第5話 大器晩成

 翌日。


 早朝から、まりとレオはスビトー族の領土を出て、ウーム族の領土に足を踏み入れていた。昨日会ったフェラデアに、自分の住処に来るよう呼ばれていたのだ。


 ついにフェラデアが決まる。


 その重大さは、ウーム族の領土に入った瞬間から感じていた。

 どこか昨日とは違う空気の張りつめた雰囲気が、ウーム族の領土全体に漂っているようだった。恐らくそれは、テクニカ族の領土でも同じことだろう。


 さすがにフェラデアの招待を受けていることもあって、昨日のように捕縛されるということは無かった。


 しかしあまり友好的とは言い難い視線をそこら中から受けたが、まりとレオはそれに怯むことなく、まっすぐに前を向いて歩いた。




 フェラデアの住処は代々受け継いでいるものだというだけあって、特別立派な物だった。


 人間界の一軒家丸々一つ分は入るのではないかと思えるほど大きな岩の中は、たくさんの部屋につながっていた。


 まりたちはそのうちの一つの部屋に通されていた。


 壁に何やらよく分からない飾り物がされていることから見て、恐らく謁見の間という所なのではないかと予想をした。


「よく来てくれました、ウーム族の長、リュコス。テクニカ族の長、ウォルク。スビトー族の長、レオ。そして人間界から来たまり。そなたたちを歓迎します」


 昨日と同じように、清らかな音の鳴る黄金色の鈴を翡翠色の紐で首にかけたフェラデアが、目の前に座るレオたちとまりを見て、その顔に笑みを浮かべた。


「それでは、私の後を継ぐ次期フェラデアを発表します」


 その瞬間、その場の空気がピンッと張りつめた。


 一気に部屋の緊張感が高まる。


 自然とまりも息を詰めていた。


 誰かが少しでも動いたら切れてしまうような、張りつめた糸のような雰囲気だった。


「次期フェラデアは――」








「リュコス、ウォルク、レオの、共同就任とします」



「きょ…共同就任⁉」


 ウォルクが驚きのあまり裏返った声を出した。しかし、誰もそれを気にするものなどこの場には一人もいなかった。


「そ…それはなぜですかフェラデア?今までフェラデアは、3種族の長から1人だけを選んできていましたが…」

「それがそもそも間違いだったのです」


 フェラデアは凛とした声音で言った。


「3種族の長の誰かからフェラデアが現れれば、必然的にその種族の力が強くなる。それではこの世界をまとめることなどできようはずもありません。しかし、フェラデアを失くせば逆に混乱を招いてしまう。それならば3種族の長全員をフェラデアにして、3種族間の力関係の均衡を保ち、協力し合うことでこの世界を一つにすることができます」


 フェラデアはそう言うと、部屋の端に座っているまりを見た。


「昨日も言いましたが、ルプスエンパイアの外には、他にもたくさんの世界が広がっています。そして、今は不可視の壁によって外の世界との交流は断たれていますが、それも今回のまりのような事態がいつ起こるか分かりません。同じ世界に住んでいても争いが絶えないというのに、そんな状態で、住んでいる世界すら違う者たちと穏便に交流ができると思いますか?」


 フェラデアの言葉にリュコスとウォルクはうっと言葉に詰まった。


 今のウーム族とテクニカ族の状態では、明らかに外の世界との平和な交流は難しいだろう。それどころか、新しく拓けた世界に「領土拡大」と称して侵攻を開始するとも限らない。


「ですから、まずは3種族が穏便に交流できるようにしなければなりません。そのためにも、3種族が対等でなければならないのです」


 そう言うと、フェラデアは深々とレオたちに頭を垂れた。


「いきなりこのようなことを言ってしまい、申し訳ないと思っています。ですが、何とか理解して、この世界のために尽力していただけませんか」


 チリンと鈴の音を響かせながら頭を下げるフェラデアの姿に、レオたちは胸を突かれた。


 今までのフェラデアは、自分の種族の利益を考えるばかりの者がほとんどだったのだ。


 大昔の、スビトー族に領土を与えてくれたテクニカ族出身のフェラデアのような狼もいたにはいたが、それはまれだった。


 そして今頭を下げ続けるフェラデアは、間違いなく歴代のフェラデアの中でもかなりまれな方だ。


「分かりました。その重大なお役目、謹んでお受けいたします、フェラデア」


 リュコスがその瞳に強い意志をみなぎらせて言った。


「あたしも、お受けします」


 ウォルクも、その顔に笑みを湛えて頷いた。


 そしてリュコスとウォルクがお互いの目を合わせて頷きあうと、レオの方に体を向けた。


「レオ、あなたがウーム族とテクニカ族にあまり良い感情を抱いていないことは分かっているわ。でも、この世界のこれからのために、あなたの力も貸してほしいの」


 真摯な目線を向けられ、レオはその視線を真正面から受け止めた。


「スビトー族はもう私しか残っていない。正直、ウーム族とテクニカ族が手を組んでしまえば、何とかなると思うのだが。それでも私の力が必要か?」

「3種族間の差別意識をなくさないと、根本的な解決にならないよ。それに、まだあたしたち種族の中では、自分の種族の毛並み以外の毛並みを持つ狼が生まれたら即刻追放の考えを持っている狼がたくさんいる。きっとその考えはすぐにはなくせない。だからこそ、今3種族の長であるあたしたちが手を組んで、そういう意識も失くすようにしていかなきゃいけないと思うんだ」


 ウォルクはそう言うと、すっと右前足をレオの方へ差し出した。


「スビトー族の長、レオ。改めて、協力を頼みます」


 ウォルクの差し出した右前足にリュコスが右前足を重ね、レオを見た。


 レオはそんな2種族の長の真剣な瞳を見て、意を決したように右前足を動かした。


 レオの前足がウォルクたちのそれに重なる。


「3種族の長による共同フェラデア就任、確かに引き受けました」


 レオが噛みしめるように、その言葉を口にした。





「…確か、この辺りだった気がします」

「ここですか。では、少し待っていてくださいね」


 次期フェラデアが決まったところで、まり、レオ、リュコス、ウォルク、そしてフェラデアは、スビトー族の領土に来ていた。


 もっと正確に言えば、まりがこの世界に来た時に立っていた場所に、だ。


 フェラデアはまりの指し示した場所に何やら不思議な模様を描き始めた。

 それを黙って見ていたまりは、ふいにレオの方を振り向いた。


 その顔に浮かんでいたのは、悲しんでいるような、しかしどこか憑き物が落ちてすっきりしたような、そんな複雑な表情だった。


「ねえレオ。私ね、本当は、自分の世界に帰りたいのか分からなかった。帰ってもいいことなんて何もないし、辛いことがまた待っているだけだって分かってたから。帰ろうと思ってたのは、両親に迷惑がかかるからっていう、義務的な気持ちからだったの」


 レオは静かに紡がれるまりの話を、真剣な目を向けて聞いていた。


「でも、今は純粋に帰りたい。帰って、自分の気持ちにちゃんと正直に生きていきたい。自分にはできないってあきらめるんじゃなくて、自分の可能性を信じたい」


 レオの目をまっすぐに見つめるまりの瞳には、昨日のような弱々しい光は欠片も見つからなかった。


 代わりにそこにあるのは、確固とした意志が放つ、力強い輝きだった。


 その光を真正面から受け止めたレオは、まりの覚悟にしっかりと頷いた。


「まりなら大丈夫だ。一人でウーム族の領土に後先考えず飛び込むような、その肝っ玉があればな」


 レオのおどけた言葉に、まりは自分の無謀な行動を思い出してうっと後ずさりしたが、すぐに笑顔を浮かべた。


「レオに出会えたおかげだね。まさか自分が誰かのために、あんな大胆な行動がとれるなんて知らなかった」

「ああ。私も、誰かと分かりあう、誰かを信じられる日が来るとは思わなかった。…きっと私たちは、出会うべくして出会ったのだろう」


 まりとレオの話を静かに聞いていたリュコスとウォルクがまっすぐにまりとレオを見た。


「たとえ住んでいる世界が違っても、分かり合えることがある。それをあなたたちは証明してくれたわ」

「時間はかかるかもしれないけど、それでも必ずこのルプスエンパイアを、種族の垣根を越えて、お互いを分かりあえる世界にしてみせる!」

「まずはスビトー族に領土侵攻した老狼たちとその仲間たちを何とかしないといけないわね」

「道のりは長いけど、あたしたちなら大丈夫だよ!リュコスとレオと、3人でがんばろ!」


 リュコスたちの言葉を聞いて、まりはこくりとうなずいた。きっとこのチームなら、この世界をより良い方向に導いて行けるだろう。


 まりがこの世界に関わることはもうない。あとは、自分の力で切り開いていくしかないのだ。


「さ、準備ができました。まりの世界に通じる扉を、もう一度開きます」


 フェラデアがチリンと鈴を鳴らすと、先程まで描いていた不思議な模様がぼんやり紫色に輝いた。


 それを見て、まりはレオを抱き寄せた。そのぬくもりを忘れないように、頬を柔らかな白銀の毛並みにこすりつける。


「お別れだな」

「うん。…ありがとう、レオ」


 しっかりと抱擁した後、名残惜し気に離れたまりは、紫色の光の中に入った。


「まり、元気でな!頑張るんだぞ」

「レオもね!頑張ってね!!」


 もう会えることは無いけれど、心の中に思い出は残っている。この3週間の出来事は、レオのことは、一生忘れることは無いだろう。



 ――紫色の淡く優しい光が、視界いっぱいに広がった。

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