第六章 きさらぎ駅~怪異
……電車が去っていくと、駅舎のホームには榊原一人だけが残された。辺りは不気味な静けさに包まれており、推理の間響き続けていた鈴の音や、そよ風の音さえもない。そんな状況にもかかわらず、榊原は小さく息をつくと、ポツリと呟いた。
「……これでようやく終わった、か。さて……私はどうしたものかな。このまま帰れないとなれば、それなりに対策を考えないといけないわけだが……」
榊原がそう言って、今や誰もいなくなった先程まで伏田が立っていたホーム端の外灯の方をぼんやりと眺めた……その時だった。
……チリン……
先程まで鳴り響いていた鈴の音が、今度は榊原のすぐ近く……より正確に言えば榊原の背後、つまりホームの反対側の端の方で聞こえた。途端に、今まで点いていたホーム端の外灯が激しく点滅してそのまま不意に力尽きたかのように消え、同時に、榊原が立っていた改札前の外灯も小さく点滅し、そのまま消える。一瞬、その場に闇が訪れる。
「……」
だが、そんな中、先程鈴の音が鳴った榊原の背後から、この世のものとは思えないゾッとするような気配がした。暗闇に包まれた改札前に立つ榊原は、しかし特に気負いのようなものもなく、ゆっくりと背後を振り返る。まるで、そこに何があるのかわかっているように。
……そして、榊原は目撃する。
先程まで点いていなかったはずのホーム反対側の端の外灯がいつの間にか点灯しており、その外灯の下に、浴衣姿におかっぱの髪形をした女性がどこからか鈴の音を響かせながら暗い影を落として無言で立っているのを……
「……」
明らかに異常なこの状況の中で、しかし榊原も相手同様に無言でその女性と対峙した。見た感じ、年齢はちょうど瑞穂と同じくらい……高校生くらいといったところだろうか。だが、今にも消えそうな外灯の明かりの下、女性の目元はおかっぱの髪の陰に隠れていて見えず、ただ口元に不気味な笑みを浮かべている事だけがわかる。浴衣は深い紫色をしており、そして髪飾りには小さな鈴がついていて、この鈴が先程から鈴の音をこの無人駅に響かせ続けている。その雰囲気といい、それは明らかに生きとし生けるものの姿ではなかった。
両者は一定の距離を保ったまま無言で相手を睨み合い続け、そのまま、どれくらいかわからない時間が過ぎていく。そして、どれほど時間が過ぎたかわからなくなってきた頃……先に口火を切ったのは榊原の方だった。
「……最初に言っておく。私は探偵という仕事柄、基本的にオカルトのような話は信じていない。というより、探偵をするにあたって『信じるわけにはいかない』と考えている」
その言葉に対し、相手の少女は無反応だった。榊原は気にする事なく続ける。
「私の仕事は、あくまで現実的な事件を暴き立てる事だからだ。もちろん、私としても頭からオカルトを否定しているわけではなく、ホームズの言葉ではないが不可能な事を除外していって最後に残った結論がオカルトでしか説明できなかった場合は、どんな荒唐無稽なものでもそれを信じるしかないと思っている。正直、ちゃんと論理立てて説明ができさえすれば私個人としては信じる事もやぶさかではない。ただ、現時点において理論的にオカルトがある事を証明できない以上、探偵の私がその手の話を信じるわけにはいかないというのも事実だ」
そう言いながら、榊原は大きく首を振った。
「そして、それはもちろん今まさに私が体験しているこの現象にも当てはまる。個人的にはこの出来事が事実であってほしいとは思う。そうでなければ今まで伏田平子に対して行った推理がすべて無駄になるからだ。だが、この現象を理論立てて説明できない以上、私は『現実の探偵』としてここでの出来事を信じるわけにはいかない。だから、私はここで起こった出来事に関しては、探偵としてあくまで『現実的』に考えるつもりだ。ひとまず現時点で一番可能性が高いと思っているのは……今回の出来事は、あの事件を解決できなかった私が見ている『夢』……つまり『願望』のようなものではないかというものだ。正直、自分でも『夢オチ』というのはいささか強引な結末だとは思うがね。何にしても、そう言うわけで私はこの体験をあくまで『夢』として考えるつもりだ。……実際の所がどうであろうと、ね」
それは、この体験が現実の出来事であると内心信じたいと思いつつも、「現実の探偵」としてそれが許されない榊原が出したギリギリ許容できる結論だった。相手はそれを黙って聞いている。
「その前提の上で……ここから先、私はあくまでこれが『夢』だという認識で話をしたいと思う。私の中でこれはあくまで『夢』だから、ここでは何が起こってもおかしくない。つまり、私が考えている君の正体も……本来なら理論的に絶対あり得ない君の正体も、『夢』だからこそ充分にその可能性が成立するものだと考える。その上で聞こう。なぜ、今になって私とあの女を対決させるような事をした?」
そして、榊原は「現実では絶対にあり得ない」彼女の正体を告げる。
「答えを聞こうか。……如月月夜君」
その言葉に、少女……否、七年前に謎の失踪を遂げたこの事件の根幹となる人物「如月月夜」は、その場で微動だにする事なくただ黙って笑みを浮かべたのだった……。
「さっきの伏田平子との対決の際にも言及したが、私の考えでは『如月月夜』はすでに七年前の時点で死んでいる。遺体こそ見つかっていないが、死んでいると考えなければ今回の事件に説明がつかないのも事実だ。またこれもさっき言ったように、事件翌日の深夜、ネット掲示板上に流れた『きさらぎ駅』の都市伝説に伏田平子本人は関与していないようだ。これは本人の話だけではなく、そんな事をする理由が彼女には存在しない事から私も真実だと判断した。犯罪者は無駄な事をしない。無駄な事をしたように見えるならそこには何か必然がある。だが、それでも無駄としか考えられない事をしていたら、そもそもその行為をしたのが本当に犯人なのかという部分から疑う必要があるというわけだ。となると、事件当夜にこの都市伝説を流したのは誰かという問題がまだ残っている。まぁ、これついては私にも一応の推測はあるわけだが……その都市伝説に過ぎないはずの『きさらぎ駅』に死んだはずの君が存在しているというのはいささか予想外の話でね。何にせよ、最後にその辺の事情を……この『きさらぎ駅』とは何なのかという事を、文字通り『夢半分』に聞いておきたいと思うのだが……どうかね?」
榊原のその問いに対し、しかし少女は黙ったままこちらを見つめているだけだった。榊原は小さくため息をつく。
「まぁ、話したくないなら別に構わんがね。とはいえ、それならそれで、私をさっさと『夢』から目覚めさせてほしい。正直、私もいつまでもこんなところにいるわけにはいかないものでね」
そう言って、思わず首を振った……その時だった。
『……「きさらぎ駅」は……「私」は「父」によって生み出された存在です』
今にも消えそうなほどか細く、しかしそれでいながら鈴のように澄んだ声……それが、榊原が初めて聞く「如月月夜」の第一声だった。そのどこか外見年齢に似合わぬ知性さえ感じさせる声に、榊原は再びじっと相手を見据える。
「『父』……というのは、殺された如月鳳鳴……いや、如月勝義のことかね?」
『そうとも言えるかもしれませんし、言えないかもしれません』
「随分曖昧な答えだね。どういう事なのか教えてくれるとありがたいのだが」
榊原の静かではあるがどこか挑戦的な問いに対し、少女は……月夜は先程同様の澄んだ声で答えた。
『……私は、今から七年前に、私の実の母……伏田平子によって殺されました』
「っ!」
本人からはっきり言われて、榊原も思わず息を飲む。だが、相手はそのままの口調でその時の状況を明らかにしていく。
『あの日、夏祭りからの帰り道……友達と別れて、一人でどこかの人気のない踏切に差し掛かろうとしていたところだったと思いますが、突然見知らぬ女の人に声をかけられました。今にして思えば、それが伏田平子……赤ん坊だった私を新浜松駅のロッカーに捨てた実の母だったわけですが、とにかく彼女は私に話しかけてきたんです。しばらく何かを話していて、やがて彼女が缶ジュースを差し出してきたので、喉が渇いていた私はそれを飲みました。それから少しして意識がなくなります。多分、睡眠薬が入っていたんでしょうね』
榊原は、平子が睡眠障害で睡眠薬を常用していた事を思い出していた。一方、月夜は自分が襲われた話だというのに不自然なほど淡々と語り続けていく。
『気が付いたとき、私は踏切のあった場所ではなく、真っ暗な洞窟の中にいました』
「洞窟?」
『鍾乳洞のようでした。母は私を、どこかにある鍾乳洞の中に置き去りにしたんです。多分、自分で手をかけるのがためらわれたから、子供の力では絶対脱出できない洞窟の中に置き去りにして力尽きるのを待つ事にしたんでしょう。私をロッカーの中に捨てたときと同じです』
その時だけ、月夜の言葉が少し自嘲気味になったのを榊原は感じ取っていた。
「その鍾乳洞はどこの鍾乳洞だね?」
『さぁ。今になってもわかりませんし、わからなくても正直どうでもいいと思っています。とにかく、私は恐怖と混乱に襲われながら、真っ暗な鍾乳洞の中を泣きじゃくりながら這い回りました。でも、もがけばもがくほど自分がどこを歩いているのかわからなくなって……結局、それなりの時間歩いた後で、鍾乳洞から脱出できないまま、私は暗闇の中で力尽きました。真っ暗闇の中、冷たい岩の上に倒れて、次第に意識が遠くなって何も考えられなくなったのを今でも覚えています。多分、私はそこで死んだのでしょう』
そして、と月夜は言葉を続けた。
『次に気が付いたとき、私はいつの間にかこの駅の中にいました。姿も三年分成長して、この浴衣姿でそこにあるホームのベンチに腰掛けていたんです。』
「……」
『そして、その瞬間、私は自分が「きさらぎ駅」という「怪異」になった事を自然に悟っていました』
「『怪異』に、なった?」
榊原の問いに、月夜は逆にこんな事を問いかけてきた。
『探偵さんは、オカルト……つまり怪異譚がどうやって生まれるのか知っていますか?』
「……さぁね。私はそっちの方の専門家ではないからわからんね」
榊原は首を振りながら正直に答える。それに対し、月夜は笑みを浮かべたまま答えた。
『その物語が不特定多数に知られ、語り継がれるようになればいいんです。そうすれば怪異は誕生し、一度発生し拡散した怪異は永久に人々に語り継がれ、二度と消える事はありません。私は、「きさらぎ駅」の怪異が不特定多数に拡散されたからこそ、こうしてこの場に生まれる事ができたんです』
直後、月夜は怪しい笑みを浮かべながら告げる。
『そして、実際に「私」を「きさらぎ駅」という怪異の形で生み出されるように仕向けたのは私の「父」だった、という事です』
「どういう意味だね?」
そう尋ねる榊原に対し、月夜は唐突に衝撃的な告白をした。
『あの夜、ネット上の掲示板に流れて結果的に全国に拡散する事になったあの「きさらぎ駅」の都市伝説。……あれを作ったのは、「私」です。もちろん、生前の』
「……当時十歳だった君があれを考えたというのかね?」
榊原の反論に、月夜は小さく首を振った。
『もちろん一からすべて考えたわけではありません。私は、当時父が民俗学者の仕事で収集した都市伝説を父からよく聞かされていて、そのうちそういう都市伝説や自分で読んだ児童文学とか怪談話を参考に、子供ながらに自分で新しい話を作るようになっていたんです。そのいくつかは父も面白いと思ってくれて、ちゃんと読めるように手直しをした上で文集にして保存してくれました。もちろん、私が勝手に作った話だから研究結果として発表するつもりはなかったと思いますけど、多分私が大きくなった時の思い出のつもりだったんだと思います』
「……その君が作ったたわいもない『物語』の一つが、この『きさらぎ駅』だという事か」
その問いに、月夜はゆっくりと頷く。
「つまり、都市伝説『きさらぎ駅』はいくつもの小さな都市伝説や各種文学作品を参考に作られた、いわば都市伝説の集合体のような存在だという事かね?」
『その通りです。昔のテレビの特撮番組で流れていた異次元へ飛ぶ列車の話に、父が地方から収集してきた都市伝説……夜道を歩いているときに片足の老人が声をかけてきた話や、ヒッチハイクして車に乗せてもらった人が恐怖体験をする話なんかをくっつけて、そこに私が昔父に連れられて訪れた北海道の方の無人駅の情景を混ぜ合わせて作った……良くも悪くもたわいもない「子供の想像」だったんです。少なくとも、この時は』
「だが、君は殺され、公には行方不明になった」
押し殺したような榊原の言葉に、月夜は怪しい微笑みを浮かべながら話を続ける。
『父は悲しみました。何よりもつらかったのは、私が明確に死んだという事がわからず、公式には失踪という扱いになっている事です。父は、私の存在がこのままうやむやになる事を良しとしませんでした。そして、父は都市伝説を研究する民俗学者の視点から、消滅しかかっていた「私」という存在を永遠にこの世に残す手法を思いつきました』
そして月夜は告げる。
『それは、私が作った「都市伝説」を本物の都市伝説として世間に拡散する事で、「都市伝説の怪異」という形で私を永遠に消えない存在として復活させるというものです』
「……しかし、闇雲に流そうとしたところでその話が都市伝説として残るかどうかは未知数だ。それは彼……如月勝義自身がよくわかっていた事だろう」
月夜は頷く。
『はい。都市伝説はオカルトではありますが、それなりの信憑性……つまり論理性がないと残るものではありません。しかし、父は都市伝説の研究家として、どうすれば確実に都市伝説が根付くのかというメカニズムをある程度把握していました』
「それは一体?」
月夜は、その問いに対してはっきりと答えた。
『都市伝説を裏付ける具体的な事件があればいい。そういう事です』
「……」
『すべてがそうだとは限りませんが、都市伝説は自分の身にも同じような事が降りかかりそうだと不特定多数の人間に信じさせることができれば人々の心に残り、そしてそのまま永久に定着します。そして、それを成し遂げるには実際にそれと酷似した具体的な事件が発生するか、もしくはその都市伝説にその具体的な事件か関係する何かがあった方がわかりやすいんです。具体的な事件が発生していれば、「実際にそういう事が起こっていた」「つまり、自分の身にも同じ事が起こる可能性が本当にある」という流れを作る事ができますから』
「……確かに、君の捜索を依頼された時に、生前の彼も同じような事を言っていたのを覚えている。例えば有名な『杉沢村伝説』という都市伝説は、一見すると『殺人鬼に村人全員が殺された村』という荒唐無稽な内容だが、それが今でも根強く信じられているのは実際に岡山県で有名な『津山三十人殺し』が起こっていて、『そういう事件が実際に起こり得る』と国民が暗に知っているからだとか」
そこまで言って、榊原は真剣な表情で告げた。
「……彼は知っていたんだな。伏田平子が君の本当の母親である事。そして、彼女が君を殺害し、またその口封じとして事件を調べる自分さえも殺そうとしている事を」
その問いに、月夜は肯定の意を示した。
『はい。それこそが父が「私を復活させる」計画を立てる第一歩になりました。すなわち、「伏田平子に自分をわざと殺害させ、その事件を引き金に『きさらぎ駅』伝説を拡散させる」という計画の。母の目的が私の行方を追う父を殺害する事であるならば、自分の死を受け入れてでも私を永遠に消えない『都市伝説の怪異』として復活させる事こそが、今回の事件における父の側の最大の目標だったんです。そして探偵さん、父が自分の死の直前にあなたに私の捜索を依頼したのも、この計画の一部でした。……こう言えば、探偵さんなら私が何を言いたいのかわかるはずです』
「……私を、犯人をほどほどに追い詰める道具にするため、か」
その答えに、月夜は小さく笑った。
『御明察です』
「あまりいい気分の話ではないが……聞かないとならない話のようだ」
榊原がそう言って先を促すと、月夜は淡々と語り始めた。
『父は、私が死んでからの三年間にわたる調査で、エッセイストの伏田平子こそが私の実の母親であり、同時に三年前に私を何らかの方法で殺害したと結論付けました。母の生い立ちから動機も薄々感じていたと思いますし、だからこそ事件を探っている自分を母が絶対に野放しにするはずがないという確信も持っていたと思います。その確信は、一年ほど前から母が父のよく利用していたビジネスホテルに宿泊するようになった事で確証へと変化しました。おそらく、母はこのホテルで何らかのトリックを使って自分を殺害しようとしている。そのトリックも父はおそらくある程度の事まで予想していたと思います』
「……確かに、あらかじめ誰かが自分をホテルで殺害しようとしている事さえわかれば、ひとまず部屋に何か仕込みがあるのではないかと疑って調べる。その際に、部屋の中に仕掛けられた盗聴器を伏田に気付かれないようにしながらすでに見つけていたという事か」
もしこの想像が正しいなら、それなりの推理力さえあれば盗聴器トリックを推測する事はできなくはない話である。そして、三年の独自の調査で伏田平子の正体を見破った如月であるならそれが可能だと榊原は判断した。
『ところがそれを知った父は、自分を殺そうとしている母の思惑を利用して、逆に私という存在を「怪異」としてこの世に永遠に残し続けようと画策しました。そのためには、犯行後すぐに犯人が逮捕されてもいけませんし、逆に犯人が誰か見当もつかない状況になってもいけません。それでは彼女が失踪しても失踪した事が世間に認知されないからです。人がいきなり異世界へ飛ばされて失踪する「きさらぎ駅」の都市伝説を広めるには、「有力容疑者の犯人が逃走中にいきなり失踪する」という条件が必ず必要でした。そして、その調整役として選ばれたのが、探偵さん、あなたでした』
「……」
『あなたに依頼をしておけば、依頼者である父が殺されたとなった時に必ず事件に介入してくる事は想定できます。そして、あなたが事件に介入さえすれば、犯人がわからず迷宮入りしてしまう可能性は限りなく低くなるでしょう。しかし、使用が想定されるトリックの都合上、あなたが事件に介入して犯人の目星がついても、その証拠収集の時間的に即座に犯人逮捕につながらないであろうことも父は読んでいました。つまり、父はあなたに依頼さえすれば、「犯人がある程度わかっていながらすぐには捕まえられない」という理想的な状況を生み出せると見抜いていたという事です』
「……それが、失踪から三年も経過した今になってあの人が私に急な依頼をしてきた理由、という事か。うまい事を考えるものだ」
なぜか榊原は感心したように頷く。
『そして、母は知らぬ間に父の策略にまんまとはまって父を殺害しました。その結果……犯人が逃走したまま失踪した「如月事件」という実在の事件をベースに「きさらぎ駅」の都市伝説は拡散し、怪異の「私」という存在が誕生した。見方を変えれば、母が私を二度も生んだ、という事になりますね』
「……心当たりはないとは言わない。例えば、如月氏が伏田を疑う事なく部屋に入れ、そしてわざとらしく背中を向けたという事。今までいささか不審に思っていたが、わざと殺されるつもりだったというのならば納得できなくもない」
榊原は小さく呟いた。
『そして、「怪異」として生まれた私……「きさらぎ駅」は、「父」の思いに従って、私が生み出される引き金となった母を閉じ込めました。彼女が罪を認めるまで永久に閉じ込める存在として、そして彼女が自身の罪を認めたときに、彼女をどちらに『送る』のかを決める存在として。その結果は、先程これ以上ないほど明確な形で出ました』
そう言うと、榊原の前で月夜は軽く一礼する。
『以上が、あの事件における「父」の役割。そして、「私」……「きさらぎ駅」が生まれる事になった理由の説明です。納得してもらえましたか?』
静かに聞いてくる月夜に対し、榊原も事務的な口調で尋ね返した。
「……話を終える前に、君に聞いておかねばならない事が一つある」
『何でしょうか?』
「君の話が正しいなら、もう一つ大きな謎が残されている。すなわち、『君の父親は自分の死後にどうやって「きさらぎ駅」の都市伝説を拡散したのか』、そして『逃走する伏田平子はなぜ「きさらぎ駅」に送りこまれたのか』……言い換えるなら『なぜ現実では伏田平子は事件後に失踪する事になったのか』という点だ。そもそも君の父親の死後にネット上にあの都市伝説が拡散する事が前提条件でなければこの計画は成立しないし、また、さっき君が言ったように伏田平子が犯人と判断されてから失踪しないと如月事件は『都市伝説のベースとなる事件』にはなりえない。『犯人が失踪した』事実があるからこそ『きさらぎ駅』に関する書き込みは信憑性を増すからだ。そのためには、犯行後に伏田が失踪するという絶対的な根拠がなければならないはずで、如月がなぜ伏田が絶対に失踪するという確証を得ていたのかが問題になる。無論、さっきも言うように私はこのきさらぎ駅での一件は『夢』と考えているから、これらの解決にはオカルトではない現実的な解答……すなわち『きさらぎ駅に送りこまれた』などという非現実なものではなく、何かしらの現実的な理由が存在しているはずだ。この点についての君の見解はどうなっているんだね?」
その問いに対し、月夜は少し口元を緩めてこんな答えを返した。
『その質問に対する答えはすでに解答済みです。それに……そのような事を聞くという事は、探偵さんの中ではすでにそれなりの推論は出ているのではありませんか? 最初にも「一応の推測はある」と言っていましたし』
「……否定はしない」
『ならば「夢」の私に聞くのは邪道というものでしょう。その解答が「現実的」というからには、それは私が口出しすべきものではありません。探偵さんの推理を尊重したいと思います』
「……なるほどね。一理ある」
そう言ってから、榊原は続けてこう尋ねた。
「せっかくだから、もう一つ聞いておこう。この『きさらぎ駅』は……果たして現実か、それとも最初に言ったように私の願望が生み出した夢なのか? 君自身はどう答えるね?」
その問いに対し、月夜はあくまで笑みを浮かべながら答えた。
『さぁ、どうでしょうか。もしかしたら本当の事なのかもしれないし、探偵さんの言うように単なる夢なのかもしれません。ただ、それを証明する事は不可能です。それがオカルトというものですから。だから、その判断は探偵さん自身が自由にしたらいいと思います』
「……」
『ここは現実と虚構の境界線にある駅。どう判断するのかは、ここを訪れた人次第です。そして、その判断をした瞬間、この駅は「現実」にも「虚構」にも変化する。私は、そんなこの駅の主として、黙ってそれを見ているだけです』
「……ならば、最初に言ったように、私はあくまで今日起こった事を『現実的』に考えるだけだ。私は、あくまで『現実』を生きる探偵だからだ」
その言葉に、月夜は肩をすくめるような動作をした。
『それなら、今後、私と探偵さんが出会う事はないでしょう。あくまで探偵さんがこれを「現実的」に夢と考えるのならば、探偵さんにとっての「きさらぎ駅」はあくまで「虚構」。そして、「現実」の探偵の前に「虚構」の私が同じ場所にいるのは好ましくありません。それでも、今後私たちが出会うとするならば……』
そこで、月夜は少し凄むような雰囲気で告げた。
『探偵さんがその寿命を全うして、黄泉の国へと旅立つときです。私の「母」のように』
だが、その言葉にも榊原は動じる様子はなかった。
「別に構わんが、生憎、私はまだそっちへ行くつもりはない。何より、この『如月事件』については、まだ『現実』でやり残している事もある。私には、それを解決する責務がまだ残っていると考えている。再会は当面先になるだろう」
『……そうですね。それがいいと思います。あなたはまだ、ここにいるべき人間ではありません』
「君はこれからどうなるんだね?」
その問いに、月夜はこの場に不釣り合いな晴れやかな笑みを浮かべて答えた。
『どうにもなりません。私はここにいるだけです。「きさらぎ駅」の都市伝説が消えない限り、私は……「きさらぎ駅」は、永久に消える事はありませんから。私は永遠にこの「きさらぎ駅」の主として「現実」と「虚構」のはざまに存在し、時折この駅に迷い込む生者や死者をただひたすらに見守り続ける事になります。「生者」であれば彼らが黄泉に行くべきか戻るべきかを判断し、「死者」であればそのまま黄泉の国へと送り流す。それが「怪異」としての私に与えられた役割です。もっとも、それは実の「母」を文字通りに黄泉送りにした私が受けるべき罰なのかもしれませんが』
彼女がそう言った瞬間、今さっき伏田平子を乗せた電車が去っていった方から、再び電車のライトの光が見えた。そして、そのままその電車は『きさらぎ駅』のホームに滑り込み、ドアが開く。中に伏田平子の姿はない。
『お別れです。安心してください。さっきと違って、この電車は黄泉へは行きませんから。現実と虚構のはざまにある駅……「きさらぎ駅」の主として、責任を持って「現実」に戻すとお約束します』
「……そうかね」
その言葉だけで充分だった。榊原は黙って首を振ると、そのまま電車へと乗り込んだ。そして、最後にこんな問いを発する。
「最後に一つ。……なぜ私だったんだ? 単に伏田平子の罪を暴くだけなら、他にも適任な人間はいくらでもいたはず。なぜ、私に白羽の矢が立ったんだ?」
その問いに対し、月夜はしばらく黙り込んだ後、ポツリとこう呟いた。
『私は生前、探偵さんに……いえ、榊原さんに会った事があるんですよ?』
「ん?」
『だから、榊原さんがどれだけ凄いのかは知っていました。それで、あの「母」を追い詰められるのは、榊原さんしかいないと思った。だから、ここに来てもらって「母」に引導を渡してもらった。それが理由です』
「一体どういう……」
そう言おうとした瞬間、電車のドアは閉まった。直後、電車はゆっくり……今度は、いきなり引き返す事無く駅を発車していく。そして、彼女は「きさらぎ駅」のホームから、電車が去っていくのをニッコリ笑いながら見送っていた。
次の瞬間、彼女の前髪がそよ風に吹かれて揺れ、どこか潤んだような目があらわになる。そして、榊原はそれと同時に彼女の口がこう動くのを電車の中からはっきりと見て取っていた。
『ありがとう。さようなら』
直後、「きさらぎ駅」のホームの外灯がすべて消え、電車の窓の外は真っ暗な闇に包まれた。榊原はそれでも電車の車内から、いつまでも「きさらぎ駅」のホームがあった方を見続けていたのだった……。
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