第2話

 美玲のお通夜の日から届き始めた、美玲名義のメッセージは、未だにどうやって返事を出せるのかがわからない。


 いたずらなんかじゃなく、絶対に美玲があの世から送っているのだという確信はあるのだけれど、何をどうやっても、返信が出来ないのだ。


 どうしたらいいんだろう。

 誰か教えてほしい。

 未空はわらにもすがる思いで、アプリのヘルプデスクをコールしようと、音声をONにした。


 美玲からのメッセージの着信音が、未空の耳に入る。

 未空の親に、うるさいから夜は音を切れと言われているのだけれど、今はこんな音でもいいから、美玲の残した跡を感じ取りたい。


 そしたら、着信音に紛れて、声が聞こえた。

 とても小さな声。

 けれどそれは、未空が聞き逃すはずのない声だった。


 未空は必死に呼びかけた。


「美玲? 美玲でしょう? どこにいるの? 私よ、未空よ! お願いだから声を聞かせて!」


「……未空……?」


 泣いていたせいだろうか、少しくぐもった声だったけれども、確かに美玲の声だった。


「そうよ、私よ、未空よ……」


 未空の目から、枯れたと思っていた涙が、またあふれはじめた。






 その日から未空は、人が変わったようになった。


 まず、苦手だった勉強に、人一倍熱心に取り組むようになった。

 クラスメイトは一体なにごと? と驚いたのだけれど、未空はしれっと、私一生独身でいるから、経済力をつけておきたいのと答えて、皆をさらに唖然とさせた。


 それだけではない。

 それまで未空は、部活である美術部には熱心に通っていて、友達付き合いもよかったのに、あの日以来よく休むようになった。


 そのかわり放課後、街中や川べりだとか、いろんなところで未空が一人で歩いている姿を、友達や知り合いに目撃されるようになった。



「なんかさ、ハンズフリーで誰かとしゃべりながら歩いてるの。ずーっとよ?」

「相手は誰かな?」

「そりゃあ、彼氏じゃない? だってすっごく楽しそうだったもの」

「なんでデートしないんだろ?」

「遠恋なんじゃない? ネットかなんかを通じて知り合った相手とか」



 もし未空がこんな噂話を聞いていたら、結構鋭いな、当たらずとも遠からずだわ、なんて思ったかもしれない。

 けれど未空は、そんな外野の声など耳に入らないほど、美玲との会話に夢中だった。


 通話先の美玲としゃべるのも、そして真っ暗闇の中にひとりぼっちでいる美玲のために、未空が歩いているところがどんなところで、どんな景色で、空気の感じだとか、香ってくる匂いだとか、周りにいる人々の様子だとか、美玲には感じ取れないことを伝えるのも、みんな楽しい。


 美玲がその代りに、未空のスマホから聞こえてくる音について、色んな表現で音だけの世界の素晴らしさを伝えてくれるのも、胸がわくわくする。


 未空が、目の不自由な人と付き合うのと同じようなものかしら、と美玲にたずねると、きっとそれに近いと思うわ、という言葉が返ってきた。


 もちろん、未空ありがとう、愛してるわという言葉を添えて。

 だから未空は、私も愛しているわ、ありがとう、と返事をした。



 もう一つ、未空に起った変化は、周囲にとってはささいなことだったが、未空にはとても重要なことだった。

 未空は、日常生活用に、新たにスマホを登録して、美玲とつながることが出来るスマホは美玲専用にして、本当に大事に扱うようになったのだ。


 電池を充電しすぎないようにしたり、もしもの時のために衝撃に強く防水も厳重なケースに入れたりして。


 それでもいつか、スマホには寿命が来る。

 でも、高校生になってはじめて買ってもらったスマホだから、すぐに壊れたりすることなんてないだろう、その間になんとか対策を立てなくちゃ、と未空は思っていた。




 けれども、時が経つのは早い。


 大学に入り、なんとか就職できた未空は、しかし日に日に充電が切れるのが早くなっていく美玲専用スマホに、ひやひやし通しだった。


 電池を替えようか、と思わないでもなかったけれど、なんだかスマホ全体が奇跡の品そのもののような気がしていたので、ちょっとした変更のせいで、美玲と連絡がとれなくなったらどうしよう、という恐れが、未空に二の足を踏ませていたのだ。


 そしてある日、未空が仕事を終え、一人暮らしのワンルームマンションに帰った時、鞄から取り出した美玲専用スマホの電池が切れて、シャットダウンしてしまっていることに気がついた。


 未空は真っ青になって充電ケーブルを電源コンセントにつなぎ、祈るような気持ちで再充電を待った。

 しかしいくら待っても、一向にスマホが立ち上がる気配はない。


 未空は泣きそうな声でスマホに呼びかけた。


「美玲……返事してよう……」


 すると、スマホからあっけらかんとした声が返ってきた。


「あれ? 未空、私を呼んでた? ごめんね。でも私、聞き逃してたかなあ?」


 未空はびっくりして尻もちをついてしまったが、そのままの姿勢で美玲に言った。


「美玲、ちゃんと通じてるの? でも、電源入ってないんだよ? 電池が切れちゃったんだよ?」


 すると美玲は、なんだか済まなさそうな感じで、『ああ、そうなってるのね、そっちでは』と言ってから続けた。


「あんまり未空がスマホを大事にしてくれてるし、私だって確信があるわけじゃないから黙ってたんだけど、私と未空が話せるの、電池とかスマホの機能とか、関係なくない?」


「え、そうなの?」


「いや、だってさ、普通に考えて、電気と電子回路で死後の世界と通信出来たら、ノーベル賞どころの騒ぎじゃないじゃない。だからたぶん、何かもっと不思議な力が働いてるんだろうなあって、私は思ってたよ?」


 言われてみればもっともな話だ。


 未空は自分で自分のことを、お腹を抱えて笑った。

 美玲は、でも気持ちは嬉しかったのよ、とフォローを入れつつも、でもやっぱり笑っていた。


 けれどもせっかく二人の間をつないでくれたスマホだから、スマホとしての機能は失われても、今まで以上に未空は大事にして、必ずスマホを通じて美玲と話をしたり、一緒に散歩をしたりした。


「まるで、私たちの子供みたいに扱うのね」


 ある時美玲がそう言ったら、未空は、


「私たちの愛の結晶だという意味では、当たらずとも遠からずだわ」


 と、誰かに聞かれたら大笑いされてしまいそうな大時代的なセリフを、しかし大真面目に語った。


 美玲は、そんな未空がかわいいと、改めて思った。




 こうして、未空と美玲の生活は続いて行った。

 もちろん、いつも順風満帆というわけにはいかない。

 時に未空の仕事が泣きそうなほど大変だったり、お金に苦労したり、未空がずっと独身でいることについて、要らぬ心配をされたり、悪質な陰口をたたかれたりもした。


 だけど未空は何度でも、すぐに立ち直れた。

 美玲が居てくれれば、そんなこと、ほんの些細ささいなことに過ぎなかったからだ。



 けれど、時間というものは、誰に対しても平等に、そして無慈悲に襲いかかってくるものだ。


 もちろん、未空に対しても。

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