壊れた扉 ―ある男の未完成の手記―

ひゐ(宵々屋)

ある男の未完成の手記

 いま、人類は世界にどれくらい残っているのだろうか。

 人類は全て拉致され、消えゆく運命なのだろうか。

 地下シェルターでの暮らしに、ようやく慣れてきた。記憶の整理のためにも、この現象について手記を残そうと思う。




 私が記憶している限り「扉の落下現象」がはっきり記録されたのは、二年前のことだったと思う。

 それ以前にも、世界の各地で「扉が落ちている」という話はいくらかあった。それは草原の鮮やかな緑の上だったり、街中だったり、特に変わったところのない扉が、まるで風に吹かれてやってきたチラシのように落ちているのである。


 一見それは、誰かのいたずらか、事故に思えただろう。だが周囲に建物がないにもかかわらず、草原に扉が落ちている。「扉が壊れて落ちた」という家がどこにもないにもかかわらず、街中に扉が落ちている。海に浮かんでいるものあったと、風の噂で聞いた。

 どれも妙な話ではあったが、誰もが、何かしら理由があるのだろうと、深く考えなかった。


 だが「扉の落下」がはっきり観測されたことにより、これが一つの「現象」であると認められる。

 著名な大学で「扉の落下」が確認されたのだ。それは屋上にいた一人の教授と学生達が青空を眺めている際に、観測された。

 青い空に、突如黒い点が現れた。それは徐々に大きくなっていき、長方形になった。

 やがて一人の学生が声を上げたという。


「扉だ」


 落ちてきたのは、まさしく扉だった。地面に叩きつけられても壊れなかったそれは、どこにでもあるような木製の扉だった。


 この観測以降、各地で不意に現れた扉が「空から降ってきたもの」だと確認される。

 多くの者が空を眺めだし、気付く。扉が空から降ってきていることに。空には何もない。けれども、まるで空気から作られたかのように、黒い点が生まれたかと思えば扉が落ちてくる。


 何者かによるものとは、到底思えなかった。

 何が起きているのか。何故扉の形なのか。何故空から降ってくるのか。


 多くの人間が夢中になった。降ってきた扉の下敷きになり、死者が出るという事故こそいくらかあったものの、大きく取り上げられなかった。というのも、落下してきた扉をよく調べたところ、未確認の物質で作られていることが確認されたのだ。木製のように見えているが木製ではない。鉄製のように見えるが鉄製ではない。そして見た目から同じ物質で作られているとは思えないが、共に未知の物質で構成されている。


 不自然なものであるが、扉はどこからどう見ても「扉」以外の何でもなかった。世界に様々な形の扉があるように、様々な形の扉が空から降ってくる。


 そして、これもよく調べた結果わかったことだが、どの扉も壊れていたのである。あるものは蝶番が捻れていた。あるものはドアノブが破壊されていた。あるものは穴が空いていた。


 当初、これら扉の損傷は落下時に起きたものだと考えられたが、扉の落下に続いて起きた現象により、それは否定された。

 扉の落下が観測されるようになってからしばらくして、世界の各地で人が失踪するようになったのである。


 最初こそ、扉の落下現象と同じく、人々は何か理由があるのだろう、そのうち帰ってくるだろうと考えていた。しかし数日経っても帰ってくることなく、事件となる。多くの人間がいつの間にか消えていた。老人も、子供も、男も、女も。跡形もなく消えてしまった。

 どこに行ってしまったのか、何があったのかと、世界中で考えられている中だった。一人の少年が証言した。


「僕の友達は、まるで空に連れていかれるみたいに消えたんだ」


 それが失踪の真実だった。扉が降ってくる空に、人々は呼ばれたように消えていっていたのである。


 私ももう何回も見た。隣人の姿が不意に頭から薄れ、消えていく様を。見知らぬ人が会話の途中でいなくなるのを。親の元へ走っていく子が、永遠にたどり着かなくなった時を。

 何の前触れもない。本人達にも自覚が一切ないようだった。ただ消えていく。


 相変わらず扉は降り続けていた。数が多くなる一方であり、また失踪者も比例して増えていった。

 そして私は、ラジオで聴いた。


「空に連れて行かれてるんだよ」


 それが誰なのかわからない。しかし誰もが彼の考察を信じることになった。

 扉は落下し続け、人々は失踪しているのだから。

 彼はこう言った。


「扉は多分概念みたいなものだよ。部屋と部屋を区切る、出入り口だ。繋がってはいる何かと何かを隔てるもの。それが壊されて、我々の世界は別の場所と繋がってしまったのではないか? そして扉の向こうの奴らが人々をさらっているのではないか? 扉は『壊れている』ではないか」


 我々は、見えざる扉の向こう側に潜む何かに脅かされている。きっとそうに違いないのだ。


 向こう側はどうなっているのか、さらわれたのならどうなるのか、私はまだここにいるため、わからない。

 それでも今日も扉が落下してくる。我々の築き上げた社会はとうに崩壊した。おそらくいまここにいる人類よりも、落下してきた扉の数が多いだろう。扉の向こう側に潜む何かを崇め、さらわれる日々を待つ人々がいる一方で、落ちてくる扉の影に入り下敷きとなり自ら死を選ぶ者もいる。


 最近では人間以外も消えているらしい。犬や猫といった動物だけではない、森が丸ごと消えたり、海の水が持って行かれたのを見た、という人もいる。


 我々は、この世界はいったいどうなるのだろうか。

 人類も、動物も、植物も、それ以外の自然やあらゆるものが消えた世界は、いったいどうなってしまうのか?

 落ちてくる扉が積ってできた山だけが残されるのか?


 いま、私は地下シェルターにいるが、外の世界を見たくはない。調査隊の話だけで十分に恐ろしく思えるのだ。




 それにしても、この地下シェルターについて「空の下にいなければさらわれない」との考えで作られた完全なもの、と聞いていたが、やはり急いで作られたのだろう。決して心地良く生活できるとはいえない。完璧と言われた設備はよく故障するし、特に扉の立て付けが悪い。


 私の部屋の扉も、立て付けが悪いのか、軋んでいるのか、時々開かなくなったり、開いたとしても耳障りな音を立てることがある。

 地上にいた際の、扉の落下音よりは安心するが。

 いまも扉は妙な音を立てている。風に押されているのか。とにかく調子が悪い。壊れている。



 扉




 開いてる




 まさか 




 壊れ



 空もないのに



 概念がものに



 ものが概念に?



 迫って



 向こう側が












(手記はここで終わっている)



【壊れた扉 ―ある男の未完成の手記― 終】

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