第八章 如月事件~終着

 それから半日後、小竹宗太郎は静岡県警の取り調べに対して四年前に伏田平子を殺害した事を認め、この時点で逮捕状が執行された。榊原の要請通り名目上は「自首」扱いとされた小竹の自供により、遺体の隠し場所が静岡県北部の長野県との県境付近の山中であるとわかり、県警総出の捜索の結果、自供通りの場所の地中から白骨化した女性の遺体が発見された。後のDNA鑑定でこの白骨の身元が四年前から失踪していた伏田平子である事が確定し、その後の解剖で首の骨の骨折等が診られた事から死因が頸部圧迫による絞殺である事も判明。小竹の自供から、遺体と一緒に埋められていたロープで首を絞められた事も明らかになり、タクシー内部からは実際に伏田平子のものと思しき毛髪も発見された。

 すでに四年間の捜査の結果、如月事件について伏田平子が犯人であるという証拠は出そろっていたため、同日、県警からの捜査報告を受けた静岡地検は、指名手配されていた伏田平子が死亡し、証拠から彼女が犯人である可能性が明白である事から、如月事件について被疑者死亡のまま書類送検する事を決定した。これにより、被疑者の逃亡により未解決のままになっていた如月事件は、公式手続き上は一応の「解決」を迎える事となり、浜松署の片隅に設置されていた継続捜査本部も解散する事となった。

 ただ、全ての発端と考えられた如月月夜の失踪事件は、伏田平子が彼女をどこかの鍾乳洞に放置した旨を殺害前に告白していたと小竹が証言した事もあって限りなく伏田平子による殺害の疑いが濃厚であったものの、当の平子本人がすでに死亡してしまっている上に証拠が全く存在せず、何より未だに遺体が発見されていない事もあってこの状況でも未解決失踪事件扱いのまま放置せざるを得なかった。今後も遺体の発見は絶望的である上に、残されている如月家の親族が失踪宣告を実施しない方針を示している事もあり、彼女の失踪事件の解決はほぼ永久に訪れない事が濃厚になりつつある。さすがの榊原をもってしても手掛かりゼロのこの状況から如月月夜を発見するのははっきり言って不可能に近く、それだけがこの事件における唯一の後味の悪い結末となったのは否定できなかった。

「彼女は……如月月夜は永久に『あの駅』で待ち続けるんだろうな」

 その日の夜、榊原は後の事を榎本ら県警に任せ、自分一人で浜松市内を歩きながらそんな事を呟いていた。唯一残った如月月夜の遺体発見が事実上不可能となった現状、もうこの事件に対して榊原ができる事は何もなかった。ゆえに、小竹が逮捕された時点を持って、榊原は全てをいったん県警に託す事にしたのである。もちろん、如月勝義が行った「月夜の行方を調べる」という依頼自体は彼の死後もまだ生きているので何か情報があれば即座に介入できるよう準備はしておくつもりだが、その時はおそらく永遠に訪れないだろうという予感があった。

 ちなみに、事件が解決した事はすでに報道されているが、それでもネット上の『きさらぎ駅』伝説は収まる気配がなく、むしろかえってあちこちに拡散し続けている状態だった。事がここまで来た以上、大元になった事件が解決しても、如月勝義の思惑通りもうこの伝説が消える事はないだろう。

「結果的に、『夢』とはいえ私が伏田平子を『きさらぎ駅』から解放した事で伏田平子の『死』が確定し、同時に今まで『きさらぎ駅』に閉じ込められていた事で現実から失踪していた伏田平子が、『駅』から解放された事でようやく遺体となって現実世界で発見されたようにも見えなくないな。あくまで私の『夢』の話とはいえ、何とも不思議な話だ」

 と、そんな榊原の足がある場所で止まった。それは、四年前の事件の現場となったホテル『ハイエスト浜松』の正面だった。

 事件後、『ハイエスト浜松』は事件のダメージを受けながらも細々と営業を続けていたが、客離れを防ぐことはできず、事件から二年後についに倒産。現在、建物は立入禁止の廃墟となっていた。ホテルの従業員たちやあの時事情聴取をした他の宿泊客たちが今どこで何をしているのか、それは榊原をもってしてもわからない。

「兵どもが夢の跡、か。さて、どうしたものかな。このまま帰ってもいいが……」

 榊原がホテルの廃墟を見ながら、ぼんやりとそんな事を呟いていた時だった。不意に榊原の携帯が鳴り、待ち受け場面に『深町瑞穂』の文字が躍った。榊原が通話ボタンを押すと、電話口の向こうから元気な声が聞こえてくる。

『あっ、先生、お疲れ様です!』

「瑞穂ちゃんか。どうかしたのかね?」

『ちょっと伝えたい事があって。えっと、その前に……事件解決、おめでとうございます』

「知っているのかい?」

『さっきからニュースで散々報道されていますから。県警が解決したって事になっていますけど、実際は先生が助太刀をしたんですよね?』

「まぁね」

 彼女に嘘を言っても始まらない。何より、今回事件が解決したのは彼女の何気ない一言があったからこそだった。

「今回は君に助けられた。礼を言うよ」

『え、先生にそんな事を言われるなんて、明日雨が降るんじゃないですか?』

「私だって君に礼を言う事くらいあるさ。それで、伝えたい事というのは?」

『あ、そうでした。えっとですね……ついさっき事務所に電話があって、先生に依頼したい事があるっていうんです。それで、先生は浜松に出張中だって答えたんですけど、そしたらそっちの仕事が片付いたら直接話を聞きに来てくれないかと言われてしまって……』

「ふむ……。で、その依頼人の居場所は?」

『それが横須賀なんです。どうしますか? 断るんだったら、私から連絡しておきますけど』

 榊原は少し考えた後、こう答えた。

「構わんよ。せっかくだから話を聞きに行ってみる。依頼を受けるかどうかはその話を聞いてからだ」

『じゃあ、先方にはそう連絡しておきますね。あーあ、平日じゃなかったら私も一緒に行ったのになぁ』

「女子高生が何を言っているんだね。まぁ、そこまで帰りが遅くなるつもりはない。そうだな……どんな依頼かは知らないが、今の所は三日程度で一度事務所に戻るつもりだ。亜由美ちゃんにもよろしく言っておいてくれ」

『はーい。じゃあ、また連絡ください』

 そう言って電話は切れる。数分後、今度はメールで依頼主の詳しい住所が送られてきた。榊原は一瞬廃墟のホテルの方を見やる。遠くを走る電車のかすかな音が響くと同時に、気のせいか現場となった部屋の窓の辺りでチラリと何か揺れたような気もしたが、榊原は目を閉じると首を振ってこう呟いた。

「私はあくまで『現実』の探偵だ。これまでも、そしてこれからも、だ。私はただ現実的に……これからも徹底した『論理』で謎を解き続けるだけだ」

 そう言うと、榊原は振り返る事なくホテルを後にした。電車の音が消え、残されたホテルの廃墟に、動くものはもう何もなかった……。



 ……暗闇の中、周囲に何もない無人駅が浮かび上がる。その無人駅のホームのベンチに、紫の浴衣姿の少女が座り、鈴の音を背景に何か鼻歌を歌っている。遠くから近づいてくる電車の音を聞きながら、今も彼女は誰もいない『きさらぎ駅』のホームで次の客を待ち続けている……。

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如月事件 奥田光治 @3322233

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