第2話 迷宮とは何かを知りたかっただけなのに

 進は息を飲んだ。これほどに見惚れたのは生まれて初めてだった。

 これまで異性に興味がなかったわけではない。それなりに稼ぎもあるため、言い寄られた経験も過去に何度かあった。

 多華子だって幼く見えるものの、外見は大変良いとは思っている。あくまでも外見は。ただ、どんな相手も迷宮への想いを上回るほどではなかった。

 だが、目前に現れた女性は、そういう次元ではない。まさに、人にあらざる存在に思えた。


『どうじゃ、見えたかの?』


 黒く艶やかで長い髪をなびかせ、少女のようでありながら妖艶な瞳が進を見つめていた。控えめな高さの鼻筋から続く、桜色の小さな唇が誘うように開く。


「は、はい……」


 外見上は明らかに年下に見えるのに、進は思わず敬語を使っていた。それほどの神々しさが彼女から漂っていたのだ。それどころか、和服を着崩したような衣装に身を包んだ肢体は、ほんのり光を帯びている。そして、宙に浮いていた。


「し、師匠。この人、超美人さんです」

「あ、ああ。そうだな……」

『ふふん、よくわかっておるのぅ。そこの小僧の好みのタイプに仕上げてみてやったぞ。感謝するがよい』

「え?」

「師匠、こういうタイプの女性が好きだったんですね」


 多華子の視線が進へと刺さる。


「あー、だな」

「うわ、いい歳して照れてる。師匠のことは好きですが、若干気持ち悪いっす」

『妾の魅力じゃ。仕方なかろう』

「それはともかく、貴女は?」


 針のむしろになるのが耐えられなかった進は、無理やりに話題を逸らした。そもそも何の話をしていたのかは、既にわからなくなっている程度には混乱していた。


『ああ、すまんな小僧。人と話すのは久しぶりではしゃいでしまったわ』

「は、はぁ」


 光る女性は無邪気な笑みを浮かべた。その愛らしさに、進は再び硬直した。

 あまりにも美しい容姿というのもあるが、迷宮で物怪以外の存在と出会ったのはこれが初めてだ。しかも会話が成り立つ。まさに世紀の発見とも言える事態に、思考がついていかなかった。


「すみません。師匠がポンコツになってしまいまして、話を続けていただいてもいいっすか?」

『ああ、妾も少々気合いを入れすぎたようだの。とりあえず小僧に話すが、小娘も聞いておくれ』

「はい。あ、名乗りますね。小僧とか小娘とか、言いづらいっすよね?」

『お主、物怖じしないんじゃな』

「はい、よく言われます!」


 進は、多華子を心から尊敬した。むしろ彼女が師匠でもいのでは、等と考えるほどに。


『名乗ってくれるのはありがたいのだがな、妾はお主らのことを知っておる。進と多華子じゃろ?』

「あら、よくご存知で」

『雰囲気を出したくて敢えてそれっぽく呼んでみたのだが、名前で呼ぶとするかの』

「はい! そうだと嬉しいっす!」

「では、こちらは貴女をどうお呼びしたら?」


 いつの間にか仲良くなっている多華子と女性の会話を遮ったのは、若干の嫉妬があったのかもしれない。どちらに対するものなのかは、進にもわからない。

 二人の名前を知っている理由も全く不明だ。しかし、疑問に思うことすら些細に感じる、妙な説得力があった。


『あー、そうだのぅ《ミハラ》とでも呼ぶがよい。敬意を込めつつも気軽にミハラ様でよいぞ』

「ミハラって……」

『進よ、様くらいは付けてほしいぞ』

「ああ、失礼。ミハラ様のミハラって、ここの?」


 進は首を傾ける。女性が名乗ったのは、今潜っている迷宮がある場所の地名だった。美原山みはらやま迷宮。この国でも特に古くから人が入った迷宮のひとつだ。


『ああ、そうだよ進。お主ら人間が名付けた、この迷宮の名だ。つまりは妾の名ということじゃな』

「ミハラ様、迷宮と同じお名前なんすね」

『んーむ、正確には迷宮が妾と同じ名なんだがな、まぁよい』


 進と多華子は揃って頭に疑問符を浮かべた。どうもミハラと名乗った女性との会話が噛み合っている気がしない。


「で、なぜ俺たちに?」

『そうそう、それだな』

「お話長くなりそうなので、今日はここで休みましょうか」

 

 多華子はいつの間にか、テキパキと簡易テントを広げ始めた。ぬかるんだ地面には防水シートを敷き、転がった石や人骨などを端に寄せる。


『なかなか良い寝床じゃな。妾も邪魔するとするかの』

「はーい、二人用で狭いですけど、どうぞっす」

『うむ、丁重な対応には、丁重に返そう。大抵こういう時は説明を省くものだが、妾は違う。しっかりと説明した上で、申しつけようぞ』

「は、はぁ」

 

 テントの中でミハラが語ったのは、進の常識を覆すものだった。天気の話でもするかのような気安さで、絶世の美女は迷宮の真実を告げた。何の証拠もないが、疑う事すら無粋に感じてしまう。

 

「ということは、ミハラ様は……」

『うむ、この迷宮全体が妾じゃ。なので、お主らは妾の中に入っておることになるの』

「なんか、いやらしいっすね」

『そういう想像をする多華子がいやらしいと妾は思うぞ』

「いやん」


 迷宮は単なる地形ではなく、意思や感情を持った生き物に近いものだという。遥か昔からこの惑星に存在し、多種多様な生き物をその体の中に迎え入れていた。その中でも、特に人間と相性が良かったらしい。

 

『昔はな、妾を信仰の対象にしておる者も多くてな、気が向いたら人の形を作って見せてやったこともある。ただ、ここしばらくはそうでもなくてな』


 ミハラは軽く目を伏せる。寂しそうな表情すら美しく、進はどうしても戸惑ってしまう。

 

「なら、迷宮石は」

『あーあれは、妾の一部だな。人で言えば爪や髪、あとは排泄物に近いかもしれぬな』

「排泄物......っすか」


 多華子は迷宮石が詰まった鞄に目をやり、露骨に嫌そうな顔をする。


『これ、引くでない。最近の人が喜んで使っておる石油とやらも似たようなものであろう』

「まぁ、言われてみればそうっすね......」

『わかればよい』


 無理やりに多華子を納得させ、ミハラは満足げに微笑んだ。続いて、その大きな瞳が進の方に向けられた。

 

『で、本題じゃ。進の力を見込んでの頼みごとだ』

「頼みごと?」


 視線から目が離せず、進は間抜けにおうむ返しをした。多華子の肘が脇腹に入ったが、全く気にならなかった。


『ここしばらく、外来種が多くての。妾自身の中で対処がしきれなくなってしもうたのだよ。そこで、退治を頼みたくての』

「外来種の退治ですか」


 ミハラの言う事には頷ける。進が迷宮へと潜るようになってから十五年ほど。外来種の数は増え続けていた。


『お主の力はよく知っておる。妾の中をくまなく調べようという気概もある。何より、外来種を美しくないと言ったところが気に入った』

「あー、師匠、すっごい変態っぽいっす」

「その言い方やめてくれ」

『嘘ではなかろうに。そのために、進が喜ぶ外見を見繕ったのだぞ。言葉遣いや仕草もな。ほれほれ』


 細くしなやかな指先が、進の頬をつつく。少し冷えてはいるが、人のような体温を感じさせた。緊張と興奮のあまり、進は身を固くした。なぜか反対側の頬には、多華子が掌を押し付けてきた。


『進は、モテモテだのう。そうそう、妾は意外と新しい言葉も知っているのだぞ』

「はぁ」


 長年追い求めていた迷宮の正体を、唐突に知らされてしまった。そして、ある意味で恋焦がれていた存在からの頼み事なのだ。気持ちの中では二つ返事のはずだった。しかし、混乱に混乱が続き、進は煮え切らない返事を口に出してしまう。


『なんじゃ、不服か?』

「いや、そういうわけでは」

『よしわかった!』

「え?」

『報酬をくれてやろう』

「報酬?」


 ミハラの口元が悪戯っぽく歪む。迷宮とは、ずいぶんと人のことを知っているのだと、進は漠然と考えていた。


『うむ! 妾の身も心も進にやろう。お主のことは好いておったし、やぶさかではない』

「は?」

「ええ?」

『よろしく頼むよ進。いや、進様』


 空中を漂っていたミハラの身体が進へと近づき、強く抱き締めた。柔らかな胸の感触を顔で感じつつ、進はさらに混乱した。

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