戯曲「天狗の子」

バルバルさん

天の子狗の子 天狗の子

―――幕が上がる。

(山林の中を、灯も持たず不安げに歩く少女が一人)


少女「あぁ、ここはどこでしょう。私は家で寝ていたはずなのに」


(一歩、二歩と歩みを進めた所で翼の音)


少女「何とおぞましい音。一体、何が飛んでいるのでしょうか」


(ゆっくりと、月の無い夜空から、一人の高身長の天狗が一人、降りてくる)


天狗「おお、なんと。我が呪う山におなごがいるぞ」


(その声を聴き、地面に倒れこむ少女。そして、震えた声で)


少女「あなたは、一体、一体何なのです?」

天狗「我が名は天狗。この山を呪いし者。貴様は贄か、それとも、ただの迷い子か」

少女「私は、家で寝ていただけ。贄でもなければ、迷い子でもありませぬ」

天狗「成程、我が問いを両方否定で返すか。面白いおなごよ」


(ゆっくりと、天狗は少女に近づいていく)


天狗「おなごよ、おそらく貴様は迷い子であり、贄としてこの呪われし山へやってきた。本来ならその四肢引き千切ってくろうてやるところだが」


(天狗の高笑いの声。そして、少女の引きつったような悲鳴)


天狗「だが我は今、腹がいっぱいだ。なので今日は似合わぬことをしてやろう。貴様を家に帰してやる」

少女「ほ、ほんとう、ですか?」

天狗「だが、ただでは返さぬ。その胎に、俺の仔を仕込んで返そう。はっはっは……」


(少女の悲鳴、天狗の高笑い。そして暴風の音で、一旦幕が降りる)


―――数年後


(幕が上がる。古びた家へ、年の頃、6歳くらいの元気そうな少年が走って入ってくる)


少年「母上! 精のつく野草を手に入れました。汁にして食べましょう」


(家の奥には、古い布団に寝た女が一人)


母上「あらあら、全く。風の子のように元気な事」

少年「はい! 母上を絶対に元気にしてみせます。そのためなら、野を駆け山を駆けですよ」

母上「本当に、優しい子に育ってくれましたね」

少年「おっと、どうせなら肉もあったほうが良いですね。少し狩ってきます」


(そういうと、少年は風のように走って家を出る)


母上「あ……全く。本当に優しく、力強い子。天の子、狗の子、天狗の子とはいえ……本当に、良かった」


(場面は変わり、山林の中を駆ける少年)


少年「待てや兎よ、待てや猪よ。わが母上の血となれ肉となれ!」


(そしてしばらく駆けるが、息を切らして山の川に到着する)


少年「ああ、なんてこの身はひ弱なのだろう! たった数刻走っただけで、息が上がってしまう。もっと大きく、もっと力強い大人にならないと、母上を守れない」


(その時川の中から声がする)


川の声「幼き者よ。その身に呪われし血潮を流す仔よ。大きな姿を、大人の姿を欲するか」


(その声に仰天するが、すぐに少年は川に向かい)


少年「勿論。俺は父を知らぬが母上を知っている。母上を守れるのが俺だけだと知っている。ならば、大人の力を、大人の姿を欲して何が悪い」


(川の水面が震え、笑っているかのような音がする)


川の声「いいだろう。ならば、力を母の為だけに使うと誓え。そうすれば貴様に姿をやろう。だが気をつけろ、誓いを破れば、貴様は残りの生、畜生の道を歩くことになるだろう」


(再び場面は変わり、母上の家)


母上「あぁ、少しあの子の帰りが遅い気がする。心配だわ」

青年「ただいま戻りました、母上!」


(いきなりの青年の登場に、仰天したように短く叫ぶ母上)


母上「あ、貴方は、一体」

青年「俺です。貴女に名を頂いた、貴女の子にして、貴女を守る誓いを立てた幼子です」


(その言葉に、一拍置いて)


母上「何という、感覚なのでしょう。私は、貴方を一瞬、誰だと思ってしまいました。でも、じっくり見れば、その頬、その目、その髪……全て、我が子に違いないのに」

青年「母上。もう心配いりません。大人の姿を手に入れた俺は、母上を守り、母上を幸せにして見せます!」


―――その後、青年は様々なことができることに気が付いた。駆ければ音の如し。拳を振れば雷鳴の如し。跳べば風の如し……

だが、川の声に従い、その力は母上を守り、母上の病気を治すこと以外には使わなかったという。

 東に万病に効く薬があると聞けば、風のごとき速さで買いに行き。

 西に徳の高い高僧がいると聞けば、林のごとき静かさでその教えを聞き、母へ伝え。

 南に金品を集める強欲な鬼がいれば、火の如し強さで退治し。

 北に傾国の美人がいると聞いても、山のごとく母の傍から動かなかった。

 そんな、ある日の事……


青年「母上、病の具合はどうでしょう」

母上「ええ、貴方のおかげで、だいぶ良くなりました」


(ゆっくり、立ち上がる母上と、それを支える青年)


青年「いきなり立ち上がるのは危ないですよ。もっとゆっくり……」

母上「いえ、本当に。あなたのおかげで、立てるくらいに回復したの。それを見せたくて」


(そこで、山の方から、ほら貝の笛の音のような音が聞こえる)


青年「何でしょうか、この音」

母上「わからないわ。でも、とても、不安になる音……」

青年「大丈夫です、鬼が来ようと何が来ようと、俺が母上を守ります」


(そして、日が暮れ夜の事。ボーン!と、風が、戸を叩く)


青年「誰だ!」


(青年の声に、扉が開き、そこから現れたのは)


母上「あぁ、お前は……」

天狗「久しく見ぬうちに、老いたな、人の子よ」


(天狗は、ゆっくりと母上を守る青年を眺め)


天狗「うむ、精悍な男に育ったものよな、息子よ」

青年「な、な、俺が、お前の、息子?」

天狗「そうよ。まさか貴様、自分が人の子同士の子だと思っていたわけではあるまい」

母上「やめてください、何の用ですか!」

天狗「無論、息子を頂きに来たのよ」

母上「な……っ!」


(そして天狗は、青年を手招く)


天狗「さあ、息子よ来い。貴様は俺の後を継ぎ、山を呪わねばならんのだ」

青年「黙れ物の怪。俺の身は母上の物。貴様などになびくものかよ」


(その姿に、天狗はため息を吐き)


天狗「俺の子とは言え、人の子でもある……か。仕方がない。ならば、貴様を人の世に縛るものを、俺が壊してやろう」

青年「や、やめろ!」


(青年が疾風のごとき速さで天狗に掴みかかるが、天狗が扇を薙ぐ方が早く、母上を強風が打つ)


青年「ははうえぇぇぇぇ!」


(ぐったりとした母上を、青年は抱き上げようとする)


青年「母上、母上。目を開けてください」

天狗「さあ。人の世にお前を縛る物はなくなった。俺の元に来い、息子よ」

青年「き、貴様、貴様ぁ!」


(青年は、雷鳴のごとき力で天狗を殴打する)


天狗「ぐっ!貴様、父親を殴るか」

青年「黙れ、黙れ!」


(青年は天狗を殴打し、天狗は風を操り青年を縛ろうとする)


―――――青年と天狗の戦いは、三日三晩続いた。家など跡形もなく壊れ、母上の体の他に無事形を保っている物は無くなっていた。そして、四日目の朝に立っていたのは。


青年「はぁっ。はぁっ」

天狗「ぐぐぅ……老いには、勝てぬか……」


(青年は、天狗が落とした扇を拾うと、天狗に向かい)


青年「お前が、母上を……」

天狗「は、はは、良いぞ。そのまま、扇で俺を殺すがいい」

青年「何?」

天狗「俺を殺せば、父殺しの罪を貴様は背負い、いずれ人をやめ、天狗になるのだ」


(そこで、じっと扇を眺める青年)


青年「……やめだ」

天狗「何ぃ?」

青年「お前の四肢を切り刻んで殺して何になる。お前の思い通りに動くくらいなら。こんなもの」


(青年は、扇を天狗に向かい放り捨て)


青年「失せろ。何度来ても、何度でも追い払ってやる。だから、今は失せろ」

天狗「人の……子がぁ……っ!」


(ふらふらと天狗は去り、青年は、動かなくなった母を抱え、自分に姿をくれた川へと向かう)


川の声「人の子よ。貴様は誓いを破った」

青年「ああ、俺は、母への思いではなく、憎しみで、天狗と戦った」

川の声「ならばなぜ来た。来なければ、貴様は畜生の道へ落ちずに済むのに」

青年「母上を、天狗から俺という忌み子を授かり、家族からも友人からも追放された、母上を。せめて、清らかなここに埋葬したかった」

川の声「なるほど……もし、だ」

青年「何だ」

川の声「もしもお前が、父親を殺め天狗になったり、母上を生き返らせようとすれば……私は、貴様を迷わず畜生にしただろう」


(そこで、少し間が空き)


川の声「だが、気が変わった。貴様がこの辺に祠を立て、私を祀るのならば……畜生へは、堕とさぬ。母親も、再び人へ輪廻させようぞ」

青年「……わかった」


―――その後、長い、長い年月が経った。この、○○川の神を祭る祠の傍には、小さな墓が二つある。

そして長い年月の中で、青年は人天狗と呼ばれ、この地方の人を守る妖怪として、名が伝えられているという……

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