第51話 カドモスの街

 カドモスの街は古くから交易の要衝として様々な勢力に干渉を受けてきた。

 二百年前にはダハーン流国の前身であるカルナバウ連合の支配下にあり、五十年までは帝国と流国でその領有権を争っていた。

 

 情勢が安定したのは、東側に湖の守り人結成されたのと同じ二十年前のこと。何度かの小競り合いと交渉の末、湖の東側を帝国が、西側を流国が支配することになったが、大陸でも稀有なカドモスの街は両岸の文明が交錯する場所となった。


 それはカドモスの街の建築物や営みにも現れている。

 帝国様式のレンガ造りの建物が現れたかと思えば、その隣には流国の黄土色の土壁がそびえる。市場バザールには砂漠の旅の供である水瓶瓜サンドフルーツや流国の特産品の織物に混じって、帝国産の宝石類や武器が並んでいた。


 行きかう人種も様々で褐色の肌の流国人を始め、帝国人や南方の庶民族、白い肌に白い髪をした北方人さえもちらほらと見える。まさしく大陸の関所の名に恥じぬ場所だった。


「――うん、ここの空気はやはりいいな」


 ファレルはその雑踏に立って、大きく息を吸い込む。

 彼がこの街を訪れたのはこれで三度目だ。一度目は王子として、二度目は武者修行中の騎士として、この三度目は第三皇女ユーリアの名代としてこの地に立っていた。


「…………わたしには騒がしいだけにしか思えないですけど」


 ニーナが言った。後学のためにと街の散策に出たファレルに同行したのだが、元から人ごみの苦手な彼女にしてみれば、この街の雑踏はいささか以上に神経に堪えていた。


 エリカやユリアンは宿に待機している。


「それだけ活気があるということだ。ガルアもいずれはこうなる。人が集まるところに金も権力も集まるものだからな」


「……わたしには縁遠い話です」


「お前がただの魔法使いならそれでいいが……せっかく魔術院を出たんだ。あらゆる知識を学ぶいい機会ってもんだろ」


「それは……そうですが……」


 帝都の魔術院に入った魔法使いの多くはその一生を魔術院の中で終える。魔道を極める為の知識はそこに揃っているし、外の世界に出たいと思うような欲求は熟達した魔法使いならば捨て去っていているものだ。

 時折、院の外で名を成す使もいるにはいるが、魔法使いの常識からすれば院に入った者がわざわざ外に出ることはない。


 だが、ニーナはこうして俗世にいる。ユーリアに勧誘され、彼女の任務を受けて、ついには帝国の外にさえ出てしまった。

 そのことに奇妙な感慨を覚えるのと同時に、ある疑問も首をもたげる。


 なぜ、自分はここにいるのか。今まで考えたこともない、そんなことばかりをニーナは考えていた。

 

「それに時には習うより慣れろ、だ。他のところも回ってみるぞ」


「え、ちょっ、待ってください!」


 強引なファレルに引きずられるようにしてニーナは街の雑踏に入っていく。

 人の波は実際の波と同じかそれ以上に強いが、不思議と二人が逸れることはない。ファレルがさり気なく人々の隙間を通り、背後の自分が遅れないように気を遣っていることにニーナは気付いていた。


 ファレルがニーナを連れてきたのは、街の中心にある噴水だ。最高級の白亜石で造られたその噴水はこの街の象徴であり、観光名所の一つだった。


「ここがかの有名な『ネクタルの噴水』だ。流国では彼らの神話にちなんで『エンキの湧き水』と呼ぶらしい。なんでもこの水はどこからともなく湧いてきて、ここ千年間途絶えたことがないらしいぞ。魔法でも使ってるのか?」


「……確かに強い波動を感じます。ものすごく古くて、とても大きい……周辺の地脈そのものがここに集っているような……」


 目を輝かせて、噴水に触れるニーナ。魔術院で様々なに触れてきた彼女をして、このネクタルの噴水は驚くべき奇蹟だ。

 先ほど感じていた疑問や不安などこれを目にした瞬間に吹き飛んでいた。


「ふと気になったんだが、お前は同じことをできないのか?」


「無理です。私の魔力と心ではこんなに長い間、この世界に残る魔法は編めません。それこそ学院の大魔法使いか、あるいは古の神々でもなければ、これほどの魔法は…………」


「そうか……残念だな、どこでも水を沸かせられるならわざわざ行軍の度に水源を探さなくて済むと思ったんだが……」


 本気で残念がっているファレルに呆れるニーナ。仮にこの噴水と同じようなことができるとして、行軍の度にそんな大魔法を行使していたらニーナはあっという間に枯死してしまうだろう。


「なんだ、まだ魔法を戦に使うのに抵抗があるのか。真面目なことだな」


「…………当然です。魔法は本来学問です、神聖なものなんです。それを伝令代わりに使うなんて……あの湖賊の魔法使いだってそうです。霧を操るあの魔法は私の扱う魔法とは根本から違うものですが、それでも素晴らしい術でした。でも、それを復讐のためだけに使うなんて……」


 言い終えてからニーナは自分が感情的になっていることに気付く。

 もう慣れたつもりだったが、この旅では彼女の価値観そのものを脅かすような出来事が二つあった。


 一つは異国の魔法使いとの魔法戦。一流の魔法使いであれば相手の術に触れればそれだけでそこに相手が込めた理念や漏れ出た感情を我が事のように理解できる。

 今回の場合、リゲイア族の魔法使いは術に込めた憎悪を隠そうとさえしていなかった。そのように魔法を扱うことなど魔術院ではありえない。


 もう一つは、そんな相手にしてニーナ自身が対抗してしまったこと。敵を倒すために自ら進んでファレルに協力し、異国の魔術を解析し、禁忌とされる相手の魔法の乗っ取りさえやってのけた。

 本来ならば魔法使いとして恥じるべき行いだ。しかし、そう感じようとは思えない自分がニーナには問題だった。


「こう考えてみるといい。この噴水はお前の言うとおりに素晴らしい魔法の成果であり、遺物なんだろうさ。だが、この噴水を作った神なりなんなりは飾り物にとしてここに置いたわけじゃない。


「それは……どういう……」


 ニーナの問いに、ファレルは「簡単なことだ」と言って噴水を指す。正確には噴水の側で水桶を手にしている老婆を指さしていた。


「あの婆さんはあの噴水の水がなければ、わざわざ湖にまで行って水をくまなきゃいけない。この街は大きい、湖まではかなり歩く。もし、そうだったら婆さんはもっと湖の知覚の家に住んでただろうな」


「……つまり、この街が大きくなったのはこの噴水のおかげだと?」


「そういうことだ。まあ、他にも理由はあるだろうが、少なくともここに噴水を置いたやつはそれを計算してたはず。じゃなきゃ、ここが街の中心にはならない。カドモスの街ももっと小規模になってたはずだ」


「……なるほど。でも、それがどう……」


「なんだ分からないか? お前が感心するほど魔法を使う大魔法使いはお前の言う属性のためにそれを使ったってことだ。たしかに戦の道具として使えば結果として人を殺すことにもなるが、使い方によっては魔法にはこういうことができるってことだ。ただ蔵の中にしまって埃被らせるよりはよほどいい使い方だと、オレは思うがね」


 ファレルの述べた結論に、ニーナは思わず彼の顔を見た。

 まるで賢者のような語り口と言葉なの内容に驚きつつも、同時に納得を覚える。


 彼は元とはいえ王子だ。王都なるべく教育を受け、それに応えるべく彼自身も己が視座を高めようとしてきた。それはユーリアに使えるようになってからも変わらない。

 他の騎士とファレルは違う、ユーリアが彼女にファレルの監視を命じた時そう口にした意味をニーナはようやく理解した。


「……王とは時に賢者であり、愚者であり、勇者でなければならない」


「列王記か。帝祖レムルス一世の言葉だったか……帝国の皇帝に準えられるのは不本意だが、褒め言葉としては悪くない」


 ニーナが思わず口にした一節に、ファレルがそう応じる。王たるものの資質、その一つを確かに彼は持ち得ていた。

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