事件の後処理

清水涼しみずりょう (マフィア)


 「…中途半端。」


 彼女が立つのは、緋彩が麻酔薬を刺して眠らせた男の前。


 「河野茂之こうのしげゆき…、想定よりも能力は上と考えて良さそう。」


 注射針の跡を見て、彼女はひとりごちた。

 いくら医療が専門とは雖も、あの『要人警護社』に務める緋彩をして、麻酔薬を使わざるを得ない状況に追い込んだということなのだ。


 (いくら警護社が甘くて殺すつもりがなかったとしても、刃のない武器を使っていたとしても、脅威には違いない。)


 彼女は逡巡する。

 先ほどの洗脳の能力者、深遠宗二しんえんしゅうじは殺してしまった。

 あの能力は危険すぎた故に、能力者と判明したあの時点で殺すしかなかった。


 けれど…


 (強いし脅威だけど、止められないわけじゃない。なにか、私やあの人に似た感じもする。ならば、他の能力は持たない、と推測するのはあまりに理想論か。いずれにしろ、情報量が足りていない。)


 結果からいうならば、彼女は彼を殺さなかった。

 彼が眠る間に、ひとつ仕掛けをして、そっとその場をさった。


 ホテルを封鎖するなにかが解かれた後に、大きな力を感じなくもなかったが、特に何事もなくマフィアの本部、首領の元へ向かう。


 「首領しゅりょう。」


 「おや、大変なことになっていたと聞いたが、無事でなにより。」


 初めて彼の声を聞くならば抑揚のない声が少し恐ろしく感じるだろうが、それは涼には当てはまらない。


 「首尾の程は? 」


 「問題ありません。特諜局のと、想定外でしたが要人警護社が収めました。」


 「結構。」


 こうべを垂れて、淡々と事実のみを報告する。


 「…精神操作系統の異能力者がいたのでその場で始末しました。この計画の裏には彼がいたのでしょう。」


 自らの精神を守った御守りを首領に手渡して、静かに述べた。


 「鬼頭きとう派の傘下の組織であるまむし、その構成員のひとりでした。もうひとりは油断ならぬ実力の持ち主ではありましたが、もうひとりを始末したので、彼は泳がせました。」


 「…油断ならぬ、とは具体的に? 君が戦ったのか?」


 「いえ。警護社の、凩緋彩が麻酔針を使用して眠らせていたので…」


 「あの子か…、あの子は薬物を戦闘に使うのを嫌うからな。納得した。」


 彼女は麻酔を含め、毒などの薬物を戦闘に用いるのを好まない。そして、好まないが、それを使うことも場面によっては厭わない。決して、理想主義者ではない、自らが弱者と理解した上で、狡猾な手だって使える人間だ。

 嫌っていたって、必要ならば手を汚す、そういう覚悟だってしている、それでも致死性の毒や後遺症の残る毒なんかは使わないが、頑なにそれを守ってなにかを失ってしまうくらいなら、使うのだろう。


 「確かにあの子の専門は医療関連だが、この世界である程度生きていける程度には強い。それならば、油断などできまい。」


 とはいえ、麻酔針を刺せる程度の相手であれば、最悪の事態というのも、そう予測できないものではないだろうと。


 「わかった。報告ご苦労。」 


 涼はひとつ礼をして、その場から音なく立ち去った。


 部屋に残るは首領の深和ひとり。


 「あとは…なぜ急に警護社がこの件に関わってきたのか、ということか。ん?」


 手渡された、御守りを見て驚いた。

 御守りは発動毎に色が変わり、リセットしない限り、発動回数が記録されていくという仕組みになっている。


 「2回発動されている…?」


 報告によるならば、精神系の異能力者を始末する前にその攻撃を防いだのみ、1回しかカウントされていないはずなのだ。その状況から導くに、


 「また別の、精神系異能力者がいる?? …全く、困ったことだ。まだ風見君の穴は埋められないらしい。」


 以前に脱退した元最高幹部であった部下を思い出して、溜息をついた。

 彼を引き止めることは不可能であったし、彼が出ていくようなことをしたのは深和、ともいえるが、彼の頭脳が、結末までを描き操るその頭脳があったのなら…と何度も考えてしまう。


 また、検討事項が増えたと悩みながら、新たな指令書を書き始めた。


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② 龍崎美琴 (特諜局諜報員)


 龍崎美琴は、全体の結界が解かれた後、瀬川の家の者たちを記憶消去から守った上で、秘書を部屋に迎えに行った。


 彼は、眠っていた彼女をそっと起こして、寝ぼけた彼女に幾つか質問をしてから、清水玲に電話をかけた。


 ホテル内を飛び回る彼の式はたくさんの情報を拾って、件の始末が成功したことを確信した。


 電話を切ってから、寝惚けた彼女を自分の膝の上に座らせて、また幾つかの質問をした。


 「誰に頼まれて俺の元にいるの?」


 「なにに困っているの? 誰に脅されているの?」


 惚けていてもガードは固くて、半分も聞き出せなかったけれど、それに落ち込むことはない。

 龍崎が本気で調べようと思えば、こんな危うい方法を取る必要などないのだから。

 ただ彼が、彼女の口から聞きたくて、そして、


 「助けて」


 と、そう頼って欲しいだけなのだ。


 彼女に流す情報も制限しているし、誰が情報を欲しているのかも、理解している。

 それに、彼女がなんとか情報を隠そうとしていることも…。


 だから、きっと、彼女は…。


 彼らが本当の意味でパートナーとなれるのはもう少し先の話。


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清水玲しみずれい (特諜局)


 「璃孤りこさん、戻りますよ。」


 呼ばれてから、数秒間を置いてから九つの少女は返事をした。

 彼女は新しい名前にはまだ慣れていないようで、一人称を『私』とするのにも苦労していた。


 少し前まで『柚木陽菜ゆずきひな』という名前だった彼女は、孤児『羽月璃孤はねつきりこ』という別人として、生きている。

 気分のいいものではない。


 それを察して、清水玲は静かに彼女を先導した。


 自らの居場所を、自らを確立できないことが、どれほど苦しいことか。

 宙ぶらりんな状態で、脚をばたつかせて、それでもやっと息ができるだけで、何も楽にはならなくて、でもいっそ死ねなくて。隣で見ている自分まで苦しくなりそうで、私はそんな妹から目を逸らした。


 今回の件、龍崎美琴が急に招待されたことは偶然とは思えない。

 彼が諜報員だと知るのはうちの組織の人間と、以前に事件があった警護社の一部の人間のみ。

 ならば、誰がそんなことをしたのか、答えを導くのに大した時間はかからなかった。


 妹の涼は、暫く前に家を出ていった。

 窮屈で、なにか彼女には違和感があったのだと思う。

 その前になにかをしてやれなかったのか、と自問自答したが、過ぎたことには変わりない。


 妹が出て行ってから、両親は言った。

 追わないこと、自由にさせること、彼女の幸せを祈ること。

 離れていくことは自分達への拒絶ではなく、彼女自身が足掻いているからだと。


 だから、玲は少し嬉しかった。

 きっと、涼は元気でやっているのだろうと、そう思えたから。


 目の前の少女は、ただの人形のように生気がなくて、すごく心配になる。

 けど、きっといつか、居場所が見つかることを願っている。

 それまでは、連れ回して、話しかけて、刺激を与えるしかない。


 そう思った。


 散りゆく桜に、僅かに目を瞬いた少女を見て、救われたような気がした。

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すべてはあの桜花のせい 泡沫 @Utakata_Stories

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