chapter 10: THE EVIL THAT MEN DO(1)







 ヨハンネスが目を覚ますと、老フオイヤが泣いた。


「あんた、こんな事続けてると馬鹿になっちまうよ。年寄りみたいにボケちまうよ」


 そういう事になるかもしれない、という予感がヨハンネスにはあった。

 頭への打撃はなるべく避けなければ、と思う。


「気を付けるからさ、もう泣かないで」


 ヨハンネスは、頭痛に悩まされながらも老婆をなだめた。






 一週間後。

 ヨハンネスは、病人の為の個室から、孤児舎の自室に戻った。

 同床のアルノーに、最近、街で何かあったか尋ねた。


 アルノーは、粉屋の世話役が死体で見つかった事を教えてくれた。

 一緒に身元不明の死体も見つかって、何かトラブルの末に両者が殺し合ったと目されている、という事だった。


「噂じゃ、デンマーク王のスパイじゃないかって言われてる。粉屋なんてみんな詐欺師みたいなもんだからな」


 リューベック市民は、自前の石臼を持つ事を禁じられている。

 だから自家製のパンを作る時は、必ず麦を粉屋でひいてもらって、一定の割合を税として納める必要がある。

 その際に、いくばくか量をごまかされている、と感じている市民は多かった。

 パン屋と、よく似た事情だ。


「あれ? けどよ、デンマーク王の手の者と殺し合ったなら、その粉屋はまっとうな市民だったんじゃねぇ?」


 ヨハンネスは、アルノーの気持ちの方向を少しだけ変えようとした。


「いやぁ、たぶん二人で悪だくみしてて、分け前でもめたんだろ」


 アルノーは、薄ら笑いを浮かべて、そう言った。

 



 ヨハンネスは、ピーター警吏の自宅を訪れた。

 恋人のように、嫁のように振る舞うメヒティルトとエルナから、少年は目をそらした。


「強盗に襲われた粉屋が反撃して相討ちになったんじゃないか、という形で警視には報告しておいた。これはホアキムへの貸しに一つ付けておくからな。よく言っておけよ」


 ピーターは、ヨハンネスにそう言った。

 目を覚ましたヨハンネスはピーター警吏に相談し、ピーターはヨハンネスの事件への関与を隠匿していた。


「あの、オレ、すげぇ感謝してんすけど、なんつーか、本当にこれでいいんスかね……」


 ヨハンネスは、腹落ちしきっていない様子だった。

 ピーターが片眉を跳ね上げた。


「まあ、正当防衛を勝ち取れなくもない。でもその場合、ヴィッテンボルグとその黒幕に、お前の事がバレる。きっと連中は、お前がどこまで知っているか、強い興味を持つに違いない」


「黒幕?」


「市参事会とか、参事会員になる資格がある家柄の奴らの中に、事をしたい一派がいるんだ。俺が言ってる事、分かるか?」


「分かるっス。俺らを仲たがいさせて、偉い人らに逆らえないようにしてるんすよね? マジ、ムカつくっス……」


 ヨハンネスは、拳を掌に打ちつけた。

 ピーターは、茶をすすった。


「俺ぁ、こういうのいっちゃん腹立つんすよねー。なんとかなんないっすかねぇ。ピーターさんなら、行けるでしょ?」


 ヨハンネスは、ピーターをにらむようにして言った。


「何ともならない。こういう事には、切りがない」


 ピーターは、そう答えた。

 ヨハンネスを、にらみ返す。


「確かに、市民を分断し、連帯できないようにしているのは参事会内の一派だ。だが、本当に悪いのは奴らだけか? 市民の方にだって、常に蹴落とす他人を探す、残酷な気風があるんじゃないか?」


 ヨハンネスは、ピーターと視線を合わせたまま、何も言わない。


「例え今の参議会を打ち倒して、職人たちが新たな参議会員になっても、変わらん。今度は彼らが同じ事をする」


「だから、ピーターさんは何もしないんスか?」


「そうだ。無駄な事に労力を注ぎ込むぐらいなら、自分の人生を充実させるべきだ」


 ピーターは、そういうとメヒティルトとエルナを呼び寄せた。

 椅子に座る自分の横に立たせると、二人の腰に腕を回した。

 両腕に若い娘を抱いて、身体を密着させる。

 二人は照れながらも、嬉しそうな顔をしていた。


「善行ってのは、自分の人生から悦びが溢れた人が、その分だけ行うもんなんだ。そうでない善行の裏側には、必ずその人の怨念がカビのようにこびりついて異臭を放つ」


 ピーターは、ヨハンネスを見て言った。


「……俺、学がないから、ピーターさんの言う事分からないっス……」


 視線を落として答えるヨハンネスに、ピーターは口角を上げる。


「お前、地頭は悪くないよ。ヤーコプ聖堂のそばの学校、行くか? ねじ込んでやってもいい」


 警吏は、そんな提案をした。


「……ちょっと婆さんとかホアキムに相談したいっスけど、自分としては行ってみたいっス」


 少し迷って、ヨハンネスは答えた。


「じゃあ、はっきりしたら、俺に言いに来い」


 ピーターは、そう言って立ち上がった。

 帽子を被って、外出する準備をする。

 ヨハンネスも席を立って、ピーターや従者たちと一緒に部屋を出る。


 通りに出て別れ際に、ヨハンネスは思い出したようにピーターに行った。


「あの、ピーターさん。難しい事は分んねぇスけど、俺、施療院に救われたと思ってて、で、その施療院は市の人たちの思いっつーんですか? そういうので回ってて、だから俺、なんか恩返ししたいだけなんス」


 そう言うだけいうと、ヨハンネスは施療院の方に走っていった。

 ピーターは、渋い顔をしてそれを見送った。

 そんなピーターを、メヒティルトとエルナは案じるように見ていた。




 市庁舎の前の掲示板に、処刑の予定が貼りだされた。

 罪人は、海賊一味の頭領。

 刑罰は、斬首。

 これはこの都市の法では、最も重い刑罰ではない。

 吊るし首や火あぶり、車裂きに比べれば恩情ある刑とみなされていた。


 当日、市庁舎前の広場に処刑台が設置され、亜麻の布で覆われた。

 刑吏を務める皮なめし職人二人と、聖マリア教会の司祭が壇上で罪人を待った。

 その周りで、市民たちが待機する。


 ヨハンネスも、見物に来ていた。

 見届ける事は市民の責務だ、とルールマンに教えられたからだ。

 屋台が出ていたりして、見世物のようでもあるが。

 市民たちは口々に海賊頭の事を噂している。

 リューベック市の生命線は、貿易活動だ、

 それを横から掠め取ろうとする盗人に対して、斬首刑は軽いんじゃないかと言い合っている。


 少年が聴衆に混じって立っていると、近くにメヒティルトとエルナがいるのに気付いた。

 二人とも男装しており、暗い目で壇上を見つめている。

 その雰囲気に、ヨハンネスは声をかけそびれた。


 やがて、刑吏の助手が海賊頭を壇上に引き立てた。

 司祭は、海賊頭に毅然とした名誉ある振る舞いを求めた。

 頭は、長年潮風にさらされた厳しい顔付きの老人だった。


 海賊頭は、ひざまづいて聴衆に訴えた。


 ——曰く、彼はメクレンブルクの貧しい貴族の生まれだった。

 異常気象による飢饉、黒死病の流行による荒廃。

 妻子を養う為に、彼は止むなく商船を襲ったと述べた。

 襲うのは大店の貿易船に限り、小商いの行商船は見逃した。

 仲間はいずれも似たような食い詰め者で、略奪品は公平に分配した。

 無用な殺生はせず、必要最小限に留めた。 

 事ここに至り、リューベック市民に処刑される事は自業自得で致し方なし。

 だが私は正統な信仰を持つ者であり、市民諸兄には、私が神前に出た時の為に、とりなしの祈りを捧げて頂きたい——。


 海賊頭の毅然とした訴えに、市民たちは、おおむね同情の様子を見せた。

 より厳しい刑罰を求めていた口で、彼の為に祈る。

 処刑の場は、市参事会による裁判の判決を精査する全市民集会でもある。

 司祭は市民たちの反応を見て、今回は異議なしと判断、刑吏に合図をした。


 ひざまづいて、断頭台に頭を乗せる海賊頭。

 皮なめし職人の一人が、両手で斧を振りかぶり、振り下ろした。

 それで、首が落ちるはずだった。

 だが、そうはならなかった。








――――――――――――――――――――――――


今回、筆が滑りました。


「処刑の場は、市参事会による裁判の判決を精査する全市民集会でもある」はフィクションだと思います。


そういうのをどこかで読んだような記憶が願望混じりに膨らんだだけで、実態は単なる娯楽、純全たる見世物なんじゃないかと思います。何しろ現代人とは価値観が違うというのは意識しておかないといけない。




ちな、タイトルトラック


Iron Maiden - The Evil That Men Do - Rock In Rio HD


https://youtu.be/ohGBkVaMVJk

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る