第6話 雲外蒼天
教室の前にたどり着いたまりは、緊張をほぐそうと深呼吸をした。
昨日、大神神社の鳥居をくぐった先で目覚めたまりは、すぐに家に帰った。
突然帰れば、両親が大騒ぎをして、警察からも事情徴収される可能性もあると思っていたまりは、なんと言い訳すればよいのか頭を悩ませていたのだが…。
驚いたことに、まりがルプスエンパイアで約3週間過ごしていた間、こちらの世界はほんの10分ほどしか時間が進んでいなかった。
ある意味好都合で、そのまま何事もなかったかのように布団に横になったが、一向に眠気が来なかった。
ルプスエンパイアでは朝だったのだ。
完全に冴えてしまってた頭で、まりは学校のことを考えた。
果たして、約1年半もの間ずっとトラウマになってしまっていることに、いきなり立ち向かうことができるのか不安だった。
でも、ルプスエンパイアでは、レオや、共同でフェラデアになったリュコスとウォルクが自分の世界を変えるために戦っているのだ。
それなら自分も頑張らなくてはならない。
『まり、独りを恐れることは無い。今は独りだと感じていても、いつかまりの世界で、必ず自分のことを信じて支えてくれる人が現れる。まりのことを理解して、寄り添ってくれる人ができるはずだ』
自分の抱えていた不安を吐露した日、レオの言ってくれた言葉を思い出して、まりは胸を抑え、目を閉じた。
(大丈夫。もう私は独りじゃない。同じ世界にいなくても、心の中にレオがいてくれてる)
大丈夫。戦える。
「あ、まり~!さっきの授業のノート見せなさいよ」
「お、んじゃあたしもー」
「私にもー」
ほのかがまりを呼ぶ。先ほどの授業では、由理奈や沙希とおしゃべりしたり寝たりしていて、授業を聞いている様子は全くなかった。
まりは深呼吸すると、何も持たずに、ほのかの席まで向かった。
周りの生徒たちは、まりに憐みの視線を向けてくるが、誰も何も言ってこない。
前はこの視線が嫌で嫌で仕方なかった。
でも、今は関係ない。
何も持たずにやって来たまりに、ほのかたちが眉をしかめた。
「はぁ?なに、聞こえなかったわけ?ノート見せろって言ったのよ。さっさと持ってきなさいよ」
由理奈の強い口調にまりは一瞬ぐっと怯んだが、体の脇で拳を固く握りしめると、声を張って言った。
「板書する気のなかった人に見せるノートは無いわ」
「は…はぁ⁉」
今まで何を言っても反論してくることのなかったまりの反撃に、ほのかたちは一瞬驚いた顔をした。しかし、すぐにその目を吊り上げた。
「口の利き方がなってないわよ」
「都会出身だからって調子乗るんじゃない!!」
ほのかがゆらりと立ち上がってまりを見下ろした。ほのかの方がまりよりも上背があり、隣で並ぶと自然とほのかがまりを見下ろす形になるのだ。
「ジュース買ってくれば、さっきの言葉も見逃してあげる」
こうすれば、今までのまりは震えながら言うことを聞いていた。
しかし、今のまりはそんなことではひるまない。
キッとほのかを見上げて睨みつけた。
まりが見上げているにも関わらず、ほのかは今までのまりでは信じられないほどの圧を感じた。
「いやよ。自分で買ってきなさい。それくらい自分でできるでしょう。子供じゃないんだから」
まりの言葉にあっけにとられた3人は、しかしその言葉の意味を理解して羞恥に顔を真っ赤にした。
「お、お前…⁉あんたは大人しく言うこと聞いてればいいんだよ!!」
「私は私。私が自分の気持ちに正直になることを、誰にも止める権利なんてない!!」
まりの叫んだ言葉に、周りで見ていた生徒たちがハッと息を吞んだ。
そして、それを言われたほのかたちはもはや怒りで顔を赤く染め上げていた。
「あ、あんた、私たちにそんな口きいて言い訳⁉そんなこと言うなら、あんたなんてメンバーから外すわよ⁉」
それは、実質まりが孤独になるということだった。
しかし、まりはそんなほのかの言葉にもひるまず、悠然と返して見せた。
「いいわ。あなたたちの仲間なんて、こっちから願い下げよ!!」
「な…!」
「それじゃ、さようなら」
まりはそう言うと、ほのかたちに背を向けた。
その後ろ姿からは、もう昨日のようなおどおどした印象はなくなっていた。
(い、言った…!言えた…!!)
教室を出たまりは、人気の少ない廊下まで行き、壁に手をついて体を支えた。
心臓がバクバクとうるさい。
正直、全く怖くないわけではなかった。
強気なことを言っていながら、その実、体も心も震えていた。
それでも、今までぶち破れなかった悪魔の壁を壊すことができた。
きっと、これが新たな一歩となるのだ。
ホッと息をついたところで、まりは背後に人の気配を感じた。
「あ、あの、朔陰さん…!」
その声を聞いて、まりはいぶかし気に振り向いた。
そこには、肩くらいまで伸びたふんわりした黒髪を下ろし、どこか自信なさげな雰囲気で立っている少女がいた。
彼女のことは知っている。
同じクラスメイトの、葉月望だ。
「何?葉月さん」
望はもじもじとしてなかなか用件を言い出さなかったが、やがて意を決したように口を開いた。
「あの、さっきの…すごく、かっこよかった!」
「え…」
望は物静かな性格で、本ばかり読んでいるイメージだった。今まで何かに興奮して声を上げるということはしなかった。
ましてや、こんなキラキラとした表情は見たことがない。
初めて見る望の様子に、まりは若干引き気味になりながら首を振った。
「全然かっこよくなんてないよ。ああ言いながら、実は震えちゃってたし…」
「ううん、今まであの人たちにあんな風に言える人っていなかったの。でも朔陰さんは言った。ほんとに、すごいことだし、かっこいいって思う!」
望はそう言うと、悲し気に瞼を伏せた。
「あの、朔陰さん、ごめんなさい。今まで朔陰さんが、雪野さんたちに色々ひどいことされてるの分かってたのに、助けようとしなかったの。自分がいじめられるのが怖くて、ずっと見て見ぬふりしてた」
望は頭をバッと下げた後、顔を上げてまっすぐにまりを見た。
「でも、それじゃいけなかったんだよね。勇気を出して、ダメなことはダメって、はっきり言わなきゃいけなかったのよね。それが、今やっとわかった。朔陰さんのおかげだよ。ありがとう」
そう言って笑みを見せた望に、まりもつられてほほ笑んだ。
自分の行動がどんな結果をもたらすのかはまだ分からない。もしかしたら嫌がらせがエスカレートして、また転校したくなるかもしれない。
でも、自分の行動によって誰かの心を動かせたのだとしたら、それはそれで良いことなのだろう。
まりは、廊下の窓から空を見た。突き抜けるような真っ青の空に、優しい日差しが降り注いでいる。その温かさは、別れる直前に感じたレオのぬくもりに似ていた。
――レオ、私、頑張ったよ。
☆☆☆☆☆☆☆
桜吹雪が舞う中、まりは新しい制服に身を包んで、桜の木の下にたたずんでいた。
そこに、まりの着ている制服と同じ制服に身を包んだ、肩より少し下まで伸びた黒髪をなびかせながら走ってくる少女がいた。
「まり、お待たせ~!!」
「望、遅―い!!もうちょっと遅かったら先行こうかと思ってたよ」
「えええ⁉ごめーん!!」
呆れたような口調のまりに、少女――葉月望は顔の前で勢いよくパンッと両手を合わせた。そんな親友の姿を見て、まりはぷっと吹き出して手を振った。
「うそうそ、大丈夫。まだ時間に余裕あるし。そんな慌てなくてもいいよ」
「ええ、冗談だったの⁉ちょっとまり~~!!」
「約束の時間に遅れる望が悪いのよ~。ほら行くよ!入学初日から時間ギリギリ登校なんてイヤだからね!」
2人は談笑しながら桜のカーペットの上を歩き始めた。
ルプスエンパイアでの旅を終えてから、早2年が経過していた。
まりは中学校を無事に卒業し、この春から高校生で、今日はその最初の日である入学式だ。
また新しい生活が始まる。
何が待ち受けているのかは分からない。
でも、自分の中には、あの日の不思議な体験の思い出が、レオの言葉がずっと残っている。
そして、今は信頼できる人がいてくれる。
何度立ち止まりそうになっても、折れそうになっても、立ち上がって乗り越えていくのだ。
ふと顔を上げたまりは、青空の中に、白くて丸い月が浮かんでいるのが見えた。
その月の姿が、自然とレオの姿と重なる。
今レオは、ルプスエンパイアで何をしているのだろうか。
もしかしたら、ルプスエンパイア以外の世界との交流が始まって、毎日忙しい日々を送っているのかもしれない。
それを確認するすべはもうない。
それでも、思いをはせることはできる。
レオのことだ。
まりの予想と違わず、毎日頑張っているのだろう。
だから、自分も頑張ろう。
毎日、一歩ずつ前に進んでいき、成長していくのだ。
『まり、頑張るんだぞ』
桜の咲き乱れ、舞い散る道を歩く後ろで、レオの声が風に乗って聞こえた気がした。
―― 神獣 終わり――
神獣~フェラデア~ 霜月日菜 @shimohina
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