第52話 会談

 流国との秘密会談までの三日間を、ファレルは悠々自適に過ごした。市場を冷かし、地元の酒場に顔を出し、最後の日には買い込んだ書物を部屋で読み込む。

 余人の目にはおおよそ会談の準備をしているようには見えなかったが、彼を知る者たちは心配はしていなかった。


 街の散策は万が一の際の逃走経路、および襲撃しやすい場所の確認も兼ねているし、酒場に入り浸っていれば街で流れている噂も仕入れられる。書物に関しては知識はいかなる時でも役に立つものだ、とファレルならば答えるだろう。


 そうして、会談当日。会場はカラール商会の所有する屋敷の奥の間が使われることになった。


「……少し蒸すな」


 屋敷の中の一室で、ファレルは黒騎士の甲冑を身に纏う。流国の温暖な気候で身に纏うには黒鉄の鎧はいささか以上に不便だった。

 しかし、会談に赴くのがユーリアの腹心である黒騎士となっている以上は、攻め手初対面では一目でそれとわかる服装をしておかなければならない。久しぶりに感じる兜の窮屈さも我慢せざるをえなかった。


「だから、流国では皆、甲冑は着ないんだ。付けてもせいぜい胸当てか、鎖帷子だ。それと鰐の皮の鎧とかもあるぞ。素早く動けてその上、風も通すから重宝されてる」


 カラールが言った。今回の会談に際しては彼女もまためかしこんでいる。普段と同じように仮面をつけているが、宝石をあしらい、黄金で飾られたドレスはまるで王族の礼服のようだった。


「鰐皮か……一揃え欲しいな」


「今度用意しておくよ。多少値は張るが、賄賂の代わりだね」


「……聞かなかったことしておこう」


 マントを羽織り、ファレルの準備が済む。

 最後に甲冑を脱いでからまだ一週程度の時しか経っていないが、酷く久しぶりなように感じる。それだけこの旅の間は黒騎士である自分から離れていたというでもある、とファレルは噛みしめた。


 もっとも、自ら定めた責務から逃れることはできない。最終的に自分はこの兜に戻ってきてしまうのだ、とも彼は分かっていた。


「……お前、叔父の前でもその仮面なのか」


 ファレルの問いに、カラールは仮面の下に驚きの表情を浮かべる。

 ファレルは決して冷血な人物ではないが、素直な気遣いを示すのは珍しい。仮面で顔を隠していてもその下の顔に微かな影があることに彼は気付いていた。


仮面こいつの理由は君も知ってるだろう。身内だからこそ外すわけにはいかない。私は死ぬまで会頭カラールのままなのさ」

 

「……そうか。互いに面倒が多いな」


「ふ、君ほどじゃないさ。また誰かを落としたようだし、女難の運命は伊達じゃないな」


「……お前も気付いてたのか」


「あのメリンダ船長が乙女の顔をしていたからね。相手は一人しかいないさ。流石私が見込んだ男、と言いたいが、テレサや皇女殿下が知ればこんなものではすまないだろうねえ」


 揶揄うようにそう言うカラールに、ファレルは苦虫を噛み潰したような顔をする。メリンダの件に後悔はないが、弱みであることは現状では事実だった。


「……脅しても無駄だぞ。いずれオレの口から言う」


「いつ言うんだい?」


「いずれ……近いうちに……できるだけはやく……」


 珍しく歯切れの悪いファレル。そんな彼にカラールはますます楽しそうにこう続けた。


「らしくなく腰が引けてるじゃないか。そんなに皇女殿下が、いや、テレサが怖いのかい?」


「両方に決まってるだろ。分かりきったことを言うな」


「ふふ、だろうね。だが、君は王子だ。流国なら愛人の一人や二人、いやさ側室の住人や二十人いても文句を言うのは相手方の親くらいのものだぞ。開き直って堂々としてればいい」


「ますますひどい目に合うだけだ。というか、オレの国ではそういう風習はなかった。少なくとも父上は、母上一筋だった……はずだ」


「おっと藪蛇だったか。どこかにアルカイオスの落胤がいるかもしれないなんて笑えない冗談だ」


 アルカイオス王国には、王族が王位を継承する前に武者修行に出る伝統がある。その際に、ファレルが文字通りテレサと結ばれ、他の女たちともであったように、ファレルの父に何があったのかは当人のみが知ることだし、ファレルにはあれこれ言う権利もなかった。


「そうだ。せっかくだしこれを機に流国に亡命するのもありかもかもね。今なら金勘定の上手い妻もついてくるぞ」


「冗談じゃない。それこそ国の再興なんて夢のまた夢だ」


 帝国と違い、流国は植民地の自治など認めない。

 それどころか、十三氏族以外には権利さえ存在していないのが流国だ。所属してしまえばその時点で他の選択肢はなくなる。


 カラールの方も本気で勧誘などしていない。とはいえ、前者はともかく後者まですげなく断られるのは多少歯がゆくはあった。


「――カラール様、お客様がお越しです」


「……わかった。例の場所にお通ししろ」

 

 だが、これ以上は戯れてもいられない。客人を待たせるのは礼を失する行いだ。


「――行くか」

 

 ファレルはゆっくりと兜を被る。視界が制限されると同時に、彼の思考は将としてのそれに切り替わった。

 

 カラールもそれを見て気を引き締める。これから行われる会談は彼女にとっても命がけのものだ。その結末如何では彼女の将来は文字通りに砕け散るだろう。



 カラールの叔父、アルシンド・ガル・アイレーブはアイレーブの氏族を率いる氏族長の一人だ。

 現在の氏族長の中では最古参で、その権威も大きい。現在の首長スルタンであるアフダル三世からの信任も厚く、現在の流国は彼の差配で動いているといっても過言ではない。


 それだけの人物との会談の経験はファレルをして数回しかない。ましてや、流国の重要人物との邂逅はこれが初めてだった。


「……失礼します」


 黒騎士ファレルはそう声を掛けてから、会談会場へと踏み込む。彼の後ろにはカラールが立会人として控えていた。

 体面上はそれぞれの国家の代表として対等な立場にあるが、権力から言っても年齢から言ってもファレルが目下として振舞う方がことは円滑に進む。


 会談の会場となった奥の間には流国織の絨毯が敷かれ、机やいすは置かれていない。流国の流儀に則って床に直接座ることになっていた。

 

 久しくない緊張感にファレルは乾いた唇を舐める。

 発言を間違えればその時点で帝国と流国という大陸に大国家が即開戦ということにもなりかねないのだ。ファレルといえども緊張は隠せなかった。


「――遠いところ、よく参られた」


 低い威厳のある声が部屋に響く。声の主は部屋の奥でファレルを待っていた。


 その人物はいうなれば冬眠明けの熊のようだった。

 まず体が大きい。座っているというのに比較的高身長なファレルとそう目線の高さが変わらない。腕は丸太のように太く

、短い指には力がみなぎっていた。


 次に、顔だ。褐色の厳めしい相貌には隙間なく傷跡があり、牙をむくような笑みを浮かべていた。胸元まで伸ばした顎髭もその動物めいた印象を強めていた。


「さ、まずは座られよ。黒騎士殿」


「御意に」


 ファレルは言葉通りに床に腰を下ろして、胡坐をかく。そのまま神妙に頭を下げた。


「まずは、この場で兜をとらぬ無礼をお許しを」


「構わぬ構わぬ、は聞き及んでおる。それに儂もこの服の下には鎖帷子を着ておるしな。お互い様じゃ」


 そう言って笑うアルシンドにファレルはますます警戒を強める。

 この男はファレルが何ものであるかを知っていて、それをほのめかしている。情報源がカラールであるかまでは分からないが、油断ならない相手であることは間違いない。


 だが、相手が何ものであるにせよ、ファレルのすべきことは変わらない。

 交渉の基本は一つ。ユーリアにとって、自分にとって最大の利益を引き出すまでだ。

 

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