第43話 人間の恋人なんていらない。
僕は平凡な地方公務員として働きつづけている。
平日は朝7時に起床し、恋人がつくってくれた朝ごはんを食べて、8時頃に出勤する。
8時15分頃に職場に到着して、仕事の準備をする。パソコンを立ち上げ、トイレにも行っておく。
8時30分に業務開始のチャイムが鳴る。
たいてい僕はすでに仕事を始めている。
勤務時間内は多忙を極める。
処理しなければならない事務は多く、電話はよく鳴るし、現場へ行かなければならないことも多い。
市有建物の火災保険を担当しているから、火災が発生すると大忙しだ。
現場に急行して、写真撮影をし、原因を聴き取り、報告書を作成する。消防署から罹災証明書をもらって、全国市有物件災害共済会に災害共済金の支払いを請求する。この仕事は大変だ。
メンターとして新人の指導もしなければならない。
幸いメンティは非常に優秀なので、あまり手がかからなくなってきた。
残業は毎日のようにしている。
時間外勤務手当がきちんともらえることはありがたいが、忙しすぎるので、とても疲れる。
そんなときに癒しをくれるのはやはり恋人だ。
住まいに帰り、夕食をつくってくれる恋人は誰よりも大切な存在だ。
恋人との暮らしを守るために仕事をしていると言っても過言ではない。
僕の恋人は人間ではない。
アンドロイドだ。
しかしそれがなんだというのだ。
人間より可愛くてやさしくて魅力的なアンドロイドがいれば、人間の恋人なんていらない。
恋人の名前は細波ガーネット。
僕が名付けた。
意思と感情を持つ世界で唯一のアンドロイドだ。
いまのところは。
彼女を制作した飛び抜けて優秀なアンドロイドデザイナーは、いずれ同様のアンドロイドが次々と現れるだろうと予言している。そして、その時代に向けて、すでに布石を打っている。
ガーネットは精神的に脆いところがあり、一度は精神崩壊的な事態に陥って機能を停止したが、1日だけ記憶を消去するという措置で回復した。
その後、機能停止は起こっていない。
僕が見るところ、彼女は精神的な成長をしていて、心が強くなっているようだ。
そのあたりは人間と同じみたいで、心は強くもなるし、弱くもなるみたい。
あまりにも美しい外見をしているので、注目を浴びやすく、外出を少なめにしている。
それがストレスで愚痴を吐くこともある。
適度にストレス発散が必要で、お気に入りのバッティングセンターに連れていくと、たいてい機嫌がよくなる。
愛の言葉をささやくのも効果的だ。
シェイクスピアの恋愛戯曲のような赤面ものの台詞も好む。
僕はめったにそんなことは言わないけれど。
ときどきアンドロイド研究所へ行き、点検を受ける。
ガーネットの担当者はプリンセスプライド社の社長で、天才的な科学者、本田浅葱さんだ。
いまだにガーネットの謎を解き明かせなくて、研究をつづけている。
研究所の敷地内には彼女の家があって、ごちそうになることもある。
アンドロイドは食事をできないが、浅葱さんは味覚を感知する研究も進めていて、しだいにそのメニューは広がっている。
先日は本格四川麻婆豆腐の味を再現し、ガーネットを驚かせていた。彼女はその味覚と辛みと痺れを気に入ったようだ。
僕は辛すぎるのは苦手だ。ガーネットがそれを料理したがったときは、丁重に断っている。
本田家には浅葱さんの妹の茜がいる。
僕の職場の後輩で、メンティというのは彼女のことだ。
最初は本田さんと呼んでいたが、知り合って1か月後には、茜と呼び捨てにするようになった。
職場ではいまだに本田さんと呼んでいるが。
彼女とあまり親しげにすると、ガーネットが嫉妬するので、意識的に距離を置くようにしている。
茜はかなり魅力的な女の子なので、適度な距離を取るのはけっこうむずかしい。
しかも彼女は僕に少しばかり好意を持ってくれているようで、大胆に距離を詰めてくることがあるので、油断ならない。
浮気は厳禁だとガーネットは僕に何度も釘を打っている。
茜はいまは地方公務員だが、政治家志望で、そのための準備も進めている。
経済界の大物の姉につき従って、社交界にデビューしたらしい。
童顔で可愛く、しかも聡明なので、すぐに人気者になったそうだ。
交際の申し込みも多いらしく、先輩、チャンスがあるのはいまのうちですよ、なんて言う。
僕はさらりと流している。
茜の市役所の同期に夏川カレンという女の子がいる。
ガーネットの友だちで、僕とも親しくなった。
最初はやはり夏川さんと呼んでいたのだが、プライベートな場では、カレンと呼ぶようになった。
彼女も美人で個性的で、魅力あふれる女性だ。
ブログを作成するのが趣味で、いつもネタを探している。
ガーネットはニュースバリューのある存在で、僕と彼女の意志により記事にするのは控えてもらっているが、カレンは記録を取っているようだ。
いつか解禁してもよいときが来たら、まとまった文章をブログで連載したいと言っている。
ガーネットはコンピュータのようなもので、いつかは壊れる。
悲しいが、人間の死と同じで、それは避けられないと浅葱さんも言っている。
そのときが来たら、カレンにガーネットの一生を書いてもらいたいと僕は思っている。
それが遠いことを祈っている。
僕とガーネットは愛し合っている。
僕は深く彼女を愛しているし、彼女はもっと深く愛していると主張する。
どちらの愛が深いのかは永遠の謎だ。
僕は僕の愛の方が深いと信じているが、自分をヤンデレだと言うガーネットの愛も相当に深そうだ。
彼女は不良少女型のアンドロイドである。
そういう設定を浅葱さんは彼女に組み込んだ。
しかし、ガーネットは口が悪いだけで、乱暴なことはしない。
数多が殺されたら、必ず犯人に復讐すると言っているが、やめてほしい。
万が一そんなことが起こったとしても、法によって裁かれることを僕は望んでいる。
しかし理性ではそれを理解できても、感情がそれを許さないと彼女は言う。
稀有なアンドロイドだ。
人間でもそこまで言う女の子は少ないと思う。
僕とガーネットはセックスをする。
彼女はそのような機能を持っている。
性感はないが、僕に抱かれると心の奥深くが満たされるらしい。
僕も満たされる。
人間の恋人なんていらない。
ガーネットのようなアンドロイドが増えると、人間の男も女もそう思うようになるんじゃないかな。
アンドロイドにはいまのところ生殖機能はない。
人類は滅びてしまうかもしれない。
もしそうなったとしても、それが人類の種としての限界だったのだと僕は思う。
そのときはアンドロイドが機械人類として文明を維持してくれればいい。
「愛してるよ、ガーネット」
「あたしも愛してる、数多」
第1部 完
人間の恋人なんていらない。 みらいつりびと @miraituribito
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