優しい夜と夜のあいだに

青木 赤緑

第1話

 夜がこんなにも優しく感じられるのは、ボロボロになってしまった私を、ひそやかな静寂が抱きしめ続けてくれているからだろうか。


 だって、もしもこんな夜でなかったならば、やせ細った私の心は、とっくの昔に枯れ枝のように、ぽきりと折れてしまっていたに違いないから。


 眠れない土曜の夜に、香嶋未空かしまみくはそんなことを思いながら、月明かりが差し込む自分の部屋で、情け容赦なく襲い来る哀しみが、一刻も早く過ぎ去ってくれますようにと、一人静かに耐え忍んでいた。


 この世界が嘘でまみれているならば、もう一つの嘘を加えてほしい。

 そんな叶わぬ願いをいだきつつ、けれど彼女は孤独と無力感に押しつぶされそうだった。


 音声をOFFにしたスマートフォンが、それでも私はここにいますと、訴えかけるように何度も光る。


 未空は、この世でないところから送られてくるメッセージを受信し続ける、けなげなスマホを手に取って強く握りしめ、祈るような気持ちで画面をタップした。



 助けて。

 助けて。

 私を助けて。

 真っ暗なの。

 私の他に誰もいないの。

 誰か何か話しかけて。

 お願い、私を一人にしないで。



 もう未空にはどうすることも出来ない、スクリーン越しの訴えが、えぐりつくされた彼女のこころを、さらにちくりちくりと、針のように突き刺していく。

 今が夜でなければ、未空はまた泣いてしまいそうだった。


 何度も開いたメッセージを繰り返し読みながら、何もできない自分が情けなくて悔しくて、強く下唇を噛んだ。



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 未空の親友の志水美玲しみずみれいが通学途中、突然座り込んで、苦しい、と小さくつぶやいたのが半年前。

 検査入院することになったと、美玲の母親から連絡があったのがその日の夜。

 けれど未空は翌日、お見舞いに行った病院の医師たちの様子から、そんなのは嘘だと感じ取ってしまった。


 未空は揺れた。


 でもやっぱりそんなのは私の思い違いだと、作り笑顔で美玲のお見舞いを続けた二週間。


 けれど未空の一縷の望みは、しかしほんのちょっとした偶然で破られてしまった。

 病院の中庭の片隅で、美玲のご両親と担任の先生が、美玲の病状について話しているのを、幸か不幸か耳にしてしまったのだ。


 未空は、そのことを美玲は知っているのかと、先生を問い詰めた。

 すると先生に代わってご両親が、手術を受けるのでその説明の際に告知されたと、教えてくれた。


 ただ、美玲があまりにも動揺を見せないのが、逆にとても心配なのだ、ともおっしゃっていた。

 ご両親の悲痛な表情が、親を悲しませまいと、美玲が気丈に振る舞ったからだということを、未空に伝えてくれた。


 その日未空は、生まれて初めて、夜じゅう寝ないで泣き続けた。


 翌日のお見舞いでは、未空はまだ泣きそうな想いでいながらも、けれど一番苦しいのは美玲なんだからと、歯を食いしばって、笑った。

 けれど美玲は、腫れぼったい未空のまぶたを見て、すぐに彼女が自分の病気のことを知ってしまったことに気づいたのだろう。


 美玲は病気のことは何も言わず、ただちょっと、内緒の話しをしたいからと同席していたご両親に断って、病院の階段の踊り場に未空を連れて行ってから、注意深く周りを見渡しこう言った。


「私、ほんとは未空と友だちなんかじゃないかもしれない」


「え?」


 突然の美玲の言葉に、未空はショックを受けた。

 けれど、そんな未空を見て慌てたのは、美玲の方だった。


「ああ、違うの違うの。そういう意味じゃないの。ああ、まずったなあ……やっぱカッコなんてつけないで、素直に言えば良かった」


 美玲はそうつぶやいてから、気をつけ、みたいにまっすぐ立って未空に言った。


「あのね、友だちじゃないかもって言ったのは、私は未空を、『愛してる』じゃないのかなあって、ずっと考えてたってこと。驚かせてごめんね」


 そう告げた美玲はやっぱり優しくて、未空が突然のことですぐには答えるべきことを答えられなかった様子を見て、やわらかに微笑んでこう言ってくれた。


「でも私、これから闘病しなくちゃだから、自分の中で答えを出そうとするの、しばらくやめにしとくね。それだけ。それだけは未空に伝えておきたかったの」


 そう言って美玲は照れたように後ろを向いて、立ち去ろうとした。

 しかし未空は、後ろを向いた美玲の腕をとって、なんとか自分の気持ちを伝えることができた。


「私もそうだよ。未空のこと、『愛してる』かもしれないって、ずっと思ってた」


 びっくりした顔で振り返った美玲の様子が、なぜだか少しおかしくって、未空は自然に微笑むことが出来た。


「だから私も、自分の本当の気持ち、追及するのお休みしておく。美玲の病気が治るまで」



 しかしほんとうは、何も言わなくてもよかったのだ。

 なぜなら二人とも、目と目でお互いの気持ちを確認しあっていたから。

 ただ、二人ともが抱き合いたいのを我慢したのは、美玲の病気さえ治れば、という希望があったから。

 そしたら言葉にして、もう友だちじゃなくなろうって言えたはずだから。



 だけど、今にして思えば、あの時美玲を抱きしめておけばよかった、と未空は思う。

 それで悔いが残らないのかといえば、全然そんなことはないのだけれど、でもせめて、という思いが未空の胸に去来する。


 失ってみれば、この気持ちが『愛してる』以外の何物でもないことなんて、当たり前に、自然に、疑いなく分かる。


 むしろ、なぜ美玲を失ってしまうまで、「かもしれない」だなんて言い訳していたんだろうと、自分で自分を呪いたくなる。


 きっと美玲は、『愛してる』とちゃんとわかったうえで、未空に告白してくれたのだろうに。


 でも、すべてはもう遅いんだ。


 憔悴のあまり学校どころか、部屋の外にもろくに出られなくなっていた未空は、しかし美玲の四十九日の法要には、制服ではなくちゃんと喪服を着て出席した。

 けれども、お坊さんの読経の最中に倒れてしまった未空は、そのまま兄に家に連れ帰ってもらった。

 そしてようやく目を覚ましたら、もう夜だったのだ。


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