子猫物語

十二滝わたる

子猫物語

 母親が死んでから1週間が過ぎた。暑い真夏の日差しを受けた広い平屋の家屋の仏間には、大きな仏壇とやや萎れかけた献花や金色に飾りつけされた供物が所狭しと並べられている。そんな小さな庭のある大きな家に、僕はポツンと一人で佇んでいた。母親が亡くなり僕は一人ぼっちとなった。母親が病院で亡くなってから葬式が終わるまでは、職場や親戚やら近所の人たちやらで何かと騒がしく、何が起きているのか、自分の気持ちがもどのような状態であるのかの確認もできないままに立ち居振る舞っていたものが、突然、一連の葬儀の終了により忙しさから解放されたと思いきやいつもの生活に戻された。そして、いつもの生活といつもの時間と思っていたその時は、これまでとは違った茫漠たるひとりの時間だと気づかせられる。


 不思議に母親が死んだという悲しみの感情はまだやってこない。唯、僕は誰一人と血のつながりを持つ人間はこの世の中にはいないことをなんとなく感じながらも、いつものように遠くの部屋のテレビの音を縁側で聞きながら、ぽつんと一人でタバコを吸っているのだ。



 庭の片隅で何かが動いた。目を凝らしても何も動かない。けれど、何かがこちらを見ている、そんな気配だけが伝わってくる。「ちっ、ちぃ、ち」と雀の鳴くような声をだしてみる。そんなことをあれこれとしていると、そろりそろりと忍びの足取りでようやく姿を現わしたのは黒と白のぶち模様の小さな子猫であった。「なんだ、お前も一人か」いいながら、一定の距離から近づこうとしない子猫を誘き出すためにしらす干しをばら撒いてみると物凄い勢いで飛びつき、一心不乱に食べ始めた。親猫とはぐれたのか、どんな理由かは知らないが、一人で上手に餌も探せないままにしばらく空腹を我慢していたのだろう。何度かしらす干しを与えていると、いつの間にか子猫との距離は縮まり僕の掌からも食べるようになってきた。それが僕と子猫との最初の出会いだ。



 庭のカエデの葉もやや黄色に色づいてきた。この楓の木は春の芽吹きの時には朱色の葉を広げ、初夏になると日光を十分に吸収するために緑色に変化し、秋には黄色に色素が抜けて、冬が来るとはらはらと葉を全て落とし、一面の黄色の敷物で庭を覆う。メイプルシロップ目当ての蟻たちの姿ももう見えない。



 子猫と出会って3ケ月も経過する。子猫はすっかり大人の猫となっていた。野良猫のままだ。ときどき腹が減ると庭に入り込んでは僕を見つけ、足元に髭の部分や耳の部分をするりと擦り付けるようにマ-キングする。猫は僕の猫ではないが僕はこの猫のものらしい。いつも出会いは一方的だ。猫に名をツイ-トと名付けた。「元気でやってるかい、たくましく生きて行けよ」とツイ-トにツイ-トする。それは一人になった僕自身へ向けた言葉でもあったろう。



 寒い雪の積もる冬の間はツイ-トは一度も訪ねてこなかった。いや、足跡を見つけた日もあったのだから、もしかしたら来ていたのかもしれない。冬の短い日中の時間は出会いのタイミングを少なくしたのであろう。それを機会にしてツイ-トはこなくなった。僕もツイ-トのことを忘れた。



 何年か経過し、僕も結婚して家族ができた。小さな女の娘も生まれた。出産した妻を病院に迎えに行き、生まれたばかりの娘を大事に抱えて家に入ろうとした時に、僕の足元に子猫がすり寄ってきた。即座にツイ-ト?と思ったが違った。ツイ-トはもう大人の猫だ。今、見下ろす足元の子猫は全身真っ白の子猫だ。初めて会う子猫が唐突にしかも生まれたばかりの赤子を抱えたところを出迎えるように、何の警戒もないままに、むしろ随分と前から知っているかのようにすり寄ることを不思議に思った。「馴れ馴れしいんじゃない?」と言いながらも家の鍵を開けて中に入ろうとした瞬間、今度はまた違う真っ黒な子猫が玄関の狭い隙間をするりとすり抜けて家になかに入ってしまった。ましてや大事な赤子を抱えて、自然の中の抵抗力についても過敏になっている時に、どこかの野良猫が家に入りだして部屋中を駆けずりまわっているという大事だ。まとわりつく白い子猫をいなしながら家の中の黒い子猫を捕まえて家の外につまみ出そうとして玄関から出てみると、そこにはもう一匹の黒白のぶちの子猫が一匹、きょとんとして三つ指付きの座り方で僕をお迎えしていた。「ツイ-ト?ん、の子供か、お前たちは?」ぶち子猫はそのままツイ-トそのものの姿をしていた。



 それからは娘のアイと子猫3匹との網戸越しの交流が始まった。子猫3匹はしばらく呼び名がなかった。気まぐれの猫たちはあっという間に大人の猫となり、それぞれが勝手に不定期に網戸の前で鳴いてはアイに面会を求めた。アイが3歳になる頃、自分で名前を付けると言い出して名前を付けた。幼稚園の絵本ででも覚えたのであろう、白猫のム-、黒猫のマ-、ぶち猫のミ-だ。



 ム-は一番の器量よしで愛くるしい顔立ちとしぐさが特徴的だ。だれもが可愛いと感じるに違いない。マ-は精悍な顔立ちでしぐさも機敏だ、出会いも家の中からつまみ出す騒動を起こしたが、子猫のくせに捕まえるのに随分と苦労した。ミ-はツイ-トにそっくりだ。そもそもツイ-トはハンサムでも可愛くもない、どちらかと言えばブタ顔猫だ。ただ、ツイ-ト同様に行儀よくて人懐こい。



 3匹それぞれの個性ある猫が僕の庭に彩りを添えた。家庭は娘のアイを中心に回っていた。そして季節と庭は3匹の猫が風景を作り出す。これが日常となった。一人佇むだけの家はいつの間にか賑やかなサイクルで回りだした。



 季節が変わり、月日が巡ればこの風景もかわるのだろう。そう思いながらもいつまでもこのままでと思う気持ちを隠すことなく、今日も庭先で3匹同時に猫のすりすりにほほえむ日差しは快適だ。

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