きらきらと、掌の金平糖

一葉 小沙雨

きらきらと、掌の金平糖

 ふわりと紐解かれた包み紙の中から見えたのは、やさしい色合いをした星の集まりだった。


「……わぁ~、金平糖だ。すごく綺麗。どうしたの、これ?」


 私は隣に座る彼の掌をのぞき込みながら聞いた。

 風は冷たくて寒いけれど空はすっきりと晴れていて、冬の日射しが心地よい午後。初詣の帰りに私たちは小さな公園のベンチでひと休みをしていた。

 さきほど自販機で買った緑茶のホットボトルが、冷えた手先をじんわりと温めてくれている。

 淡くきらめく金平糖を見つめていたら、そんな私を見て彼は、ふふ、と少し可笑しそうに笑った。

 私が金平糖、早く食べたくって見続けてるって思われたのかもしれない。


「昨日、おばあさまのおうちへ新年のご挨拶へ行ったら、帰りがけにくれたんだ。きみ、前に甘いものが好きだと言っていただろう」


 掌の星くずを一粒つまみ、彼は自らの口に含んだ。

 そして、口の中でそれを堪能しながら「うん、甘いな」と、どこか感心したように短く零した。


 ……彼は、私と同じ学校に通うクラスメイトだ。

 高等部に進学したタイミングで今の学校へ転校してきた私の、隣の席だった男の子。

 肌が白くて目が大きくて、黒い髪の毛はさらさらしている。背も私と同じくらいで、たぶん私よりも痩せていて、すらっとしている。

 最初に彼を見たときは、私は彼が男の子だと気づけなかった。

 きっと、今もこうやって両方とも分厚いコートを着て並んでいると、女の子が二人いると勘違いされてしまいそうだ。

 どこか少し気取った話し方をするけれど、それが気にならなくなるくらい彼は私に親切にしてくれた。

 彼のおかげで今のクラスにも馴染めたし、友達もできた。学校内のことだけでなく、引っ越してきた私に地域のこともよく教えてくれた。

 今日だって、せっかくだからと地元の神社へ初詣に行こうと提案してくれたのは彼の方だった。


――……前の学校にいたときとは、まるで大違いだ。


 そう思った瞬間、私の頭皮の一部がびりりと痛むような感覚がした。

 もうとっくに短く切ってしまって無いはずの、長く結っていたときの自分の髪先。

 そのもう無いはずの髪先を、誰かに笑いながら強く引っ掴まれたような気がしたのだ。

 私は慌てて自分の頭を抑え、背後を振り返る。


 ……しかしそこには誰もいなかった。


 代わりに隣から、ずい、と何かが差し出される。


「あとはきみにあげる」


見ると差し出されたのは、彼が持っていた金平糖だった。その星の数は、さきほどから大して変わっていないように見えた。


「……え、もらっちゃって、いいの?」


「いいよ。じつはぼく、ここまで甘いのは苦手なんだ。おばあさまからもらってしまった手前、どうしようかちょっと困っていたんだ。それとも金平糖はきらいかい?」


 彼は少し困ったように笑いながらそう言って、自らの発した台詞に考え直したように手を引っ込めようとした。


「ううん! 金平糖、私すきだよ! 私なんかがもらっちゃっていいのかなって少し不安になっちゃっただけ!」


 そう焦って私が言うと、彼は「そうか、なら良かった」と微笑んで、なぜか嬉しそうに金平糖の包みを渡してきた。


「あ、ありがとう……」


 礼を口にしながら、自分の掌に移ったたくさんの星々が嬉しくて、私は思わずじっと手の中を見つめてしまう。

 するとやはり私のその様子を見て、彼がふふ、と笑う。


「そんなに喜んでくれると思わなかった。何だか得をしたな。面倒がらずに受け取っておいて良かった。おばあさまに感謝だな」


 彼は満足げに笑いながら、そう独り言のように言って買っておいたペットボトルのお茶で喉を潤した。

 温かい飲み物を口に含んだあとのせいか、吐息の白さが増して彼の周りの空気の色を際立たせた気がした。


(……金平糖よりも、きらきらしてる)


 彼は、どこかの綺麗な星の、王子様なのかもしれない。

 そんな子供じみた妄想みたいなことを考えていると、不意に彼と目がばちっと合ってしまった。


「……食べないの?」


 さっきからずうっと食べたそうにしているのに、と彼は笑いながら私をからかった。

 やっぱり食いしん坊だと思われてる! と急に恥ずかしくなって、熱くなった顔を隠すように私は彼から顔を逸らした。


「ふふ、ごめんごめん。気にしないで好きに食べてくれ。ぼくが言うのもあれだけど、おばあさまからもらったものだから、きっと少しは美味しい金平糖だよ」


 そうやんわりと促されて、私はふたたび手の中の金平糖を見た。

 たしかにとても美味しそうな金平糖だった。包み紙からして、近所のスーパーに売っているものではなさそう。きっと砂糖の味もやわらかくて、優しいのだろう。

 それに何より、私は和菓子の甘みが大好物なのだ。


 た、食べたい……。けれど……。


「……すごく、すごくもったいない、気がして……」


 そう私が泣き言のように零したのを聞いて、彼は意外そうな顔をした。


「もったいない? ああ、いや、申し訳ないが何もそこまでの高級品では……」


「ちがうの!」


 彼の言葉を遮るようにして、私は首を横に振った。


「ちがうの、そういう意味じゃなくて……。そういう意味じゃなくて……」


 そのまま私は、縮こまりながら口ごもってしまった。


 ……以前の学校でクラスメイトから私の掌へ渡されたのは、きらきらとはとても思えないようなものだった。


――『たべないのぉ?』


 べたべたどろどろとした、とてもじゃないが食べられそうもないそれらを渡しておいて、以前のクラスメイトたちは笑いながら私にそう言うのだ。

 逃げるといつも髪を強く引っぱられた。

 教室にいた他のどのクラスメイトも、先生も、学校の中では誰も味方してくれなかった。



――……ジャキンッッ!!



 ハサミの音が自分の頭のすぐ後ろで聞こえて、ぼろぼろに泣きながら髪の長さを不格好にして帰ってしまった日、ついに堪えかねた両親が私の転校を決めてくれたのだった。

 ある程度は整えたけれども、転校初日はまだ髪の長さが少し不自然になってしまっていて恥ずかしかったのを覚えている。

 クラスメイトらには怪訝に思われただろうけど、担任や教頭などの事情を知らせないといけない先生たち以外には一切、転校前のことを話していない。

 もちろん、隣にいる彼にも話してなんかいなかった。


 ……それなのに。


 私はもう一度、隣にいる彼を見た。

 昔のことを思い出したからか、私の中で不安感が膨張してしまって苦しいくらいだった。


「ねぇ、あの……、ひとつ、聞いてもいい?」


 不思議そうな顔をして首を傾げる彼に、私は胸の中でひそかにずっと疑問に思っていることを口にしてしまう

 自分の膨れきった不安感が、私を急に疑心暗鬼にさせて抑えきれなかった。


「どうして、こんなに……私に優しくしてくれるの?」


 その疑問を投げかけた途端、彼は明らかにうろたえた反応を見せた。


「ど……う、して……って…………、それは…………」


 彼の返答に困っている姿に堪えられなくて、私はついまくし立てるようにして詰め寄ってしまう。


「だって私、ここまで優しくされるようなこと、あなたにしてない! もしかして転校前のこと、先生に聞いたの? それで、ずっと私に優しくしてくれてたの?」


 彼は、転校前の私のみじめな姿を知っているのだろうか。

 みじめで弱っちくて何もできなくて、大好きな両親にもたくさん迷惑をかけて、どうしようもなくみっともなかったときの私を、知られてしまっているのだろうか。

 震える声で問い詰めてしまった私に、彼はさらにうろたえた様子を見せた。

 もし、彼が先生から話を聞いていたとしたら、私は今まで通りに彼の優しさを受け取れないかもしれない。

 でも私は。

 本当は、これからも彼と、一緒に笑い合っていたい。

 これからも、彼のきらきらとした優しい笑顔を、そばで見ていたい。

 彼の優しい声色を、ずっとこの耳で受け止めていたい。

 それが私のつまらない不安の陰りのせいで、叶わなくなるのがどうしても恐くて、嫌だったのだ。

 

 どうか否定してほしい。私は懇願するような気持ちで彼の瞳を、じっ、と見つめた。

 そんな私に気圧されてしまったようなかたちで、彼は逃げるように私から身を逸らす。


「て、転校前? い、いや、そういうのは知らない。ぼくは先生からは何も聞いていないよ。あ、いや、そういうことにしておくか……? ああいや、だめだな、それもだめだ。た、頼む、少し落ち着いてくれ」


 彼の心底困り果てた表情と今まで聞いたことがないほどの弱った声に、私はハッとして我に返った。


「ご、ごめんなさい……」


 ぱっと詰め寄っていた身体を離して、私は俯きながら謝罪する。

 同時に、やってしまった……、と後悔と自責に苛まれる。

 優しさの訳を聞くなんて、失礼にもほどがある。あまりの不躾さに恥ずかしくなる。


(嫌われてしまったかも、しれない……)


 さきほどとは違った不安が私の中でぐるぐると渦巻く。

 自分の身勝手な言動に、みるみる全身が冷えていくなるような感覚を覚える。

 それなのに同時に恥ずかしさや焦りで身体が変に熱くなってしまっていて、冬空のもとだというのに自分の体感温度さえよくわからなくなってしまっていた。

 隣を見ると、彼は両方の掌で顔を覆っているが、まるで火照ったように耳を赤くしている。きっと私が困ることを言って、急に慌てさせてしまったせいだろう。

 

 顔を両手で覆いながら、彼は「はあぁぁ~~~~」と深く長い息を吐いた。

 そうして、彼はしばらくの間そのままの姿勢で固まってしまった。


「お、怒って……」


「怒ってないよ」


 両手で顔を覆ったまま、今度は私の言葉を彼が遮るようにして強く否定する。


「怒ってはいないが、誤解は解きたい。あのね、さっきも言ったけど、ぼくは先生から何も聞いていないし、きみの転校前に何があったのかも知らない。ただ、きみと話しているうちに、前に何かつらいことがあったのだろうなとは思ってはいたよ。でも、それだけだ。さっききみが言ったようなことは何もないよ」


「じゃ、じゃあ、どうして……」


 こんなに私に優しくしてくれるの?

 つい私がまた同じ質問をしてしまったとき、それまで両手で顔を覆っていた彼が、どこか重たく、気怠そうに面を上げた。


「むしろ」


 彼の大きく形の良い瞳が、ゆるりとしっかり私を捉えた。


「……むしろ、どうしてだと思う?」


 まっすぐとこちらを見つめて、彼は静かに私に問い返した。

 たまに彼はこうやって、こちらをじっと見つめてくることがある。

 いつもはそれだけだが、しかし今回の眼差しにはいつもとは違ったある種の真剣さのような、怒りのような切なさのような、不安や期待も入り交じった不思議な色を宿しているように感じた。

 その目に気圧されてつい押し黙ってしまったが、とにかく何か答えなくてはと焦ってしまって私はしどろもどろになりながら考えを巡らせた。


「…………………ひ、ひとに優しくするのが趣味だから?」


「ちがうよ。不正解。残念だけどぼくにそんな趣味はないよ」


 苦し紛れの回答は、まるで不正解が来るとわかっていたかのように即座に否定されてしまった。

 正解なんて当てられるわけがない。だってどうしても自分ではわからなかったから、直接彼に聞いたのだ。

 何だか彼に答えをはぐらかされてしまった気がして、私はほんの少しだけむくれた。

 掌の中の星たちは、相変わらず陽の光りのもとできらきらとしている。

 隣で彼が、小さく息をついたのが聞こえた。


「……きみが転校してきてすぐの頃さ、ぼくが授業のノートをきみに見せたとき、ぼくの字を綺麗だと褒めてくれたのを覚えてる?」


 唐突に聞かれて、私はついきょとんとしてしまう。おぼろげだが、そういえばそんなことを話したような記憶がある。


「ぼくはそのとき、字くらいでおおげさだななんて思っていたんだけど」


 どこか、彼は澄んだ空気を見つめるような目をして、ゆっくりと話を続けた。


「きみは本当に何でも、ことあるごとに自分が綺麗だと思ったものを綺麗だと感動するし、よく褒めるんだよね。それこそ目をきらきらさせながら。何のてらいもなく。それがぼくにとってはとても新鮮でね」


 私は彼の話しをただ黙って聞いた。

 どちらかというと普段の彼は饒舌な方で、喋ることに苦を感じない性格なのだろうといつも私に感じさせていた。

 しかし今の彼の声色には、ほんの少しのたどたどしさが窺えていて、私にはそれがとても不思議に思えた。

 だからか、私は彼の言葉を聞き漏らしたくなくてただ静かに次を待った。


「ぼくは、そんなきみを見るのが……、」


 彼はそこで、まるで声でも詰まったかのように一旦言葉を切った。

 遠くを見つめていたような彼の瞳が、またこちらへ向いて私を捉えて私をさらに緊張させる。

 最初に彼を見たときは男の子だと気づけなかったくらいなのに、今の彼の目の光りの中には妙な力強さがあった。

 彼は私のことをいつもよりまっすぐと見つめてから、再び口を開いた。


「ぼくはそんなきみを見るのが……、……楽しかったんだ」


 私が聞き返す隙もなく、彼は声に勢いがついたのか矢継ぎ早に言葉を続けた。


「たまに暗い顔をするけれど、きみが綺麗だと思うものがあると途端に顔が明るくなる。前に何があったのかはわからないし、それをぼくにはどうすることもできないんだろうけど、ただきみの顔を明るくしたかったんだ。それに、ぼくが隣で少しお節介を焼くだけで、きみはおおげさなくらい嬉しそうにするから……ぼくも嬉しくなってたんだと思う。ただぼくは、……さっき、きみが金平糖を見つめていたときみたいに、」


 私の膝の上、掌の中の金平糖は、私の目には今でもかがやく星屑に見える。

 でも、それ以上に。


 ……目の前の彼が、はにかむようにしてその大きな目を少しだけ細める。


「きみが目をいっぱいきらきらさせているのを、ぼくがただ、見たかったんだ」


 掌の色とりどりの星たちよりも、それ以上に彼の瞳の方が私にはきらきらして見えた。


(――……ああ、そっか、)


 私は、そこであることに気がつく。小さな金平糖が紙の上で一粒、ころりと転がった。


「……だからね、」


 と、そこでいきなり彼は、一人ベンチから跳ねるように立ち上がる。

 彼が立ち上がってしまったせいで、ベンチに座ったままの私からはその顔が見えづらくなってしまった。


「きみは、ぼくがどうしてそんなに優しくするのかなんて聞くけれど、今言ったみたいにぼくのごくごく勝手な理由だよ。これでもぼくだって必死さ。……言っておくけど、ぼくは誰にでも優しくするわけじゃあ、ないよ」


 私に背を向けたまま、彼はそう言った。その表情は窺えないが、彼の耳がまた赤くなっている。言葉の最後の方は、めずらしく少しだけ拗ねたような声色だった。


「あ、あの……」


 私がその言葉の意味を図りかねて聞き返そうとすると、彼は「飲み物買ってくる!」と、公園脇の自販機まで足早に歩いて行ってしまった。

 一人ベンチに残された私は冬の陽光のもと、みるみる自分の顔が熱くなっていくのを感じていた。


 私は自分の掌の中の金平糖をようやく一粒つまみ、口に放り込む。

 じんわりとした砂糖の甘さが舌の上に転がり、その予想通りの美味しさを噛みしめた。

 ……それでも手の中には、まだたくさんの星の集まりがある。

 向こうから、彼が二つ飲み物を手にして戻ってくるのが見えた。


(そっか……、)


 私はそんな彼を見て、改めて思う。


 ……この掌の金平糖は、きっと本当は普通の金平糖だったんだ。

 

 でも。


(彼が私に、普通の金平糖すらも、きらきらにしてくれてたんだ……)


 それこそ星屑と見紛うほどに。


 ベンチに戻って来た彼が、あたたかい飲み物を私に差し出してくれる。

 平静を装っているようで、まだ彼の頬はこころなし火照っているようだった。

 私は礼を言って飲み物を受け取った。彼もさきほどと同じように、私の隣に座る。

 私もなるべくいつも通りを意識して、金平糖をもう一粒口にした。


「おいしい……ものすごく……」


「それは良かった。今度は町の美味しい甘味屋を紹介しよう」


 甘いものが苦手なのにどうして美味しい甘味屋など知っているのだろう。

 一瞬私はそう心の中で思ったが、その答えはすでに彼に聞かなくともわかってしまった気がした。

 私はまた異様に熱くなった自分の顔を恥ずかしく思いながら、


「ありがとう……」


 と、小さく返すしかできなかった。


「ふふ、どういたしまして」


 隣を見ると、今日一番のきらきらとした彼の笑った顔があった。

 掌の金平糖が、またいっそう星のようなきらめきを放った。




(了)

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きらきらと、掌の金平糖 一葉 小沙雨 @kosameichiyou

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