小さな勇気とラッキースター/サマーライトパープル

秋色

〈前編〉

 子どもの頃のノートの字は、正直めちゃくちゃ下手で、シュールな位だった。特に小学校低学年の頃。たぶん何冊かは今も実家の押し入れの隅っこに残ってあるんじゃないかな。家族の誰かが捨ててなければ。

 とにかく字も絵も下手っぴいな子どもだったので、今さら開けられたら、家族の笑いと記憶を封印された過去から呼び起こすだけだ。


 ――お兄ちゃんって、ほんっと昔、字が下手だったんだね――


 ――いや、ある意味、芸術的なんじゃね?――


 そんな風に妹や弟からからかわれるだけ。




 小学校低学年の頃、父さんも母さんも僕の字を嘆かわしく思っていた。でも僕が小学生になった頃、妹と弟は保育園に通う位の、ちょうど手がかかる年頃だったんだ。

 そのうえ両親とも働いていたから、長男の勉強にまで気が回らなかった。放ったらかしにされた勉強のセンスのない子のノートなんて、そんなもんさ。


 学校の授業が嫌いってわけではないし、休み時間にはみんなと駆け回って遊んだりして、他の学校生活に不満なんてなかった。


 でもせっかく期待に胸ふくらませて始まった小学校生活も、教室でノートを開く時、テンションが下がる。周りを見渡すと、秀才で通ってる子のノートには、ていねいで整った字が書き込まれてあるんだ。どうやったらあんな風にきれいなノートを堂々と机の上に広げられるんだろうと思っていた。

 

 *


 そんな僕にも、ノートを開けるのが楽しみになるきっかけが訪れた。毎日が変わるのは、意外とあっという間だ。

 小三の春に一人の女の子が引っ越してきた。北村光里という丸顔の女の子。北村さんはきれいな字を書いた。ただお手本みたいな字じゃなくて、丸っこくてコロコロしながらもきれいな字。僕の斜め前の席になったので、よく見える。それで、きいてみたい事があったけど、転校生の、しかも女の子には、なかなか話しかけづらい。

 でもある日、勇気をふりしぼってきいてみた。


「どうやったら、そんなふうな星が描けるん?」


 そう、僕がききたかったのは、字を上手に書く秘訣ではなく、星の描き方だったんだ。

 僕は字が下手なだけでなく、みんなが一筆書きで描く星印というものが当時描けなかった。

 大人になると、そんな事と思うけど、その当時はみんなが普通に描く幾何学模様が自分には遠い世界のものにみえた。


 鍵っ子で、教えてもらえる大人が常に近くにいなかったせいもある。とは言え、夕食後のくつろぎの時間に教えてもらったり、仲の良い友達に頼んで教えてもらえばどうって事はない。でも別にいいや、そんなの、なんて思うのは、不器用な子にありがちな変なプライドだったのかな。普通に教えてもらえばいいだけなのに。


 それが突然きいてみたくなったのは、北村さんの連絡帳の中や表紙に書いてある色とりどりの星がすごくカッコよく見えたから。普通のペンでなくパステル調の、それでいて蛍光色の細いペンを使って描いていた。小学校生活に別に必要ないだろっていうような文房具。そして北村さんの字と同じように丸っこい、コロコロした星だった。斜め後ろの席から見ていて、あんな風に自分だけのノートを作れたらな、と思った。

 北村さんは、普通に「いいよ」と微笑んだ。初めて話す相手と思えない、その人懐っこさにホッとした。


「ほら、まず右下から始めるの。そして左上の方にぐーっと引っ張って、そこから右に引っ張って。そして今度は左下に。クロスさせるんだよ。✕を作る感じ。そして今度は上に持っていって、山の形を書くみたいに下に下がるの。最後は、最初の右下にくっつけるようにするんだよ」


 その説明通りに描くと、初めて星印ができた。何か感動した。北村さんは他に、中をクロスさせない星の描き方も説明してくれた。そして僕のノートを見ると、「浦野君のノート、字が楽しそうにはずんでる」と言った。


「いや、はずまなくていいよ。普通で」


「はずんでる方が楽しいよ」


 それでも北村さんは一つ字がきれいに見える秘訣を教えてくれた。それは、一つ一つの字が見えない四角に囲まれているような気分で書く事。そしてその見えない四角は角ばった四角でなく、北村さんの場合、丸っこい四角なんだって。 

 そんな事を聞いた後、僕の字、僕のノートは見違えるように変わった。字はやっばり下手だったけど、何だか、ぱぁっと陽が差した青空のような感じ。晴れやかというか。ノートの余白は星印だらけだったから星空か。

 それで毎日ノートを開くのが楽しみになった。北村さんの事は、みんなと同じように光里ちゃんと呼ぶようになっていた。光里ちゃんも、僕に負けないよう、ノートを星だらけにした。そして僕達は、先生からノートに落書きした事を注意された。それでもめげず、今度はちょっと小さめの星々を描いた。

 その年は夏休みの花壇の水やり当番も一緒で、早起きして一緒に花壇の向日葵に水をやったっけ。夏の朝の清々しい風を感じながら。

 やがて僕達は小五でクラスが別々になり、中学は校区の関係で別の学校だった。

 中学生になるとさすがに落書きだらけでなくなった僕のノートはまた寂しくなった。それでも時々隅っこに星印を書いていた。それと、光里ちゃんの伝授してくれた方法で字がすごく見やすいとよく言われるようになっていた。

 でも光里ちゃんにその後会う事はなかった。当時は一緒に大人になるものとばかり思っていたのに。


 *


 どうして突然そんな事を思い出したかと言うと、最近こんな事があったから。

 職場で字を書く機会があった。職場は大きな米菓メーカー。工場で働いている。秋が終わりに近付くと、本社からお歳暮ギフトのお知らせがくる。ノルマというわけじゃないけど、勤め始めてからいつも実家にお歳暮として大きな詰め合わせセットを、そして自分にも小さなアラレの小袋セットを頼んでいる。

 それで注文用紙に自分の名前を書いた時、同じ作業場で働いてるおばちゃんから言われた。

「浦野君って、字がきれいやね。女の子みたいに可愛い字を書くんやね」


 すごく感心した感じの言い方だった。それで小学生時代の思い出が蘇ったんだ。


 社員寮に帰ってから、その事をふと思い出した。近くにあったチラシの紙の裏にボールペンで名前を書いてみる。チラシの紙は、実家から果物や洗剤を送ってきた時に、間に詰めてあったもの。ボールペンは近くに業務スーパーができた時、その宣伝用でもらったプラスチック製。


 そうか。字がきれいに見えるのか。あの時教えられた秘訣が効いてるんだな。


 さっき書いた紙の自分の字の横に星印を三つ描いてみる。少しほっこりした気分になる。

 社員寮の両隣の部屋は同じ工場勤務の先輩だけど、どちらも社交的でなく、付き合いはない。だからここではちょっと孤独だ。同じ部署の、例の字を褒めてくれたおばちゃんと主任さんとあと数人の高齢の社員としか世間話をしない。世代の違う人と話すのもいいけど、同年代で付き合いのある人がいてもいいかなと思う。実家は同じ県内で、通えない事もなかった。でも妹が早く結婚し、実家に妹家族が同居しているので、早々と寮暮らしを始めた。


 三つ目の星印を描いた時、ボールペンの字が薄れた。

 やっぱ宣伝でもらった物はダメだな。他のボールペンもお盆にお寺からもらった物。今度、コンビニか百均に寄った時、ちゃんとしたのを買わなきゃな。

 そして翌日、近くのコンビニで缶ビールとツマミを買いに行った時、思い出して文房具の棚を見た。有名なブランドのボールペンがある。でもその無機質な黒の紡錘形を見た時、デパートで売ってそうな高級ボールペンを一本買ってみるのもいいんじゃないかと、ふと思い直した。

 そうだ。工場の主任さんがネーム入りのボールペンを持っていたっけ。その時、ちょっといいなぁと羨ましく思った。ああいうペンで書くと、もっと良い字が書けそうだ。そう言えば光里ちゃんは色んなペンを持っていたよな。まるで文房具屋さんみたいに。


 工場と社員寮のあるここは郊外。デパートは近くにはない。大きなショッピングモールは少し自転車を飛ばせばあるけど。そのショッピングモールの側に物々しい雰囲気の大きな文房具屋さんがある。店の名前は栄泉堂。ショーウィンドウには書道に使う筆やすずり、高級万年筆が展示してある。一般の文房具屋さんではないと自己主張しているみたいだ。入口も自動ドアでなく、押して入るタイプの入口で、それも入り辛さとなっている。ガラス張りなのに中の様子が見えないし。

 でも夕暮れ時にそのガラス張りに夕陽が当たると、幻想的で美しい。中も普通のお店みたいにゴチャゴチャしてなくって整然としていて、まるで外国のお店みたいだ。

 どうせ高級ボールペンを買うなら、あんな店で買ってみたいけど、いつもスウェットで買い物に行ってるような僕には入るのに勇気がいる。あの店に入るにはそれ相当の服をまず買っておかないと。先が長い……。


              〈後編へ〉


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る