第3話 迷宮に焦がれた男は、迷宮が焦がれる男になった

 牛男、豚男、小鬼男の三体が進に群がる。どれもこれも外来種のため、ミノタウロス、オーク、ゴブリンと呼称した方が正確だろう。

 身を伏せてミノタウロスの蹄を避けた直後、オークの持つこん棒が目前に迫る。ゴブリンが背後から迫っていることも、充分に把握できていた。進の得物は、右手の短槍と左手の短刀だ。


「遅い!」


 槍の柄でこん棒を弾き飛ばす。進は振り向かないまま、ゴブリンの頭に先端を突き刺した。「ギャッ!」という汚い悲鳴を上げ、ゴブリンはくすんだダンジョンクリスタルに姿を変える。

 残った二体の隙間を潜り抜けつつ、それぞれの脚部を短刀で斬りつけた。体勢を崩すところを見逃さずに、手早くオークへと槍を突き立てる。一旦槍から手を離し、ミノタウロスの首を短刀で斬り裂いた。


「ふぅ」


 地面に転がる三つのダンジョンクリスタルを見下ろし、進は軽く息をついた。特定危険外来種として指定されている三種を瞬時に屠ったにもかかわらず、汗一つかいていなかった。


「師匠、惚れ直しました」

「いや、実力じゃない」


 頬を染める多華子の発言を即時に切り落とす。冒険者としては上位の存在だと自負している進であっても、こんな戦い方は自身の力でできる気はしないのだ。


『妾の《加護》は効いておるようだの、進様よ』

「その、様ってのやめてくれませんかミハラ様」

「そうっすよ、師匠はあげませんよ」

「お前のもんじゃねぇよ」

『そう、逆だぞ多華子よ、妾が進様にこの身を捧げたのだ』

「そういう話ではなく」


 進はミハラの願いを聞き入れ、迷宮内の外来種の駆逐に協力することとした。国内迷宮の美しさを取り戻すためであり、決して彼女の魅力に屈したわけではない。

 現段階では、そういうことにしておいてほしいと進は願う。迷宮に人のような感情があるなどと知ったばかりで、まだ心の準備ができていないのだ。こんな美人の身体の中を、十何年もうろつき回っていただなんて、照れくさくて仕方ない。


「本気半分の冗談は置いておいて、加護って凄いっすね」

「ああ、自分じゃないみたいだ」

『うむ、人にこんなサービスするのは妾も初めてじゃ。上手くいってよかったよかった。相思相愛なのが効いたな』


 ミハラの言う加護とは、進のような一般人にとっては反則そのものだ。彼女の中にいる限り、身体能力や各種感覚、装備品の強度など様々なものが強化される。物理法則も何もあったものではない。

 物怪も、迷宮石に加護を与えることで形を成しているそうだ。つまり今の進は、人でありながら物怪の力を得ていることになる。これまでの経験で培った技術にそんなものが上乗せされれば、真っ当な物怪など物の数ではないという事だ。


「外来種はあと何体くらいいるんでしょう?」

『そうさなぁ、大まかに百と少しくらいだろうか』

「え、多いっすね……何日かかるんだろ」


 進の経験上、迷宮で物怪と遭遇する機会はさほど多くない。丸三日潜って、せいぜいが十体といった程度だ。

 海外のダンジョンではもっと多いらしい。迷宮石とダンジョンクリスタルの産出量の違いは、こういう部分でも差が出てしまっているのだ。


「なかなか厳しいな。一度戻って準備がいるか……」

 

 中に百体いるというのは本当のことだろう。ミハラの中のことだから、本人の発言が一番正しいはずだ。

 進と多華子が今回潜り始めてから既に二日以上が経過している。水や食料も底が見えつつあった。こればかりはいくら加護があってもどうしようもない。


『ああ、それは問題ないぞよ。一か所に集めてあるゆえな』

「一か所に、ですか」

『うむ! これまでのはそこから抜け出したものだな』

 

 自慢げに鼻を鳴らすミハラは、豊満な胸を下から押し上げるようにして腕を組んだ。


「それはどこに?」

『もう少し先じゃ。妾の最奥部に近い場所だ。普段は隠していて、誰にも見せたことはない部分だが、進様ならば喜んで見せてやろう。側室の多華子にも許してやるぞよ』

「いつの間にか側室に! まだ終わらんっすよ」

「いや、正室も側室もないから」

『大丈夫、妾は進様が決心するまでいつまでも待つつもりじゃ』

「全盛期の乙女の力を舐めないでもらいたいっす」

「はぁ……」 

 

 一時間ほど歩いただろうか。ミハラの言う最奥部が近付いてくるのがわかった。加護により鋭敏となった聴覚が、複数の物怪が動いてる音を捉えたのだ。この雑な足音や大きいだけの筋肉の収縮音は、まさに外来種のものだ。

 音だけでは数の把握が難しい。それほどまでに密集してうごめいていた。いくら加護があってもただでは済まないかもしれない。

 

『さぁ、妾の進様、大一番である。加護を追加してやろう』

「って、ちょ」


 ミハラのしなやかな腕が、進の首に回る。迷宮が姿を変えた美女の唇が首元に近付き、紅い舌を出した。


『じっとしておれよ』

「ふぉっ!」


 心まで溶かすような香りに包まれて、進は体を硬直させた。その首筋を、ぬるりと柔らかい感触が這っていった。


『よし』

「よしじゃないっす!」


 多華子の叫びが響く中、進はこれまで以上の高揚を感じていた。ミハラに舐められた部分を中心に、全身が躍動するようだった。


『うむ、大変に良い男だ。イケメンというやつじゃな。行っておいで』

「はい!」

「よし、今度私もそれやってやるっす」


 負ける気がしなかった。二つの視線に見送られつつ、進は外来種が蔓延はびこる袋小路へと突入した。


 そして、約二十分後。

 進はいとも容易く、大量の外来種を殲滅せんめつした。その数、百と七体。ミハラの言った通りの数だった。


『おお、思ったより早かったな。惚れ直してしまうわ』

「加護のおかげですよ」

『ふむ、つまりは初めての共同作業というやつじゃな』


 傷一つなく戻った進を、ミハラが上機嫌で迎える。心なしか口元が緩み、目つきがとろけているようだった。

 これで彼女の中、美原山迷宮の外来種は駆除できたという事になる。進としては気に入らないが、大量のダンジョンクリスタルも回収できた。持ち帰って売れば、数年は遊んで暮らせる量だ。


「さぁ、もう帰りましょう、師匠。これ以上は食料が足りなくなるっす」

「あー、ああ」

「煮え切らない感じっすね」

「まぁ、な」

 

 進の腕を掴んだ多華子が頬を膨らませる。二人の視線の先には、空中に浮かぶ絶世の美女の姿があった。


『うむ、今は一旦帰るがよい』

「あれ、いいんすか?」

『なんだ、閉じ込められるとでも思うたか?』

「あ、えーと」


 多華子の目が泳ぐ。進も近しいことを考えていたが、敢えて口にするのを止めた。その後は思いの外あっさりと、迷宮の出口まで見送られてしまった。


「では、お邪魔しました」

「失礼するっす」

 

 今まで割と気軽に出入りしていた場所が、誰かの体の中だと思うと、妙にばつの悪い気分になる。進は照れを隠せないまま、ミハラへと頭を下げた。


『次までには新居を用意しておくからな。進様。もちろん、心の準備ができてからでよいぞ。妾は長生きだからな。寂しくはあるが、その気がなければもう来なくとも良い』

「あ、ええと、はい」


 進は再度深く頭を下げ、美原山迷宮を後にした。移動手段のワンボックスカーは、ふもとの駐車場に停めてある。


「思いの外あっさりとしたお別れでしたね。もう来ないかもしれないのに」

「そうだな」

「私としては、師匠の迷宮狂いに区切りがついたんじゃないかって嬉しいっすけどね」

「うーん、どうだろうな」

「それにしても、ミハラ様、綺麗でしたね」

『そうであろう』

「師匠の女性の趣味は、よくわかりました。私も頑張ります」


 多華子は胸の前で拳を握りしめた。いつも迷宮を出た下山中は、どこかしんみりした気分になる。今回は特にだ。多華子の明るさが、進にとってはありがたかった。


「また、潜りましょうね」

「ああ」

『新居の準備、急がねばな』

「そうですね……って、ミハラ様?」

『うむ、進様の妾じゃ』

「どうしてここに?」

『それはもちろん、進様の篭絡ろうらくのためだが。多華子に抜け駆けされるのも気に喰わぬしな』

「ちっ! 感づかれていたっすね」

「ちって、お前」

『ふふ、進様。どうぞ末永く、よろしくお願いいたします』


 今日の出会いを転機に、穂稀ほまれ すすむは後に《迷宮のあるじ》と呼ばれることになる。

 この国の迷宮産業の復活は、始まりの兆しを見せていた。

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今は廃れた国産迷宮の探索に情熱を燃やす男、三十路を目前にして前人未到の最奥で絶世の美女と出会う ~夢を追い求めていたはずが、いつの間にか愛の契りを迫られています~ 日諸 畔(ひもろ ほとり) @horihoho

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