片恋い

田山 凪

第1話

 そうはいつもよりも遅くまで仕事をして、退社するころにはもう二十一時半だ。コートを来て荷物をまとめて外に出ると、一月前の寒い空気が出迎えた。マフラーを巻いて駅の方へ歩く。町ゆく人々は飲み帰りの人や遊び帰りの人でにぎわっており、中には自身と同様にスーツで帰宅中の人たちもいる。そんな人たちへ心の中でお疲れ様ですと声をかけたくなかった。

 駅に到着すると電車までまだ時間があった。特別やることもないため改札を通ろうとした時、後ろから声をかけられた。


「もしかして奏くん?」

「えっ」


 振り向くとそこにはオフィスカジュアルな恰好をした小柄な女性が立っていた。グレーのコートのポケットに片手をつっこみ、セミロングの茶髪、ぱっちりとした瞳が奏を見ている。


「やっぱり奏くんじゃん。久しぶりだね」

奈緒なお先輩じゃないですか」


 女性の名はやなぎ奈緒なお。高校時代の先輩で演劇部一緒だった。大学に入った後も何度か交流があったが、ここ二年くらいは連絡すらしていなかった。


「県外へ行ったんじゃなかったんですか?」

「まぁね。でも、あんま合わなく戻って来た。いま暇?」

「ええ、あとは帰宅するだけですけど」

「なら、ちょっと付き合ってよ。そこの居酒屋結構おいしいんだよ」


 駅ビルの中にある酒場通りに行くと、大学生や社会人がにぎやかに過ごしている。酒が入っているためやけに声が大きいのは奏にとってはあまり心地いいと言えるものではない。

 テーブル席は全部埋まっているためカウンター席の中央に二人は並んで座った。足元に鞄を置いて、奈緒はビールを二杯頼んだ。


「あ、勝手に頼んじゃったけど大丈夫だよね」

「構いませんよ」

「なになに、ちょっと他人行儀じゃん」

「久しぶりすぎてどんなテンションで接していいかわかんなくて」

「普段通りでいいって。あ、これ美味しそうじゃない?」


 奈緒は奏に肩を寄せメニューを指さした。その瞬間、奏は柔らかないい匂いを感じた。奈緒の香水の匂いだろうというのはわかるが、意識をすると変な気持ちになりそうで必死に無心になろうとした。


「ねぇ、聞いてる?」

「え、あ、はい」

「焼き鳥のお任せ盛りとお好み焼きのハーフ頼んじゃうね。奏は食べたいのある? 今日は私が奢ってあげるよ」

「そんな悪いですよ。男の俺が払うもんでしょ」

「野暮なこと気にするもんじゃないよ。むしろ、先輩の顔を立てなって」

「まぁ、そういうことなら。からあげをお願いします」

「オッケー」


 奈緒は高校時代から元気で人当たりがよく、いつも周りには誰かがいて楽しく過ごしているようなタイプの学生だった。高校時代も大学時代もそれは変わらない。なのに、男性関連の噂を一切聞かない。

 天真爛漫な雰囲気で周りをよく見るが、実のところしっかりと線引きをしているタイプで、嫌でもそういう表情を出さず、しつこい相手にはきっぱりと強く断るという芯が備わったタイプの女性だ。

 部活時代にそういう一面を見ているからこそ、奏は奈緒に対してどこか緊張した面持ちで会話をすることもあった。尊敬する先輩であり、憧れもである。どこか面倒だなと思ったこともあったが、歳を重ね思い返すと、どれも部員や後輩のことを考えた行動だったと理解させられる。

 この人には一生追いつけなさそうだなと感じつつも、背中を追いたくなる気持ちに駆られることが多々あった。

 

 カウンターに頼んだ料理が次々と並ぶ。奈緒は慣れた手つきで半分のお好み焼きとをさらに半分にし、奏の小皿へと乗せた。


「食べないの?」

「まだ熱すぎて」

「そういえば猫舌だったね。体格はいいのにふーふーしながらココアを飲む姿には笑ったよ」

「高校時代のことですよ。忘れてください」

「初めて人に奢った時のことなんだから中々忘れられないって。先食べちゃうからね」


 豪快にビールを飲み、ジョッキにはすでに半分以下しか残っていない。

 小柄な見た目からか誰もが奈緒のことを可愛い系の人として捉えがちだが、実際は豪快な一面もあり、かなり負けず嫌い。顧問の先生と言い合う姿は部活で見慣れたものだ。

 

「なに、じっと見ちゃってさ。そんなに珍しい?」

「いや、なんか昔に戻ったみたいだなって」

「どうして?」

「ほら、大会運営の帰りにうどん食べに行ったじゃないですか。あの時も奈緒先輩は豪快に食べてたなって」

「あの時初めて奏とごはん行ったんだっけ。私の膨れたお腹を見て『生後何か月ですか』って真面目な顔でいうもんだから爆笑したよ」

「そういう周りを気にしないところ好きでしたよ」


 その返事を聞きビールを飲んでいた奈緒はむせてしまった。

 カウンターにはビールがこぼれ今にも奈緒のスカートへと落ちかけている。

 奏は咄嗟に自分のハンカチを取り出して奈緒の手に渡し口元まで誘導した。カウンターに備え付けてある紙を数枚取り出し奈緒のほうにこぼれないように拭いたのち、奈緒の身をあんじた。


「だ、大丈夫。ごめんね、カッコ悪い姿みせちゃったよ」

「ゆっくり飲みましょうね」

「相変わらず年下なのに世話焼くのが上手だねぇ」

「オフになると急にずぼらになる先輩も相変わらずですよ」

「言ったなー、このやろー」


 奈緒は奏の頭をくしゃくしゃに触ったが、途中で何かに気づきスッと手を引いた。


 それからしばらく時間が経った。

  

「ラストオーダーですけど、何か頼みますか?」


 店員の問いかけに対し奏は奈緒のほうをみた。奈緒はカウンターに突っ伏してかなり酔いが回っている様子だ。


「お冷二つおねがいします」

「かしこまりましたー」


 突っ伏している奈緒は顔を奏のほうへ向けた。

 その表情はどこか儚げというか、普段の奈緒の勢いを感じさせないしおらしい姿だった。


「ねぇ……」

「なんですか?」

「あの子とは仲良くやってる?」

「あの子……」

「部活の時の後輩ちゃん」

「奈緒先輩が名前を覚えてないなんて珍しいですね」

「覚えてないんじゃない。言いたくないだけ」


 奈緒はどんな先輩も後輩も、他校の生徒や顧問の名前さえもをよく覚えていた。それが礼儀だと考えていたのだ。そんな奈緒が名前を言おうとしないことに奏は小さく驚く。しかし、誰の事なのかわからない。

 痺れを切らした奈緒は起き上がり言った。


「奏が付き合ってる子だって! 部活の時から仲良くしてたでしょ」

「あー、里香ちゃんですか」

「卒業後も付き合ってたって聞いたけど」

「いやー、……去年別れてしまって」

「えっ、あんなに仲良さそうだったのに?」

「なんかこう、優しすぎるとかなんとか言われて。あまり理由は詳しく聞いてません。だって、辛いでしょ。でも、今はもう大丈夫です。案外吹っ切れるのが早いなって自分でも驚いてます」


 案外ありがちな別れの理由の一つ。優しすぎる。おそらくそういわれたのは相手にも何か思うところがあり、それを直接言わないようにオブラートに包んだ結果の言葉のチョイスだとは奏も理解していたが、優しいのがダメならいったい何がいいのかと考え込んだ時期もあった。

 だが、時間が経つにつれて、想像していたよりも早く悩みから消えていく。消えるの早すぎて、自分は相手のことが本当に好きだったのかと疑ってしまうほど。

 好意を持たれているのが分かったから付き合っただけで、そこに深い感情はなかったのかもしれないとむしろ反省したのだ。

 

「今は相手いないの?」

「いたら帰って相手と飯食べてますよ」

「それもそっか」


 人の別れ話、本来は深刻なものなのになぜかその話を聞いて奈緒は酔いがさめたのかなんなのか、元気を取り戻していた。

 店員がもってきたお冷を受けとると、奈緒はそれを一気に飲み干し、口を拭いた。

 少し間を置いてからゆっくりと話し始める。


「あのさ、私って小さいじゃん」

「そうですね」

「少しは否定しろよ」

「いや、まぁさすがにそれは事実なので」

「まぁいいや。でさ、こんなだからみんな私のことちっちゃくて子どもみたいな目線で見るんだよね。それが嫌ってわけじゃないけど、見た目と性格のギャップにひく人もいてさ。勝手にイメージを植え付けられて勝手に減滅されるって結構くるものがあるの」


 奏にとってそれは容易に想像ができた。

 小柄な体系は高校時代から特徴的で、当時は髪も長くあどけなさが残る幼顔。今も面影はあるがメイクや服装のおかげで最低でも大学生くらいには見える。だが、こういった容姿は人に一番大きなイメージを植え付ける。クールなイメージ、可愛いイメージ、ポップなイメージ、そんな勝手に描いたイメージと現実が違うと、人はどうやら嫌悪を示すことがある。

 奏は身近な人間で一番その被害にあっている人間をあげるなら真っ先に奈緒の名を上げるだろう。それだけ、見た目と性格のギャップがあるのだ。

 奈緒は望んでその容姿になったわけではない。身長の低さも生まれながらの物だ。なのに、自然に振舞うとどこかで減滅される。奈緒はそういった事柄に対し、ある程度耐えるられる性格をしていたが、あくまで耐えられるだけ、傷つかないわけではない。

 高校のころはそれを怒りに任せて愚痴っていたこともあった。だが、関わる人間が多くなり、薄い関係も多い中、誰かにそういう本心を伝える機会が少なくなり、社会人になれば相手のイメージを崩さないことが求められることもある。

 奈緒にとって今の環境は居心地が悪いのだ。


「好きな人ができてもさ、きっとあの人も可愛い人が好きなんだろうなとか、自然に振舞ったら恋の対象にはしてくれないだろうなって考えると、そういう関係になろうと思わなくて」

「実際に恋をしたい相手がいたってことですか?」

「一人だけね。そいつさ、誰とでもそつなく会話するけど、どこか一線引いてるんだよ。私は立場的にいろんな人を見なきゃいけなかったから、そいつがほかの子と話してるのを見ているしかなかった」

「切ないですね」

「でも、そいつには彼女が出来て、気づけばあまり連絡も取らなくなってさ。だけど、社会に出てもこの気持ちがどこかにずっと残ってるは私もびっくりした」

「奈緒先輩は感情は出ても発散したら根に持たないですもんね。そういうとこ尊敬してますよ」

「それ皮肉?」

「本心です。先輩の素直なところと切り替えの早さ。部活の時にしっかりみんなを見ている俯瞰した視点。相手のことを思って指摘するところ。どれも俺が望むものを持っていました。でも、脆い部分もあって、周りは声をかけてくれるけど、本人の悩みや悔しさを本当に理解してくれる人はいない。だから、先生にはああやって全力でぶつかっていけたんですよね」

「先生はいつも憎たらしいくらい余裕があったからね」

「奈緒先輩が一方的に話してる姿の方が多かったですけど、先生と対等と思わせるほど全力で話してる姿、とっても好きでした」


 酔いの影響か奈緒の目は潤んでいた。

 奈緒は奏の肩を軽く何度も叩いた。奏にはその理由がなにかわからなかったが受け入れることにした。

 みんな環境が変わり不安定で、どこに向かっているのかも曖昧なのだ。進むべき道は学生の時のように明確ではない。テストでいい点を取れば、部活でいい結果を残せば、誰かが褒めてくれる世界はもう終わった。

 大人とは、死というゴールまでに、どれだけ思い出を作れるかという物語なのだと奏は考えていた。きっと、先輩はいま迷っているのだと思うことにした。


 食事を終えて終電間近。終電はどの路線もおおよそ似た時間で、二人とも終電を逃す前に改札前に向かった。奏と奈緒は方面が違うためここでお別れだ。奈緒は電車に乗る前に水を買うためコンビニへと向かおうとした。

 すると、奏が呼び止める。


「先輩、次は俺に奢らせてください」

「なに~? 後輩の癖に生意気じゃない」

「違いますよ」

「えっ?」

「次は、一人の男として奢らせてください。俺が誘いますから」


 そういうと奏は改札を越えて行ってしまった。

 高ぶる気持ちが行き場もなく表情に現れそうになるのを必死に抑え、奈緒は小さくつぶやいた。


「鈍感なやつ……。だけど、片恋かたおもいはそろそろ終わってくれるのかも」


 奈緒は、コートのポケットに手を入れると、返し忘れたハンカチに手が触れる。

 それを握りしめ、帰っていった奏のほうをじっとみた。


 


 

 

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