第3話
「未空叔母さん、待たせたね」
独り身の未空が早めに入居しておいた、老人向け介護付きマンションのラウンジにきてくれたのは、未空の後見人になってくれている兄の長男、つまり未空にとっては甥にあたる圭一だった。
「とんでもないわ。遠くからわざわざありがとう、圭一くん。でも本当に久しぶりね」
車椅子に座りつつそう答えた未空だったが、つい圭一の真っ白になった髪の毛に目が行ってしまった。
圭一は未空の視線を感じて、笑顔で頭を軽く叩いて言った。
「二年ほど前からかな。急に白髪が増えだしたなあ、って思ってたら、あっという間に真っ白けだよ」
未空は、はーっと感心したように息を吐いた。
「あの圭一ちゃんがねえ。私にはあなたが、赤ちゃんだったころの印象がまだ残ってるっていうのに」
「ちゃん付けは勘弁してよ、未空叔母さん。こっちは赤ん坊は赤ん坊でも、赤ん坊の孫がいるんだよ? 正真正銘、名実ともにお爺ちゃんなんだから」
亡くなった未空の兄に似た顔で、陽気に笑う圭一を見ていると、目尻を下げて孫を可愛がっている姿が目に浮かぶ。
しかし、そんな圭一の表情が堅くなり、わずかに歪んだ。
「それで、病院で検査の結果を聞いてきたんだけど」
「……良くなかったのね」
けれどもそう答えた未空の表情は、決して暗くはなかった。
圭一は、医者から渡された検査結果用紙を未空に差し出し、未空は老眼鏡をかけてそれを読んだ。
一読して、未空は瞬間、驚き、そして柔和な笑みを浮かべた。
「……未空叔母さん?」
「あら、ごめんなさい。結果が悪くて喜んでいるわけじゃないわよ? いくら十分すぎるほど生きてきたからって、それでも圭一くんたちとお別れするのがつらくないわけないじゃない。ただね……」
「ただ?」
未空は、ふう、と息を吐いてからこう言った。
「運命って、やっぱりあるんだなって思ったの。まさかあの人と、同じ病気にかかるなんてねえ……」
「あの人って?」
「ないしょ。でもその人はね、私に、人間の命なんてはかないものだから、今を精いっぱい生きることを教えてくれの」
「もしかしてその人、若くして亡くなられたの?」
「……そうよ」
「そうか、同じ病気でかあ……」
圭一はそう言ってから、右人差し指の先を、左手首にこすりつけた。
未空があっと思う間もなく、圭一の目の前に立体画面が現れた。
圭一が未空の病名を画面に向かって話しかけると、小さなロボットのホログラムが現れ、圭一にしゃべりかけた。
「お尋ねの情報はすべて把握しました。それでは御用をお伺いします。どうぞおっしゃってください」
圭一は、未空の検査結果用紙をホログラムのロボットに見せた。
「これ、若い人でもかかることがあるの?」
「まれにですが、症例はこの国にもあります。なお、年代別の罹患率はこのとおりです」
ホログラムのロボットがグラフを映し出した。
未空はその映像を車いすから覗きこみながら、ため息をついた。
「携帯端末って、いったいどこまで進化していくものなのかしら? 私のこれなんて、まさしく骨董品ね」
未空が懐から取り出したのは、もちろん未空と美玲をつないで、そして今もなおつなぎつづけている、あのスマートフォンだった。
「未空叔母さん、ほんとにその、スマホっていうの? 大事にしてるよね、昔から」
「だっておばさんにとってこのスマホは、この世界の中では、一番大事なものなんだから」
「お守りみたいなもの? 思い出の品?」
「……どっちでもないかな」
未空はつい、二人の愛の結晶よ、と答えそうになってしまっていたのだが、しかし総白髪の甥っ子相手に、老婆が語るにはふさわしくないセリフだと、なんとか自重したのだ。
それから未空は、車いすを回転させて、圭一に向かって言った。
「ねえ、圭一くん。私はこれから、一生懸命病気と闘ってみるつもり。やすやすとあの世に行かされるつもりはないわ。
でも、私もこの通りの年だし、遠からず死神の餌食になってしまうことは避けられないでしょう?
だからそのときはね、私と一緒に燃やすのは、このスマートフォンにしてほしいの。そして、これは焼け残るでしょうから、骨壺には私の骨と一緒に入れてほしいのよ。ねえ、お願いできるかしら?」
「……その日が、出来るだけ遠くにあるっていうんなら」
「約束するわ。私、頑張るから。だって頑張らないと、あの人に面目が立たないもの」
「あの人って、その、若くして亡くなった方?」
未空は無言でうなづきつつ、そうよ、私が誰より愛する人で、人生を共に歩いてくれている人、と心の中でつぶやいた。
その日の夜、未空はいつかのように優しい夜に包まれて、遅くまで施設のベッドで起きていた。
未空はスマホを取り出すと、小さな声で語りかけた。
「やっぱり私たちって、お互い運命の人だったのね。同じ病気になっちゃうだなんて」
しかし、スマホの向こうの美玲の声は、心配そうだった。
「でも、本当にがんばってね、未空。だってあなたまで死んでしまったら、こうして話が出来るかどうか、わからないんだから」
未空もそれを恐れていた。
未空も死んだ後、美玲のようにどこだかわからない、暗い、一人きりの場所に閉じ込められてしまうかもしれない。
それは怖い。
美玲と自分を結ぶきずなのすべてが千切れて、本当の意味で離ればなれになってしまうことが何より怖い。
けれども未空は勇気をふるった。
「もしそんな日が来ても、私、ぜったい叫び続ける。私の声があなたに届くまで」
未空の力強い言葉に励まされて、美玲も言った。
「私も、何回だって未空、未空って呼び続けるわ。私はここよって。あなたはどこって。また出会える時まで、必ず、ずっと、繰り返し、何度でも」
美玲の言葉を、未空は胸の奥深くに大切にしまいこんでから、スマートフォンにキスをした。
きっと美玲も今、向こうの世界から同じようにキスをしてくれている。
未空にはわかる。
だって。
未空は思い浮かんだ言葉を口には出さず、骨董品になってしまったスマートフォンを、ありったけの想いを込めて柔らかに抱きしめた。
優しい夜と夜のあいだに 青木 赤緑 @haruhara_m
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