第34話 遅咲きオメガ王子は大国の王太子妃になる3・終

(相変わらず惚れ惚れするくらい美しい骨格だな)


 すっかり見慣れた姿だというのに、また見惚れてしまった。結婚式を挙げて五年以上が経つというのに、時間が経てば経つほど惚ける回数が多くなっているような気がする。「子を二人生んだ三十男がのぼせ上がるなんて恥ずかしい」と咳払いをしながら改めて殿下を見ると、やけに難しそうな表情で僕を見ていた。


「殿下?」


 一体どうしたのだろうか。何か問題でも起きたのかと一瞬考えたが、殿下の視線が僕の顔ではなくやや下を向いていることに気がついた。


(……首飾りか)


 寝るときに首飾りをするのは今回が初めてではない。それに最初に首飾りを提案したのは殿下のほうだ。

 シュオーネを生んだあとの初めての発情のとき、殿下から首飾りを着けてはどうかと言われた。“生む性”であるΩは短期間に連続して子を生んでも問題ないと言われているが、男の僕が本当に大丈夫か心配してくれたのだろう。実際、アフェクシィ殿も男のΩがどうかはっきりとはわからないと話していた。それを一緒に聞いていた殿下は何か対策できないか考えたに違いない。

 それからは発情が近づくたびに首飾りをするようになった。殿下も「これなら遠慮なく噛めるな」と笑っていた。

 ところが一年ほど前から、首飾りをした僕を見る殿下の眼差しが少しずつ変わってきているような感じがする。いまみたいにじっと首飾りに視線を向けることが増え、表情からも不満そうな様子が見て取れる。それでも殿下の変化に気づかないふりをしてきたのは、王太子妃の役目を果たせるようになりたいと思っていたからだ。

 いままた懐妊すれば仕事ができなくなってしまう。それでは殿下を助けることができない。しかし殿下に我慢を強いているのも事実で、それは僕の望むところではない。


(うなじを噛むのはαの本能だと言っていたしな)


 首飾りの上から噛むことはできるが、それで本能が満たされるはずがないこともわかっている。


「やっぱり気になりますか?」


 そう言いながら首飾りに触れた。返事はないが、表情を見ればそう思っていることは丸わかりだ。


「外してもいいですが、できれば僕は三人目はもう少し後でと考えています」

「うなじを噛んだからといって、確実に子ができるかはわからないままだ」

「本当にそう思っていますか?」


 僕の言葉に殿下が口を閉じた。わかっているが、どうしても噛みたい欲が抑えられないのだろう。


(その気持ちは僕も十分にわかる)


 僕だけのαにうなじを噛まれながら子種を注がれたい、これは僕のΩとしての抗いがたい本能だ。発情中に自分で首飾りを外そうとしたことも何度もある。それでも何とか手を止めたのは、Ωの本能と同じくらい自分の役目を果たしたいと強く思っているからだ。

 ノアール殿下を助ける術を早くたくさん身につけるには、机上で学ぶのではなく実際に体験するのが近道だ。それはこの五年間で身に染みて感じてきた。そのためにも、まだ三人目を身ごもるわけにはいかない。

 そう考えているのに胸がざわりと騒いでしまうのは、僕のΩの本能が“噛まれたい”と訴えているからだ。本当に欲しているのは理性ではなく本能だと叫んでいる。それでも本能に身を任せきれないのは、僕が遅咲きのΩだからだろうか。


「では、殿下がこの首飾りを外すことができたなら、うなじを噛んでもいいということにしませんか?」

「わたしが外せたら?」

「はい。もちろん僕は抵抗しませんし、そもそも発情中は抵抗できないと思いますし」


 仕組みを教えていない殿下がいきなり外せるとは思わない。それでもそう言ったのは、首飾りを外そうと必死になる殿下を想像して体が熱くなったからだ。僕が許可を出せば、殿下は必死になって首飾りを外そうとするだろう。その姿を見たいと思ってしまった。

 必死に僕を求める殿下を見たい。外したいのに外れない、外してほしいのに外れてくれない状況に身を置きたい。それはきっと殿下だけでなく僕にも焦燥と飢餓に近い興奮を与えてくれるだろう。焦れったいまでの熱を想像するだけで体の奥がむず痒くなってくる。


(それに、閨の本にもそういう刺激は必要だと書いてあったしな)


 学んでいたときは「そういうものなのか?」と思ったが、実際に結婚してみると「なるほど」と腑に落ちるような気がした。


「ふむ、それもいいかもしれない」


 殿下の口角がクッと上がった。普段の柔らかい笑みと違い、野性味溢れる表情に胸が高鳴る。

 殿下もこういう表情をすることがあるのだと気づいたのは、シュオーネを身ごもった発情のときだ。その後も何度か目にしたことはあったが、こうして正面からしっかり見たのは初めてかもしれない。すべてを支配するαらしい顔つきに、僕の背中をぞくぞくしたものが這い上がった。


(そうだ、これが僕の選んだ僕だけのαだ)


 すべてを圧倒し支配するαが僕だけを欲している。そう考えるだけでお腹の奥がじくじくと熱くなり、甘いバニラの香りがじゅわりとにじみ出るような気がした。

 この日の夜、発情していないにも関わらず僕のほうから殿下を誘った。発情のとき以外でもベッドを共にすることはあったが、いつもより激しくなってしまったのは二人とも多少なりと興奮していたからに違いない。

「首飾りを外すのは発情してからだ」と言った殿下は、それでも噛みたい気持ちが抑え切れないのか、花の透かし模様のあたりを何度も噛んできた。僕はそのことに信じられないくらい興奮した。

 のど仏はある意味急所だ。生存本能を刺激される場所だからか、うなじを噛まれるときとは違う恐怖と、なぜか頭を突き抜けるような快感が体を駆け巡った。

 数日後に迎えた発情では、残念ながら殿下が首飾りを外すことは叶わなかった。仕組みには気づいたようだが、興奮しすぎて力加減がうまくいかず小さな青い石を掴むことができなかったらしい。発情後の「指先の訓練でも始めるか」という殿下の言葉には笑ってしまったが、真剣な表情を見る限り本音だったのかもしれないと思い直した。

 それから予想どおり僕は忙しくなり、誕生日が過ぎて春の気配が近づいてもつぎの発情は来ていない。リュネイル様が「三月みつきに一度くらいは発情が来るものですが」とおっしゃっていたから、僕はやはり普通のΩとは違うのかもしれないなと思った。




 僕はいま、王太子妃としての仕事を学びながら執務をこなす日々を送っている。たまにノアール殿下が心配そうな眼差しを向けてくるが、こうして王太子の執務室で仕事をするようになってからは小言を言われることもなくなった。

 日々やり甲斐と不甲斐なさを感じながら仕事をこなしていたある日、めでたい話が飛び込んできた。なんとペイルル殿が懐妊したのだ。ルジャン殿下のところは弟二人もすでに妃を迎えているそうだが、兄弟では初の妃の懐妊なのだという。


「ヴィオレッティ殿下のところも王子が二人いるし、子が生まれにくいという話はどこへいったんだか」


 ペイルル殿への贈り物を確認しながら、ついそんな言葉が漏れてしまった。

 僕と近い時期に懐妊したヴィオレッティ殿下の妃二人は、シュオーネが生まれたふた月ほど後に王子を生んだ。懐妊が近かったからか数日違いで生まれた王子たちは、まるで双子のように育っている。

 シエラもシュオーネも、活発で明るい二人の王子とは兄弟のように仲がいい。そこにルジャン殿下の子が加わればさぞかし賑やかになることだろう。


(しかし、そうなるとますますヴィオレッティ殿下にいいように言われてしまうな)


 積極的に執務をこなすようになった僕は、以前よりもヴィオレッティ殿下と顔を合わせることが多くなった。外交の場での作法や対応の仕方を学ぶためなのだが、会うたびに「ビジュオールの歴史を書き換える女神だ」と言われている。

 大国の歴史を変えることなど僕には到底無理な話だ。直系に近い王族に子が次々と誕生するのも僕が何かしたからではないし、たまたまの可能性のほうが高い。そもそも女神という呼び方はどうなんだと言ってやりたいくらいだ。


(たしかにΩだけど、僕はれっきとした男だぞ)


 挨拶代わりのようなものなのだろうが、ニヤニヤしながらそう口にするヴィオレッティ殿下を思い出すたびにイラッとしてしまう。


(そういえば、僕の絵姿をお守り代わりに持つ民が増えたとかも言っていたか)


 しかも“子宝安産守り”や“商売繁盛守り”としてらしい。僕からはほど遠い言葉にため息をつきたくなる。


(それにしても、お守り用の絵姿とはどういうものなんだろうな)


 結婚式のあとに出回ったという絵姿も気になったが、今回の絵姿のほうが何倍も気になる。おそらく小さな肖像画のようなものなのだろうが、そういう類いの絵は僕も描いたことがない。どういう感じなのか画家として見てみたいところだが、なぜか殿下が頑なに取り寄せてくれないため確認できないままだった。

 理由は「ランシュが描き直すと言い出したら困る」ということらしいが、僕が絵を描くことはとっくに知れ渡っている。いまさら隠す必要などないのに、問題はそこではなく本物そっくりに描いてしまう僕の画家としての腕なのだと言われて意味がわからなかった。


(しかも「ラン殿下の可愛さがこれ以上広まるのはよくないです」なんて、シエラまで何を言っているんだか)


 ああいうことを言うときの口調や表情は、まるでノアール殿下そのものだ。ノアール殿下も「間違いなく優秀なαになる」と口にしている。シエラのほうも「父上のようなαになります」と誇らしげに宣言するくらいで、二人の仲は僕が心配する必要などまったくないほど良好だ。

 そんな二人なのに、シエラが僕に「可愛い」と言うときだけ殿下の目が厳しくなる。殿下を見るシエラの視線も若干鋭いように感じるのは僕の気のせいだろうか。だからといって不仲になることはないようで、そういう部分もα同士だからなのかもしれないと思うようになった。


(でもって、二人が睨み合っていると必ずシュオーネが間に入るんだよな)


 最近は言葉が達者になったからか、ノアール殿下の手を握り締めながら「怒らないで?」と言うようになった。いつの間にそんな可憐な仕草を覚えたのだろうかと驚くばかりだが、ふと「これが生まれつきのΩなのかもしれない」と思った。

 おそらくシュオーネはΩだ。確証はないが、僕のΩとしての本能がそう訴えている。そのせいか、シュオーネが殿下に甘える姿を見るとお腹の奥がざわつくこともあった。同時に、同じ男のΩとしてしっかり見守らなくてはという強い気持ちにもなる。

 シュオーネがΩだと確認されれば、王太子の元に初めて男のΩが生まれたことになる。何度も文書を読み返したが、国王の子に女性のΩはいるものの男のΩが生まれた記録はどこにもなかった。ということは、ビジュオールの歴史上初の出来事が起きるということだ。

 シュオーネが正式にΩだと確認されれば周囲はますます騒がしくなるだろう。王太子の二人目の子だというだけでも注目されているのに、それ以上の騒動になることは容易に予想がつく。好奇の目で見られることもあるだろうし、そのせいで悩むことも増えてくるに違いない。


「子を守るのは親の役目だ。これから生まれる子たちのためにも、αもΩも生きやすい国にしなくてはな」


 改めてそう思い拳を握りしめたところで、肩をポンと叩かれてハッとした。


「相変わらず我が妃は勇ましいな」

「殿下」


 しまった、思わず口に出してしまっていた。慌てて贈り物一覧をテーブルに置き、明日の会食に出席する外交団の一覧を手に取る。

 そもそも最初はこの一覧を見ながら名前や肩書きを覚えようとしていたのだ。そこにペイルル殿への贈り物の確認を頼まれたことで、思考がすっかり明後日の方向へ流れてしまった。


「明日はヴィオも出席する。そう気負わなくていい」

「念のためです」


 たしかに会食の場なら難しい外交の話は出ないだろうが、僕としては絶対に失敗できない事情があった。

 明日会う外交団は、アールエッティ王国から数多くの芸術品を買ってくれる大口の顧客、もとい大きな国だ。中央辺りに広い領土を持つ彼の国とアールエッティ王国は長く良好な関係を保っており、祖国は今後ともその縁を失いたくないと考えているはずだ。

 僕はアールエッティ王国の王太子ではなくなったが、先方は僕のことを知っている。その僕が何か失敗すれば、ビジュオール王国とアールエッティ王国の両方に迷惑をかけることになってしまう。


「大丈夫だ。王太子時代の経験があるランシュなら難しい相手ではないだろう」

「たしかに彼の国の王弟殿下や数人の貴族の肖像画を描いたことはありますが、外交で接したことはありません」

「柔軟に対応できるランシュなら問題ない。わたしはわたしの妃を心から信じているし、能力も高く買っている」

「あ、りがとう、ございます」


 どうしよう、頬が熱くなりそうだ。執務中だというのに殿下の顔を見ることができなくなる。

 年々貫禄が増しているノアール殿下は「建国王の再来だ」とまで言われるほどになった。王族や貴族だけでなく民たちからも広く尊敬され、いずれは優れた王として歴史に名を刻むだろうとも言われている。

 そんな殿下に高く評価されることは王太子妃としてとても名誉なことだ。それに小国の元王太子でしかない自分が大国の王太子に認められるのは考えられないことでもあった。そう思うと、喜びと同時に誇らしげな気持ちがわき上がってくる。


「不安を完全に払拭するのは難しいですが、我がビジュオール王国のためにできる限りのことをします」


 右手でグッと拳を握りながらそう答えると、一瞬見開かれた殿下の黒目が優しく微笑んだ。


「そうだな。我がビジュオール王国のために二人で手を取りながら歩んで行こう」


 殿下の柔らかくも力強い声と、僕を見る信頼に満ちた眼差しに胸が熱くなる。アールエッティ王国の王太子だったときには感じなかった高揚感、それに愛しい人に信じてもらえる満足感に鼓動が少しだけ速まった。

 僕はこれからもノアール殿下の隣に立ち、殿下を助けていく。同じくらい強い気持ちで子どもたちも見守ろう。それが僕の王太子妃としての役目だと改めて誓った。

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遅咲きオメガ王子は婚活に孤軍奮闘! 朏猫(ミカヅキネコ) @mikazuki_NECO

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