第53話 大同盟

「不要とは思うが、まずは名乗っておこう。我が名はアルシンド、アイユーブが息子にして、氏族の長じゃ。以後、よろしゅう頼むぞ」


「――アルコン帝国第三皇女ユーリア・ステラ・マキシマスが名代。名を明かせぬご無礼もどうかご容赦を」


 互いの名乗りが済んだところで、アルシンドは背後に控えているカラールにちらりと視線を向ける。彼女が頷くとこう続けた。


「その方のことは我が姪からよく聞かされておる。東で勇士に出会った、とな。頭も切れて、戦に強く、顔もいいという話だったが…………なるほど、姪の言葉に嘘はないと見える。まあ、顔の方はまだ見ておらんがの!」


 そう言って笑うアルシンド。対するファレルはますます警戒を強める。


 この会談の場にあって、アルシンドはあくまで自然体だ。緊張しているにしてもそれをおくびも出さず、まるで日常の延長線上化のように振舞っている。

 これは厄介だ。いっそ居丈高に構えてこられた方がまだ付け入る隙もあるが、こうも泰然自若な相手には仕掛けようがない。


「……こちらも貴方のことは聞き及んでいる。『砂漠の鷹』の異名を聞いて襟を正さない武人はいない」


「もう三十年以上も昔の話だ。今のワシはただの世話好きの隠居老人よ」


 嘘を吐け、と内心毒づくファレル。確かに砂漠の鷹の伝説は一世代前の話だが、アルシンドの政治家としての全盛期は間違いなく今だ。


「そもそも勇名をはせるというなら、わしよりそなたよ。効いておるぞ、ここに至るまでの道のりでも不届き者の湖賊を征伐したのだろう? 使とはよく考えたものだ」


 その言葉に、ファレルは一瞬、カラールの方へ視線を向けそうになるがどうにか堪える。動揺を面に出すわけにはいかないし、カラールもあの戦いの詳細については知らないはずだ。

 

 つまり、今の言及は自分の情報源はカラールだけではないというほのめかしであり、脅しだ。魔術を使って小細工をすれば容赦しない、と明言したようなものだった。

 完全に気圧されている。沿う自覚した瞬間、ファレルは意識を切り替える。このままでは場と相手に呑まれるだけだ。


「――かの砂漠の鷹にそう言ってもらえるのは光栄だ。だが、オレはここに世間話をしに来たわけではない」


 意図的に肩の力を抜き、いつも通りの直截的な物言いをする。

 この場が両大国の命運を決めるものであることも一旦忘れ、斧が肩にかかる責任を放棄する。唯一意識するのは、この場を楽しむこと。砂漠の鷹と恐れられる流国の黒幕とやり合う機会などそうあるものではない。


「ほう。聞いてた通りの益荒男ますらおに戻ったではないか。よいぞ、そうでもないとそなたらを選んだ甲斐がない」


 そんなファレルの無礼を、アルシンドは楽し気に受け入れる。彼は一国の代表としてこの場に出席しているが、それ以上に若者を揶揄う老人としての役得を心の底から楽しんでいた。


「では、本題に入るとしよう。わしがここに出向いたのは、ほかならぬ尊き御方、かの首長スルタン直々の命でのことでな。本来ならば首長自ら書状をしたためるべきだが、此度のことは内密でとのご意向でワシが自ら動くことになったわけだ。でもあるからの」


「叔父上、それは……」


 驚いて身を乗り出したカラールをアルシンドが制する。

 ここから先の本題については彼女も何も聞かされていない。だが、先の族長会議で否決された事案となればおおよその想像は付く。


 だが、予想できるからこそ驚きは大きい。もし仮にこの交渉が成立すれば大陸の歴史に未曽有のうねりが起きることになる。


「……その案件の内容とは?」


 たまらずファレルが尋ねた。アルシンドがとんでもないことを口にしようとしていることはファレルにも分かっている。

 だからこそ、聞かずにはいられなかった。彼の野心と若さが己が歴史の中心に立つ興奮に沸き立っていた。


「――流国と帝国の同盟、首長はそれを求めておられる。第三皇女殿下にはその仲立ちをしていただきたいのだ」


 流国と帝国による同盟、その言葉を耳にした瞬間、ファレルの脳裏を様々な考えが駆け巡る。


 まず第一に考えが及ぶのは、その同盟の強大さだ。

 帝国は大陸の東側を支配し、一方で西側に関しては流国の勢力圏だ。両国の領土を合わせれば大陸の三分の二以上にもなる。その二つの超大国が同盟を組むとなれば、この大陸にそれに対抗できるほどの勢力は存在しない。


 次に思い至るのは、その目的だ。国と国とが同盟を結ぶ場合、そこには必ず何らかの目的がある。

 小国であれば大国に対して従属することで保身を図ることもあるし、大国側も血を流さずに己が勢力圏を広げることができる。あるいは、ある一国を攻める際に自国だけでは戦力が足りない場合周辺国の力を借りるため、何らかの利益と引き換えに同盟を結ぶことはある


 だが、帝国と流国の二つの国家の場合はそのどちらも当てはまらない。両国ともに独力で目的を果たすことができ、共通の利益もない。互いの領土が接触していることを考えれば、共同して動くにはこの大陸は狭すぎる。


 もし仮に、この二つの国が同盟を結んで戦う相手がいるとすれば、それは――、


「――北の教王圏。狙いは北か」


 ファレルが正解を口にする。かの黒騎士の察しの良さにアルシンドはますます笑みを深くした。


 帝国と流国が大陸の三分の二を支配しているなら、残りの三分の一を占めているのが北の教王圏国家連合だ。

 この連合はその名の通り、聖神教の教えを国教とする国家群の連合だ。中心となっているのは北の聖地『ガルダンの都』に住まう聖神教の指導者である教王だ。


「うむ。切れ者だな。おかげで説明の手間が省けた」


「……それほどまでに流国は聖神教が許せないと?」


「それもある。我らの神々を否定し、聖なる神だけを信仰する聖神教きゃつらは不倶戴天の敵だ。帝国とは湖を巡って争い、血を流してもきたが、実際のところ、我らの敵は常に北だ」


 教王圏と流国の対立が根深いことは周知の事実だ。宗教戦争でもある以上、この二つの戦力の間で流された血の量は帝国と流国の間のそれとは比較にもならない。どちらかが滅びるまでこの両国がおり合うことはまずないだろう。


 一方、帝国と教王圏の関係はもう少し複雑だ。

 

 「帝国そちらとしても悪くない話のはずだ。北の干渉が無くなれば南と東は難なく獲れよう」


「……そう簡単にはいかない。こちらには少なからぬ信徒がいる」


 帝国は聖神教を国教としたことはない。聖神のみを至上の存在とする聖神教と皇帝をあらゆる権威の上に置く帝国の体制とでは互いに都合が悪かったためだ。

 その一方で、帝国は聖神教の布教を禁じたり、迫害を行うことはしなかった。領土拡大の際の人心掌握のために上手く使ってきたというのもあるし、聖神教の方も急拡大する帝国を自分たちの利益のために利用してきた。


 もちろん、弊害はある。近年のヴァレルガナ侯爵の台頭などはそのいい例だろう。聖神教会に多額の寄進を行い、その僧侶となった侯爵は聖神教の信徒の力を背景に皇帝の権威をも意のままにしている。ユーリアなどに言わせれば排斥すべき敵以外の何物でもない。


「であろうな。皇族の中にもこの同盟に反対するものは多かろう。だが、殿この同盟はこれ以上の千載一遇の機会はあるまい?」


「……そういうことか」


 アルシンドの言葉は、ファレルが出立以来考え続けてきた疑問の答えそのものだった。

 

 なぜ、流国がユーリアを選んだのか。それは小娘ならば御しやすいと侮ったからでも、力をつけ始めた新興勢力を陥れる為でもない。

 アルシンドは、彼に命じた首長はユーリアこそを同盟の相手としたいのだ。それを実現するためにはユーリアが玉座につき、皇帝となるのが前提だった。





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