事もある。華さんが答えづらいようなら、静閑さんから先に答えてもらうようにしようか」

静閑「はい。では、私からでよろしいでしょうか」

華「すみません。お話聞きながら考えてみますので……」

静閑「はい、では、私から。

 考えるようになったきっかけは、例の南足柄のゴジアオイ火災事件がきっかけです。あれを実行した真犯人の山岡陸寛は私の友人です。彼は最近アルビジアにいたく入れ込んでいて、私はあまり関心していなかったのですが……それはともかく、彼の裁判を傍聴しにいった事があるのですが、彼の思想は、こう言って良ければ仏の名を借りた火葬主義と言いますか、裁判でも度々「現世に留まり続ける魂は、自然の炎により送って差し上げるのが、僧侶たるものの勤めだ」という言葉が出てきました。

 私には疑問なのです。人は死んだら植物になる、だとしても、植物に人だった頃の魂が宿り続けるというのは、本当なのだろうかと。

 今の植物主義は輪廻転生の図式をあまりにも単純化し過ぎていると考えています。植物に宿った量子情報を可視化するに過ぎないデバイスたるRingNeが、今やかつての墓石代わりになっている。植物にも手を合わせるようになった世の中を一概に悪く言っているつもりはありません。むしろ、一切衆生悉有仏性の考え方からすれば、RingNe以前の世界があまりにも植物に対して手を合わせなさ過ぎたとも言えるでしょう。環境問題もかつてに比べれば驚くほど改善された。

 とはいえ、です。人間の死生観そのものは殆どと言っていいほど変化していない。乱暴にいえば、墓石が神花にすり替わったに過ぎません。どの花に自分の死後を託すかに関して、人々が自由意志で選べると言ったことも、そもそも私には納得いかないところだらけなのです。今の堆肥葬の時代になって、ようやく人は人の死後を選べるようになったという人は言います。それに違和感を覚えるのです。死後を選べる世の中は本当に我々にとって幸福なことなのか。むしろ、箕輪さんが著書(『植物主義の時代』)でおっしゃるように、それは「自我の肥大化」の最終形態なのではないかと」

箕輪「うん、うん。おっしゃりたいことは何となくわかってきた。

 ついでに言っておくと、「神花」という概念はもちろん、私の発明ではない。ダイアンサスの発起人の誰かが、そういう言い方を発明しだしたのだろうね。彼らの思想は実は、『シュヴァルツ・バルド文書コード』を元にしていることが当初から噂されていたが、その中に出てくるのが「神花」という言葉の初出ではないかと言われているよ」

静閑「そうでしたか。確かに、神花の話は『青草に還る』に出てきそうで出てきませんでした。あの当時というのは、もっと堆肥葬の考え方も素朴だったし、神花として祀ることなく、人間を堆肥に帰した先に採れたサツマイモやトマトは積極的に美味しくいただこう、という事が書いてあって衝撃的でした。誰も彼も無神花認証の野菜や花を買い求める世の中からすれば、大変ラディカルな考え方に聞こえてしまいます」

箕輪「私の堆肥葬の考え方はRingNe以前であり、ダイアンサス以前の考え方にすぎません。今の時代からすれば古びた、素朴な考え方だと見做されても仕方のない事です。

 そもそも、魂の循環に関する考え方に大きな違いがある。神花という概念は魂を植物に固着させてしまうのですよ。おまけに、量子情報と魂の区別がつかなくなっている。これでは墓石の代わりに花を拝むようになっただけです。植物という棺に魂を押し込めただけです。

 それでは何の意味もない。私が堆肥葬を発案した時に考えていたのはむしろ魂のダイナミックな循環と拡散でした。魂は単体として、個物として存在するかのようなイメージから我々は解放されなければならない。むしろ、たんぽぽが無数の綿毛を飛ばすように、複数折り重なって、どこへでも拡散可能なものであると、そのように魂はみなされるべきなのです。

 これは、かつて農園で一緒に働いていた頃出会った堆肥作りの名人である友人の、華さんと同じMtFトランスジェンダーの人が言っていたのです。「魂とは網状に展開されるものであって、個として単立に存在するものではない。網目上に互いにつながり合っていて、つながりだけが存在すると呼ぶに値するのだ」と。私の堆肥葬の初期のアイディアはまさに彼女から受け継いだものだったのです。残念ながら、彼女は乳がんでこの世を去ってしまいましたが」

しばし、沈黙。

華「私がこの対談に参加しようと思ったのは、その、奥乃さんのお話も聞けるのかなと思って箕輪さんに会いにきたのもあります。奥乃さんは、私にとってはお手本みたいな女性だったので」

箕輪「奥乃くんのことを知っているんだねぇ。あ、私は仲良くなると、男女区別なく「くん」で呼ぶ癖があってね。ははは、あの人はロールモデルにしちゃ一番いけない人だよ(笑)一番型にハマるのが嫌いな人だから」

華「はい、そうかもしれませんね。ああいうふうに生きられたら、って思っていた時期があって。でも私にはできなくて」

箕輪「奥乃くんのどういうところに惹かれるんだい」

華「自分のことをとても明るくオープンに話すんです。双極性障害抱えて、ベーシックインカムだけで暮らしている時でも、周りには友達や仲間が絶えなくて、でも人間関係にはずいぶん苦労した話とか、あっけらかんと話す感じで、すごく親近感が湧いていたんです。あ、私はジャパン・プライド・レガシーという番組でお姿を拝見したのが最初でした。ちょうど、まだパートナーシップ条例があった時代に関する特集が組まれていた回で」

箕輪「そうかそうか。奥乃くんに会ったときは、彼女はまだ無名のLGBT活動家で、むしろ堆肥作りに興味があって私の通っていた有機農園に遊びにきていた。何でも、家でコンポストをやっていたけど、そのうち自分のやり方はこれではいけないと思って、本格的な堆肥づくりを学びたかったらしくてね。

 その頃から、奥乃くんの考えは一貫していたよ。堆肥は微生物の働きによって発酵されるように、人と人との間も、セクシュアリティ関係なく、発酵させる事ができる、と。だから、自分が双極性障害だったとか、ベーシックインカムだけで暮らしている事だとかは、瑣末な事なんだろうねぇ」

華「はい。そういう話も番組でしていました。それで、私も興味持って「植物主義」についていろいろ調べているうちに、箕輪さんの名前と奥乃さんのお話が出てきて……。

 それで、私もお伺いしてみたいと思ったんです。私は植物になりたい、という思いをずっと抱えて生きてきました。ただ、そうなってくると、私が今人間として、ある種の動物として生きていることにどんな意味があるのか、っていう。奥乃さんが生きていた時代は、まだ社会が改良の余地があったというか、社会を変えていくために必要な課題がかなりはっきりしていた時代だったと思うんです。だからこそ、権利を獲得するために戦ってきた。今は、それがどこか薄れてきているというか、大体の権利は保証され尽くした社会が訪れて、AIが最適解をだして政治に関わるようになってからはもっと隅々まで配慮が行き届いたような社会で、でも、そうなると私が今トランスジェンダーとして生きている意味って何だろうと考え込んでしまうんです。私は今私がこの身体でいる意味ってそんなにないんじゃないのかとか、私がこうじゃない世界も、AIで作れたんじゃないのかとか、考えても考えても答えの出ないことに悩むようになっちゃって」

箕輪「そうだねぇ。昔、SDGsっていうのが流行っていたなぁ。ピンバッジがあってね、つけているおっさんたちをあちこちで見かけた時期もあったよ。世界で社会課題に取り組もうとしていた中に、奥乃くんが取り組んだジェンダーの問題があったりして、私はどちらかというとそういう流れからは一歩距離を置いて、魂とは何かについて思索を巡らしていたんだけどね。

 華さんがいうように、そのうち、人間はアイデンティティ・クライシスを迎える時が来るんだろうねぇ。人間がいる意味、あるんだろうか、とね。私は、そんなものは全く怖くもないのだが。そんなことで危機を迎えるようなアイデンティティなど、元々不要だったということだろう。

 もちろん、華さんを非難しているわけじゃない。時代の空気感とかに縛られてしまうと、そういう考えになるんだろう。それに嫌気がさして、私は森に入ることにした。私の唱えたはずだった「植物主義」がダイアンサスによってメチャクチャに誤解されてしまった頃から、そうしようと決めたんだ。世の中は、私が思うようには変わらないのかもしれない、ということを、森の中でようやく受け入れられるようになった。私がひっそり、自分の考えてきたことの体現者になればいいと考えた。それで、外界との接点を躊躇なく断つこともできた。とはいえ、気になる時もあるから、その時は気になったなりに、森から出て色んな人に話を聞いてきた。

 随分、大変な時代になったもんだねぇ。いよいよ、私が「網的宇宙観」を唱えていた時と毛色が変わってしまったように思うよ」

静閑「そこで何ですか、いよいよ先生……いや、箕輪さんの「網的宇宙観」について、今思うところをお聞かせ願えないでしょうか」

箕輪「そうだねぇ。じゃ、ぼちぼち話そうかねぇ。

 私が植物主義と呼んでいるものは、正確には魂の循環に関する理論なんだ。

 魂は、繰り返すように、個体個物として存在するものではない。例えるなら一枚の布のように、糸と糸が何重にも折り重なって、その糸が交差する時にできる交点が、私たちが「自我」と呼んでいるものの正体に過ぎないんだ。

 であるからして、実際には魂と魂は網状につながり合っていると考える。これが、奥乃くんが考える「網的自己」と呼んでいるものなんだな。

 堆肥葬は元々、この網的自己の概念を植物や堆肥に拡張するために編み出されたと言える。人間が微生物の作用によって分解され、堆肥の中に量子的にembedded、つまり埋め込まれた時にだ、マクロの視点から見れば人が分解されて堆肥になった、と見えても、ミクロの世界では発酵によって新しい生命が生成消滅しているので、この堆肥は生きている、とみなす事ができる。

 人が堆肥になることで量子情報が堆肥に移った、というのはあくまでマクロの視点、ヒューマンスケール上のマクロの視点にすぎない。網的自己の見方からすれば、それはもう既に大地ともつながっている状態であり、人ともつながっている状態であり、森の木々や植物ともつながり合っている状態であり、もちろん、微生物同士つながり合っている状態なんだ。それにある種の均衡を保つためのテクノロジーが堆肥化のテクノロジーで、キモはもちろん「発酵」にある。

 「腐敗」と「発酵」はとりわけ人間の尺度で有用であれば発酵、無用であれば腐敗、と把握されがちだが、自然界ではもちろん発酵に関わる菌と腐敗に関わる菌はコインの裏表のようなものでしかない。「発酵」に必要なのは、バランス調整と環境づくり、この二つ。ここが重要だ。「基本的に植物主義はあらゆるバランス調整と環境調整を担う思想でなければならない」。これが第一のテーゼ。

 そして、植物主義の第二テーゼ。これは「つながりは常に既に流動的でなければならない」というテーゼだ。

 華さん。もし、あなたがアイデンティティクライシスに陥って、あるいは植物になりたいという気を起こしたとしても、これだけは忘れてほしくない事がある。動物であれ植物であれ、それぞれ流動的につながり合うために私たちは常に既に最適化され尽くしてある存在だということを。一番実感できるアクションがあるとすれば、そう、旅に出ることだ。

 日本中いろんなところを旅し続けてご覧。そもそも、人は旅をする生き物なんだよ。奥乃くんもよくロードバイクで旅に出かけたように、あなたもあなたなりの旅に出かけてみるといい。自分探しの旅、なんて昔はよくくさされたけれども、私は馬鹿にならないと思っている。なぜなら、世界一周の旅に出かけた連中はみんなそのことをきっかけに人生が変わっているからだ。特にインドと三軒茶屋はおすすめだと友人は言っていた。何でその組み合わせなのかは結局未だに分からず仕舞いなんだが……。

 植物主義、第三テーゼ「つながっている限り、私たちは何者でもあり、何者でもない」。

 静閑くんが友人の起こした事件を通して思うところがあるとしても、それは魂という観点からすれば存外瑣末なことに過ぎないと思う。つながっている限り、私たちは何者でもある。石や、砂粒、森の木々の一部でもあると同時に、燃え盛る火の一部でもある。全ては形を変えて存在し続けているだけであって、消えてなくなったわけではない。であると同時に、何者でもない。人だって、本来は何者でもない状態で生まれて、何者でもない状態で死んでいくだけの存在にすぎない。であれば、こう問うべきだと思う。「私たちは植物になってまで、なお何者かであろうと欲するのか?」と。

 さて、時間が来てしまった。語り尽くせない事がたくさんあるねぇ。まぁ、今日はこれくらいにしよう。何か感想ありますか」

静閑「お話し、染み入りました。何者でもあって、何者でもない。何か、深い悟りを得た行者の言葉に匹敵するかのようなお言葉で、私も何とコメントをしたらいいか」

箕輪「ははは、君のほうがよっぽど徳を積んでいるのではないかね。昨今の若者にしては、真っ当な悩みを抱いているように私には見えたよ。

 華さんは何かありますか」

華「そうですね。旅がある、というのは何だか希望に感じました。つながりを感じる、という事が大事なのですね。私もそう感じられるように日々を過ごしてみます、ただ……

 ただ、いつまで私たちは旅を続けていればいいんでしょうか」

箕輪「そうだねぇ。いつまで、と言われれば、飽きるまで、と言えばいいんじゃないかな。

 私は、人に死という終わりがあることで最も偉大なことは、忘却だと思っている。死ねばこれまで蓄えてきた事や学んできたことは偉大なるリセットにかかる。だから、どんどん忘れていけ。以上だ」

静閑「箕輪さん、今日はお付き合いいただきありがとうございました」

華「ありがとうございました」

箕輪「うん、ありがとう」

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