第56話 縁

 ファレルから情報漏洩の可能性を指摘されたアルシンドはすぐさま動いた。引き連れてきていた護衛の一部を本国に早馬として送り、自身も二、三日以内にはカドモスを出立できるように手はずを整えた。

 さすがは砂漠の鷹とでも言うべき手腕だ。情報が漏れたと知った時でさえ彼の表情には焦り一つなかった。


 これほど早くにとはアルシンドも思っていなかったが、流国内で反対する動きが出るであろうことは予測していたことではある。

 同盟がどれだけ流国に益をもたらしたとしても、それによって損をするものも、感情的に赦せないものもいる。どんなに強大な国でも、いや、強大な国だからこそ内部での派閥争いは避けられない。


「ともかく、流国の内側のことワシに任せてもらおう。なに、大半は金と脅しで解決できる話よ。それでも何人かには黙ってもらわねばならぬが……姪の言葉を借りれば必要経費というやつよ」


 カドモス出発の前夜、ファレルを酒宴に招いたアルシンドはこともなげにそう言い放ってみせた。

 手元にはカラールが献上した帝国製の葡萄酒がある。流国は部族によって信仰する神が異なり、その中には飲酒を禁じる教えもあるが、アルシンドの部族にはその教えはなかった。


「帝国の酒も悪くない。年中戦をしているだけあって、武人も武具もよいものが揃っている。もっとも、そなたは生粋の帝国人というわけではないがな」


「…………帝国内の取りまとめには少し時間がいる。場合によっては戦になるだろう」


 対面するファレルは流国の椰子やしの実の酒を呷る。度数の強い酒精が喉を焼くようだが、味は美味だった。

 今はユーリアの名代ではなく個人としての席のため兜を外していた。


「そちらも難儀なことよな。互いに通じる言葉が矢音と金しかないとはなんともが」


「急速に領土を広げた弊害だ。辺境域の多くではもともとの文化も違えば、言葉の意味さえ違う。帝都内では出自が多様過ぎて、言葉は通じても論理がかみ合わない。つまり、互いに理解できるのは力の差だけだ。他の国でも少なからずそういった側面はあるが、帝国は武力による解決を推奨してさえいるのが他の国との違いだ。まあ、それが帝国がここまで拡大した一因でもあるが」


 自分が饒舌になっていることを自覚しつつも、ファレルは酒を呷る。

 元来、帝国の生まれではなく数多の国を巡り、今帝国に属しているファレルだからこそアルコン帝国という大陸最大の強国について誰よりも冷めた眼で観察できていた。


「法や統治のあり方にしてもそうだ。地方の領主が軍権を認められつつも、帝都に逆らわないのは帝国で最強の軍を率いるのが帝都の皇族だからだ。そして、その皇族が叛乱を起こしたとしても、他の軍団に潰される。互いに喉元に切っ先を突き付けることで成り立っている、そう考えればあんたのいう帝国らしさは間違ってない」


「なるほどな。確かによく切れる剣だ。第三皇女殿がそなたの国を盗ってまでそなたを欲した理由がよくわかったぞ」


 にやりと笑うアルシンドに、ファレルはバツが悪そうに唸る。

 知性をひけらかすのは褒められた行為ではない。策士であれば策士であるほど己が賢さを隠し、愚者としてふるまうべきだ。みだりに賢しらに口をきけば敵からは警戒され、味方からは疎まれる。それくらいならば、蔑まれ、侮られた方が戦いのためには得だ。


「だが、それだけ分かっていながら何故帝国に身を置くのだ? そなたであればその帝国のいびつさを利用する方法などいくらでも思いつくはず。仮に流浪の身となったとしても国を取り戻す道筋はつけられるのではないか?」


「…………だとしても、今、オレはここにいる。自分の選択が間違っていたとは思っていない」


 国の再興は己の意志で決めたことでも、そのために何故帝国に身を置くのか、なぜユーリアに仕えているのか、それはファレル自身にも明確には理解できていない。

 ユーリアを皇帝にして、国を再興させる。それがもっとも実現性の高い道であり、他に選択肢はなかった。そう率区を付けることはできるが、それが理由ではないことは誰よりも彼自身がわかっていることだった。


「ふむ、では好々爺として迷える若者に道を示して進ぜようか」


 そんなファレルの内心を見透かして、アルシンドはいたずらっぽい笑みを浮かべる。戦場で帝国の槍先と恐れられるファレルも彼の眼から見れば年相応の悩める若者の一人に見えていた。


「そなたは独り身と聞く。睦み合った女子の一人や二人はおろうが、なに、未だ所帯も持たぬ若造よ。どうだ、己が軸足が定まらぬというなら誰ぞと婚姻を結べば、自然と腰は落ち着こう」


「婚姻……いや、オレは……」


 アルシンドの提案に、ファレルの脳裏に幾人かの顔が浮かぶ。責任を果たせなければならない相手は幾人かいるが、今一番強く思い出すのはある姫君だ。


 かつてファレルがアルカイオス王国の王子であった頃の婚約者。ファレルが国を失ったのはその姫を迎えに行く旅の途上のことだった。


 名を、リーネ。アルカイオス王国の同盟国、イアス国の第一王女。彼女のとファレルの婚姻をもって両国のよしみを確かなものにする、そのための政略結婚でもあった。

 だが、国のための婚姻ではあったが、ファレルとリーネの関係は良好だった。国の会合で顔を合わせる幼馴染みでもあったし、手紙のやり取りもしていた。


 そんな彼女が今どうしているのか、ファレルは知らない。アルカイオス王国が帝国に併合されたことによって、婚姻が破談になった後、連絡は取らないようにしていた。


「若い者は自由でいたいと思うものだが、なに、妻をめとったところで何か変わるわけでもないぞ。むしろ、縁が増える。味方にせよ、敵にせよな。わしやそなたのような人間には望むところであろう」


 アルシンドの言い分にも頷ける点はある。ファレルも含めたユーリア陣営の数多い弱点の一つが、後ろ盾の少なさだ。流国との同盟の斡旋を引き受けたのもその弱点を解消するための手段の一つだった。

 ファレルの婚姻もまたその手段の一つではある。ユーリアは決してその策だけは取らないだろうし、無理強いされたとしてもファレルも頷かないが、それでもしかるべき相手との婚姻は陣営全体の力になる。


「さしあたって、我が姪などどうだ?」 


「ゴホッ!?」


 アルシンドの放言にファレルがむせる。彼の表情からは本気とも冗談ともつかない。だが、全社であった場合は余計に質が悪い。


「あれはそなた以上の律義者で、人前では決して面を外さぬが、面の下の顔はなかなかぞ。あれの母親は流国でも指折りの美女、その血をよーく引いておる」


「……そういう問題じゃない。だいたいオレがあんたの縁者になったら同盟じゃなくて従属だ。ユーリアは人の下に着くような女じゃない」


「ほう。そなたの意中は別にあったか。これは余計な世話だったかな?」


「そ、そういうわけじゃない。あいつはあくまでオレの主だ。そうじゃなきゃ、誰が自分の国を滅ぼした奴なんかと……」


「おや、そうか。であれば、我が姪にもまだ機会はあるということか。もっともわしはあれが納得するならば側室でも妾でも構わんがな。重要なのは縁づくこと、かかわりを持つことよ。そなたも見習うがよいぞ、わしの妻は十二人もおるゆえな!」


 呵々大笑するアルシンド。ファレルは揶揄われていると気付いて、堂々とため息を吐いた。

 

 しかし、アルシンドの言葉は一つの真理でもあることにもファレルは気付いている。

 縁とは複雑に絡み合い、予想もできない模様を描くもの。彼がこの場所にいることもまたさまざまな円が結ばれた結果だった。




 

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