chapter 9: REVELATIONS(2)






 虚偽の不法パンの告発が行われ、二週間後にルールマンのさらし刑が執り行われた。

 刑が終わり帰宅したルールマンは、酒を浴びるように飲み、三日後に仕事に復帰した。


「今まで、だましてくれたんだ。今日は銀貨一枚でパンを二つよこしな!」


 店頭の出窓でパンの売り子をするルールマン婦人に、老女が無茶な要求を突きつけた。


「そうだ! そうだ!」


「パン屋なんてこれだから信用できねぇ!」


 パンを買う為に並んでいた市民たちが、口々にはやし立て、騒ぎになった。

 ルールマンも店の外に出てきたが、何も言い返す事もできない。


 そのパン屋に、壺を抱えて近づこうとしている若い男がいた。

 口元に手ぬぐいを巻いて、目元が笑っている。


 その男の足を、ヨハンネスが蹴り払った。

 倒れた拍子に壺が割れ、街路にぶちまけられた汚物に男は顔を突っ込んだ。

 男は怒りの声を上げて顔を上げた。

 メッサ―の柄に手をかけたヨハンネスが、それを見下ろした。

 視線が合うと、男はヨハンネスから眼をそらし、ゆっくりと後ずさった。


「施療院は、ルールマンのパン屋のひいき筋だからよぉ! その邪魔する奴ぁ、わかってるよなぁ?」


 ヨハンネスが、声を張り上げる。

 騒いでいた市民たちは、すごすごと退散した。

 

 ヨハンネスは、担いでいた籠をルールマン婦人の前に置いた。

 ルールマン婦人は、ヨハンネスを抱きしめた。

 ルールマンは、籠にパンを山積みにした。




 その日の午後、施療院の中庭。

 ヨハンネスがデュサック(革と木で出来た練習用の小刀)を振っていた。

 その少年に、二人組の若い女性が声をかけた。


「こんにちは、ヨハンネス君」


 長身の方は、メヒティルトだった。

 薄い羊毛の黄色いワンピースドレス。

 首回りのカットは深く、亜麻の肌着を見せている。

 一般的な街娘の衣装。

 男装の時は全く気付かなかったが、今日は女性的な身体の曲線が目立った。


「うッス。……いや、こんちは、メヒティルトさん」


 ヨハンネスは、彼女の胸を見ながら挨拶をした。

 もう一人の女性は、それに眉をひそめた。

 こちらは小柄で、同じような街娘の衣装。

 パンをいくつも入れた籠を抱えている。


「こちらは同僚のエルナ」


 紹介されて、ヨハンネスは小柄な女性にも挨拶した。

 年齢は、メヒティルトよりはヨハンネスに近そうだ。

 編み込んだ髪をリネンの布できっちり覆っている。

 こちらも男装して頭巾で口元を隠している時には判らなかったが、目鼻立ちのはっきりした愛らしい少女だった。

 ヨハンネスは、その胸元に抱えられたパンを見た。


「しばらくは応援するようにと、ご主人様の言いつけがありまして」


 メヒティルトが、そう言った。


「いい、ご身分っスね。綺麗なねーちゃんと美味いパン、味付けは善い事した満足っスか」


 自分の口から飛び出した悪意に、ヨハンネス自身が驚いた。

 エルナという少女が目を吊り上げて何か言い返そうとしたが、メヒティルトがそれをさえぎった。


「ヨハンネス君。口に出す言葉には、気を付けなければいけませんよ。言葉には、とても強い力があるのです」


 悲しげな表情のメヒティルトを見て、ヨハンネスの胸が痛んだ。

 その感覚は、彼がアポロニアを想う時に感じる物と似ていた。

 それで、今のは、自分のねたみそねみが口からこぼれたのだと感じた。


「……サーセン」


 少年は、恥じ入ってうなだれた。

 その様子に、エルナは気勢をそがれたようだった。


「……分かりました。聞かなかった事にします。それでは、また」


 メヒティルトは、そう言って立ち去った。





 浮浪児に身をやつしたヨハンネスが、街路を歩く。 

 視線の先は、ヴィッテンボルグの背中。

 時刻は夕刻。


 ヴィッテンボルグは頭巾を目深にかぶり、足早に歩を進めた。

 手には、側面の金属板に無数の穴をあけた提灯を持っている。

 市壁に近い下町に向かっていく。

 やがて、とある一軒家に入っていった。


 ヨハンネスは、その家を観察した。

 窓に、外から木の板がはすに打ち付けられている。

 売り出し中の物件だろうか。

 少年は、家の入口を望む物陰に身を潜めた。


 一刻ほども経った頃、ヴィッテンボルグが一軒家から出て来た。

 これも頭巾をかぶったもう一人の男と一緒だった。

 背は低いが身体が分厚く、けんのんな雰囲気を漂わせている。

 この男も提灯を持っていた。

 二人は連れ立って、表通りの方に歩いて行った。

 

 彼らが視界から外れた後、ヨハンネスは考え込んだ。

 一軒家の戸口と、彼らが歩き去った方向を、ちらちらと見比べる。

 やがて少年は意を決して、一軒家の戸口に忍び寄った。


 少年は戸口の丁番に油を差すと、扉を慎重に開けた。

 ヴィッテンボルグたちが鍵をかけるそぶりがなかったのは見ていた。

 身体一つ通れるだけの隙間を開けると、そこに身を滑り込ませた。

 建物内に入って扉を閉めると、真っ暗闇だった。


 ヨハンネスは、手探りで手のひらに収まる真鍮の容器を取り出した。

 中に、苔と燃えさしが入っている。

 それで小さなろうそくに火を灯すと、ろうそく立てに差した。

 ろうそく立てには傘のように覆いがついており、足元しか照らさないようになっている。


 少年が見たのは、二間三間ほどの大きさの部屋だ。

 間柱の間にしっくいの壁、二階への階段、板張りの床。

 丁度類はほとんど無い。

 部屋の右奥の隅で、床板が外されており、そこから下に階段がある。


 強烈な異臭。

 

 ヨハンネスは忍び足で階段を下りた。

 階段と側壁は粗削りな石組みで、三尺ほどの幅。

 一度直角に曲がって、二間四方ほどの部屋にたどり着く。

 

 そしてそこに死体があった。

 三十路を越したぐらいの男性。薄い頭髪。職人の作業着。

 ヨハンネスは、その顔に見覚えがある。

 東門のすぐ外にある舟水車小屋で働く粉屋だ。

 かつて焼け落ちた水車小屋に住んでいた頃、毎日のように見ている。


 粉屋は、腹を抱えるようにうずくまっていた。

 床は土間で、大量の血を吸っている。

 壁は焼き煉瓦を積んである。

 積んでない結構な数の焼き煉瓦。しっくいを入れた木箱。それを塗るコテ。

 部屋の二尺ほど内側に間仕切り壁を作るように、途中まで煉瓦が積んである。


 この壁に、死体を塗りこめて隠す気だ。


 そう気付いて、ヨハンネスは慌てて階段を駆け上った。

 明らかに作業途中で、すぐに先ほどの強面の男が戻って来る。


 だが、遅かった。

 階段を登りきる前に玄関の扉を開ける音がした。

 ヨハンネスはとっさにろうそくを吹き消し、ふたたび地下室に戻った。

 石組みの階段の側面に背を付け、上を見上げる。


 メッサ―を抜いた。

 提灯の灯りが、ゆっくりと揺れながら降りてくる。

 できれば背後から不意を打ちたい。


 だが突然、提灯が投げられた。

 同時に強面の男が階段から飛び降り、ヨハンネスの前に着地した。

 手にはメッサ―。間合いは一間以下。

 男は腰だめに構えたメッサ―を突き出した。

 

 ヨハンネスはとっさに突き返した。

 メッサ―を握った右拳を巻き上げるようにして、相手の剣先を反らす。

 一方こちらの切っ先は反れず、飛び込んできた男の喉元に突き刺さった。

 アブセッツェンと呼ばれる技法。

 ヨハンネスは流れる身体に追いつくように右にパス。


 男は驚きの声をあげて、後ろに飛びすさった。

 床を転がる金属提灯。でたらめに暴れる男の影。

 ヨハンネスは舵構えに移り、目を細めて男の動きを注視。


 男がメッサ―を取り落として、両手で首を押さえた。

 荒い呼吸と、泡立つ音。手からあふれる黒い液体。

 突然、男は両腕を広げて少年につかみ掛かってきた。


 ヨハンネスは剣先と柄を入れ替えるように斬りつけて迎え撃つ。

 肘と手首の動きで斬る最速の斬撃。モーリネット。

 刃先は更に男の喉元を斬り抜けたが、男は止まらなかった。


 少年の胸倉を両手でつかむと、男はそのまま突進して、少年を壁に叩きつけた。

 何度も、少年の後頭部を石壁に打ち付ける。


 ヨハンネスは、何が起こっているか、わからなかった。

 男に攻撃を受けたのだと、ようやく認識が追い付く。

 後頭部に手をやった。

 裂けて傷口から血が出ている。妙にぶよぶよと柔らかい気がする。後頭部の骨が砕けてないか?

 怖れおおのき、のろのろと身体を起こす。

 そうして初めて、強面の男が倒れて死んでいるのに気付いた。


 ヨハンネスは、自分が良くない状態だと思った。

 暗い地下室で、死体二つと一緒にいる。

 おそらく血だらけだ。

 たぶん、傷もひどい。頭も回っていない。

 施療院に帰らなくちゃ。

 そう思った事だけを、覚えている。








―――――――――――――――――――――――――――――――

メッサ―のアブセッツェンの動画です

https://youtu.be/tGiDeLkPThI?t=80




モーリネットはこんな感じです

https://youtu.be/ztTq35BhPuQ

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