第57話 風雲急を告げる

 ファレルとアルシンドの酒宴が解散した後、夜明け前にアルシンドの部屋をある人物が尋ねた。


「よく来た。夜風は冷たかっただろう、どうだ、駆けつけ一杯」


 フードで顔を隠しているその人物に対して、アルシンドはまるで身内であるかのような態度で接する。

 体の線からどうにか女ということだけは分かるが、この人物について外見から得られる情報はほとんどない。それほどまでに徹底して己の身分を隠していた。

 

「遠慮しておく」


「なんだ、釣れないではないか、我が娘よ」


 アルシンドの言葉にフードの女は肩をすくめる。そのしぐさには親愛の情と僅かばかりの反発が見て取れた。


「娘だというなら、会うのにここまで手の込んだ変装はいらないはずだ。私はあくまで湖の娘、ではない」


「隠し事は心外な。おまえは間違いなく血を分けた我が娘、しかし、今は首長からの人を帯びた身。それゆえ心苦しくもお前にそのような装いをさせておるのだ」


 アルシンドの物言いに、眉を顰める女。たとえ任務があろうとなかろうと、彼が彼女の存在を隠しておくことはまず間違いない事実だ。

 かの『砂漠の鷹』に異民族の娘がいる、というのはアルシンドのみならず部族全体の醜聞にもなりかねない。


「それで? 一体何の御用で? 黒騎士についての報告ならもう上げたはずだが」


「なに、この街を去る前にお前の顔を見ておこうと思っただけだ。それと、があると思ってな」


 前者が方便に過ぎず、後者が本題であることは明らかだ。親としては冷淡というほかないが、実の娘でさえ駒として使いこなせるからこそアルシンドは今の地位を築くことができたのだ。


「欠けている部分? 私が知りえた情報は全て報告したはずだ」


「そなたの主観だ。そなたがあの黒騎士をどう思い、どう感じたかが聞きたい」


  アルシンドの真意が理解できず、女は困惑する。彼の求める報告は大抵、事実のみだ。策略を練るには感情は邪魔になる。そのためできるかぎり主観を排して、ただ怒った事実のみの報告を彼への報告の書状には記すようにしていた。

 それが今更、個人の所感を求められるなどとは思ってもみなかったのだ。


「どうも何も……報告通りだ。噂通りの切れ者の戦上手。口がうまく、人の心を掴む術を請越えている。それだけだ」


「……ふむ。そなた、なにかわしに隠しておるだろう」


 鋭い指摘に、思わず女の肩が微かに震える。一撃で図星を突かれたせいで身構える暇さえなかった。


「ほう、そうだったか。だが、そなたがわしを裏切ったとは思わんぞ。そなたは誰よりも義理堅い、だからこそ、わしのためにも働く。もっとも、そなたが裏切ったとしてわしにそれを責める資格はないがな」


「…………隠していたわけじゃない。不要だと判断しただけだ」


 当たり前のようにそう言ってのけるアルシンドに、苛つきを覚えながらも女は気分を落ち着かせる。

 まだまで見抜かれたわけではない。あとは適当にはぐらかしてしまえば、アルシンドもそこまでの追及はしないだろう、と。


「そうか。そなた、黒騎士に惚れたか!」


 しかし、アルシンドは再び一撃で女の守りを打ち砕く。長年の経験ゆえか、あるいは、親としての直感か、彼女が隠していた事実を言い当てていた。


「な! ち、違う!」


「しかも、もう同衾した後か! あれも手が早いの!」


「だ、だから違う! 私は、べ、べつにファレル殿のことなんて……」


 女は必死に否定するが、否定すればするほどドツボにはまっていく。フードの下の顔を見ることができれば、彼女の顔は耳まで赤らんでいただろう。


「鎌をかけただけだったのだが……そうかそうか!」


 対するアルシンドは呵々大笑している。娘の春を喜ぶのと同時に、稀代の策士として結ばれた縁を大いに歓迎していた。


「そなたが今の任を離れ、黒騎士と夫婦になりたいというならわしが仲人を務めてもよいぞ。時折、積み荷の内容を報告するよりもはるかに価値のある働きとなろう」


「そ、それこそごめんだ! 惚れた相手の間諜になるくらいならば私は死を選ぶ!」


「うむ、よう言うた! それでこそ我が娘よ!」


 酒を呷るアルシンド。それを呆れた眼で見ながらも女は安どのため息を吐いた。父親が自分と黒騎士の感情を利用と企んでいることは明らかだが、当面、そうする機会はないだろうと彼の態度から察したのだ。


 彼女の裡には黒騎士に対する慕情もあるが、同時に実の父親を恨み切れない気持ちもある。


 彼女の生い立ちはそれほどまでに複雑だ。母親は先代のさる交易船の船長の娘で、アルシンドとはこのカドモスの街で出会った。

 二人は国の境を越えて、愛し合い、娘は子を孕んだ。互いの事情で二人は離れ離れになり、生まれた子は娘の家族の手で育てられた。


 だが、アルシンドは己が娘の行方を常に気にかけていた。彼女が成人するまで毎年贈り物を届けさせ、長じてからは影ながら彼女を支援していた。


 娘の名前は、メリンダ。今代のゴート号の船長である彼女こそが、『砂漠の鷹』の娘だった。



 アルシンドがカドモスを立った翌日、ファレル一行もガルアに向けて出発した。

 行きとは違い、メリンダの船を使うことはできなかったが、一日足らずで湖を渡り、そこからは馬を乗り継いでわずか三日ほどでガルア渓谷へと帰還した。


 同盟について帝国側に漏れている以上は、できるかぎり迅速に動く必要がある。そのため、砦に留まるのも一日程度ですぐにユーリアと合流して帝都へ出立する、そういった手はずになっていたのだが――、


「――先に出発した!? 何日前のことだ!」


「昨日のことです! なんでも皇族全員に招集令が出たそうで……団長におかれてはすぐに自分を追うようにと伝言を預かっております!」


 門を警備していた黒百合騎士団の兵士がそう答える。ファレルはそれを聞くとすぐさま馬を降りた。


 事情を聞いている暇はない。皇族全員への召集令など並大抵のことではない。それこそそんな命令は布告されない。


「馬を変える! すぐに代えの馬を二頭連れてこい!」


「は、はい!」


 弾かれたように兵士が走り出し、エリカたちもあわてて馬を降りる。ファレルと同乗していたニーナもどうにか一人で下馬した。

 ここまで休みなく走り続けたせいでファレルの馬は限界だった。ここからまた走るには馬を変える必要があった。


「エリカ、砦の指揮は任せる。兵の調錬はいつも通りに、だが、いつでも動けるようにしておいてくれ」


「……分かった。こっちは任せて」


「ニーナは少し休んで念話の準備をしておいてくれ。場合によっては帝都まで来てもらうことになるが」


「りょ、了解です。その、お気をつけて」


「ああ。ユリアン!」


 最後に呼ばれたユリアンは自分の役目をわかっている。言われるまでもなく馬から自分の鞍を外していた。

 

「お前は同行してもらう。オレの護衛だ。できるな?」


「はい。お任せを」


 ユーリアにはカトレアも同行している。暗殺の密命を受けているとはいえ、彼女は王の影だ。王族の護衛こそが彼女たちの真の使命、ファレルに同道するのは当然のことだった。


「団長、馬をお持ちしました!」


「おう!」


 ファレルは鞍を移すと、馬に飛び乗る。手綱を手に取ると別れの挨拶より先に鞭を入れた。


 事態は一刻を争う。もしファレルの予想通りに皇帝がとうとう身罷ったのであれば、すでに帝都はと化しているはず。

 実際に戦火を交えてはおらずとも、本物の戦場よりもなお苛烈な戦いになる。勝つにせよ、負けるにせよ、その戦いに遅参しては騎士の名折れだ。

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女難王子の建国譚~国を救うために頑張ってるだけなのに、なぜか女たらしと呼ばれてます〜 bigbear @bigbear

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