〈後編〉

 店を訪れる勇気が出ないまま数週間が過ぎたある日、工場の主任さんが、一枚のチケットをくれた。手作りマルシェというハンドメイドのイベントのチケットだった。

「この間、栄泉堂さんの事、話してたろ? そのイベントに栄泉堂さんも参加するらしいから行ってみるといいんやないかと思って」


「ありがとうございます」


 確かにそんなイベント会場に行くのは、あのちょっと高級志向の店に行くよりハードルが低そうだった。実家の母さんは、そういうイベントに年に何回か行ってたっけ。イベントから帰ると、いつも買ってきた手作りのマスコットやトートバッグを手に、嬉しそうにしていた。



 次の土曜日、ハンドメイドのイベントへと向かった。冬の始まりのピンと張り詰めたような空気の晴れた朝。郊外らしい、長閑で平和な雰囲気の中、自転車を走らせる。


 着いてみると、大きな展示場で行われているそのイベントには、僕には縁のないような手芸作品、アクセサリーが並んでいた。会場には、母さんと同年代かそれ以上の女の人が多かった。僕は完全、浮いている。でも同年代に近いクリエイターのいるブースもあって、すごいなと思った。

 

 革製品のお店のすぐ隣に、栄泉堂のブースがあった。手作りマルシェの精神を汲んだ、お洒落なのし袋や凝ったポチ袋、レターセットが並べられてある。そしてギフト用ボールペンという一角を見つけた。

 メタリックなピンクやブルーのペンが並んでいる。「名入れ」とも書いてあった。高級ボールペンを探していた僕には、持って来いの企画だ。でもどれが良いのか、今ひとつ分からない。制服を着た中年の女性の販売員から話しかけられた。上品な感じの人だ。


「何か気に入った商品がありましたら、お手にとって下さいね」


「ハイ」


「何かお探しなんですか?」


「はい。名入れでボールペンを買いたいんですが、どれが良いか分からなくて」


「ちょっとここにこのペンで何か字を書いてみて下さい」


 僕は試し書き用の紙に「大輔」と自分の名前を書いてみた。


「小さくなく、しっかりと書くタイプですね。〇.七ミリの芯がいいと思います」


 そう言うと、別なペンを取り出した。


「もっと丸とか波とか書いて、引っ掛かりがないか試して下さい」


 僕が書くと、引っ掛かりはなく、スムーズでスラスラ魔法のように書けた。


「すごく書き心地がいいですね」


「ペン本体の色はどのカラーがお好みですか?」


「そうですねー。どれが合うか分からなくて。黒じゃない方がいいんだけど」


「そうですか。ここにあるのは一部のカラーなんですよ」


 そう言うと販売員は大きなカタログを持って来て、慣れた手付きでページをめくった。そこには、その場にないオレンジ色やレモン色や黄緑色のペンの写真があった。


「たくさんあるんですね」


「店舗の方にはほとんど全色揃っているんですよ。普段お好きなのはどんな色でしょう?」


「この藤色とか好きだな」


「サマーライトパープルですね」


 藤色でなく、サマーライトパープルというのか。どういう意味だ? サマーとパープル? そう言えば、他のペンにもスプライトエメラルドグリーンとかオータムベージュとか、大層な名前がついている。


「このサマーライトパープルだけ、店舗でも品切れですね。でも年明けには入荷予定なので、一度、遊びに寄られる気分で店舗の方にいらしてください。買わなくてもいいので」


 結局、あの店に行く事になるんだな。でもまぁ、いいか。夕陽に照らされたガラス張りの店に入って行く自分の姿を想像する。少し楽しい気分になってきた。そして他のブースをのぞき、母さんや妹や甥っ子、姪っ子へのお土産のポーチやビーズのアクセサリーを買った。


 そろそろ帰ろうかと考えていた時に、会場に放送が流れた。


「先程、栄泉堂のブースにて、ボールペンの試し書きをされた方、お話したい事がございますので正面入り口までお越し下さい」


 最初は、自分の事か半信半疑だった。でもしばらくして流れた次の放送で確信した。


「先程、栄泉堂のブースにて、ボールペンで試し書きで星を描かれたダイスケ様、お話したい事がございますので正面入り口までお越し下さい」


 

 初めは何の事か分からなかったけど、試し書きした際、自分の名前と星印を描いた事を思い出した。会場には少しザワッとした笑いが起きた。ダイスケという名前ながら、乙女な試し書きをした事への笑いだろうか? かなり恥ずかしい。それにしても自分に何を話したいと言うのだろう? そこは謎だった。何か不穏な事か?


 正面入り口には、さっきの上品そうな販売員がいた。


「さっきボールペンで試し書きをされた際、こちらをお忘れになっていたので、すぐ追いかけたんですけど、見失ってしまったので」と出されたのは、工場から持ち帰るところだった新商品のチラシ。そうだ。今朝、工場の土曜担当に伝える事があって寄った時にもらったんだったっけ。ペンを手渡された時に横に置いたままだった。


「すみません。個人情報まで放送してしまいまして」


「いいんですよ。ああいうペンを使ったのって初めてで楽しかったし」


「ではまた、お越しをお待ちしています」


 少しホッとしてその場を去ろうとした時、後ろから呼びかけるか細い声がした。


「大輔君?」

 振り返ると、そこにはサラサラの髪の小柄な女性が販売員らしいエプロンをつけて僕の方を見ていた。


「私、北村光里。小学校で一緒だった……。憶えてる?」


「うん、憶えとる。でもなんでここに?」


「私、今日はここで消しゴムはんこを売ってるの。星を描いたダイスケ様って聞いて、もしかしたらって思って来たんだ」


「ウソやろ。えっと。あの……消しゴムはんこって? 消しゴムでハンコ作るん?」


「うん。木と違ってフンワリした感じが出るの。可愛い星のハンコもたくさん売れてるよ。色んな所にペタンと押すと楽しくなるから、大輔君もどう?」


「うん。見てみたい」


「大輔君もこういうの好きなんだね」


「まあね……」


「お互い好きな物がおんなじだから、今でなくてもいつか再会できたんだよ、きっと。でもうれしいな。ところで栄泉堂さんで何、買ったの? 私もあの店、よく利用してるんだ」


 僕は何だか舞い上がっていた。久しぶりに見る光里ちゃんは、丸顔のところもクルクル動く瞳もフレンドリーな所も昔のままに、大人になっていたから。この十数年の空白が埋められない。普通に話しているフリして、ドギマギしていた。


「何買ったって、予約しただけなんだ。欲しい色がなくて。ペンなんだけど」


「こだわり派なんだね。何色なの?」


「何色って。サマー……。えっと夏の朝の藤色みたいな色」


「分かるよ。それ、大輔君の好きな色」


「え、分かるん?」


 会ってなかった十数年が一気に消えて、外は夏の朝の明るい藤色に変わった。



〈Fin〉


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小さな勇気とラッキースター/サマーライトパープル 秋色 @autumn-hue

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