麦畑

スミンズ

麦畑

 6時間目が終わり、俺は案の定一人でそそくさと自転車置き場に行き自転車に乗る。さて、今日は本屋にでも寄って時間潰すかあ。そんなことを思ってペダルを漕ごうとしたとき、「高須くん」と女子の声がした。この声は、と思い振り向くと、そこには同じクラスの持田エルがいた。マスクをしているが、端正な容姿は把握できる。俺はなんか持田に呼ばれるような出来事があったろうか?と考える。いや、ねえな。


 俺は空耳だと捉えた。持田にペコリと頭を下げるとまたペダルを踏み込もうとした。するといきなり俺の首根っこを持田が掴んできた。


 「高須くん!無視って酷くない!?」


 「え、ガチで俺を呼んでたの!?」


 「こんな授業終了早々、自転車置き場にいる人なんて高須くんしかいないじゃん!」


 持田は半ば呆れた様子で俺を見る。俺は周りを見る。


 「確かに。まだ誰もいないね」


 「いないね、じゃないよ、ホント」持田は俺の首根っこを掴んでいた手を離すと、正門とは反対の獣道のようになっている裏口を指差した。


 「ちょっと、一緒にかえらない?うち、向こうなんだけど」


 「はい?」いきなりまるで青春の一コマのようなセリフを言われ、思考が静止しそうになる。だが、持田はまるでそんな一コマの余裕も与えずに、俺の後ろのキャリアに横に座ると右肩を俺の身体に預けた。そして「早く走り出さないと、きっとややこしいことになってくると思うけど?」と呟いた。


 「分かったよ!あの、しっかり掴まっててよ」


 「え、あー、うん」そう言うと持田は俺の胸の辺りに手をまわしてきた。それはなんかあまりにも自然に。


 あ、最高かもしんない。俺はグッとペダルを踏み込んだ。


 「そういえば、高須くんて家どこ?」耳元で持田が訊いてくる。


 「分かるかな?みどり公園の辺りだけど」


 「え!めっちゃ遠いじゃん」


 「うん、まあチャリ勢の中でもトップクラスに遠いと思う」


 「以外にアクティブなんだね」そう言うと持田は片方の腕を伸ばして指を指しながら「裏門出たら右ね」と言った。


 「もしかして俺は今タクシーの代わりをしているのか?」


 「まあそう言うこと」そう言うと持田はまた両腕を俺に絡み付けた。


 右折すると、小さな川が流れる閑静な住宅街に出る。田舎だから、滅多に車は通らないが初めての非行的行動に少し胸が切ない。初夏の風がまるでそんな心を中和をするように吹き付けている。


 俺はほんのりとした熱のようなものを感じる。それの正体は分からないが、じんわりと顔に汗がにじみ出てきた。運が良く、右手にコンビニが見えてきた。


 「持田さん、コンビニでも寄ろう。ジュースくらい奢るから」


 「気が利くじゃん」


 俺はコンビニ前で自転車を止めると「少し待ってて」と言ってコンビニに入った。取り敢えず冷たい麦茶があればいいだろと迷わずペットボトルを2本買うとすぐにコンビニを出た。


 「ほら」俺は1本を持田に渡すと、「ありがとう」と言って彼女は嬉しそうにキャップを開けた。二人ならんで立つ。


 持田はマスクを外す。思わず俺は彼女の方を見る。可愛い。というか何で今俺のとなりに持田がいるんだっけ?


 「どうしたの?」持田は不思議そうに訊ねてきた。


 「いや、持田さんの行動って以外に突拍子がないよね」


 「そう?でも楽しくない?こんなふうに帰るの」


 「まあ、楽しいけど」何故か持田とのやり取りが俺にとって違和感が無かった。決して今までクラスで話すような仲でも無かったのに、だ。不思議な心持ちのまま俺は麦茶を喉に流し込んだ。


 「やっぱり、高須君だなあ」持田は何故かしみじみと言った。


 「え、どういうこと?」


 俺がそう尋ねると、持田はまた表情を変えて、少し寂しそうに言った。


 「いつか、ああ。違うかな。私達さ、一緒に遊びに行ったことがあるんだけど、覚えてる?」


 「どこかでって、それはどこで?」


 「さあ、どこだろうね。だけど、その時の高須君と同じだなあって」そう言うと持田はフフっと笑った。もしかして意地悪でもして来てんだろうか。そんなことを思いながらまたお茶を飲む。


 「ごめん。全く記憶にない」俺がそう言うと、持田は突然、僕の正面に立つと、グッと俺の方を見詰めた。


 「ねえ。ホントにそうなのかな?」と真面目な顔で訊いてきた。当たり前だ。そう言いたくなったが、何故か自分の中でも、そういうのはなんか違う気がしたのだ。持田が可愛いから、話に合わせるためにそう思ったのではない。なにか、俺の心の隅の何かが、そう感じていたのだ。


 「エル。麦茶をいつも飲んでるならいっそ帽子も麦わらにしてしまえばいいのに」ふとそんなことを無意識に呟いた。言ってから俺は慌てて口を塞いだ。俺は一体何を言ってんだ!!


 だが、持田は嬉しそうに笑っていた。「やっぱり!やっぱり君は覚えていたんだよね!!」



 俺は目を開けた。ベットから体を起こすと、狭い部屋の中、一人だった。忘れたかった記憶を思い出してしまった。俺は枕元のティッシュを一枚ぬくと、自然と溢れていた涙を拭き取った。


 エル。違うんだよ。思い出したくなかったんだよ。だからあの時、俺は君にあげようとしたハンドメイドの麦わら帽子を燃やしたんだ。


 もうあれから10年。俺の時間は、高校時代からまだ動き出していない。そう信じていたかった。もとよりエルなんていなかった。そう信じていたかった。だけどそれじゃいけないってことなんだろ。


 エル。酷いよ。今更さ。あの頃から確実に、世界は変わってしまっているんだから。

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麦畑 スミンズ @sakou

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