理性の読書、感性の読書
木下ふぐすけ
理性の読書、感性の読書
ふと思った。
読書には2種類ある。
「理性の読書」と「感性の読書」だ。
新書やノンフィクション文庫、専門書などは「理性の読書」だ。
内容は理性で理解され知識として取り込まれる。
しかし、小説や随筆、日記、詩歌や俳句はそうではない。
これらは「感性の読書」だ。
その内容は感性によって受容される。
理性に偏っても感性に偏っても、人間としてあまり健全ではないように思う。
理性的判断を重視した結果周囲の人の反感を買うことはあるだろうし、逆に、感性で判断した結果不合理な行動を取ることもあるだろう。
要するに、理性の読書と感性の読書のバランスが大事なのではなかろうか。
さて、現状俺が読む予定の本は「理性の読書」に偏っている。本棚には〇〇の歴史、〇〇学入門のようなタイトルの本ばかりが並んでいる。
これでは、理性の読書と感性の読書のバランスなど望むべくもない。
そこで、どうやってバランスをとるか。
理性の本と感性の本を交互に読む。というのが最初に思いつくだろう。
しかし、これは難しい。読む順番が複雑になるから、ひどいときには次にどの本を読むかを決定できなくなる。
結局のところ、理性の本と感性の本を1日に同じ時間ずつ読むのがいいのではないかという結論に達した。
新書やノンフィクション文庫を並べた棚と、小説や随筆、日記文学を並べた棚を作る。
それぞれについて読む順番を決め、同じ時間ずつ読んでいく。
しばらくはこれを試してみようと思う。
理性の読書、感性の読書 木下ふぐすけ @torafugu
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