第12話 まずは無難にこれとかどうかな
「おお……」
もともと服にこだわりがあるわけじゃない。女性服ならなおさら興味がない。
それでも、これだけ並んでいると実に壮観だった。
立ち並ぶテナントの中は衣類・装飾の数々が無辺に広がっており、回廊から店先を眺めていくだけでも一日満足できそうだ。きっとこのどれもが、第一級の地位をめぐって鎬を削る、最先端の品々なのだろう。
訪れる客層もまた見目にも洗練されている。まるで東京の街の上澄みを掬い取ってきたかのような空間だった。
普段よりもさらにテンション高めに見えるお二人に手を引かれるまま、とあるテナントブースを訪れる。ティーンズ向けの総合ブランドなのだろうか。
形は様々ながら、青い若さ、桃色の可憐さ、そして重い紫のデザイアを素材に錬金したみたいな、どこまでも追い焦がれる恋のような透明感に統一された品々が、ずらり一面に並んでいる。
柄にもなく呆けていると、いつの間にかつばささんと莉音さんの手には何着もの衣類が出現していた。
「まずは無難にこれとかどうかな」
「は、はぁ……」
ノースリーブジャケットとひだ広のプリーツスカートを一帯としたような黄茶のワンピースに、色味を同じまま薄く淡くしたブラウスがセットになっているようだ。ジャケット部分の前を紐で締めるのが、古くコルセットを踏襲したようなアンティークさを曳いていて、お洒落だと思う。たぶん。
まあ、確かに無難……だな。
ゆったりとした長袖のブラウスは体格をぼかし、スカートも膝までを自然に隠す。比較的女装向きの服であるといえる。
欲を言えば、前面はお洒落に開いているよりも、しっかり襟元まで届いていてほしかった気がしないでもないけど。
「いい、ですね。かわいいと思います。じゃあこれで……」
「いやいやいや。まだ案だから。というか試着しなさい」
「い、あ、えーとその……」
それで買わなかったらどうするんだよ!
女装男がレディース専門店来てる時点でかなりアレなのに、重ねては試着した服を店頭に残していくのか!?
「あとこれとこれと……」
「あ、これとこれも着てみてください、是非! 絶対お似合いだと思うので!」
「ちょ、ちょっと待っ……こんなにたくさんは無理ですってば! もうちょっと厳選してください!」
ボクは最初の服だけを手に、逃げ込むように更衣室に入った。……入っちゃったなあ。ちょっとした罪悪感を抱きながら、せめて手早く済ませようと迅速に着替えを行う。不正をせざるを得ないのなら突き通すことだ。
すとんと袖を通して、姿見の中の像をためつすがめつ眺めてみる。
少なくとも、パッと見てわかるほどおかしいところはない。なんでだろうな。
まあ、まあ、うん。
鏡の中の美少女、ではなく女装少年の姿を客観的に理解して、ゆっくりと深呼吸。
似合っているということで、やはりこれで決定でいいでしょう。
ようし、帰ろうか! 帰りたい! 帰るべき!
自暴自棄ガッツポーズを繰り出していると、刹那、鏡の中の背景が、つまり公共とを隔てるカーテンがザッと開いた。
「優ちゃん」
「ぴゃあああっ!?」
思わず身体が振り返っていた。
言うまでももなく、カーテンの端から顔を割り込ませてきているのは、つばささんだ。
「期待以上のリアクションだねえ」
「おい……おい!」
「いや、着方わかるかなあと思って」
「わかりますよこれくらいなら! ていうか、仮にわかってなくて着替えの途中だったら、どうするつもりだったんですか!?」
「そりゃ、あたしの側が悲鳴を上げるんじゃない?」
「当たり屋にもほどがあるだろ!」
「まあまあまあ。とにかく、似合ってるじゃん。こっちも期待以上」
手元でカシャっとシャッターを切る音。
「もう犯罪じゃないですか? ボクが言えたことじゃないですけど」
「まったくだね。犯罪的なかわいさだ。あたしの瞳窃盗罪☆」
ウインク。
そろそろ殴っていいかな? いいよね。だめなの?
震える拳を抑えているところへ、すっと次なる衣装が差し出される。
「いや、ボクはもうこれでいいので……」
「着て着て。おじさん何着でも買ってあげちゃうからねー」
「やめてください」
「若いんだから色々入り用でしょ? 遠慮しないでいいんだよ。おじさん、家では厄介者だからねぇ。こういうのを買い与えてあげるのが夢だったんだけどねえ」
「そのロールプレイをやめろ」
「ガチトーンこわいて」
「……はぁ」
まあ、もともと覚悟はしてたんだ。
むしろわりかし普通にコーディネートしてくれているだけマシですらある。
適当にこなして、適当に満足してもらおう……。
とはいえ、さすがにこれはどうなんだろうか。肩から胸元にかけての布地が薄手になっていて、手を裏に入れてみると、うっすらと肌色が透ける。オフショルダーの亜種というのが適切だろう。
肩回り腰回りというのは男女の体格差ができやすいポイントで、ここをさらけ出すような格好だと、女装の難易度は一気に上がる。だから……いや、こんな前フリはやめよう。悲しくなるだけだ。
着てみれば、ほら似合うー。
……いや、似合ってはいないかもな。
言うまでもなくボクは胸がないわけだが、パッドも自然さと動きやすさのために、Bになりようがないくらいのささやかなものなので、外見的にもバストはかなり乏しい。結果どうなるかというと、透け部分が少しだらしなく見えてしまう。
つばささんとは言わずとも、莉音さんくらいはバストがないと……って違う。別に似合いかたを模索する必要はない。このまま、襟がもう少しだけ詰まっていれば自然に着られるだろうけど……別に着たいわけでもないしな。
いそいそと服を脱ぎ、元の制服に着替える。
……脱いだこれは、どうしようね。
とりあえず元通りハンガーにかけてから、それらを腕に抱えて試着室を出る。
「わっ」
「おっと」
ちょうど莉音さんと出くわした。その手にはやっぱり服一式がある。
「センパイ、次はこれを!」
「ありがとうございます。ところで、つばささんは……」
「なにか探し物があるとかで、どこかへ行ってしまいました。あ、それ、どうでしたか?」
ボクが両手にそれぞれ抱えているコーディネートのうち、二回目のほうを指さす。
「ボクだと少し胸元が寂しいようで」
「やっぱり。つばささんもそう言ってました。あ、いや、やっぱりっていうかなんていうか!」
あたふたと意味もなく手を振り出す莉音さんに、そっと微笑む。
「別に胸にコンプレックスがあるわけではないですよ。お気になさらず」
わかっててわざわざ着せたつばささんにはひとこと言いたいところだけども。
「そうですか? サイズ感はどうでした?」
「胸周りのほかは問題ありませんでしたけど」
「あ、じゃあ、それはつばさセンパイがご購入されるそうです。バスト以外はほとんど一緒だからって」
「へ、へえ……」
いろいろ胸につかえるものがあったが、いっぺんに来すぎて逆に飲み込みやすかった。
「それでは、お次はぜひこちらをば! あ、そちらのお洋服はわたしが持ってますね!」
「ありがとうございます」
お互いの持っていた服を交換して、試着室に戻る。
これは……かっこいい!
ラウンドカラーの白シャツに、ブルーグレーのパーカー、ダークグレーのカジュアルジャケットを重ね、すらりと切れ長ながらも余裕のあるカーゴパンツを合わせたユニセックスなコーディネートだ。
いいじゃん!
フェミニンな色香はあるのだけども、パーツそれぞれはボクにも着やすいものばかり。なんて心休まる私服なんだ!
……でも、最初のワンピースが一番似合っていたのは誤魔化せないかもしれない。
カーテンの下部のスペースから莉音さんの靴が見えたので、そっとカーテンを引いてみる。
「どうでしょう」
「わあ、かわいいです! とっても!」
ぱあっと顔を輝かせてぱちぱちと手を打つ莉音さん。
うん、まあ、そうですね……。コーデはかっこいいのにね。
「写真撮ってもいいですか!」
言いながらシャッターが切られた。
もういまさらだしいいけどさ。
と、そこへつばささんが片手をあげながら、やたらチャラチャラした歩行でこちらに近づいてくる。
「へい、やあ。きゃわいいね彼女」
なんてベタな。このネタのためだけにチャラチャラ歩いてきたの?
「どうも。どちらに行ってらっしゃったんですか?」
「ちょっと店員さんに話聞いてた。それも買うの?」
「……どう思います?」
「あー、正直に?」
「忌憚のないご意見をいただければ」
両手を軽く広げて胸を張る。
つばささんは顎に手を当てて少し悩み、やがて頭を横に振った。
「変に男の子ぶらずに、純粋に勝負したほうがいいと思う」
ぶるとか言うな。男だよ。
「まあ、服はほら、最終的には本人が着たいかどうかだからさ。優ちゃんがいいならそれがいいんじゃない?」
「いえ、大丈夫です。ボクとしても自然に似合うほうがいいですから」
悪目立ちするような恰好だと、エージェントとしてとても困る。
「こちらの服は、ボクよりももっと似合うひとに着てもらいましょう。着替えてきますね」
「あ、じゃあわたしが着てみます! 入っていいですか?」
「だっ駄目、駄目です! 駄目ですからね!」
「はぁ……」
しゅんとした表情の莉音さんをカーテンで覆い隠す。少しの間警戒していたが、無理やり入ってくるようなことはないようだ。代わりに外から話し声が聞こえてくる。
「ほら、優ちゃん貧乳だからさ……」
「え、でも気にしてないって」
「きみ、本人はそう言うに決まってるだろ」
「そ、そっか……」
丸め込んでくれたという結果にだけは感謝したいが、それはそれとして帰ったら本当に一発殴ってやろう。
元通りの制服姿で試着室を出る。
「優センパイ! 大丈夫です! 優センパイは本当に、そのままの優センパイで、最高にかわいいので!」
「は、はぁ……」
気遣わないでほしい。
「それでこれ、本当に莉音さんが? ボクが着たあとなんですけど……」
「? むしろご褒美です!」
「…………そうですか」
そうですかとしか言えなかった。いや、ご褒美というのもおかしいけど。
すみません。せめて莉音さんの中のボクは、きちんと最後まで女の子であることを徹底したいと思います。
ボクの手から服を受け取って、莉音さんが更衣室に入る。
「とりあえず、一揃い買って……次の店行ってみる? なんていうか、ここは女の子女の子って感じじゃない?」
「……別に、ボクは『女の子』ですから」
「いじけなさんな。似合う似合わないの話です。ティーンズってよりかはもっと、おとなしめのほうがいいよ、優ちゃんには」
「ありがとうございます。それじゃ……そうしましょうか」
どこか張りつめていた肺の空気を吐き出して、鞄から財布を取り出す。中のポケットには『萩原優』としてのカード類が程よく詰まっている。隠し収納には隠密機動用のカードもあるけど、軽く検められた程度ではまず見破られまい。
それはさておき、まともに買い物をするのは今回が初めて。一通りカードの検分はしているが、正直なところまだ見慣れておらず、少しもたつく。
えーと、『父さん』のクレジットカードは……これか。
「ばばん!」
そうこうするうち、珍妙な掛け声とともに試着室のカーテンがシャッと引かれた。
中から出てきた莉音さんは、先ほどボクには「カッコよすぎた」服一式に身を包んでいた。……くそう。金髪か? ボクも金髪に染めていたら少し違ったか?
そんな内心はさておき、ボクは莉音さんに言葉をかける。
「わあ、よくお似合いですよ、莉音さん」
お世辞じゃない。本当によく似合っていた。莉音さん元来の溌溂さが、エッジを利かせて、ベビーパンクのような音色で伝わってくる。
「いひひ、ありがとうございます。ワタシもとっても気に入りました!」
「やーホント、カッコいいねえ。買ってく? んにゃ買ってったほうがいいよ。こんなに莉音ちゃんらしいのはなかなか出ないよ」
「はい、そうします!」
「そんじゃお勘定して、ほかのところも見てみましょ」
……それから問題なく三者それぞれの服を買い。そこまではよかった。
店を出て、次は吹き抜けを挟んで反対側にある、シックな雰囲気のブランドを見てみようかという話になって。それで……その途中。
偶然目に入ったテナントに、つばささんがふらふら入っていった。
いや、ふらふらというか。がっつりだったけど。
まあそれもショッピング、とそのあとを追って。
ずらりとならんだ奇抜、じゃなくてユニークな服の数々。
メイド服とか、やたら豪奢なデザインのわりに生地は簡単なスーツとか……。
「……なにここ?」
「コスプレショップ……ですかね? こういうのも面白いですね!」
「さすがに店の位置を間違えているような気がしますけどね」
この階は完全に婦人服売り場、だったはず。女性服には違いないけども、こういうのはもっとこう……エンタメ的な場所にあるべきでは?
なんて、おせっかいなことを考えている場合じゃなかった。
「優ちゃん……これ着てみない?」
「は? いやです」
一着の服を手にボクたちのもとに戻ってきたつばささんを、即拒絶する。
だって。なにこのチャイナ服。ボクにこれをどうしろって?
「まーまーまー。一回着てみるだけ、ね?」
「ね。じゃないよ! 何考えてるんですか!?」
いろんな意味で! あらゆる意味で!
近づいてくるチャイナドレスをぐぐ、と押し戻そうとしたところで、不意に背中をがっしりとホールドされた。
「まあまあまあ、いいじゃないですか優さん」
「莉音さん!?」
「一回、んく、一回ちょっと見てみたくて」
唾をのむほど!?
莉音さんの拘束は、偶然なのか狙っているのか、関節をしっかり抑えていて、縄抜けが効かない。さすがに力技なら抜け出せるだろうけれど、莉音さん相手にそうするわけにもいかなかった。
「わか、わかりました、わかりましたって! とりあえず離して、落ち着いてください!」
「ようし莉音ちゃん、そのまま連行するぞー」
「はい! お任せください!」
ああ……助けて。誰か。
ボクに乙女心なんてわかるわけないだろ 郡冷蔵 @icestick
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