第七章 如月事件~決戦
……ガタン、ガタン……ガタン、ガタン……
リズムよく響く電車の音に、榊原はその目をうっすらと開けた。周囲を見回すと、明るい日の光が電車の窓から差し込んでくる。窓の外には、のどかな田舎の風景が広がっていた。
「……」
反射的に電車の車内を見回しながらも、榊原はここがまがう事なき現実の世界……自分のいるべき「現実」である事を理解していた。
「……言った通り、今の出来事は『夢』という事にしておこう。私はあくまで『現実』の探偵だ。それ以上でもそれ以下でもない」
そう誰ともなしに独り言を呟くと、榊原は改めて今の状況を思い出す。日付は二〇〇八年一月八日水曜日……事務所で瑞穂相手に「如月事件」について話した三日後で、同時に「如月事件」の発生からちょうど四周年となる日である。そして、榊原が今乗っているのは、「きさらぎ駅」伝説の舞台になったと噂されている鉄道……静岡県浜松市の遠州鉄道だった。
なぜ今になって、榊原が遠路はるばるこんな場所まできて地方のローカル線に乗っているのか。もちろんそれについて答えはあるのだが、ひとまず今の段階ではそれについては語らずにおきたい。確かなのは、あれから三日が経ち、何か明確な目的があって榊原がここにやって来たという事である。
それはともかく、榊原は自分の現状を思い出しながら、『夢』の最後で彼女が言っていた事を思い出していた。『生前に榊原に会った事がある』……。いくら『夢』とはいえこんな言われ方をされたら気になってしまうのが榊原の性分である。幸い目的地まではまだ少しあるので榊原はここへ来た目的をしばし脇に置いてその事について思いを巡らせていたが、不意にある思い出が突如として鮮やかに蘇ってきたのだった。
「もしかして……」
榊原の頭の中に、昔経験したある光景が浮かんでいた……。
それは、如月月夜が失踪する一年前、すなわち二〇〇〇年の夏……。
当時、警察を辞めて探偵業を初めてまだ二年ほどだった榊原は、ある依頼で富士市に来ていた。この依頼そのものは早々と解決し、また当時如月親子がこの街にいた事など知りもしなかった榊原は、帰りの電車までの余った時間を、市内を散策する事で潰していたのだった。
だから、彼女に会ったのは本当に偶然だった。適当な道を歩いているときに、その少女は道端にうずくまって泣いていたのである。
「……どうかしたのかね?」
さすがに気になって声をかけたのだが、少女が言うに家の鍵をどこかに落としてしまって途方に暮れているのだという。父親は仕事で出張に出かけているのでこのままだと三日ほど家に入る事ができず、頼れる親類もいないのでどうしたらいいのかわからなくなっているという事だった。それを聞いて、榊原は少し考えた後彼女にこう言ったのだった。
「なくした時の状況を言ってみなさい。もしかしたら、どこに落としたのかわかるかもしれない」
……今にして思えば不審者扱いされても文句は言えない状況だったわけだが、とにかく少女は素直に鍵をなくすまでの経緯を説明し、それを元に榊原は鍵を落としたと思しき場所を推測。で、実際にそこに行ってみると鍵はちゃんとあり、彼女は泣きながらお礼を言ってくれたのである。
「おじさん、名前は何て言うの?」
別れ際にそんな事を聞かれたので、不承不承ではあったが榊原は自分の名前を名乗った。
「榊原恵一。東京で探偵をしている」
「たんてー?」
「まぁ、何というか……謎を解くのが仕事でね」
「ふーん」
そう。今思い返せば、その後彼女は涙をふきながらニッコリ笑って……
「私は月夜! おじさん、ありがとう! さようなら!」
「……思い出した。あの時の彼女だったのか」
感慨深げにそんな事を呟いているうちに、電車は速度を緩めて次の駅のホームへと滑り込んでいった。榊原は座席から立ち上がると、そのまま駅のホームに降り立つ。そこはもちろん「きさらぎ駅」などではなく、榊原の目的地であった地方駅だった。眠そうに大あくびをしている駅員がいる改札を出て駅前広場に出ると、そこで客待ちをしていたタクシーの窓を叩く。居眠りをしていた見た目三十代後半のタクシー運転手は慌てた様子でドアを開け、榊原は後部座席に乗り込んだ。
「すみません、滅多にお客なんかいないもので。どこへ行きましょう?」
「……ここへ行ってもらえますか?」
榊原はあらかじめ用意していた地図を差し出す。それを見て、運転手は少し胡散臭そうな表情を浮かべる。
「ここですか?」
「えぇ。無理なら結構ですが」
「いえ、大丈夫ですが……。この時期に珍しいと思ったもので」
そう言いながら、運転手は車を発進させる。そのまま無言で走り続け、十五分ほどして到着したのは、住宅地の一角にある竹林に囲まれた墓地だった。
「十分ほど待っていてください。万が一十分経っても戻って来なかったら、申し訳ありませんが様子を見に来てもらえると助かります」
「はぁ」
思わぬ頼みに、運転手は少し気の抜けた返事をした。そんなこんなでタクシーを待たせて墓地に入ると、榊原は少し歩いた後でその一角にある墓石の前で歩みを止める。その墓石にはこう書かれていた。
『如月家之墓』
……ここは、事件の被害者であり、そしてほとんど付き合いはなかったとはいえ榊原の先輩であった如月勝義の眠る墓地である。正確に言えば、今は亡き如月の父方の実家がこの近くにあり、彼の死後、遺骨は歴代の如月家の人間が眠るこの墓地に納骨される事となったのだった。聞いた話では、この墓を守っている勝義の父方の実家は勝義の従兄が後を継いでいるらしい。
だが、この墓石に「如月月夜」の名前は刻まれていない。表向き遺体が見つかっていないため月夜は現在でも「失踪」扱いであり、死亡が確認されるまでこの中に入る資格はないからである。すでに失踪から七年が経過しているので民法の死亡宣告は適用できるが、いつか話を聞いた限りだと現当主の従兄は今の所それをやるつもりはないらしい。いずれにせよ、もはや遺体が見つかる可能性がゼロに等しい現状では、彼女が父と一緒に眠れる日は永久に来ない可能性の方が高くなっているのである。
そんな墓石の前で榊原はしばらく手を合わせると、やがて静かに話しかけた。
「……あれからもう四年ですね。本当は別の用件があってここに来たんですが、その前に報告する事ができました。……『夢』の中であなたの娘さんに会いました。しっかりとした子になっていましたよ。だからこそ……本当に残念です」
そう言いながら榊原はこう続ける。
「それと、同じ『夢』の中だけではありましたが、娘さんのお膳立てであなたを殺した相手との決着もつけておきました。まぁ、所詮は私の『夢』の話ですからどこまで信用できるかわかったものではないですが……。あとは『夢』ではなく『現実』の決着をつけるだけです。ぜひともそれをそこから見ていてほしいと思います。今日はそれを報告に来ました」
そう墓石に向かって宣言したと同時に、墓地の入口から遠慮がちに声がかかった。
「あの……そろそろ十分ですが」
先程のタクシー運転手が約束通り呼びに来たようである。
「あぁ、すみませんね。時間をとらせてしまって」
「いえ、仕事ですから。でも、私もこの後予定がありますので、早く車に戻って……」
そう言いながら車に戻ろうとした運転手に対し、しかし榊原はその場から動く事なくこう続けた。
「運転手さんは、この墓石が誰のものなのか知っていますか?」
「は、はい? 私ですか?」
「えぇ」
「いや、知るわけがないでしょう。見知らぬ墓地に来る習慣なんかありませんし……」
「じゃあ、教えてあげましょう。ここに眠っているのは四年前に亡くなった如月勝義という民俗学者です。如月鳳鳴の名前の方が有名かもしれませんが、とにかく、この名前に聞き覚えは?」
「い、いえ。私に民俗学者の知り合いはいませんから」
運転手は当惑気味に答える。が、榊原は続けて少し声を厳しくしてこう続けた。
「知らないというのはかわいそうな話だと思いますがね。少なくとも、あなたが彼を知らないという事はあり得ません。なのに、知らないふりをするのは薄情だとは思いませんかね」
「何を言って……」
「あぁ、失敬。前置きが長くなるのが私の悪い癖でして。今、この場で私があなたに聞きたい事は一つだけです」
そう言うと、榊原は墓石から運転手に体を向け直し、ジッと相手を視線で射抜きながら鋭く告げた。
「四年前の一月八日、あなたは伏田平子を殺して、一体どこに隠したんですか?」
墓地を囲む竹林に一陣の風が吹き、目の前にいる相手……名もなきタクシー運転手の表情が真っ青になる。それは、「きさらぎ駅」などという「夢」ではなく、「現実」における「如月事件」の最終章が幕を上げた瞬間だった。
「な……何の話ですか……いきなり初対面の私を殺人犯扱いするなんて……」
運転手は怒るのを通り越して呆然とした様子で榊原を見つめていた。一方、榊原は気を緩めることなくしっかりとした口調で相手を突き崩しにかかる。
「では、質問を変えましょう。世間一般に『如月事件』と呼ばれている四年前に起こった殺人事件をご存知ですか? 何しろこの浜松市で起こり、今も未解決になっている事件です。地元のタクシー運転手であるあなたが噂すら知らないとは思えないんですが」
「それは……」
運転手が言いよどむ。どう答えたらいいのか迷っている風でもあった。その答えを待たずして、榊原は話を進める。
「四年前、浜松市内のホテル『ハイエスト浜松』で民俗学者の如月鳳鳴こと如月勝義が殺害され、その最有力容疑者として浮上した宿泊客のエッセイスト・伏田平子は警察の尾行を振り切り、それきりその行方をくらませています。その後の警察と私の捜査で彼女が犯人であるという物的証拠がいくつも見つかったため、彼女が事件の犯人である事は間違いありません。現在、この事件は犯人行方不明の状況のまま未解決になっており、伏田平子は全国手配をされているわけですが……この事件ではこの伏田平子失踪に関連してもう一つ大きな謎が残されています。それが、伏田平子が失踪した際にネット上に流れた『きさらぎ駅』の都市伝説です」
榊原は静かに推理を続けた。
「ネット上に拡散された『きさらぎ駅』の伝説の内容は如月事件の内容を深く反映しており、ここから『きさらぎ駅』伝説が如月事件と深いかかわりにある事は間違いありません。すると、問題になるのはこの『きさらぎ駅』の話をネット上に拡散したのは果たして誰なのかという問題です。当然、死んだ如月勝義ではありえないし、一番有力だと思われる伏田平子の自作自演という説も、本人にそんな不利な事をする理由がないという事実から私は否定できると考えています。では、一体誰が何の目的でこんな都市伝説を拡散させたのか。実は、事件関係者の中に一人だけこの都市伝説が拡散される事を望んでいた人間がいます。それは、被害者の如月勝義です」
そう言うと、榊原は如月が娘の如月月夜の存在を永遠に残すために、彼女が生前に作った「きさらぎ駅」という創作話を、自分が伏田平子に殺される事で都市伝説として拡散させようとしたという推測を語った。一方、運転手は突然の状況に目を白黒させながらもなんとか榊原の話についていこうとしている。
「しかし、この計画には一つ大きな問題がありました。『きさらぎ駅』を都市伝説として拡散させるためには、自分が伏田平子に殺されなければなりません。その覚悟はすでに如月氏にはありましたが、問題は自分が殺されてしまうがゆえに事件後に都市伝説の拡散を行う事が自分ではできなくなってしまう事。そして、都市伝説の性質上、伏田平子が逮捕されてしまうと都市伝説の拡散が止まってしまう可能性がある事です。実際、『きさらぎ駅』の伝説は伏田平子という事件関係者が本当に失踪した事でその信憑性が増し、こうして残る事になりました。逆に言えば、あの時点で伏田平子が逮捕されてしまったら、『現実』と『都市伝説』の内容が一致しなくなってしまい、拡散自体が発生しなかった可能性があります。つまり、如月氏にとっては、死後に実際に伝説を拡散し、なおかつ犯人である伏田平子を『失踪』させる存在が必須だった事になります。ここまで来れば、彼がどんな手段を採ったのかは自明です」
榊原は鋭くその結論を告げる。
「すなわち、『如月事件』の被害者だった如月勝義には、自分の死後に『きさらぎ駅』伝説を拡散させ、なおかつ自身を殺した伏田平子を『失踪』させる『共犯者』が存在したという事なのです。今までいくつもの事件にかかわってきましたが、加害者ではなく被害者側に別の計画を企む共犯者がいて、その共犯者が被害者の死後に加害者を抹消するなどという構図はそうそうお目にかかるものではありません。そして……私はその如月勝義の『共犯者』があなただと考えているわけですよ。違いますか? タクシー運転手の
フルネームを呼ばれ、運転手……小竹は小さく肩を震わせた。
「な、何で私がそんな知りもしない民俗学者の共犯者にならないといけないんですか! 全く意味が……」
「少なくとも知らなかったというのは通りませんよ」
唐突に榊原はそんな事を言い始める。
「……どういう意味ですか?」
「もし、如月氏が本当にこの計画を練っていたのだとすれば、共犯者との間に相当綿密な打ち合わせが必要なはずです。しかし、事件の際に押収された彼の携帯電話にそれらしい通話やメールはなかった。当然と言えば当然で、自分の死後に携帯が調べられるのは如月氏もわかっていたから使えなかったというのが正しいでしょう。となれば、事件直前に直接会っていた可能性が高い。そして、四年前の捜査の際、私は事件前日に被害者が怪異譚の蒐集のために同じ浜松市内の雨郷家やその周辺で聞き取り調査をしていたという事実を知っています。ポイントは、彼が雨郷家だけでなくついでのようにその周辺にも聞き取り調査をしているという事実です。実は如月氏の目的は雨郷家ではなく『ついで』であるはずの周辺調査の方で、その『ついで』であるはずの家の中に『共犯者』がいたとしたら……。そう思って、今回県警に頼んであの時被害者が話を聞いた家を改めて教えてもらった結果、小竹さん、あなたの存在が浮かび上がってきたというわけです」
「……」
「不覚にも、その時点で私は四年前の捜査の際に、被害者が雨郷家及びその周辺で聞いたという怪異譚の中に『びしょ濡れの女の幽霊を乗せたタクシー運転手の話』があった事を思い出したんです。タクシー運転手が体験した怪異譚がある以上、被害者が事件直前に聞き込みをしていた面子の中にタクシー運転手がいるのは自明。そして、四年前の事件の際に伏田平子が尾行をまくときに使ったのがタクシーだったという事を思い出した瞬間、ここに何か突破口があるのではないかという考えが頭に浮かびました。つまり、彼女の失踪にタクシーが関わっているのではないかという疑惑です」
小竹は何も答えない。一方、榊原は冷静な口調で結論を告げる。
「まぁ色々言いましたが、そんなわけで少なくともあなたは四年前に如月氏と会って話をしているはず。その件についてはすでに県警が確認を取っている『事実』です。ゆえに全く知らないというのは通らないと言っているんですが、いかがですか?」
そこまで言われて、小竹はようやく口を開いた。
「た、確かに四年前にその民俗学者に会って話をしたのかもしれませんけど、そんなのもう覚えていませんよ! 大体、それが事実だったとしても何で私がその民俗学者の変な計画に付き合って、あまつさえ殺人まで犯さないといけないんですか! 不合理どころの話じゃないですよ!」
榊原は黙って小竹の反論を聞いている。それを見て、小竹はさらに反論を重ねた。
「それに、その容疑者の女性が尾行を巻くのにタクシーを使ったからと言って、彼女の失踪にタクシー運転手が関わっているかもしれないというのは安直すぎるでしょう! そもそも、その時彼女が使ったタクシーが私のタクシーだと証明できるんですか? それが証明できない限り、私がその事件にかかわっていたとは言えないはずです!」
そのようにまくしたてる小竹に対し、榊原は落ち着いた様子で再反論した。
「確かに、尾行をまいた際に彼女が乗ったタクシーがあなたのタクシーであると主張する事はできません。というより、さすがに違うという事は警察が証明しています。あの時、彼女を乗せたのは関松という女性ドライバーが運転するタクシーで、直後に警察により拘束。その後の警察の捜査で、伏田平子、如月勝義双方にいかなる点においても関係がなかった事が立証されました。つまり、彼女が乗ったタクシーに仕込みはなかった事になる」
「だったら……」
「根本から違っているんですよ」
榊原は小竹の言葉を遮って不意にこんな言葉を告げた。
「伏田平子は警察の尾行をまくためにタクシーを使いました。ただし、仕込みがあったのは彼女自身が乗ったタクシーではありません。……自分を尾行してくるであろう『刑事が乗ったタクシー』の方だったんです」
「っ!」
「そして小竹さん、私はその尾行する刑事が使用したタクシーの運転手こそがあなただったと言っているんです!」
言葉に詰まった小竹に榊原は畳みかける。
「あの日の夜、警察はホテルでの証拠収集や複数の容疑者の尾行で人員がかなり不足している状態でした。また、浜松駅周辺を当てもなく歩き回っていた伏田平子を尾行するにあたって目立つ自動車を利用するわけにはいきません。従って、その尾行は徒歩で行われていたと考えるべきです。そんなときに彼女がタクシーに乗ったとすれば、刑事たちが採る尾行手段は一つしかありません。刑事ドラマでもよく見る光景ですが、自分たちもタクシーを使って後を追うというものです。ですが、その刑事たちのタクシーこそが、彼女が尾行を突破するための切り札だったという事なんです」
「……」
「そもそも、いくら信号や渋滞に紛れたからと言って百戦錬磨のプロであるはずの刑事の尾行をそう簡単に振り切れるものではありません。振り切れるとすれば、その刑事が使っている足自体が裏切りをしていた場合だけです。それに、刑事の方も伏田平子が利用したタクシーを調べる事はしても、自分たちが尾行に使ったタクシーの運転手を調べるなどという事は絶対にしないはず。そう言う意味では、まさに盲点とも言える存在です。とはいえ……その辺は刑事ですから、警察に保管されている運転免許証の顔写真の中からあなたのものを見せたら、自分たちが利用したタクシーの運転手だとはっきり証言しましたよ。如月氏が事件前日に出会っていた人物と、事件後に容疑者の尾行に刑事が使ったタクシーの運転手が同一人物だった……これを偶然だと思うほど私は甘くありません」
と、ここで小竹が口を挟んだ。
「ちょっと待ってください。確かに、四年ほど前に刑事が私のタクシーを利用した事があるのは認めます。でも、私はただ刑事の指示で動いただけで、何の事件の容疑者を追っているのかは知らなかったんです。その程度で疑われるというのは無茶苦茶な話じゃないですか。それに……その話が本当だったら、その伏田平子とかいう女は私が刑事を乗せて尾行する事を見越した上でタクシーを利用した事になります。つまり、私は女と協力関係にあって、その上で彼女の逃亡を手助けした事になりますよね」
「えぇ」
「でも、さっきまでの話だと、あなたは私が伏田平子の殺害した如月勝義の協力者だったと言っていたじゃないですか。被害者の協力者だった私が犯人の協力者でもあったなんて矛盾しているにも程がありますよ! 何でそんなまぎらわしい事をしなきゃいけないんですか!」
だが、その反論にも榊原は全く動じなかった。
「だから、私はまさにその矛盾めいた事が起こったと言っているんです。さっきも言ったように、あなたはあくまで如月勝義の共犯者です。そして、あなたは如月氏の共犯者として如月氏を殺害した伏田平子に接近し、表向き協力するふりをして彼女を逃がし、彼女の信頼を得たところで当初の予定通り彼女を永遠に『消した』と私は考えているわけですがね」
「あり得ない! そもそも、私が如月氏の共犯だったとすれば私は如月氏と近い人間だったはず。そんな人間と彼を殺した殺人犯の間に協力関係が生まれるわけがないじゃないですか! 殺人を犯した人間が縁もゆかりもない人間を協力者に引き入れるなんて絶対にあり得ない事です!」
「ならば、あなたは伏田平子と縁もゆかりもない人間ではなかったという事です!」
榊原の鋭い反論に小竹は押し黙った。
「……どういう意味ですか?」
「つまり、あなたは如月氏と共犯関係になれるだけの信頼関係にありながら、同時に如月氏を殺害した伏田平子の信頼を得られるような立場にもあったという事です」
「そんな……そんな立場が存在するわけが……被害者と殺人犯の双方に信頼される立場なんて聞いた事が……」
「今回の事件に限ってはその立場が存在するのです」
そう言うと、榊原は次の切り札を切る。
「今回の事件の登場人物を整理すると、まず被害者の如月勝義がおり、そこに犯人の伏田平子が絡んでいる構図です。如月勝義には事件の三年前に失踪した如月月夜という元捨て子の養子がおり、その如月月夜の真の母親が伏田平子でした。そして、伏田平子は如月月夜を殺害した可能性が非常に強く、如月氏はこの一件を調べていた事から伏田平子に危機感を抱かせる結果となり、今回の事件に発展したというものです。さて、この一連の人間関係を見ると、実はまだ登場していないもう一人の『事件関係者』がいるはずだという事がわかります」
「そんな人間、いるはずが……」
「ポイントは、如月月夜の出生に関して、です。彼女の母親が伏田平子である事は警察のDNA鑑定で明らかになっている事であり、すなわち彼女が生まれたばかりの月夜を新浜松駅のロッカーに捨てた張本人である事は明白です。しかし、問題は『子供は母親一人で生む事ができる存在ではない』という事です。子供が生まれる以上、そこには必ず母親ともう一人……」
その瞬間、榊原は鋭く告げた。
「養父などではない真の意味での『父親』の存在がなければならないのは明白です!」
直後、小竹が息を飲んだのを榊原は見過ごさなかった。
「この事件に残された最後の登場人物……それは、養父である如月勝義とは別の、如月月夜の実の『父親』です。そして、もし実の父親がこの事件に関係しているのであれば、自分の娘を殺害されたという事で養父の如月勝義と協力関係になる事は容易に想像できますし、同時にかつてのカップルだった伏田平子の協力者になりうるだけの資格を持っている存在という事になります」
「……あなたは……一体何を言いたいんですか……」
小竹が体を震わせながら絞り出した言葉に、榊原ははっきり答える。
「小竹宗太郎さん、私はあなたが如月月夜の『実父』であり、それゆえに如月勝義と協力する事になったと考えているのですがね」
一瞬、墓地に沈黙が降り注いだ。
「そんなの……ただのあなたの妄想……」
「残念ながら、これに関して証明する事は非常に簡単です。さっき言ったように、警察はすでに伏田平子と如月月夜の親子関係をDNA鑑定で証明しています。つまり、事件が解決していない現在、如月月夜のDNAサンプルはまだ警察に保存されているんです。そのサンプルとあなたのDNAサンプルを照合すれば、あなたが如月月夜と親子なのかどうかは一発でわかるはずです」
「……」
反論はなかった。ただ、小竹の表情は最初に比べてすっかり青ざめている。それを見れば、榊原の推理が当たっているのかどうかは一目瞭然だった。
「そして、最初に言ったように、私はすでに伏田平子があなたによって殺害され、例の『きさらぎ駅』の都市伝説もあなたが伏田平子の殺害後に流したものと考えています。現状、あの伝説を流せる立場にいるのはあなただけである上に、仮に伏田平子の失踪にあなたが関与している場合、その後約四年間も匿い続けるのは不可能だからです。彼女が死んでいる可能性は非常に高い」
「そ、そんなもの……証拠はどこにもありません」
小竹の精一杯の反論に、榊原は肩をすくめながら答えた。
「えぇ、確かに現状では明確な証拠は挙がっていません。しかし、それは捜査線上にあなたという存在が浮かんでいなかっただけの話です。あなたが如月月夜の父親だと判明すれば、例のタクシーによる捜査妨害の可能性もありますし、警察もあなたの事を事件関係者の一人と考えて本格的な捜査に乗り出すはず。そうなればいくばくかの証拠が出てくると思っています。例えば、もし伏田平子の殺害が今さっき私の乗ったタクシー内で行われたとすれば、四年経っているとはいえ何らかの痕跡が出るかもしれない。聞きますが、仮にあなたが犯人だったとして、殺害後にタクシー内の痕跡をすべて消せる自信がありますか?」
そう聞いた瞬間、一瞬だが小竹の顔が歪むのを榊原は見て取っていた。今の発言はどちらかと言えば追求というより小竹の反応を確認するための揺さぶりの面が強かったのだが、小竹はその罠にものの見事に引っかかっていた。一種の賭けではあったが、この反応を見て、榊原は彼がタクシーで伏田平子を殺害したと確信する。が、そんな事はおくびにも出さず小竹の返答を待った。いくらなんでもこの反応だけで小竹を追い詰める事はできないので、ここから先は小竹の反応を踏まえた上での追及……有体に言って小竹の失言の誘発が必要になる。
そんな、次の罠を仕掛けようと心中で手ぐすねを引いている榊原に対し、小竹はそうと気づかずに必死の反論を試みようとする。
「か、仮にも何も、私は犯人じゃないんだから、そんな推測自体が無意味です。大体、今、この場に証拠がないんだったら、私がこんな茶番に付き合う意味なんか……」
「帰りたければ結構。ただし、この件を県警にでも通達すればすぐにでもあなたに対する捜査が始まるはず。県警の精鋭の追及を逃れるのと、今この場で私を論破して県警への通達をやめさせるのと……どちらを選ぶのもあなたの自由です」
「そんな……」
小竹は狼狽する。実のところは県警より巷では「真の探偵」の異名を持つ榊原を相手取る方がどう考えても無謀なのだが、不幸にも小竹は目の前のこのさえない男がそんな切れ者である事など知る由などない。小竹は真剣な表情を浮かべると、改めて榊原の方に向き直った。
「何度言われても……私は何も知りません! 伏田平子なんて女と会った事もないし、ましてその人を殺したなんてとんでもない言い掛かりです!」
「会った事もない、ですか。彼女はエッセイストだったのですが、著作を読んだ事は?」
「そんなのあるわけないでしょう! 私は普段からエッセイなんか読みませんし」
「もう一度聞きます。あなたは伏田平子という女性を知らないし、会った事もない。著作すら読んだ事もない。それで間違いありませんね?」
念押しして聞かれて、小竹はさすがに榊原のその態度を不審に思ったが、今さら否定する事はできない。
「だから……さっきからそう言っているじゃないですか!」
「……結構。ならばそれを前提に話を勧めましょう」
そう言うと、榊原は一歩前に出て自身の推理をぶつけ始めた。
「先程の推理が正しいとするなら、伏田平子は刑事を乗せたあなたとの連携で尾行を逃れた事になります。当然、これだけの事をしようと思ったら必ずあなたと伏田平子はどこかで接触し、事前にこの尾行をまくための手段の打ち合わせをしなければなりません。そして、あなたが伏田平子と接触している事を立証できれば、『彼女の事を知らない』というあなたの先程の主張に大きな矛盾が生じ、すなわちあなたがあの事件に関与していた事を示す明確な証拠になるんです。この理屈は理解できますか?」
「……」
小竹は答えない。必死に真剣な表情を作って、榊原の攻撃に耐えている印象だ。榊原はそれを打ち壊すべく、さらに言葉を重ねる。
「さて、具体的にあなたは伏田平子とどのように接触したのか。携帯電話という事はないでしょう。携帯電話には履歴が残りますし、あなたの計画では彼女は犯行後失踪する事になっています。当然、警察は電話会社に残る失踪した彼女の携帯の履歴を調べるはずでしょう。そんなところにあなたと通話した履歴があったら一発であなたの事件への関与がばれてしまいますからね。大体、用心深い伏田平子が携帯電話だけしか接触しない相手を共犯者に引き入れるはずもない。そうなると……あなたたちは直接会って打ち合わせをした可能性が非常に高いと考えるしかないんです」
「それが……何なんですか……」
これから何が起こるかわからず振り絞るように言う小竹に、榊原は容赦なく推理を叩き込む。
「では、仮にあなたと伏田平子が事前に打ち合わせをしていたとして、それは一体いつの事で、なおかつどこでその打ち合わせを行ったのか? そもそも、今回の犯行において伏田平子は相当な日数をかけてホテルへの盗聴器の仕込みをした上で、特定の条件……すなわち如月勝義が盗聴器の仕掛けられた部屋に泊まり、なおかつ伏田平子がホテル裏手のコンビニに面した各階の九号室もしくは一〇号室に宿泊するという条件が合致した瞬間を狙って犯行を実行に移したと考えられています。すなわち、殺人がいつ発生し、ホテル脱出後に刑事の尾行をまくのがいつのタイミングになるのか、伏田平子自身も事件当日まではわからなかった事になる。そうなれば状況として考えられるのは、尾行をまく方法……例えば具体的に彼女がタクシーに乗る場所や時間などの細かい部分ですが……それ自体は事件前の段階であらかじめ打ち合わせをしておき、事件の情報が新聞やニュースなどで報じられた時点で作戦決行のゴーサインが出たと解釈し、あらかじめ決定しておいた彼女がタクシーに乗る場所の近くであなたが待機しておいた上で、尾行してくるであろう刑事を乗せて先程のトリックを実行に移すというやり方です。だとするなら、あなたと伏田平子が直接会って打ち合わせをしたのは事件前で、事件後は例のトリックを実行に移すまでは一切接触をしていないという事になる。しかも、犯行がいつになるかわからないというこの犯行の特殊性から考えて、最初に接触したのは彼女が盗聴器を仕掛け始めた頃……つまり、彼女が現場のホテルに宿泊し始めた事件の約一年前の頃と推察できます。そこで、私は事件発生の約一年前……彼女がホテルに泊まり始めた頃の行動を調べてみる事にしました」
「……わざわざ調べたんですか?」
かすれた声で聞く小竹に、榊原は小さく頷いた。
「それが探偵の仕事ですから。幸い、時間だけはたっぷりありましたしね。その結果、その付近の彼女のスケジュールの中に一つこれではないかというものがあるのを見つけました。伏田平子が初めてあのホテルに宿泊する一週間ほど前……日付的には二〇〇三年の三月二十日になりますが、彼女の自宅に保管されていた手帳の記録によれば、彼女はその日行われたサイン会のために浜松市を訪れた事になっています。ただし、この時宿泊しているホテルは事件現場の『ハイエスト浜松』ではなく駅前のビジネスホテルです。そして、その一週間後の二〇〇三年三月二十七日に彼女は取材を名目に再び浜松を訪れ、今度は『ハイエスト浜松』に宿泊しています。これが、彼女が『ハイエスト浜松』を利用した最初の記録で、これ以降彼女は浜松に来た時には必ずこのホテルを利用するようになりました。……状況的に、私はこの三月二十日のサイン会のための浜松訪問の際にあなたと伏田平子が接触したと疑っているわけですがね。浜松でタクシー運転手をしているあなたが自然に彼女と接触しようと思ったら、この機会しかありませんから」
小竹は答えない。必死に歯を食いしばりながら何とか榊原の追及に踏みとどまっている。
「駄目元でお尋ねしますが、今の話に心当たりは?」
「……ありません」
小竹は短く反論する。余計な発言は命取りになると理解したようだ。だが、榊原は気にする事なく話を続行する。
「いいでしょう。実際、五年も前の話ですからね。普通だったらこんな昔に被害者が誰と接触していたかなんて立証するのはほぼ絶望的ですし、はっきり言って誰も覚えていないでしょう。さすがの私もこの筋から攻めるのは無謀かと思ったほどですし、実際これが崩せなかったからこそ、真相がわかっていながらあなたを四年間も放置せざるを得なかったわけですが」
「だったら……」
「ただし!」
榊原は小竹の言葉を遮ってキッパリ告げる。
「この二〇〇三年三月二十日という日付が本当に『普通』であったならば、の話ですが」
「……何を言って……」
「覚えていませんか? この『二〇〇三年三月二十日』は、歴史にその名を残す大事件が起こった日付でもあるんです」
小竹は訳が分からず眉をひそめる。
「歴史的って……」
「二〇〇三年三月二十日……これはアメリカとイギリスの連合軍がイラク戦争を開戦した、その翌日に当たる日付です」
「は?」
思わぬことを言われて、小竹は本気で意味がわからないという風に首をかしげる。確かに、その日付は歴史にその名を残すイラク戦争が開戦した日付だったのかもしれないが、それが自分とどう関係してくるのか全く想像もできなかったのだ。
だが、榊原は何気ない口調でこういう。
「このニュースは当然号外記事になりましてね。新聞各社は各地の主要駅で号外記事を配布し、テレビ局もその様子を撮影。市民のインタビューも行っています。過去の記録を調べたところ、これは浜松駅でも実施されており、地元のローカルテレビ局による駅前の撮影も行われていたそうです。これを知った瞬間、私は『もしかしたら』と思いましてね……。まぁ、正直確率的には本当に『万が一』ですが、調べてみる価値はあると思いました。で、インタビューを行っていた地方ローカルテレビ局に頼んで、未放送分も含んだ当日浜松駅前で撮影していたすべての映像をチェックしました」
「っ!」
その瞬間、小竹が息を飲むのを榊原は見て取っていた。榊原は一転して厳しい口調で告げる。
「映っていましたよ。駅前のタクシー乗り場付近でインタビューされている会社員風の男性の後ろで、伏田平子らしい女性がタクシーに乗り込む瞬間が。ナンバープレートも一部映っていたので、調べれば誰のタクシーなのかはすぐにわかるはずです」
「そこまで……そこまでやるんですか! そんな……針の穴に糸を通すような可能性に、あなたは賭けたというんですか!」
もはや小竹の表情には驚愕を通り越して絶望が浮かんでいた。一方、榊原は何でもない風に肩をすくめる。
「もちろん、これだけにすべてを賭けたわけではありませんよ。二〇〇三年三月二十日の浜松市内の様子を記録したありとあらゆる記録媒体にしらみつぶしに当たりました。大変でしたが、何しろ四年間もありましたからね。時間のある時を使って地道に調査を続けていたんですが、つい三日ほど前にある人物から聞いた話がきっかけで、やっとこの映像の存在に行き当たったんです。本当に……大変でしたよ」
そう言いながら、榊原は三日前の瑞穂との会話を思い出していた。あの時、榊原はこの事件に対して考えていた自身の推理を瑞穂に語り、最後に小竹を追い詰めるための証拠が今一歩足りないがために未だに追及できずにいるという事を苦々しげに告げたのだった。既に証拠がそろって手配がかかっている平子と違い、事件への関与を示す証拠が根本的に少ない小竹を追及して完全に落とすには、安全圏にいる状態から不意打ち的に奇襲して相手側にボロを出させる必要があり、それゆえに追及のチャンスは一度きりしかない。そうなると、よほどちゃんと理論武装していなければ小竹を追い詰めることはできず、それゆえに決定的な証拠がなかなかそろわない現状では小竹と対決のタイミングを決める事ができないというのがこの事件の実態だった。そんな事情でもなければ、榊原ともあろう男が何年も小竹を放置しておくはずがなく、瑞穂にこの事を話したのは榊原としては珍しい愚痴のようなものであった。
ところが、それを聞いた瑞穂は「ウーン」と唸りながらも彼女なりに「三月二十日」という日付について思いつく事がないか考え、少し遠慮がちにこう言ったのだった。
「そうですねぇ……三月二十日と聞いて私が思いつくのは、今年の春分の日だとか、地下鉄サリン事件が起こった日だとか、後はイラク戦争が開戦した日だって事くらいですかねぇ……」
何でも中学生の頃に、開戦から数年しか経過していなかった事もあってか社会科の定期テストの時事問題か何かのリード文にそんな事が書いてあったのを覚えていたらしい。が、それを聞いた榊原は何か引っかかるものを感じ、少し考えた末に先程のインタビュー映像の可能性に思い当たるや否や即座に静岡県警の榎本警部に連絡した上で確認を要請。その翌日、県警からついに該当する映像が発見されたという連絡が入ったのである。それは、四年間放置せざるを得なかったこの事件に、ついに決着をつける時が来たという合図であった。
正直、あの会話がなければこの映像にたどり着く事は出来なかっただろう。そして、この映像が発見できたからこそ、四年間やりたくてもできなかった小竹宗太郎を追い詰めるための準備ができ、こうして名前さえ挙がる事なく安全圏に逃げ込んでいた小竹との直接対決に踏み切るきっかけになったのである。瑞穂の何気ないたった一言から映像の可能性に気付いた榊原はさすがであるが、そう言う意味では今頃事務所で留守番しているはずの瑞穂に対しても感謝せねばならならず、またヒントをくれた瑞穂のためにも、何が何でも小竹を落とす必要があった。
「化け物……」
そんな榊原の回想をよそに、小竹は呻くように言葉を漏らした。榊原の事件に対する「執念」に、小竹の戦意は挫かれる寸前である。榊原はこの機を逃さず一気に畳みかけた。
「何にしても、これで五年前の三月二十日にあなたが伏田平子を浜松駅で乗せた事は立証できると思います。これに対して何か反論はありますか?」
だが、ここまで追い込まれても小竹はぎりぎり耐える。
「……仮に……仮に五年前に彼女をタクシーに乗せていたとしても、それが何だっていうんですか! さっきも言った通りもう五年も前の話なんです! 何年も前に一回乗せただけの流しの客の事なんかいちいち覚えていませんし、実際記憶にも残っていません!」
必死の反論だった。だが、このような反論をされるのは映像が見つかった時点で榊原も想定をしていた事だった。
「確かに。ですが、このインタビュー映像であなたが浜松駅から伏田平子を乗せた時間がはっきりしました。時間は午後一時三分。そして、この日伏田平子が参加したサイン会については、出版社側に映像記録が残っていました。この記録によれば、伏田平子が会場入りしたのは午後三時十五分。サイン会開始は午後二時だったので約一時間の遅刻です。映像では、本人は新幹線に乗り遅れたと言って謝罪しており、この映像しかなかった今までは我々もその発言を崩す事ができない状態でした。が、この浜松駅の映像が発見された以上、前提条件は大きく変わります。彼女は新幹線に乗り遅れてなんかいない。予定通り会場に間に合うはずの午後一時過ぎという時間にちゃんと浜松駅からタクシーに乗っています。しかし、彼女がサイン会会場に到着したのはそれから二時間以上が経過した午後三時十五分。すぐに確認を取りましたが、浜松駅からサイン会のあった浜松市内の会場までタクシーで二十分程度。どれだけ渋滞に巻き込まれても二時間というのはあり得ません。つまり、彼女があなたのタクシーに乗ってから会場に到着するまでの間に、謎の空白の二時間が存在する事になるんです!」
榊原は鋭く切り込んだ。
「さぁ、説明してもらいましょうか。浜松駅で乗せてから会場に到着するまでの二時間……あなたと伏田平子は一体どこで何をしていたのか!」
「だ、だから、そんな事覚えていません!」
ついに小竹は絶叫した。
「何度も……本当に何度も言うように、五年も前の話なんです! もしかしたら彼女が指示を出してどこか途中で下したのかもしれないし、あるいはどういう理由か適当に流すように言われたのかもしれない! でも、今さらそれを証明するなんて不可能です! とにかく、空白の二時間があるからと言ってそれが即私とずっと一緒にいたという証明にはならないはずです!」
「ここまで立証してもまだ認めませんか!」
「認めるわけがないでしょう! 私は伏田平子なんて女は知らない!」
「しかし、あなたが五年前に彼女をタクシーに乗せた事は疑いようのない事実です!」
「だから! 覚えていないと言っているでしょう! 大体! その映像とやらに映っている女が本当に伏田平子かどうかもわからないじゃないですか!」
「顔立ちも似ていた上に、服装も直後の当時サイン会の映像で着ていたものと同じ! 装飾品や付属品もほぼ同じです! これで違うというのは無理があるでしょう! それとも、あなたは誰か別人が彼女に変装していたとでもいうつもりですか!」
「わからないじゃないですか! 人というのは装飾品一つで印象が似るものです! 例えばたまたま伏田平子と同じ服や眼鏡をした女性が私のタクシーに乗った可能性だって、ないとは言えないじゃないですか!」
その言葉が小竹から発せられた瞬間、その場が一気に静まり返った。そして、榊原は小さく息を吐くと、小竹に対して最後のとどめを刺しにかかった。
「……ようやく、ボロを出してくれましたね」
「え……」
「最初に確認しましたが、あなたは伏田平子の事を見た事も聞いた事もないと主張しています。あれだけ念押しした以上、もはやこの段階でそれを否定する事は許されません。その上で……どうしてあなたは、一度も見た事がないはずの『伏田平子』という女性が『眼鏡をかけていた事』を知っていたのですか?」
それを聞いた瞬間、小竹は目を大きく見開いて絶望の表情を浮かべた。自分がとんでもない失言をしてしまった事を、遅まきながら気づいてしまったのである。
「あ……あぁ……」
「私は、今まで彼女が眼鏡をかけていたなどという発言は一度たりともしていません。にもかかわらず、あなたは彼女が眼鏡をかけている事が当たり前のような発言をしました。一度も出会った事がないはずの女性が眼鏡をかけていた事……その事実を知っていた理由をこの場でぜひ教えてもらえませんか?」
「そ、それは……」
小竹は一瞬詰まったが、すぐに必死の悪あがきを見せる。
「それは……本屋でたまたま見た彼女の本に著者近影の写真があったから……」
「あり得ませんね。あなた、さっき自分で『彼女の著作を読んだ事はない』と断言していたはずです。今さらそれを覆すのは虫が良すぎますね」
あっさり駄目出しされ、小竹は言葉に窮したが、それでもなおあがきをやめない。
「ち、違う! そうじゃなくて……そう、街中で彼女の手配書を見て……」
「それも駄目でしょう。あなたは最初に如月事件について一切知らなかったと言っています。事件を知らない人間が事件の手配書の顔写真を覚えているとは私には思えませんね」
「……」
もはや反論は続かなかった。小竹自身、自分が取り返しのつかない失言をしてしまった事を事実として受け入れざるを得ないところまで追い詰められていた。
「眼鏡の事を知っていた以上、あなたが伏田平子の事を知らないというのは嘘という事になります。では、あなたがそんな嘘をついた理由は何なのか? それは、あなたと伏田平子が知り合いだった事がばれるとまずい何らかの事情があなたにあったからに他なりません。では、その事情とは何なのか? ……事がここに至った以上、もはやそれは一つしか考えられません。すなわち、四年前の如月事件においてあなたと伏田平子が協力関係だったという事実です」
「……」
「さっきも言ったように、あなたと伏田平子が知り合いで、しかもその事実をあなたが隠そうとしていたという事は、あなたが如月事件に関与していた事を示す明確な証拠になります。ここに如月月夜とのDNA鑑定の結果が加われば、警察はあなたに事情聴取や家宅捜索を求める事に何ら躊躇しないでしょう。そうなれば、あなたが伏田平子を殺害した決定的証拠はいくらでも出てくるはずです。もちろん、ここまで証明してなお反論するというなら私はいくらでも付き合う覚悟ですが……」
そう言ってから、少し間をあけて榊原はこう告げた。
「もうやめませんか? すでに、あなたとこの墓石の下で眠る如月勝義の目的は達成されてしまっています。如月氏がすでに死んでいる以上、これ以上あなたが事実を隠して一人苦しむ必要などありませんし、そんな姿を娘さんも見たいとは思わないはずです。何より、私もこれ以上あなたを追い詰めたくない。それでもあなたが抵抗するというのであれば、不本意ですが私も探偵としての信念にかけて、あなたが再起不能になるところまで徹底して追い詰めなければなりません。しかし今なら……今ならまだギリギリではありますがあなたの『自首』という扱いでこの事件を終わらせる事ができなくもありません」
直後、うつむいたままの小竹の肩が小さく震え始めた。そんな小竹に榊原は静かに訴える。
「あなたが血も涙もない殺人鬼だとは私も思っていません。しかし、このまま真実が明らかにならなければいつまでも事件は終わらず、あなたの娘さんも永久に救われません。何より、仮に私の追及を逃れられたとしても、あなた自身が絶対に救われない。だから、もう終わらせましょう。終わらせて……すべてに決着をつけましょう。それができるのは、今となってはもうあなただけなんです」
「……」
「小竹さん!」
その瞬間だった。小竹の体の震えが急に止まり、彼はそのまま大きく空を見上げた。そして、目を閉じたまま深く息を吸うと、少しして目から一筋の涙をたらしながらポツリとこう呟いた。
「……わかっています……わかっているんです……終わらせないと……いけないんですね……月夜……すまない……」
小竹は静かに目を開けると、ゆっくり顔を榊原の方に向けた。そして少し間を取った後、静かながらはっきりとした口調で、榊原に向かって正面からこう告げたのだった。
「……私が彼女を……伏田平子を……殺しました」
そのまま深々と榊原に頭を下げる。直後、緩やかな風が墓地を吹き抜け、榊原も黙って目を閉じてその告白を受け取った。それが、四年……否、如月月夜の失踪を含めれば七年にもわたるこの事件が、本当の意味でついに終結した瞬間だった。
「あなたの口から、この事件の経緯を直接聞きたいのですが、構いませんか?」
自白から数分後、榊原のその言葉に、小竹は何か覚悟を決めたように顔を引き締めると、ポツポツと語り始めた。
「私が彼女……伏田平子と出会ったのは十七、八年も前の事です。一緒にいたのは半年くらいでしたが……」
「一緒にいた、という事はもしかして……」
「お察しの通り、同棲していました。当時の私は若気の至りというかかなり荒れていましてね。色々と無茶苦茶な事をやっていました。彼女ともそんな生活の中で出会ってそのまま同棲する事になりましてね。最初のうちはよかったんですが、そのうち口論が絶えなくなって、ある日今までにない大喧嘩をした後、彼女はそのままアパートの部屋から出て行きました。まさか……その時彼女が妊娠していたなんて思ってもいなかったんです」
その言葉に、榊原は眉をひそめた。
「あなたは彼女の妊娠を知らなかったと?」
「はい。というより、後からあの子の年齢を逆算してみると、彼女自身もこの時点ではまだ妊娠に気付いていない段階だったんだと思います。もしあの時私が彼女の妊娠を知っていたら、彼女を追い出すなんて馬鹿な真似はしなかったはずです。……とにかく、経緯はどうであれ彼女はそのまま私の部屋を出て行き、私はその後色々あって、結局こうしてタクシー運転手として生活する事になりました。そのまま、彼女の事は過去になるはずだったんです」
「……いつ、如月月夜があなたの娘だと自覚したんですか?」
榊原の問いかけに、小竹は素直に答えた。
「今から八年前……あの子が失踪する一年ほど前です。あの日、私は浜松駅の近くでタクシーを流していて、そこで偶然にも仕事でこっちに来ていた如月先生を客として乗せる事になったんです。最初はたわいもない世間話をしていましたが、その中で如月先生の娘の話になりました。そして、その子がいわゆるロッカー児童で、保護された後に先生の養子になった事や、とても素直で父親想いのいい子に育っているという事、そして彼女がロッカーから発見された時に手に持っていたある物の事に話題が移ったんです」
「手に握っていた物?」
初めて聞く情報に榊原は思わず問い返す。
「はい。実は、あの子はロッカーから見つかった時に手にある物をしっかり握りしめていたんだそうです。それはある地方のマイナーな神社で買った恋愛成就のお守りでした。そしてその実物を如月教授から見せられて、タクシー運転手としては未熟な事に、私は激しく動揺してしまいました。なぜなら、そのお守りは私が伏田平子と同棲していた時に、彼女にプレゼントしたものと色も形も同じだったからです。なぜそれがロッカーから見つかった赤ん坊の手に握られていたのか……そこまで考えて、私の頭にはある恐ろしい考えが浮かびました。つまり、別れた後の彼女が出産し、私の存在を忘れるためにその子にお守りを持たせてロッカーに捨てたのではないか……つまり、そのロッカーから見つかった子供が、もしかしたら私の娘ではないかという考えです。計算してみると日付に矛盾はなく、そうなる心当たりも私にはありました」
小竹は一度小さく息を吐くと、震える声で話を続行する。
「思わず気が動転してタクシーをよろめかせてしまった私に、如月先生は心配そうに声をかけてきました。私はこの恐ろしい想像を一人で黙っている事ができず、思わず今までの経緯をすべて如月先生に話してしまったんです。普通だったら『何を馬鹿な事を』とでも言われて終わってしまいかねない話を、先生は真剣に考えてくださって、少ししてこうおっしゃりました。『だったら私に考えがある。君が望むなら、それをやっても構わない』と」
「考えとは?」
その問いに対する小竹の答えは簡単だった。
「DNA鑑定を使った私と如月先生の娘……あえて『月夜』と呼びますが、彼女との親子関係の確認です。私はその提案に対して、反射的というか無意識に首を何度も縦に振っていました。このままこの恐ろしい考えを放置しておく事がとてもできなかったからです。多分先生としても、本当の父親がいるなら彼女のためにも特定してあげたいという思いがあったのでしょう。そんなわけで、私は如月先生にお願いして民間の鑑定会社に私の唾液と月夜の髪の毛を送ってもらい、私たち二人に親子関係があるかどうかを確認する事になりました。もちろん、月夜には内緒で、です」
一瞬黙った後、小竹ははっきりとした口調で告げた。
「結果は言うまでもないでしょう。報告書には『両サンプルの親子関係を認める』とはっきり記されていました。つまり、私の恐ろしい想像通り、月夜は私の実の娘だという事が証明されてしまったんです。自分に血を分けた娘がいた……その事実に私は驚き、そして思わず涙を流していました。それが驚きのせいだったのか嬉しさのせいだったのか……今でもよくわかりません」
小竹は榊原を前にして、腹をくくったように話を続ける。
「結果が出た後、私は如月先生と今後の事について話し合いました。私は、父親であるとわかったからと言って幸せな生活を送っている月夜を如月先生から引き離すような事はしたくなかったし、今さら私に親を名乗る資格などないと思いました。ただでさえ生活が苦しい私が引き取ったところで彼女を養えるか怪しいですし、何より今ここで私などという見知らぬ人間が親だと名乗り出たら、彼女は自分が捨て子だという事実を改めて心に刻みつける事になってしまうかもしれない。私は月夜が自分の娘だとわかったからこそ、実の娘にそんな『不幸』を味わってほしくありませんでした。親として、私たちが不始末を犯した分、彼女には『幸福』に生きていてほしかったんです。だから、私は自分が親だという事を彼女には名乗らない事にし、散々私を説得してくださった如月先生も、最後には私の決意を尊重してくださいました。私は、如月先生と協力して、彼女を陰から支える事にしたんです」
「……」
「正体を伝えられないとはいえ、私に娘がいたとわかっただけで、日々惰性で過ごしていた私の人生がいきなり明るくなったように感じました。如月先生とは定期的に連絡を取るようになって、そのたびに彼女が今どんな成長をしているかを聞かせてもらっていたんです。もちろん、会いたいという気持ちもありましたけど、それが許されない立場だという事も理解はしていました。だから……あの子が失踪する一週間前、如月先生が用事にかこつけてあの子と一緒に私のタクシーに乗ってくれた時は、思わず涙ぐみそうになったものです」
「生前の彼女と出会ったんですか?」
小竹は頷いた。
「もっとも、彼女にとって私ははただのタクシー運転手に過ぎないはずですが、元気いっぱいにすくすく育っているあの子を一目見られただけで私はもう何も思い残す事がありませんでした。今でもあの時の幸せそうな月夜の姿は、私の瞼に焼き付いています。まさか……その『幸福』のすぐ後に『絶望』が広がっているだなんて、あの時の私は想像もしていなかったんです」
「……如月月夜の失踪、ですね」
榊原の言葉に、小竹は力なく頷いた。
「あの日、如月先生からその事を電話で知らされて、私は目の前が真っ暗になるかと思いました。でも、立場上私はその捜索に力を貸す事は出来なかった。何もできないまま時間だけが過ぎていき……それでも月夜は見つかりませんでした」
小竹の苦しそうな表情が、その時の彼の苦悩を如実に示していた。榊原は黙って先を促す。
「月夜が失踪してから二週間ほどして、如月先生が私にコンタクトを取ってきました。表立って会う事は出来なかったので、私が偶然を装って如月先生をタクシーに乗せて、適当に道路を走らせながらようやく互いに突っ込んだ情報交換をする事ができたんです。如月先生は、これだけ捜索して見つからない以上、月夜が何か犯罪に巻き込まれた可能性を考えていました。そして、月夜の命がほとんど絶望的である事も、この時点ですでに考慮しなければならなかったんです」
「……」
「そして、如月先生は月夜の命を狙う相手に心当たりがないかと私に聞いてきました。それを聞いた瞬間、今でも不思議ですが私の頭に即座にあの女の顔が浮かんできたんです」
「伏田平子、ですか」
小竹は小さく頷く。
「もし、月夜の失踪が計画的なものなら、月夜を恨んでいる可能性がある人間として思いつくのは伏田平子だけです。何しろ、月夜をロッカーに捨てて殺そうとした張本人なわけですから。それに、同棲していた時に彼女の精神的な危うさのようなものを薄々感じていた事を、悔やむ事にその時になって思い出したんです。今思えば……彼女と別れる事になったあの大喧嘩も、そんな彼女の精神的な危うさに端を発するものだったような気がします」
「それで、如月氏にその話を?」
「えぇ。今まではする必要もないと思ってしていませんでしたが、こうなってはそんな事を言っている場合ではないと、月夜の母親……つまり月夜をロッカーに捨てた犯人の事について詳しく話しました。もちろん、この時点では彼女の存在は数ある可能性の一つに過ぎず、彼女を疑う明確な根拠もなかったのですが、他に手掛かりがない以上、まずは彼女について独自に調べてみようという事になりました。でも、結局なかなか尻尾を掴めず……いつの間にか月夜が消えてから二年の歳月が過ぎていました」
と、小竹は急に拳を握りしめた。
「そんな時に……突然彼女の方から私に接触をしてきました」
「接触してきたのは、伏田平子の方からだったと?」
小竹は頷いた。
「あの事件が起こる一年ほど前……さっきのあなたの言葉が正しいのなら二〇〇三年の三月二十日という事になるんでしょうが、とにかくその日、私はいつも通り浜松駅前で客待ちをしていました。そしたらそこに彼女が乗り込んできて……。私は驚きましたが、向こうはすました表情で適当に流すように言ってきたんです。明らかに、私が浜松市内でタクシー運転手をしている事を知った上で乗ってきたようでした」
「彼女とどんな話を?」
「私は当初何とか彼女から月夜の失踪に関係する情報を引き出せないかと思っていました。ところが……驚いた事に彼女の方から月夜の失踪の話をしてきたんです」
思わぬ話に榊原も少し眉をひそめる。小竹は何かを押さえるように話を続けた。
「軽い近況報告をした後で、あいつは私と別れた後で月夜を生んだ事、彼女をロッカーに捨てた事、その後月夜が如月先生に引き取られた事まで不気味なほど素直に明かしました。そして、月夜が失踪している事も。正直、彼女の意図がわからず私は困惑しました。私と如月先生がつながっている事を知った上でこんな話をしているのか、あるいはそれ以外の意図があるのか……。そしたら、彼女は思わぬ事を言い始めたんです」
「思わぬ事というのは?」
小竹は一度言葉を切り、そして振り絞るようにこう告げた。
「『月夜の失踪には養父の如月勝義が関わっている』と」
「……」
「戸惑う私に彼女はこう続けました。『養父の如月勝義は実は月夜を虐待していて、彼女の失踪もその虐待の延長で何かあった……有体に言って殺された可能性がある。一度捨てた子供とはいえ、我が子をそんな目に遭わされて私は如月勝義を許す事ができない。だから、私は如月勝義に復讐しようと思う。ついては、父親のあなたにもその復讐の協力をしてほしい』と。……そんな戯言を、いかにも悲壮な表情でいけしゃあしゃあと言いやがったんです!」
小竹は怒りの形相で吐き捨てた。
「聞いていて、私は怒りの表情が表に出ないようにする事で必死でした。如月先生が彼女をとても大切にしていた事は、他ならぬ私自身がよく知っています。にもかかわらず、彼女は如月先生が月夜を虐待していて、あまつさえ彼女を殺したとまで言ったんです。その上で、私に如月先生を殺す事に協力するように言ってくるなんて……。私は確信しましたよ。月夜を殺したのはこいつだと。そして、彼女は如月先生が月夜の失踪を調べていた事は知っていても、私と如月先生が裏でつながっている事を知らない。口では娘の敵討ちだなんて言っているが、実際は自分の事をしつこく調べている如月先生の口封じを、月夜の死の責任まですべて押し付けた上でやろうとしているんだ、と」
小竹は自嘲気味に笑う。
「傑作でしょう。その時点で、彼女の思想が歪んでいる事が痛いほどよくわかりました。彼女にとって親子というものはそういう存在なんです。幸せな親子なんかあるはずがない。親子は不幸なものだ。そんな自分勝手な考えを、よりによって自分の殺した相手の家族にまで押し付けようとしている……。どころか、『娘の話を出せば私が必ず協力するはず』と言わんばかりに私までその考えに巻き込もうとした。私は、すでに彼女を素直に司直の手に渡そうなどという気はこれっぽっちも起こらなくなっていました」
「……」
「ですが、これは彼女とのつながりを持てる好機でもありました。私は少しもったいぶった風に『考えさせてほしい』と答え、覚悟を決めたらまた連絡すると思わせぶりに答えました。彼女も時間がなかったようでそれで納得し、携帯ではなく自宅の電話番号を私に渡して降りて行きました。彼女を騙す事に罪悪感はありませんでしたよ。……その日の夜、私は早速如月先生に連絡して、タクシーの中で彼女の接触についての相談を行いました」
いよいよ、話が事件の核心へ近づいていく。
「状況から考えて、彼女がすべてを擦り付けた上で如月先生を殺そうとしている事は確実でした。ただ、こちらのアドバンテージは彼女がすでに如月先生と私が協力関係にある事を知らない事です。私が彼女に対して『協力する』旨を伝えれば彼女がどのように如月先生を殺そうとしているかはたやすくわかります。つまり、私たちは彼女の計画を知った上で彼女の犯行計画を利用できる立場にいたんです。そこで、私たちはこの状況を利用して何ができるのかを話し合いました。証拠もないこの状況で彼女を警察に訴える事はできそうもありませんし、何よりもはやこの時点で私も如月先生も自分たちの手で彼女に復讐すべきだという思いで一致していました。また、こんな女の好き勝手で如月月夜という存在がこの世から消されてしまうなどという事が断じてあってはならない。そんな思いを胸に考えた末に出てきたのが……『あえて如月先生が伏田平子に殺される事で月夜に関係する都市伝説を拡散させ、「如月月夜」という存在を都市伝説という形で未来永劫この世の中に残す』『同時に残った私が犯行の隙をついて伏田平子を殺害し、この都市伝説の拡散を補強する』と言うあなたが推理した通りの計画でした」
「……つまり、これでこの事件は犯人と被害者の双方が互いそれぞれの計画を立て、その双方に同一の協力者がいる、という極めて異例な構図になったわけですね」
榊原の言葉に、小竹は頷く。
「もちろん、如月先生が死ぬ事になるこの計画に最初は私も反対をしました。でも、先生の決意は固かった。と言うより、彼女のこの行動で月夜の死はほぼ確定してしまいましたから、如月先生はすでに自分だけが生きている事の意味を見いだせなくなっているようでした。ならば、この命は娘の復讐、犯人への一撃のために使いたい。同じ父親として如月先生の気持ちが痛いほどわかる私に、もはやそれを止める事はできませんでした。私自身、もし如月先生の立場ならそうしていたでしょうから」
「……」
「数日後、私は指定された伏田平子の電話にかけ、犯行に協力する旨を伝えました。その際、彼女から如月先生を殺す具体的な計画を聞いたんです。それは、如月先生がよく宿泊してた浜松市内のホテルに泊まり続け、自身の泊まる部屋に盗聴器を仕掛け続けながら犯行の機会を待つというかなり気の長い計画でした。ただ、この犯行を実行するにあたって、犯行後に警察の尾行から逃亡するために万全の状態を敷く必要があった。なので、私には犯行が行われた当日にタクシーで指定された場所で待機し、彼女を尾行してくる刑事を乗せて自分の乗る他のタクシーへの尾行をうまく失敗させてほしいというかなり変化球的な役割を要求してきました」
その辺りは榊原の推理とほぼ同じ内容だった。
「犯行がいつ起こるかわからない状態だったので、警察に感づかれないために犯行当日まで一切連絡を取らないようにというのが向こうの要求でした。怪しまれないためにも私はそれを飲むしかなかった。一方で、私は彼女に気付かれないように如月先生とも電話ではなくたまにタクシーに乗せる形で定期的に情報交換を続け、この微妙な三角関係は約一年続きました」
「……事件前日に聞き取り調査を目的に如月氏があなたの自宅を訪れたのもその定期連絡の一環ですか?」
小竹は頷いた。
「そうです。最後の話し合いでは、如月先生が数日前に自分の知り合いの探偵に月夜の捜索を依頼したと言っていました。もし、伏田平子が如月先生の行動を逐一調べているなら、この依頼の事を知って犯行を早める可能性がある。この心理戦が始まってから一年が経過して、いっそのこと私たち側からあいつの背中を押してやるつもりでこんな事をしたみたいです。……今さらですが、もしかして……」
小竹の問いに、今度は榊原が深く頷いた。
「はい、その探偵というのは私です。だからこそ、私はこうして如月事件に介入し、ずっとこの事件を調べ続けていました」
「……皮肉なものですね。如月先生のかけた保険が、巡り巡って事件のすべてを終わらせる切り札になるなんて。……いや、もしかしたら如月先生はそこまで見越した上であなたに依頼したのかもしれませんが……今となってはわかりませんね」
小竹は首を振りながら続けた。
「それが私が生前の如月先生に出会った最後です。その日の夜、条件が整った伏田平子は如月先生を殺害し、それを受けて私は当初の予定通り彼女が刑事の尾行をまくのに協力。その後、警察から解放された後で、新浜松駅の近くに隠れていた彼女をタクシーに乗せて、北部の山の方へ走りました」
「……その後は?」
榊原の簡単な問いに、小竹は少し言葉を詰まらせた後、ついに「その瞬間」を語り始めた。
「薄暗い山道の脇の空き地で車を止めると、彼女はホッとしたように大きく伸びをしました。そして、報酬のつもりなのか私にいくばくかのお金を渡した後、『乾杯しよう』と言って、缶ビールを渡してきたんです。ただ、私は騙されませんでした。口封じ目的で如月先生を殺した彼女が、犯行の一部始終を知る私を生かしておくはずがない。用が済んだら必ず私を殺そうとするはず。そして、女性の彼女が私を殺そうと思ったら、睡眠薬なりで私の動きを封じる必要がある、と。そして、彼女は不眠症対策という名目で睡眠薬を持っていました」
「……」
「一瞬でしたよ。私は缶ビールを受け取り、彼女が自分の缶ビールを開けようとした瞬間を見計らって彼女に襲い掛かりました。彼女は抵抗しましたが、私には勝てなかった。私は座席に組み伏せ、用意していたロープを彼女の首に巻き付けた上で、彼女にすべて知っている事をここで初めてぶちまけました。彼女は大きく目を見開いて心底驚いていましたよ。なまじ綿密な殺人計画を立てたから、自分が利用していた相手が逆に自分に罠を仕掛けていたなんて、これっぽっちも思っていなかったんでしょうね。でも、殺す前にどうしても聞いておかなければならない事があった。私はロープに力を込めながら月夜をどこに隠したのか詰問しました。最後の希望に望みをかけたんです。でも……彼女はそれを覚えていないと言った。どこかの鍾乳洞の中に放置したところまでは震えながら吐きましたが、かなり森の奥だったので今となってはその鍾乳洞の場所もわからないという事でした。怯え方から見て嘘をついている気配はなかった。気付いたら私は激高していて……記憶が戻った時には、私の目の前で彼女は青白い顔をした死体になっていました。車内の時計を見ると、午後十一時になろうかどうかというところでした」
小竹はうなだれながら力なくそう言った。
「後は事前に如月先生と打ち合わせした通りに事を運びました。近くの森の中に彼女の死体を埋め、後で逆探知されても大丈夫なように一定程度殺害現場から距離を取ってから、如月先生から聞いていた月夜が生前作ったという怪談話……今では『きさらぎ駅』と呼ばれているようですが、それを飛ばしの携帯から『知由子』のハンドルネームでネット上の掲示板に書き込み続けました。すべてが終わるとその携帯は海に投げ捨てて……それですべて終わったんです。後日、如月先生の思惑通り、「きさらぎ駅」がネット発の都市伝説として社会に浸透した事を知りましたが……正直、達成感も何もありませんでした。私がやったのは……それがすべてです」
それが小竹の話がすべて終わった事を示していた。だが、その上で榊原は小竹に対してこう問いかけた。
「その『知由子』のハンドルネームですが……これにも実は意味があった。違いますか?」
「……気付いていたんですね」
それを聞いて、小竹は自嘲気味に笑った。榊原はそれに対し真剣に答える。
「えぇ、まぁ。気付いたのは投稿されてから数日後でしたがね。わかってみれば簡単なアナグラムです」
そう言うと、榊原は解答を示した。
知由子=TIYUKO ⇒ TUKIYO=月夜
「つまり、『知由子』は『月夜』……如月月夜のアナグラムになっていたわけです。この都市伝説はあくまで『如月月夜の都市伝説』である。それを強調するために、あなたはわざわざこんな凝ったハンドルネームを作ったのでしょう。ですが……もし本当に伏田平子が投稿者なら、如月月夜の殺害を隠蔽するために殺人を犯している彼女が、隠そうとしている月夜の名前を自分から使うはずがありません。尋問で見た彼女の性格から見て、こういう挑戦的な言動をする人間には見えませんでしたしね。こんなハンドルネームを使っている時点で、誰かが彼女を語った偽装工作をしているという事が逆に証明されたようなものです。実の所、私がこの投稿が伏田平子の手によるものではなく、事件にはもう一人の関係者がいると気付いたのはこのハンドルネームの一件もあったからなんですよ」
「……ははっ、下手な小細工は逆効果って事ですか……。確かに、演出過剰でしたね」
小竹は力なく笑うと、やがて小さく息を吸って深々と頭を下げた。
「……探偵さん、改めてありがとうございました」
その態度に、榊原は少し眉をひそめた。
「なぜ礼を?」
「この四年間……抱えきれない秘密を抱えて、心の中で私はずっと苦しんできました。しかし、如月先生の思いを貫くために、私は秘密を守り、どこまでも否定し続けなければならなかった。でも……それも今日で終わりです。あなたがすべてを暴いてくれたおかげで、私はようやく、償いたくても償えなかった自分の罪を償う事ができます。だから……謎を解いて頂いて、ありがとうございました」
そのある意味潔い態度に、榊原は相手が殺人犯である事も忘れて一種の感嘆すら覚えていた。同時に、この犯人が嫌いになれない自分がいる事にも気づいていた。が、榊原はあくまで探偵である。ゆえに、探偵として彼に対して通告を行わなければならなかった。
「小竹さん……すでに気付いているかもしれませんが、私はすでにこの推理を静岡県警に一通り話しています。そして、私があなたをここに誘い込んだ後、県警の刑事たちがこの墓地を囲んで私があなたを追い詰めるまで待機する手はずになっています。私が合図をすれば……彼らがすぐにでもここに踏み込んであなたを逮捕するでしょう」
「そう、ですか……。そうですよね。あなたほどの人が、そこで手抜かりをするはずがありませんよね」
小竹は寂しく笑いながら言った。
「さっき言ったように、今回はあなたが『自首』をしたという形にしてもらえるよう、私からも県警に頼んでみるつもりです。その点については私も約束を守ります。それと……何か最後に言っておきたい事や頼んでおきたい事があるなら、私がここで聞きましょう。私は今さらあなたが罪を逃れようとするとは思っていませんから」
「……じゃあ、一つだけ。あなたの推理力を見込んで、聞いておきたい事があります」
小竹はそう言うと、榊原にとっても思いがけない事を尋ねた。
「月夜が……私の娘がもし今も生きていたとしたら、一体どんな子に育っていたと思いますか? あなたは……あなたほどの人なら、それを推理する事ができませんか? ……後生の頼みです」
その問いに対し、榊原は反射的に『夢』の中で出会った『彼女』の事を頭の隅で思い出しながら、静かにこう言っていた。
「確証はありませんが……父親想いの聡明な子に育っていたと思います。あくまでも、私の推測に過ぎませんがね」
「そうですか……ありがとうございます。あなたが言うなら、何か理由があるんでしょう。私は、それを信じる事にします。これで、思い残す事はありません……お願いします」
その言葉に、榊原は一瞬躊躇したものの、やがて小さく合図を送った。その合図に、すぐさま墓地の入口から榎本を中心とする県警の刑事たちが歩いてくる。
「小竹宗太郎さんですね? 四年前の如月事件、及び伏田平子失踪の件についてお話を聞きたい事があります。現段階ではあくまで任意ですが……御同行頂けますか?」
「……はい。お手数、おかけします」
その言葉と同時に小竹はどこか吹っ切れた表情で刑事たちと一緒に墓地を後にしていった。最後に残った榎本が榊原に一礼する。
「榊原さん、今回はありがとうございました。後でもう一度話を聞きたいので、浜松署に来てもらえますか?」
「もちろんです」
その返事を聞くと、榎本は無言でその場を去っていった。残された榊原は、もう一度如月の墓の前に立つと、ポツリと呟いた。
「ご覧の通りです。もしかしたらあなたにとっては不本意だったかもしれませんが……一度事件にかかわった以上、これが私の責務です。何にせよ、これで事件の決着は全てつきました。小竹氏の事は悪いようにはしません。後は……安らかに眠ってください」
その瞬間、周囲の竹林が風に揺られてざわざわと音を立てる。それを肌で感じながら、榊原はゆっくりと墓地を後にしたのだった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます