第54話 ユーリアの決断
全てを聞き届けたうえで、ファレルはその場での即答は避けた。もはや答えは決まっているようなものだったが、ユーリアの体面もある上に、ファレル自身も事の真偽をまずもって確かめたかった。
もっとも、アルシンドほどの大物がこんな場で嘘を吐くというのは考えづらい。ユーリアのへの報告を優先したのは、ファレル自身が一旦冷静さを取り戻すためでもあった。
帝国と流国の同盟はそれほどの大事だ。これまでファレルが関わってきたあらゆる戦の中でもほかに比類するものがない。
一方、カドモスからユーリアのいるガルアまでは距離がありすぎる。湖をゴート号で横断し、そこから早馬を飛ばしても三日から五日は掛かってしまう。
しかも、事が事だ。書状にしてはどこから情報が洩れるかわかったものではないし、誰かが直接出向くのも時間が掛かりすぎる。
アルシンドは仮にそれだけの時間が勝っていたとしてもユーリアからの返答を待つだろうが、それが良策とはファレルには思えない。ことを進めるにしても、断るにしても急ぐべきだとファレルの直感は告げていた。
だが、こうなることは事前に分かっていた。当然、その時のための策も用意してある。
「………どうだ、繋がりそうか?」
「……まだわかりません。向こうが拾ってくれるかどうか、ですから」
ファレルの再びの催促に、ニーナは杖を手に座禅を組んだまま同じ答えを返す。もう半日間もこうしていた。
会談会場になった屋敷の一室だ。部屋は閉め切られ、魔法使いの感覚を鋭くするための香が焚かれていた。
「……ねえ、本当にこれで皇女様に連絡できるの?」
同じく儀式を見守っていたエリカがそう尋ねる。
同盟については彼女も聞かされているが、ファレルと違い驚きは少ない。そもそも傭兵である彼女にとっては大国が何を考えようが我が事とは思えなかった。
「理論的には可能、だそうだ。魔術院でも実験段階らしいが……というか、
「優秀は優秀だけど……ちょっととぼけたところがあるから……それに、さすがに帝国魔術院の魔法使いほどじゃないわよ」
この策、あるいは実験の要はニーナとガルア渓谷に留まっているウェルテナ傭兵団の魔法使いだ。
この二者の間に、超長距離で念話を繋ぐ。通常の念話の範囲はせいぜいが村一つ分程度でしかないが、念話の通信相手を魔法使いに絞り、なおかつ香を焚いて感覚を高めることで飛躍的に念話の通じる範囲を拡張する、というのがニーナが提案した策の内容だ。
無論、理論上は可能というだけでその実現は困難を極める。実際、魔術院でもきっての秀才であるニーナをして半日もの時間をかけて、微弱な念波を飛ばすだけで精一杯だった。
しかも、その念波をガルア側で感知できるかどうかは運しだいだ。一応、出発前にいつ連絡が来てもいいようにしておくように言い含めてはあるが、それでもこの半日間、念話がつながる気配は微塵もない。
「……ねえ、こんなことはあんまり言いたくないんだけど、あんまりうちの魔法使いを当てにしない方がいいんじゃない? さつぁと早馬を出した方が……」
「だとすれば、オレか、お前が走ることになる。どっちにしろ時間が掛かりすぎる上に、こっちが手薄になる。それは避けたい」
「ユリアンは? あの子、隠密なんでしょ? 私達より速いでしょ」
「それは最終手段だ。あいつは王の影だが、直接の主はオレじゃなくてカトレアだ。つまり、情報が漏れる可能性がある」
「……兄妹なのよね? しかも別に仲が悪いわけでもないんでしょ?」
「ああ」
「それがどうしてそんなことになってるわけ?」
「いろいろあるんだ。説明すると長くなるが、聞くが?」
「いや……やめとく……」
困り果てたファレルの表情に、エリカも追及をやめる。どう聞いても時分には理解できないだろうし、これ以上複雑怪奇な王族同士の関係になど踏み込みたくなかった。
念話が繋がったのは、その時だった。
「み、見つけてくれました! 少し、不安定ですが縁は繋げてます」
「おお、でかしたぞ! ユーリアはその場にいるのか?」
「ま、まだみたいです。少し待ってください。皆さんにも聞こえるように調整しますから……」
数分もしないうちに、その場にいるファレルとエリカにも念話が接続される。そうしてすぐに全員の脳内にユーリアの声が響いた。
『私だ。聞こえているか? 聞こえているなら、愛してるユーリアと答えてほしい」
「聞こえている。そっちは問題なさそうだな」
『まあ、客は来てるけどね。それ以外は平穏無事さ』
念話越しに他愛のないやり取りをかわす二人。互いの無事を喜びつつも、相手が異変を隠していないが探り合ってもいる。
ただ睦会うには多くのものを抱えすぎているが、これが二人なりの談笑だった。
『それで、この手段で連絡を付けてきたということは会談が決裂でもしたのか? それとも、もっとまずいことになったのか?』
「残念ながら後者だ。かなり厄介なことになった」
『……聞こう。もしかしたらこっちの件ともつながるかもしれない』
そうしてファレルは会談の内容について簡潔にユーリアに伝える。流国と帝国、その前代未聞の同盟について。
『……そのアルシンドが替え玉という可能性は?』
長い沈黙の後、ゆーりがそう尋ねた。彼女もまた二大国の同盟について現実だと思えなかった。
「カラールはそこまで馬鹿じゃない。第一、オレ達を担いだところであいつには何の得もない」
『では、同盟の話は真実か。なんともはや…………』
姿こそ見えないが、天を仰ぐユーリアの姿がファレルの脳裏に浮んだ。彼女の内心はファレルには手に取るように分かる。
あまりにも大きなうねりを前に不安があり、恐怖があり、高揚がある。万能感とそれと相反する切迫感こそは将たるものの本懐だ。
「それで、どうする? この話受けるか、断るか」
ユーリアがどう答えるのか、ファレルには分かっている。分かっていながら、彼女の覚悟を問うていた。
『……受けたとしても、簡単じゃない。北の教王圏と本格的に事を構えるということは帝国内の聖神教徒を敵に回すということだ』
「それは覚悟の上だろう。そもそも帝位に着くならあらゆるものが敵になる」
『そういうことじゃない。同盟を組んだ後ではなくて同盟を組む前の話だ』
ユーリアの言葉にファレルは一瞬で彼女の言わんとするところを理解する。
帝国全体の政、戦争にせよ、内政にせよ、あるいは法律にせよ、それら全てを司るのが皇帝だ。その皇帝の決定は絶対であり、それこそ同盟も開戦も自由だが、今の帝国ではその皇帝は病に伏している。
そのため、帝国の意思決定は実質一部の皇族と大貴族、宰相ヴァレルガナ侯爵による合議制となっている。それらの勢力の思惑は様々。支援している後ろ盾や彼らの権力を支える基盤も多岐にわたる。
つまり、同盟が帝国の大陸統一という国是に適うものだとしても彼ら全てが賛同するとは限らない。それどころか、ユーリアが同盟の話を持ち込んだ時点で敵に回る可能性すらある。
「同盟に反対するとしたら……宰相と第三皇子か。他には思いつくか?」
『今の后妃、我が
「後宮か……」
ユーリアの実母は亡くなって久しいが、今の皇帝の正妃、第二皇子と第三皇子の母はまだ存命だ。
普段は後宮に引きこもっている彼女だが、帝都における彼女の権威は馬鹿にできない。難敵だ。
「……それで、退くのか?」
『いいや、やる。この同盟は私が皇帝となるための近道だ。避けては通れない』
その上で、ユーリアは決断を下す。その果断さ、ある種の無謀さにファレルは自然と笑みを浮かべていた。
皇位を狙うには野心と狡猾さの均衡が必要だ。彼女はそれを持ち合わせている。口にこそ出さないが、ファレルはそのことを誇らしく思っていた。
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