第55話 帝国の臣
「味方になりそうな奴はいないのか。教王圏ともやり合って長いだろう」
『……第一皇子、ユリウス兄上はこちらに着くだろうな。兄上の第一軍団は北の担当だ。教王圏には散々煮え湯を飲まされている」
「『
燕皇子とは第一皇子ユリウスの異名の一つだ。彼は一年の半分を戦地で過ごし、雪で戦のできなくなる冬の間だけ帝都に戻ってくることからこの名が付いた。
彼が率いているのは北方の攻略を担当する第一軍団だ。この第一軍団はその精強さで知られ、帝国最強とも言われている。
同盟を実現するまでの間とはいえ、第一皇子を味方につけられれば情勢は大きくユーリア側に傾く。
「ほかには、どうだ? 商人連中もこっちに着くはずだ」
『戒律では過度の貯蓄は罪だからな。おまけに年度ごとの寄進も馬鹿にならない。それこそ西方との交易をちらつかせれば食いついてくるだろう。うん、悪くない。どうにかなりそうだ』
念話から伝わってくるユーリアの声が少しばかり明るくなる。明確な道筋さえつけてしまえば、それがどれだけ困難でも躊躇しないのがユーリアの長所だった。
「じゃあ、こっちで話を進めておくぞ。いいな?」
『ああ……いや、待て。一つ問題がある』
珍しく歯切れの悪いユーリア。同盟という前代未聞の事態に気をとられてしまっていたが、ガルア渓谷で起きている事件も無視することはできない。
「どうした? なにかあったのか?」
ファレルの脳裏を過ったのは、妹カトレアと彼女が差し向けてきている刺客についてだ。
ユーリアの護衛はテレサに任せてはいるが、万が一ということもありうる。こうして話ができている以上、彼女たちの無事は確実だが、何か事件が起きていないとは限らない。
『…………さっき言っていた、客だが……実は、君の妹なんだ……もう三日も砦に居座っていてな……」
「……は?」
あまりにも予想外な答えにファレルは宙を見つめる。
カトレアを含めてファレル以外の旧アルカイオス王国の関係者は皆、帝都に幽閉されているはずだ。それが帝都から離れたガルアにいるなどということは想定外もいいところだ。
『それも、君の妹はどうやら宰相の意を受けて動いている。彼女を通じて第三軍団を北に動かせと命じてきた』
「……宰相の……それも第三軍を動かす、だと」
カトレアが宰相の配下として動いていることはファレルもすでに知っていたが、後者については初耳だ。
この段階で再編が済んだばかりの第三軍団を動かすというのは想定外だ。
今の第三軍団は戦力として機能はするが、彼等が向かうべき戦場がない。
南方はペリシテ王国陥落以後は情勢が落ち着いているし、東方は相も変わらず膠着状態。西方では湖を挟んでのにらみ合い、北は第一軍団が担当している以上第三軍から横から割って入る道理はない。
それでもまだ軍を動かす余地があるとすれば、それは――、
「……情報が漏れた?
『そうか! 第一軍団への備えか!』
ファレルとユーリアはほぼ同時に同じ結論へと達する。
ただ情勢を見るだけでは第三軍を動かすことは不可解でしかないが、ここに流国との同盟という情報が加わって初めて見えるものがある。
それが第一軍団への備えだ。どこから同盟の件が持ち込まれたとしても、必ずや帝国は二つに割れる。
その際に、宰相たち反同盟派にとってもっとも厄介なのが、第一皇子とその軍団だ。それを抑えるために第三軍団を利用しようとしたのだ。
つまり、どこからか同盟の情報が洩れている。しかも、宰相の動きの速さからして帝国からではなく流国からの漏洩だと考えるべきだろう。
『私達の側から情報が漏れたのなら、宰相は第三軍団を動かそうとはしないだろう。同盟の話が流国で持ち上がったことまでは把握していても、それが私のもとにまで持ち込まれたことまでは知らないと見える。これは使えるぞ』
現状、ユーリアは同盟を推進する側にも関わらず反対しているであろう宰相からも命令を受けている。
つまり、宰相はユーリアが敵だとは考えていない。上手くすれば手玉に取ったうえで、不意を打てるかもしれない。
「……妹はどうにかとどめておいてくれ。少なくともオレが戻るまで。第三軍団の招集もできるだけ時間を稼がないとな」
『わかった。まあ、私にとってもあの子は妹だ。仲睦まじくとはいかないが、殺し合うのは避けたい。でも、一つ貸しだよ? 帰ってきたらお返し、期待してるから』
しなを作るユーリアにファレルはため息で返す。
ファレルが妹をどうにかして味方に引き込もうとしていることをユーリアは勘づいている。勘づいたうえで目を瞑ると言っているのだ。
同盟の件だけを考えれば、宰相の側についているカトレアは邪魔でしかない。どうにかして始末するか、あるいはさっさと帝都に追い返すべきだ。
それを味方に引き込もうというのはファレルの我が儘でしかない。仮に説得に成功すればカトレアの持つ人脈が使えるが、失敗すればユーリアは帝国の裏切り者にもなりかねない。
『ともかく、そちらで話を進めて、アルシンドにも警告しておいてくれ。流国に鼠がいるとな』
「わかった。できるだけ早く戻る」
『ああ。そうだ、久しぶりの旅だからって浮かれて浮気なんて――』
そこで念話が切れる。ニーナを見るとかなり消耗しているのか、肩で息をしていた。
長距離念話にはかなりの集中力と魔力を要する。ニーナが全力で集中しても半時程度が限界だった。
「よくやった……お前はユーリアを救ったぞ」
「あ、ありがとうございます……す、少し休みます」
「ああ。よく休んでくれ。エリカ、水と何か食い物を。オレはアルシンドに会ってくる」
「りょ、了解」
エリカはすぐに言われたものを持ってくる。ニーナの側にしゃがみ込むと、彼女に声をかけてから少しずつ水を飲ませた。
旅に出た当初はまとまりも何もない集団だったが、実際に魔術の腕を目にしたことでエリカはニーナに対して一種の尊敬を抱きつつある。それは船上で轡を並べた戦友に対する感情とよく似ていた。
そんなエリカと入れ替わるようにして、ファレルは部屋を出る。
まずはアルシンドにユーリアの返答を伝えたうえで、情報漏洩について警告しなければならない。その後は――、
「……まるで帝国の人間だな」
そこまで考えたところで、ファレルは自分自身が滑稽に思えて皮肉気に笑う。
この大同盟は確かにユーリアを低位に近づけるための大きな飛躍となるが、同時に帝国を利するものだ。
あくまで帝国に滅ぼされた国の王子として考えるなら同盟など成立しない方がいい。むしろ、帝国内での内輪もめなど長引けば長引くほどいい。賛成派も、反対派も共倒れになってくれれば言うことなしだ。
仮にその内戦の結果帝国が倒れれば、国の再興は容易い。ファレルが身分を明かして、大陸中の旧アルカイオス王国の関係者に号令をかけることさえ可能だろう。
だが、ファレルはそう考えなかった。国の再興を第一としたはずが、ユーリアの利益を第一に考えてしまった。
それが情ゆえなのか、あるいは帝国に身を置き、ユーリアに仕えるうちに心まで帝国の色に染まってしまったせいなのか。ファレル自身にもわからない。
「……いや、これでいい。この道を選んだんだ。覚悟の上だろ」
そんな迷いを振り切るように、ファレルは自分にそう言い聞かせる。どれだけ決意を固めても、覚悟を決めたつもりでも揺らぎは生じるものだ。
重要なのは、どれだけ状況が変わり、心情が変化してもすべきことは変わらないということだ。ファレルはそう定めたあの日の己を疑ってはいなかった。
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