chapter 10: THE EVIL THAT MEN DO(2)







 斧の刃は、うなじに斬り込まず、止まった。

 ばね仕掛けじみた激しさで、海賊頭の手足がバタバタと揺れた。

 その後、グルル……と、人でも獣でもない、悪魔じみたうなり音が響いた。

 それが海賊頭のだと気付いた者は少なかった。

 刑吏が、慌てて再度斧を振り下ろしたが、頭蓋骨に当たって、それた。

 今度は海賊頭は、あ~、あ~と声を上げはじめた。

 悲鳴でも怒声でもない、場違いな明るい声。


 その様子に、市民たちは凍り付いた。

 ただ一人、メヒティルトだけが飛び出した。

 壇上に駆け上がると、苦しむ海賊頭の首を一刀の元に斬り落とした。

 落ちた首を腕に抱きしめ、座り込んでしゃくりあげる。


 遅れて、広場に怒号が炸裂した。

 ――あの不調法な皮なめし職人を吊るせ!

 ――あの声、女じゃね? 誰だ? 市の罪人を勝手に殺しやがった!

 ――このようなアクシデントが起こった以上、神の御心に沿わぬ判決だったのは明らかだ!

 口々に、わめく市民たち。


 エルナは青い顔をしてメヒティルトの元に駆け付け、彼女をかばうように立った。


 ヨハンネスは、呆然としてる皮なめし職人の手から、斧を奪った。

 それで、断頭台の材木を何度も叩いた。

 斧の刃が木材に食い込む事はなく、ただ押し潰された木片がはがれ落ちる。


「見ろ! 見ろ! 斧が刃引きされてる! イカサマだ! イカサマだ!」


 ヨハンネスは力の限り叫んだが、どれだけの人間がそれを見、聞いたか分からない。

 数人の男たちがメヒティルトの身体に手をかけようとした為、ヨハンネスは斧を放り出して、そちらに駆け付けた。


 ヨハンネスとエルナは力を合わせて、半ばメヒティルトを引きずるようにして広場から逃げ出した。







「メヒティルトとエルナは、海賊の一員だった。うちの商船を襲ってきたんだが、捕らえられた。まだ年端もいかない少女だったので、うちの家への無期奉公という判決になった。うちが暇を出したら処刑という条項付きなので、まあ実質、奴隷みたいなもんだ」


 ピーター警吏は、ヨハンネスに打ち明けた。

 ヨハンネスは、落ち着いた顔でうなずいた。


「あの処刑された海賊頭、どうやら二人の元親分のような人物らしい。ずいぶん、慕っていたようだ」


 ろうそくに照らされたピーターの顔は、悔しそうだった。


「俺が、もう少し気を配っていれば良かった」


 そう言ってピーターは、自室の椅子に座り込んだ。

 既に日は落ちている。

 ピーターの部屋は庶民的なたたずまいなので、銀の燭台は並んでいない。

 2、3の小さなろうそくのみが明りだった。


 ちなみに、メヒティルトとエルナは、市庁舎のすぐ向かいにあるモルネヴェグ家の巨大な邸宅に匿われている

 ヨハンネスは、黙って立っていた。

 それを見て、ピーターが手を振る。


「座ってくれ。俺は腫れ物扱いされるのは嫌いだ」


 それで、ヨハンネスはピーターの向かいに座った。


「これから、どうなるんスか?」


「そうだな……。まず、下手くそな手際で無駄に罪人を苦しめたで、皮なめし職人に何らかの罰が下る」


「これもヴィッテンボルグが仕組んだんスか?」


「多分な」


 ピーターは革袋に口を付けて、中身を飲んだ。

 革袋が突き出されたので、ヨハンネスは受け取った。

 一口、口に含むとワインだった。


「メヒティルトさんは?」


「分からん。罪人の苦しみを見かねて刑吏を助けたという線で押そうと思ってるが、参事会の裁判でどこまで押し通せるか……」


 ピーターは、憂い顔でワインを再び口に含んだ。

 また袋を渡されたので、ヨハンネスも付き合う。

 ほとんど割ってない生のワインで、ヨハンネスには少しきつい。


「なあヨハンネス。俺はお前を買ってる。度胸もあるし、機転も利く」


「あざっス」


 急に持ち上げられて、話の筋が見えず、ヨハンネスは不安になった。


「お前、警吏になれ。この部屋も、メヒティルトもエルナも付けてやる」


「は?」


 驚いて、ヨハンネスは声を上げた。


「俺は家を継いで、しかるべき嫁を取り、参事会にも立候補する。そうしないと裁判でメヒティルトを助けられん。

 だが、嫁がいれば、屋敷に二人を置いておけん。

 二人は出自が出自だから、独身婦人会の宿舎にも入れられん。

 であれば、二人には警吏の助手という立場とこの部屋が必要になる」


 一応、そうピーターが望む理屈は分かった。

 だが、ヨハンネスにも立場がある。


「俺ぁ、ホアキムの兄貴と一緒に施療院を守んねぇと……」


「それはそれで兼務でやってくれていい!」


 そうは言われても、どう見ても警吏も多忙だ。

 身の振り方を簡単には決められない。

 ヨハンネスは渋った。


「お前にしか、頼めないんだ……!」


 そう訴えるピーターの目に、光る物があった。

 ヨハンネスは、ぎょっとした。


「メヒティルトも、エルナもかけがいのない女なんだ。後生だから……」


 切々と、年上の男に訴えられて、少年は戸惑った。

 だがアポロニアの事を思い出し、ピーターに同情する気持ちが沸き上がった。

 彼の、力になってやりたい。

 そう思った。

 それをどう伝えていいか、ヨハンネスは迷った。

 迷った末に、ピーターの右手を、ヨハンネスは両手で包んだ。


 ピーターは涙にむせびつつ、左手を更にヨハンネスの手の上に添えた。






 一年後。


 リューベック東門を出た所から続く、ぶな林。

 道を歩くヴィッテンボルグの前に、ヨハンネスが立ちふさがった。

 背丈がかなり伸び、大人と比べても遜色がない。


「ヨハンネス警吏。何か御用ですかな?」


 口調は丁寧だが、ヴィッテンボルグは腰を落として身構えた。

 右手が、腰に佩いた片手剣に伸びる。


「参事会からの特別命令です。市庁舎までご同行願いたい」


 ヨハンネスも、メッサ―の柄に手をかけながら答えた。


「行くと、どうなる?」


 ヴィッテンボルグは周囲に視線を走らせながら、ヨハンネスに尋ねた。

 林の中からメヒティルトとエルナが現れ、ヴィッテンボルグの退路をふさいだ。


「正式に告発はされません。あなたは動産の持ち出しを許可され、他の市に移り住む事になるでしょう」


「くそっ! 忌々しい奴らめ!」


 ヴィッテンボルグは顔を赤くして罵った。


「ゴミのような市民どもを治めるのに、綺麗事が通用すると思っているのか!」


「言い分は、参事会に言って下さい。まずはご同行を」


 なだめるようにヨハンネスが言った。

 しかしヴィッテンボルグは激高して、剣を抜いた。

 ヨハンネスも、すぐさまサムグリップでメッサ―を構える


 ヴィッテンボルグは、右足で大きく踏み込みながら、袈裟懸けに斬りかかった。

 ヨハンネスはそれをショートエッジで受け止めた。

 勢いを殺して受け流しながら、左前にステップ。

 左足を、ヴィッテンボルグの右足の外側に置いた。

 同時に反転させたメッサーの背を左手でとり、切っ先をヴィッテンボルグの首の右側に差し込む。

 刃から逃れようとヴィッテンボルグはのけぞるが、右足はヨハンネスの膝で抑えられている。

 バランスを崩して、そのまま背中から地面に落ちるように倒れてしまった。


 ヨハンネスが、仰向けになったヴィッテンボルグにメッサ―を突き付けた。

 一方で、少年はメヒティルトとエルナを目線で制した。


 一瞬だけ彼女たちに向けた視線を再びヴィッテンボルグに向ける。


「大人しく、ついてきてくれ。抵抗されて事故があった、なんて事にしたくない」


 ヨハンネスにそう言われ、ヴィッテンボルグは降伏した。





 市庁舎の中に、警視長官の部屋がある。

 警視長官は市の役職の一つで、警吏や刑吏といった市の治安部門の長だ。

 その席にピーターは座って、ヨハンネスの報告を聞いていた。


「二人は、どんな様子だった?」


「一瞬、やばい感じだったっスけど、ヴィッテンボルグが降参してからはまあ、抑えてくれたっス」


 ヨハンネスの答えに、ピーターはうなずいた。


「参事会の方は、大丈夫なんスか? 奴の黒幕は?」


 今度は、ヨハンネスから尋ねた。


「ああ、あらかたは片付いた。取引するか、こっちに引き込んだ」


 ピーターは、そう答えた。

 彼は今では、市に二十四人いる参事会員の一員だ。

 来年には、市長選にも出馬する。


「結局、ヴィッテンボルグの事まで片付ける事になっちまったな……」


 感慨深そうに、ピーターが言った。

 メヒティルトの裁判を有利に進めるにあたって、ヴィッテンボルグの違法行為を取引材料に使ったからだ。

 今のピーターには、そういう事ができる。


「なあ、あの時、お前が言っていた事、覚えているか? 粉屋が殺された時だ」


「……いや? 俺、何か言いましたっけ?」


「覚えてないなら、別にいいさ」


 思い当たる節がないヨハンネスの様子に、ピーターは苦笑した。


「それより、メヒティルトとエルナの暮らしぶりはどうだ?」


「寂しそうっスよ。会ってやればいいのに」


 ヨハンネスの助手になって以来、ピーターの指示で、二人は基本的に彼に会わないようにしている。

 市庁舎にも、なるべく寄り付かない。


「けじめは付けんとな。未練が残る」


「そういうもんスか」


「そうさ」





 市庁舎を辞したヨハンネスは、ピーターが借りている下町の下宿に戻った。

 ここには、メヒティルトとエルナの二人で住んでいる。

 二人に、ピーターへの報告結果を伝えた。


 もう日が傾きかけていたので、ヨハンネスは施療院に戻る支度をする。



「ヨハンネス君」


 出がけに、メヒティルトに呼び止められた。

 少年は、振り返った。


「……あの。あらたまって何だけど、今までの事、ありがとう」


 メヒティルトは、少年の目を見て言った。

 ヨハンネスは、一つうなずいて、帰路についた。


 歩きながら、アポロニアに会いたいな、とヨハンネスは思った。











――――――――――――――――――――――――――――――――

最後、ヨハンネスがヴィッテンボルグを制圧した動き。


https://youtu.be/zYBDCr9jPtk?t=93


https://youtu.be/9FpSaHEOEc8?t=449




第二話完結です!


お付き合い頂き、ありがとうございました!


また機会があれば続けたいなぁと思います。


その際はまたお声かけ頂けたら嬉しいです!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短剣の輪舞 @bilbo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ